〜ing〜アメリカつれづれ日記
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2010/06/28(月) 若泉敬という人
きのう、NHKスペシャルの番組で、沖縄返還交渉の密使となった若泉敬という人の番組を見た。悔しくて、本気で腹が立ってきた。佐藤栄作の側近として、沖縄返還交渉にあたり、核持込密約をやった人である。彼は、たとえ持ち込みの密約をやっても、沖縄が本土に復帰することが大事と考えたという。佐藤の遺族が、去年、机の引き出しで見つけた、とか嘘八百のようなことを言って、ニクソンと佐藤のサインの入った手紙を見せた。re-entry of nuclear weaponとあった。ところが、アメリカ側の思惑は、なんと、たとえ核持込がだめでも、沖縄を自由に使用するところに最大の目的があったという。してやられた、という感じである。結局、沖縄は返還されても、基地は固定化され、加えて、核も自由に持ち込まれていただろう。若泉氏は、そのことをずっと悔いて、最後の最後まで、沖縄を思いながら、自分で死を選んだ。腹が立ってきたのは、若泉氏が、政治に波をたてよう、国民に問題を考えてほしいと思って、交渉の真実を出版しても、外務省が、知らぬ存ぜぬを通して、本を無視したことだ。ほんとにほんとにバカである。以前、野心と向上心の違いを考えたとき、野心をもっているのは寄生虫と書いたが、職場のバカ女にしろ、補習校のバカ女にしろ、寄生虫のもう一つの共通点は、必ず人のせいにし、平気で人を責めることである。職場のバカ女は、黒人の従業員がやめていったのは、私のせいだ、と証人のいる前で言ってのけたし、補習校の女も、なんとかという男子生徒が学校をやめたのは私のせいだ、と平気で言ってのけた。お前、それで主任なり、管理職やってられんのかよ、が私の反応だったが、今回の番組でも、外務省の官僚の顔を見ていて、ほんとに、外務省も寄生虫だと納得した。ああ、ほんとに外交官試験に落ちてよかった。。(笑 通る可能性はゼロだったが、それでも全国の応募者3000人から、霞ヶ関の面接の100人に選ばれたんだから。。笑)今、鶴見俊輔の文章を読んでいるが、彼は、私が内向きのエネルギーと呼ぶものを、日本の”鎖国性”と呼んでいる。すりかえて、すりかえて、本質を見ないようにして生きるのである、あの島国の人は。佐藤栄作も、よくまあ、平然とノーベル平和賞を受け取ったものだ。ああ、それはオバマもいっしょか。(笑)民主党の仕分け作業ではないが、スぇーデン政府も、ノーベル平和賞を仕分けしたほうがいいのでは。。何の意味もなく、無駄使いではないか。そういえば、オバマは、どこかの団体に寄付したと流れていたが、佐藤は、何に使ったのか。密約を交わし、ごまかし、そして、賞金で私邸の建て替えでもしたのでは。。ああ、腹が立つ。。。(笑)それにしても、今ごろになって、基地をグアムへ動かせだの、どうのこうの言っても何もはじまらない。日本は、完全にアメリカのパターナリズムに取り込まれている。つまり、アメリカが投げてよこす飴ちゃんをなめさせてもらって、喜んでいるだけである。外務省が寄生虫なんだから、飴もらって、さぞうれしいんだろうなあ。情けない話だ。今はどうなったか知らないが、暫く前、愛国心を教えろ、とかまびすしかったことがあった。愛国心とは、自分たちが”敗戦国民なんだ”ということを身に刻むことである。なぜ、日本が、アメリカにすら{ジャパン・アズ・ナンバーワン”と呼ばれるまでの経済大国になれたのか。私の父親の世代が、”敗戦”の悔しさを身に刻んで、がんばったからだと思う。今のように、サッカーの勝敗ぐらいで、国をあげて、わあわあ言ってるぐらいではお先まっくらである。それが、あの島国の人にはわからないのである。日本人に働かせ、金をまきあげるために、サッカーで勝たせてやる、ぐらいのことは、世界の国は平気でやるだろう。欲しいものを手に入れるためには。。ああ、そういえば、なぜ日本人の宇宙飛行士がつぎからつぎへと誕生するのかといえば、日本がNASAにたくさんお金を出してるそうな。そんなものなのである。ぎゃあぎゃあ喜ぶな。(怒)アメリカという国は、ただでは起きない。すべてが戦略になっている。それが、さっぱりわかっていない。交渉時に、トラストミーなんて、平気で言う首相が出てくるような国だもんな。。(怒悲)そういえば、今、日本人が中国へ行って、ビジネスをし、中国人に技術を教えているらしいことを、誰かは、昔は、日本人が遣唐使や遣隋使を送っていたんだから、ちょうど逆になった、みたいなことを言っている人がいたが、これまたバカな話である。そんなレベルじゃないよ。国際的枠組みでいくと、日本は敗戦国、中国は戦勝国なのである。日本は、国連の常任理事国にしてくれ、してくれ、と言ってるけれど、いくら国連にお金を積んでもしてくれないではないか。そんなものなのである。日本って、ほんとにアマちゃんの、それも寄生虫がたむろしているところだ。若泉さんがほんとにかわいそう。。。でも、もうガンで余命いくばくもなかったとしても、自分で死を選んだーそれだけが、彼の誇りだったに違いない。私も、そんな生き方がしたいと思う。

2010/06/26(土) 警察の役割
数日雨が降り続いたので、地面がゆるんでいる、これは植え替えにぴったりだ、と思って、大きなホスタの植え替えをした。つかれた〜〜〜。植えて5年ぐらいは経ってたのだろうか。大きくなって、隣の植木を圧迫していたので動かそうとしたのだが、根がきっちり張ってしまっていて、地面の土がやわらかだろうが、びくともしない。でも、長期的に見たら、どうしても動かさなくなければならなくなっていたから、やるしかない、と全身、汗まみれ、泥まみれになって動かした。動かすだけで、2時間はかかった。つかれた〜〜〜。翌日、全身が痛かった。それで、きのうはぶらぶらと、植え替えの欲を出さないようにして、庭を歩いていたら、どこから来たのやら、大きなゴールデンリトリーバが迷いこんでいるではないか。で、救いは非常にフレンドリーだったことだが、こりゃ、どうしたものか。隣の犬がわんわんほえるわ、私のほうも、人なつこくにおいをかぎにこられて、ちょっとめんどくさくなって、どこから来たのよ、と日本語でわめいていたら、隣のおっさんが出てきた。「この犬がどこの家のか知ってますか」と聞くと、知らん、という。首にタグがついているか、と聞くから、見るとついていた。でも、ひとなつっこく寄ってくる犬を押えることができず。おっさんは、さすが二匹も犬を飼ってるだけあって、扱いが上手だ。呼ぶと、犬はあっさりおっさんの方に行った。で、おっさんがどうするかと見ていたら、まず、犬にこれでも飲んどけ、といって水をいっぱい与え、次に携帯で、あの人のところに犬はいたよな、とか言いながら、近所の人のところに電話をかけた。違うらしかった。で、次に、なんと警察に電話したという。へえ、迷い犬の世話まで警察はするのか。警官も暇だったのか、すぐにやってきた。で、二人で、ガレージに入ってごそごそ。。。すると、まもなく、自転車に乗って、若いアメリカ人がやってきた。「このぼんくらめが」みたいなことをぶつぶつ。。自転車でやってくるぐらいだから、近所の人らしかった。会ったことなし。(笑)で、まもなく、大柄な兄ちゃんが小さな自転車に乗り、犬はその横をてくてくして、二人帰っていった。その後ろ姿がマンガちっくで愉快だった。(笑)パトカーもすぐに消えた。今日、学んだこと。。こっちの人は、けっこう平気で警察を呼ぶらしい。日本にいたころ、野良犬の処理で、警察が出動なんて聞いたことがない。野良犬が自分の庭をうろうろしたら、まず警察、ということか。そういえば、娘も高校生のとき、友だちの家のパーティで大勢集まり、うるさい、と近所の人に警察に通報されて、飲酒でぱくられ、ぶた箱行きになったとか??(親が知らないのが、みそである。笑)お金を持って、払い出しに行ったのは友達と聞いている。(笑)18歳以上は大人として扱われるけれど、飲酒は21歳以上ということで、そのあいだに落ちたら、新聞沙汰になるという不公平度で、娘の名前も新聞記事のリストの中に。それをまた、ごていねいに読む人がいるようで(知っている名前はないか、と思ってみるのだろう)、あんたの娘の名前が載っているよ、と記事を持ってきてくれた上司がいた。ああ、あの上司の上を私はけっとばしたんだった。(笑)と、記憶は連鎖する。高校生のパーティでも警察である。日本では、近所の人間にいやがらせされても、被害者が病気になるほどまで、警察はほったらかし???無言電話3000回とか、ニュースに流れてなかったっけ。。確かに、ここには交番はなく、道順を教えてくれ、などと警官に聞いたりしたら、それは警察の仕事ではない、と怒られそうだが、犬の世話までしてくれるとは。。。要するに、アメリカの警察の仕事は、公の安全を守る、の一点張りということ??? それは、市民を”助ける”というよりは、市民生活の”管理”である。ああ、何年アメリカにいても、へええ、と思うことがあとを絶たぬ。。。それほどまで、社会が違うということである。

2010/06/21(月) 野心と向上心
友達が、面白いメールを送ってきた。野心と向上心の違いだそうな。男なら向上心と見られるものでも、女なら野心と見られてどうのこうの、と、男社会にあって、女が差別されているという文脈だったようだ。私から見れば、野心と向上心の違いは一つーその人間がもつエネルギーの方向性である。野心は内向きのエネルギーで、他人のエネルギーを盗んで生きてる”寄生虫”がもっているもの、向上心は外向きのエネルギーで、他人にエネルギーを与えながら、かつ自分をすこしでもおおきくしようと、太平洋を一人で泳ぐことのできる”グッピー?”のもの。。(笑)職場の白人バカ女は野心の塊となって、結局堕ちた”寄生虫”。補習校のバカ日本人中年女も”寄生虫”だった。この手の女たちには共通点があるー野心の塊で、平気で嘘をつくことができる、権威をもつ人間にはへらへらし、自分の力で生きる強さはない。だから”寄生虫”。”寄生虫”は自分のうわっつらを飾るのが上手である。中身のない、かっこをつけた言葉やら服装で、見かけをごまかす。が、人間としてのintegrityやdignityはない。だから、平気で嘘がつける。それにしても、野心と向上心の違いが、女性問題とつながるようでは、日本社会にはやっぱり未来はないなあ。。(悲)これは女性問題ではない。”寄生虫”の女の社会的地位をあげても、何の意味もないではないか。社会にますます毒が回るだけである。(笑)アメリカは、覇権主義の国、社会である。つまり外へ、外へとエネルギーを出して、大きくなろうとする。海に囲まれた島国とはまったく反対に動く。今、1920年代に日本で出されていた雑誌を見ているが、あのころは、日本も外に外に出て、満州国を創った。戦後教育で教えられる歴史観は、これを日本の「野心」と呼ぶが、これを”向上心”と呼ぶ歴史解釈はないものか。(笑)黒竜会は、その思想をもっていたのではないか、が私の仮定だが。。。さあ、どうなることやら。。原稿の仕上がりはまだまだ遠い。黒竜会をもちあげるようでは、相変わらず売れそうにないよな。でも、思想は人ともに生き続け、蘇るがテーマである。アメリカに、頭山満子だ!!!(笑)

2010/06/17(木) 水と風の記憶
年に一度のセーリングをしに、ウィスコンシンのレークジニーバに行った。去年もおとどしも、風がそれほど吹かず、なかなか大変だったが、きのうは最高だった。”ねこ”号は、すいすいと素面を走る。船の大きさから考えて、最高速度まで出ていたそうな。。私が喜ぶ顔を見るたびに、義父が、たかこ、セーリングを勉強してみたら、と言うが、だいたい風がどっちの方向から来てるのかもわからない、と答えた。(笑)自分でも情けない、とは思うが、それが現実である。すると、義父が答えて曰く、顔を左右に振ってみろ、風の圧力を感じるほうが、風が来ている方向だ、と。おお、確かに顔を右に向けると、風を感じるが、左に向けると、顔は何も感じなかった。ああ、そういうことか、と、自分でもその簡単な原理に感心。。(笑)セーリングはねえ、飛ぶ船の上で、ぼおっと風を感じ、水を感じてるときが最高で、船の上で働きたくないよね、がまだまだ本音である。で、きのう、船の下で揺れ動く水を見ていると、長い長いあいだ、思い出したこともなかった光景を思いだした。小学校低学年だった。父親と海に行って、泳ぎを教えてもらったことである。最初は、手を引いてくれてた父親が、突然、手を離したのである。浮かぶことを教えたかったのだろうが、ああ、とか叫んだように思う。すぐに抱き上げられて、結局、それで終わりとなった。どうせ、この子はあかん、みたいなことを言われながら、帰路についたように思う。父親と私の関係は、まったくよくなかった。それでも、あれから50年近くなって、ふっと思い出す出来事があったとは。。。人は記憶だけで生きる、とつくづく思う。娘が、今サンフランシスコ近くの友達の家に居候している。友達は、彼女が大学一年生だったときに、私が日本語を教えた人である。娘が小さかったとき、友達の両親の家へ遊びにいくと、よくベビーシッターをしてくれた。その人が今母親になって、その娘さんを私の娘が時にはベビーシッターしていると思うのだが。。。。友達がメールをくれて、娘さんが私の娘の部屋をのぞきに行くらしい。それを見てはじめて、娘が小さかったときに、娘が友達の部屋をのぞきにきたことをはじめて思いだした、と。記憶って、面白いね、と。記憶は記憶を呼び起こし、人とのつながりは連鎖し、生きている充実感が生まれる。どんな記憶を持っているか、だけが、その人の人生を決めるのではないか。たとえ認知症になっても、その人の行動は記憶が決めるのではなかったか。

2010/06/16(水) assistant とmanaging のあいだ
相変わらず、ごそごそとファイルの整理をしている。今日、面白いものを見つけた。私が蹴散らしたバカ女のタイトルである。私が、よし、どうしてもやらなくてはいかん、と思ったのは、あの女のタイトルがアシスタントディレクターからマネジングディレクターに変わった2008年10月である。タイトルオンリーになってたから、給料は変わらないが、あの女がディレクターにしてくれ、してくれ、と上にうるさいから、上が、タイトルだけを変えてやったらしかった。これを見た私、2008年2月のミーティングであの女がどんなバカか、証人つきで露呈してやったのに、まだ上はこういうことをするのか。上はよっぽどいい人らしい、どうやらあの女がよっぽど口がうまくて、私のことをどう吹聴してるのか知らないが、なんとか上をまるめこんでいるらしい、あの女を、言われるままに、たとえタイトルだけでもあげてやろうとする上のいい人ぶりだけが頼りだ、と思って、2009年1月抗議書を提出したのだった。(笑)あれから、1年半。今、書類を見ていたら、あの女、今年の3月5日付けの書類までは、マネジングディレクターで署名している。ところが3月10日付けの書類では、アシスタントである。ははは、元に戻った。。(笑)別に給料があがっていたわけではないから、システムとしてはどうってことないだろうが、あの手の人間はタイトルがすべてで、自尊心を保つから、また元に戻ったことはさぞ”でっかいエゴ”が傷ついただろうなあ。。(笑)女にどんな処罰?が与えられるのか、与えられたのかは、プライバシーの保護で、私が知ることはないし、知りたくもない。が、思うに、公務員の世界は、すぐに結果は出ないが、少しずつ少しずつねっちりと、公務員らしく事を進める社会らしい。。(笑)まあ、私も気をつけねば。。。どういうことになっていることか。。。今の経済状況では、時間をつぶして、お金がもらえるだけでほんとに有難い。ただただ今に感謝。。それにしても、あの女に一種の敬意を覚えること。。。いろいろあったけれど、あの女、やっぱり平然と毎日仕事に出てきている。私の神経だと、同じことを部下にされたら、あ、もうやんぴ、とやめてしまいそうだが、あの手の女は堂々と出てき続けている。どんな仕事をさせてもらってるのかは知らないが。。。この図太さだけは見習わねばならぬ。(笑)

2010/06/10(木) シカゴの日系人
の資料を読んでいる。ふ〜〜〜ん、ふ〜〜〜んと思うことばかりである。日本人が日系人の歴史を書くときは、西海岸の収容所関係の歴史が主だから、シカゴの日系人については読んだことがなかった。それで、読むのが楽しい、楽しい。(笑)でも、きのうは読んでいて、腹が立ったり、感心したり。収容書から出てきた日系人を受け入れたキリスト教関係者のアドバイスである。いろいろあったが、その中の一つ。白人からいやがらせを受けても、優雅に受け流せ。。つっかかっていくな。けんかするな。おお、私とまったく正反対ではないか。(笑)協力せよ、競争するな。白人のクラブに行って、受け入れてもらえ、仲良くせよ、あんたらにチャンスを与えてくれるのは白人なんだから、と来ると、腹が立ってきた。(笑)こちら側が、白人側にすりよれ、すりよれとは言うが、白人側の教育については何も語らないのである。こちらが白人のクラブに行って、白人が気持ちよく感じるとでも思ってるのか??? あほ。。世間の人間は、教会のドアはいつでも開けてありますよ、と言いたがる牧師とは違うだよ。白人にすりよれ、と言われても、すりよられるのがいやなのは白人側じゃないか。もちろん、すりよってこられたら、自分たちの得になるように利用してやれ、と思わせることができる人間は大歓迎される。つまり、発言力のない最下層の移民たちである。そして、人間を最下層におしこめておこうとする。でも、競争できる能力のある人間はとことんつぶそうとするのがアメリカ人である。つぶされてたまるか、で、私は去年、職場闘争をやった。(笑)一つだけ、教会関係者のアドバイスで、私にぴったりと思うのは、「競争するな」である。はい。しません、だからパートタイマーである。(笑)それにしても、60年以上前の、こんな白人のイヌになれというアドバイスを読んでいると、自分がほんとうにラッキーな時代にいるんだということを実感した。どうして、私が職場闘争ができたか。1960年代の公民権運動のおかげである。それ以前は、人種問題について、口にすることすらできなかったのである。あんたにチャンスを与えてくれるのは白人なんだから、なんとかして、白人と仲良くせよ、だって。ばっか。。。なぜ公民権運動が可能だったか。この国の建国時代からいたアフリカ系の人たちの政治力のおかげである。長年、抑圧されてきたからこそ、政治力として蓄積できたエネルギー。私が、この職場で生き延びられているのも、究極のところ、アフリカ系の人たちのエネルギーのおかげなのである。やっと私の中で、マイノリティとしての自分と1960年代の公民権運動の歴史が、身体の一部として獲得できるようになった。感謝である。それにしても、日本からこちらに来て間のない日本人に、そういう認識はあるだろうか。たぶんない。日本が経済大国だから、日本人が受け入れられている、ぐらいではないだろうか。それは、完全に間違っている!!!

2010/06/09(水) 夏まっさかり
日本のあとを追っかけて、夏になったというのに雨が降って、冷え込んだりと、天候が不順だったが、やっと夏らしくなった。そのとたん、オフィスは冷房で寒いぐらいだ。エネルギーの無駄使いだ!!!(怒笑)庭に出ているのが楽しい季節で、このあいだは久しぶりにとんぼを間近に見て、感激した。それにしても、見たことのないとんぼだった。羽が白くて短めで、顔が黒いのである。なにやらパンダみたいなとんぼだな、と思って、一人笑ってしまった。花もほとんど終わってしまった。美術館方式により、買って植えた植物の周りのだけの雑草を抜く季節。。。で、今日、指の感覚をとぎすませながら、雑草をそろっと抜きながらーつまり根っこをおだてながら??(笑)途中で切れないように、ひっぱりあげながら、ふと思った、これって、昔日本人だけがもっていたらしいひよこの雌雄を見極める技術が必要とする指先の感覚ってこんなものだっただろうか、と。。あんまり細かく考えると、すけべえ話になるなあ、とこれまた自分一人でにたにたしながら(笑)、でも考えたかったのは、日本人って、やっぱり指先が器用で、繊細な人間だなあ、ということである。(笑)きのうも、近所の人のところにご飯を呼ばれに行って、庭仕事の話になった。樹木を切りそろえるのに、機械を使うらしい。。なんでえ。。手動?で、はさみを使って、ていねいにやればいいのに。。機械でがさがさとやるらしい。。。ああ、アメリカ人(笑)こう思う感覚だけは、絶対に失いたくないと思う。(笑)

2010/06/05(土) しっちゃかめっちゃか
左目のコンタクトレンズを注文して、できあがったというから、取りに行った。ついでに、右目と左目の様子も見てもらった。しっちゃかめっちゃかである。手術をした右目の視力は確かに、穴が開く前ほどには見えない。これはどうしようもないな、とは覚悟をしていたが、それにしても、老眼鏡をかけたときの様子がおかしい。。つまり、かけると調子が悪いのである。で、もちろん遠くも見えない。で、わかったこと。。コンタクトをはめて矯正していた目の近視がもっと悪くなり、かつ乱視も出ているとのこと。。乱視っぽいのは、網膜に穴があいたせいだと思っていたが、そうでもないらしい。近視が悪くなったということは、0.01より悪くなったということだ。。で、左目のほうは大丈夫だけれど、右目とのバランスが悪いので、右目にあわせて老眼鏡を見ると、左目は見えない。どうやら、遠くを見るときは左目を使い、近くを見るときは右目を使っていたらしい。。ああああああ。。というわけで、結局、遠くが見える運転用のめがねと、近くがもっと見やすくなる老眼用と、2つのめがねを注文するはめになった。右目の近視が進んだということは、老眼度は小さくなったということだから。あああああ。誰が、近視のきつい人は老眼にならない、などと言ったのか。年をとる唯一の楽しみは、老眼にならないということだけだったのに。。。老眼にならないどころか、ますます私の目はしっちゃかめっちゃか度を深めている。。(悲)あと20年か30年か、なんとかこの目で元気に生きねばならぬ。それにしても、今はもう夜はまったく本が読めなくなった。7時を過ぎると、目が疲れているのがはっきりとわかる。。あああああ。。。人生、のんびりやれ、という天からの声に違いない。。。のんびりやろう。。。(笑)(少しだけ救われるのは、右目の視力は、手術直前よりはよい方向に回復しているとのこと。。。手術前はそんなに悪かったんだあ。。。感謝である。。)


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