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2010/04/19(月)
ガーデニング考
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また一日中庭にいるのが楽しい季節になった。きのうもまた、性懲りもなくいくつか新しいものを買ってきて植えた。トマトは毎年植えるが、今年からはたまねぎまで植えた。無事に育つのかどうかさっぱりわからん。。(笑)雑草の集積地みたいになってる場所があって、そこの雑草をきれいにするのに、次に何か植えるものがあれば、本気で雑草と格闘できるだろうという算段である。一応きれいにはして、たまねぎを土につっこんだが、あの調子では、そのうちたまねぎを雑草に間違えて、ひっこぬきそうである。そのくらい小さい。。たまねぎって、土の中で大きくなる部分を食べてるの???(笑)それにしても、店に行くたびに、きれいに新芽を出し、花を咲かせている植物がいるから、買いたくなる。でも、今年、学んだのは。。。店で花を咲かせているのは、コンピュータですべてを管理された工場から運ばれてきているからである。湿気も温度も計算されて、間違いなく花を咲かせるようになっている。それを客は喜んで買って、庭に植える。ところがである。今年、なんとか生き残りはしたが、去年店屋で見て買ったた時とは大違いで、花は咲かないし、新芽も出さな植物がいる。(名前はわからず。。笑)こういう植物が、新芽も出さず、がんばっている姿に思うのである、きっと人工的な工場からこの現実の世界に移されてきて、今、必死で適応してるんだろうな、と。適応して生き延びるのに必死だから、新芽も花も咲かせている余裕がないのである。で、こういう植物の姿を見ていると、これって結婚生活、とりわけ昔みたいなお見合いだの、移民の写真結婚と同じではないのか、と思ったのである。(笑)相手のことは何もわからず、ただ結婚する。それから新しい環境での適応が始まる。人に対して、状況に対して。自分を新しい生活条件に適応させるべく、必死でじっと我慢して、自分を変えていき、そのうちやっと花でも咲かせることができるようになる???最後に咲くかも知れないものを、昔の人は「愛」と呼んだ?? やっぱり、昔の人は偉かった。。(笑)今の恋愛結婚は、最初に「好き」で始まり、最初から「愛」があると思うから、適応への我慢が足りなくなるのではないか。自分の適応へのエネルギーが枯れてしまったことを、「愛」がなくなったと称すしてしまう。植物は、適応へのエネルギーが枯れると、黙って死ぬが、人間は、性懲りもなく、存在しない「愛」を探して、再びうろうろする??(笑)総論の「愛」なんて、人を縛るだけではないのか。机上で語る「愛」なんかより大事なのは、変化し続ける環境に適応し続ける生身のエネルギーである。そのエネルギーさえあれば、人はほんとに自由に、どこまでもどこまでも生き続けられるのではないか。そして、自分が小さく小さくなって、消えるまで小さくなっていったとき、世界への「愛」が生まれる。それが、幸せな人生だったという満足感かも知れないのである。最初からの「愛」の振りかざしは、人を傲慢にするだけなのである。ただただ今は、庭で、今年、花を咲かせなかった植物が必死で、適応しようとしているその闘いを見守るだけ。。植物も人間も、花が咲くまでには時間がかかるのである。じっと我慢。。私も、残りの人生を悔いなく生き切るために、じっと我慢である。
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