〜ing〜アメリカつれづれ日記
ホームページ最新月全表示|携帯へURLを送る(i-modevodafoneEZweb

2010年7月
前の月 次の月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
最新の絵日記ダイジェスト
2024/03/16 3ケ月
2024/03/09 いろいろ
2024/03/05 雑感
2024/03/01 自由
2024/02/29 とうとう

直接移動: 20243 2 1 月  202312 11 10 9 8 7 6 5 4 3 1 月  202212 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  202112 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  202012 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201912 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201812 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201712 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201612 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201512 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201412 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201312 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201212 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201112 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201012 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200912 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200812 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200712 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200612 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200512 11 10 9 8 7 月 

2010/07/31(土) ニュースよりートヨタ
またトヨタのニュースだ。アメリカの運輸省長官が、トヨタのリコール問題で、運転手の運転ミスを、トヨタの欠陥にすりかえた可能性があるという。今だ。。戦え。。。敗戦国民の意地を見せろ。。。えらい目にあわされたと、この国の政府から賠償金をふんだくれ。。。タイガーウッズが嫁さんに支払う金の1万倍、10万倍、100万倍をふんだくれ。。原爆の被害に匹敵するだけのものをふんだくれ。。(笑)絶対にこういうときに、懐の深いところを見せるんだとか、武士の情け的なきれいごとは言うな。議会にまで呼び出されて、英語ができないとバカにされて、さんざんこけにされたのだから、今度は、とことんトヨタがアメリカを叩け。。トヨタが強くなろうとしたら、寄生虫の外務省なり、アホな日本政府が出てきたがるのだろうか。出てきたら、言ってやれ、沖縄の基地問題を交渉にあげてやるから、金を出せと。。そうだ、日本政府からもアメリカ政府からもふんだくるのだ!!! ぐらいの気概でやればいいのだ!!! (笑)それにしても、オバマさん、なんとかといき、だなあ。。まあ、今回のことも、中間選挙がらみの政府たたきだろうなあ。。真相はヤブの中かなあ。。きのう、道で、レクサスが走っているのを見るとうれしくなった。

2010/07/27(火) 居合道と雑感
いよいよ剣道に見切りをつけて、居合道を習いはじめた。きのうがはじめてのレッスンである。配偶者から譲り受けた合気道用の木刀をもって、シカゴまで出かけていった。剣道の形とはもちろんぜんぜん違うので、形1つ覚えるのに、少なくとも1年はかかりそう。(笑)だいたい、木刀のどっち側が刃とされているのかもほとんど覚えられずー剣道のときも、糸がついてるほうがなんとかかんとか、と何度も言われたのだが、さっぱり覚えられなかったー、これで、どうやって刀袋?ーおお、鞘だった。。笑ーに入れたり、刀についた血を振り切る練習ができる???(笑)それでも、一番の懸念は、白内障が進んで、手術も間近というときに、夜の11時に、シカゴから車を運転して帰れるだろうか、ということだった。身体も眼も疲れてるだろうから、高速の途中で運転できなくなったらどうしよう、とそればっかり心配していた。ところが、である。初めて、居合道のまねごとをしただけなのに、なんと身体に気が入ったらしく、元気になったのである。眼もなんとなくよくなって、よく見えるような気がするのである。ああ、単純。。(笑)でも、こういう感覚が味わえるのがうれしくて、それで、てこてこと、往路は2時間以上、復路は1時間半以上かけて出かけていく。いつか、真剣を使って、形の一番ができるようになろう。。(笑)そういえば、昔、カリフォルニアの友達が真剣を見せてくれたことがあった。刃のぎらっとした、鈍くも強烈な輝きが忘れられない。友達が、これは、絶対に人を斬ったことがある刀だと言っていた。人を斬った刀と対峙するー残りの人生を賭けて、人を斬った刀で形の一番ができるようになろう!!!(笑) 雑感1 朝起きると、コーヒーを飲みながら、落ち葉集めをせねばならない季節となった。もう夏の終わりも近い。庭木も、どことなく元気がない。秋が近い。 2 それでも、雑草が多すぎて、庭仕事をする気にならず。。庭にいるのが楽しいのは春だけだ。夏まっさかりは、蚊もうじょうじょ出て、外にはいられなかった。 3 デカブで、自転車に乗ったおまわりさん登場。信号待ちしている車のそばにつつっとかけ寄って、運転手に何か言うと、そのまま緊急停車。。その真後ろにいた私は、ゴーの信号を逃してしまった。こんな道のど真ん中で、突然、車を停車させるなよ、あほっとわめいた。(笑)スピード違反している車をおっかけるのはパトカーじゃないとなあ。。自転車のポリスに止められる車って、一体何をしたのだろうか???
それにしても、居合道のおかげで、本当は今日は職場を休もうと考えていたのだがー眼の調子が悪いということでー、なんと今日は元気、元気で出てきてしまった。(笑)といって、眼を使うコンピュータ仕事はほとんどする気がないのだが、でも、こうやってオンラインの日記は元気で書いている。ああ、人間。。(笑) 

2010/07/23(金) 戦略
ニュースよりーキム・ヨンヒ?さんの来日について:

来日を拉致問題の戦略にどう位置づけるのか。政府にビジョンがあるのかと、疑問に思う」と述べた。

 また、世間の注目を集めたことについても「拉致問題があったと喚起しても仕方ない。どう解決したらいか、国民が一緒に考えてくれなければ意味がない」。また、事件当時、金元死刑囚が日本の偽造旅券を使っていた疑いがある点を指摘し、「チャーター機、ベンツに乗せて軽井沢に連れて行き、ヘリコプターで遊覧させて何の意味があるのか」と批判した。

*** その通り。おかしなことをするな、と思って見ていた。被害者のある家族なんて、いっしょに食事を何回かしてー別に何の新しい情報もないのに、がんばってください、お母さんに似てますよ、と言ってもらえたのがうれしかったと。そして、会から真珠のネックレスを渡したという。「それが、すごく似合うんですよ」と、まるでおじさんは自分の娘のことのようにうれしそうに話した。あほか。(笑)自分の個人的な関係に収斂させて何になる。キム氏がいろいろとメディアにちやほやされる一つの理由は、美人だからだと思う。だから、報道カメラマンには女を使うべきだ(笑)美人じゃなかったら。。。東京まで連れてきたとしても、羽田近くの目立たないホテルで数泊して、それで終わりだったのでは???(笑)日本人はほんとにアマちゃんで、すべての行動を「戦略」として考えようとしない。すべて「総論」に巻き取られるだけで、自分の首をしめてしまう。「友愛」首相も、「戦略」を前にしたらふっとんだではないか。私が腹立たしいのは、こういう甘いパフォーマンスを周辺国、とりわけ中国や北朝鮮が見ていて、おお、日本人って、こうやって美人を送りこめば、へらへらと喜んで、おみやげまで渡して、いい思いをさせてくれるんだな、よし、これからもっと美人工作員を増やしてやれ、といまごろ「戦略」を練っているに違いないのである。(笑)キム氏をちやほやして、日本びいきに仕立てあげて、それで日本に何の得がある??? 拉致問題を北朝鮮に対する制裁問題のカードに使ってくれ、と、国際会議でどんなによその国に頼んでも、しょせんよその国にしたら、日本がぼけっとしてるからだよ、と思われてるだろうし、人権なり人道問題といった「総論」をどんなに振りかざしても、「戦略」は動かない。「総論」は空回りするだけなのである。むしろ、チャーター機やらベンツをおだてのツールとして、軽井沢の別荘に連れていき、そこでキム氏を締め上げて監禁、拉致被害者を帰さなかったら、このキム氏も返さないぞ、ぐらいに、北朝鮮とその後ろにいる中国を脅すぐらいでなければならないのである。そうじゃなかったら、何のために金を使った???そういう形で脅しにかけて、相手が、韓国ですら、ああ、キムなんて用済みなんだよ、殺してもいいよ、と出てくるかも知れぬ。となると、ある意味、拉致問題は解決したようなものなのである。そこまで「戦略」を練って、日本に現実と問題の本質を見きわめようとする勇気があるのか。まあ、被害者家族との個人的関係に収斂させて、それをNHKの朝のニュースのトップで繰り返し流してーそういえば、トラストミーぼんくら元首相の別荘で食べたものー刺身ー極上だったろうな笑ーを食べて、生食は北朝鮮では食べられなかったみたいなことまで流していた。。そんなことを聞き出したかったのか???。。。「情緒」で押して、うやむやにしたまま、被害者家族を、そして国民を、そのうち時間が解決してくれたような気分にさせるのが「戦略」???。それって、国民に向けての、つまり内向きの国民あざむきの「戦略」じゃないか。核持込密約と同じパターンだ。やっぱり、ほんとにたいしたことない。。(怒悲) 

2010/07/22(木) 職場の送別会
があった。みんなで食べものの持ち寄りである。店で、中華風チキンを買ってもってきた。あんまり「売れ」なかった。ガスパチョという珍しい、おいしいスープ状のものを作ってきた人もいた。あんまり「売れ」なかった。私なら、自分ひとりでこのガスパチョとやらを食べたいぐらいだけれど。。(笑)ここの人間はほんとに保守的である。というか、世界を何も知らない、というか、怖がり、というか。自分が知っている味のものしか食べない。。で、どんな集まりでも、持ってくるものは同じ、である。いい加減、飽きてきた。(笑)で、テキサスへ移る女の子の送別会なのだが、どうやら子連れで、実家のあるテキサスに移るということだから、別居??? まあ、結婚の形はいろいろあるなあ。が、びっくりしたのは、コンピュータ画面で、その女の子が、どんなにすばらしい従業員だったかを並べたのを見せられたときである。loyal, hardworking, wonderful, intelligent, etc etc 嘘つけ。。。(笑)去年の職場闘争中、なんの気なしに、その女の子に「どんな仕事をしているの」とwhat で始まる疑問文をぶつけたものだから、あとでカウンセラーに、そういう質問をしてはいけない、とたしなめられたぐらいだ。。what で始まる疑問文はぶしつけであり、攻撃的なものと初めて知った。そういうことは、日本の英語教育では一切教えないから、日本人の英語を聞いて、腹をたててる人間は世界中にうじゃうじゃいるのでは。。(笑)少なくとも、なぜそういう質問が、その女の子にoffensive に聞こえたか。何もしてないからである。いつ、その女の子のオフィスの前を通っても、手持ちぶさたに、コンピュータの前に座っているか、電話をしていた。。きっと、この職場にあいそをつかして、やめていくのである。それなのに。。。よくもまあ、こんな空虚な言葉を並べられるものだ。コンピュータ画面を見ていると、気分が悪くなった。。で、思うのである、これが世間というものなんだろうなあ。。嘘八百並べて、みんな適当に笑顔をとりつくろって、心の中で舌だして、陰でこちょこちょ噂話をして、そして平穏無事に日々が過ぎていくのを待っているのである。かれらが話すことは、家族と教会と食べることのみ。。ああ、退屈、退屈。。。まあ、パートタイマーだから、こんなぼうふらがうじゃうじゃわきそうな水たまりにいるのも、一日のうちの数時間だと思うと、なんとか救われるというものだ。(笑)それにしても、来月そうそう、いよいよ白内障の手術である。それまでは、ここで、のんびり本を読むにも読めなくなった。(悲)ああ、なんとか生き延びねば。。みんなが食べないおかげで、今晩のおかずは確保である。やったあ。。(笑)

2010/07/20(火) 友達のブログから
私は、私のことをようく理解してくれてる友達に、ローナーlonerと呼ばれている。たぶんあたってるだろう。でも、自分の周りを見回すと、めったに出会わないような、かけがえのなく面白い、楽しい友達が多い。下記も、そんな友達、猟師の資格ももつアーチストの友達のブログから勝手にコピペである。こういうことを考える人を友達にもって、ほんとに感謝である。Oさん、勝手にコピペ、ごめんね。でも、あなたの苛立ちと深さを心から納得してます。。

食育ブームのお陰で、食事を頂くということが=命を頂くということであったり、生活に欠かせない革=命が確実に犠牲になっている、ということの認識が高くなって来た様で、命を奪う事から自分でやっている僕は助かっている。
でも、そのブームは頭の中で考えられた理想であったりして、血の臭いがしない。実際の現場では、僕ら、命を奪う側の涙と、将来きっと襲って来るだろうトラウマに満ちあふれている。

例えば鹿よけネットにかかった、こんな子鹿。でっかい角を持った巨大なオス鹿が「寄らば串刺しにすんゾ」と鼻息も荒く威嚇してきたなら、迷いもなく剣鉈を抜く事も可能だろう。それが、まったく抵抗も無く、見つめてくる、こんな子鹿を前にして、躊躇の無いヤツ、少なくとも僕のハンター友達には一人も居ない。ああ、不幸にして網にかかってしまったこの子の存在を知っているのが自分一人であったなら・・・と、どれだけ呪ったか。

泣き言が言いたいのでは無いけど、もっと現場の血の臭いを、特に制作者サイドが知るべきなんじゃないかな、とは思ってしまう。誰かのコピーみたいな服装にイッチョカミしただけで「俺スタイル」みたいな顔をして、誰かのコピーな革細工を一丁前な言葉を並べて売っている暇があったら・・・。もっと血の臭いを知れば、そんな下らないモノ、申し訳なくて作れなくなると思うのだけど。

制作者サイドだけじゃなくて、皆。食育という言葉だけでなく、血の臭い。ちょっと前に「ブタのいた教室」とかいう映画があって、賛否両論あったみたいで、僕は「出来ない子に無理にさせる必要無い」という意見で、要は反対派なんだけど、でも世の中を見ていると、皆の建前と現実とのギャップに慄然としてしまう。ヒトという動物の残虐さにゾっとする。子猫の救出劇なんかに涙する可憐な女の子の、肩にかかったポシェットに使われているハラコ(腹子=胎児の皮)を見て、目眩を覚えてしまう。

現在、兵庫県では増え過ぎた鹿を、知事の号令のもと、ともかく殺せということになっている。懸賞金やら報償金、ライバル心を煽る政策が沢山とられていて、関係行政から徐々に人の心が無くなって来ている。自己憐憫でいいから、そんな心を神様から頂いているイキモノとして、踏みとどまって欲しい・・・
僕は最近、「駆除なんて、本当に必要なの?」と、会う関係者毎に聞いて回っている。いまひとつ、納得いく答えが出て来ない。ちょっと前まで、行政は国をあげて「役に立たないブナを伐れ!杉やヒノキを植えろ!」といい続けて来て、それが正義になっていた。それは当時の国にとって必要なものだって、僕もその恩恵を必ずどこかで受けているので否定も責めもしない。でも、現在「鹿は殺せ」が正義になっている風潮に、同じ臭いを感じてしまう。現場の兵庫県のハンターの中には、僕だけじゃなくて、ゾッとしている人が出始めている事を知ってもらいたい。

各関連行政は、どうやったら大量に鹿を殺せるか、で競争になっている。その上で、鹿の焼却処分にはお金がかかるから(一頭数万円)、有効活用のアイディアすらも競争になっている。そんな折りだから僕のところにも鞣し関連で沢山の引き合いが来ている。僕はそれに手を貸す気は無いです。どうしてもというなら、大量駆除しなければならない理由を、僕が納得いく様に教えて下さい。どれだけ被害調査書を読んでも、どれだけの論文を読んでも、大量駆除しなければならない理由が分かりません。鹿は定着性が強いのだから「畑を荒らす」なら、その荒らす個体を駆除すればいいのでは?奥山に居る個体を駆除しても仕方ないのでは?特に都会に近い場所で、里近くの個体を駆除しないのは、里近くでは、農家の為にやっているのに、その農家自身に通報されて鉄砲が撃てないからでしょう?殺した鹿を、里近くではさすがに放置出来ないからでしょう?でも行政も猟友会も結果を出すことを負わされているから・・・。誰のため?住人のため。

有効活用といっても、人間のため、自分のためなんですよね。僕が鹿だったら、自分の死体を、切り刻んでアクセサリーになんてして欲しくないと思う。だから鹿のために全てのパーツを使い切るのでは無く、自分のため。自分で解体してみたら分かるけど、ラコタ族だってバッファローのパーツをすべて使い切っていたのは、捨てる部分を増やすと熊や狼やコヨーテを集めたり、色々と弊害が出たからだと思う。だから必要以上は獲らなかった。叡智なんかじゃない。そんなの、インディアンの叡智関連に多い、後からの虚飾だと思う。外国との交易によって、すべてが狂った。西洋の大人口の趣向を支えるため、数々の動物を絶滅の縁に追いやった。もし叡智だけで必要以上に獲らないという信念があったなら、起こるはずが無い。
数々の叡智を持ったインディアン諸部族達ですら、過ちを犯した。犯さざるを得なかった。他の部族との戦いで優位に立つには、他の部族と外国が交易されると困るから。外国の関心と交易を引きつけておくためには、彼らが求めるものを提供せざるを得なかったから。でも、それに従わずに、敗者となることを自ら選ぶ叡智を持った部族も沢山いた。

有効活用関連のボランティアに参加しないことを、きっと色々なところでとやかく言われるだろうけど、理想やなんかにすりかえたりせずに、全部自分で背負い込んでいるのに、「有効活用」なんて言葉を旗に、現実は各自の手柄の為に利用されたんじゃあ、「僕」自身が浮かばれない。

2010/07/16(金) NINJA
朝、新聞をとりに、ドライブウェーに出て、びっくり。数色のチョークで、NINJAとでっかく書いてある。四半世紀近くアメリカに住んでいて、こういうことは初めて。NINJAといわれてもなあ。。どういう意味なのか。娘がいたら、まあ、友だちの落書きだろう、と考えるけれど。。で、そのでっかいNINJAの下に、I love (ハートの形で)NINJA とも書いてあるのである。なんだあ、これ。。娘がいたころは、ドライブウエーに卵が投げつけられていたり、木の枝には、トイレットペーパーが1巻ひっかかっていたり、とにぎやかだったが、四捨五入したら60のおばはんがいる家に、アイラブニンジャではなあ。。(笑)以前、庭で、袴を着て、面やら防具一切をつけて、剣道の稽古をつけてもらってたからかなあ。。まあ、楽しいから、ずっとこのままにしておこう。。(笑)

2010/07/15(木) 人間のからだ
いよいよ目の様子が本格的におかしくなってきた模様(悲)1ヶ月ほど前、本を読むにも、車の運転ーとりわけ夜ーは、かなりおかしいからと、めがねを2セット作った。手元を見るのと、夜のドライブ用である。手術をした右目は近眼が進み、ずっとはめているコンタクトレンズでは、手元はみやすくなったが、遠くが見えにくくなったのである。あれから、1ヶ月。手術をした病院にいくと、いよいよ白内障が出ているから、来週にでも手術をしようという。ええっ、新しくめがねを作ってから、まだ1ヶ月だよ。そんなに早く進行するものなの、外科医は手術がしたいのでは、と思って、ちょっと待ってください、とストップをかけて、2日前、行きつけの日本人の眼科医ー検眼医に行ってきた。やっぱりかなり進んでいるらしい。要するに、1ヶ月のあいだに、ばたばたとまた悪くなったのである。外科医が正しかった模様。(悲)外科医からは、あなたの年齢を考えると、次の1ヶ月の進行度は、先の1ヶ月より早くなる可能性あり、と脅されている。めがねをかけた時の様子を考えると、それもまた正しいような気がしてきた。(悲)白内障の手術は簡単だから、とみんなが言うが、やっぱり手術は怖い。。確かに手術をしたら、手術直後に戻ってきた視力ー今より4段階ぐらい上ーまで、コンタクトレンズなくして見えるようになるらしい。コンタクトなしで、ものが見えるようになるなんて、私の人生で奇跡みたいなものである。0.01では、レンズなしでは何も見えないのだから。左目には今までどおりのレンズを入れて、右目は、左目同様、遠くが見えるようにと調整して、人工の水晶体を入れて、と。水晶体も、遠くではなく、近くが見えるようにと調整するものもあるそうな。外科医に、どんなパワーを水晶体に与えますか、と聞かれて、頭が混乱してしまった。このごろは、人間の身体をなんとでもいじれるらしい。コンタクトを入れずに、物が見えるようになるというのは確かにすばらしいけれど、やっぱり心のどこかに、神への冒涜だ、みたいな気持ちもなきにしもあらず。。宇宙から与えられたものを大事にしていたいのである。それが一番バランスがとれていることだと思うから。。でもまあ、今のままにしておいても、よくなることはないわけだし、500ドルも使って、わずか1ヶ月前に使っためがねも、ほとんど役にたたなくなっているし、白内障の手術も時間の問題となってきた。(悲)医者に、ちくりちくりと、いつごろが手術のタイミングかを聞き出そうとするが、医者のほうも、右目と左目がアンバランスになるとやりにくくなるだろうとかいうと、具体的にはどのくらいのアンバランスか、と突っ込むむずかしい患者にほとほと疲れた模様。。(笑)正直言って、日常生活に支障が出たときですね、ととうとうさじを投げてしまった。まあ、それが一番正しい答えだとは、私でもわかった。(笑)日常生活に支障といわれても、裸眼が0.01では、どのくらいが支障なのかすらわらかないのである。確かに、0.01の裸眼では支障が出る。。(笑)あああああ、人間の身体はややこしい。。。いつ、跳ぶ勇気が出るか。。これまた自分の身体にエネルギーが蓄積するのを待つのみ。。

2010/07/13(火) 人生
週末のサンフランシスコ旅行から帰ってきた。行きは、デンバーでの乗り換え。12年前にサウスダコタを離れてから初めてデンバーに降り立つ。。思ったほど、カウボーイを見かけなかったのでほっとした。(笑)それでも、シカゴで、ジーンズ姿にカウボーイブーツの男性を見ると、気分が悪くなった。サンノゼに飛んで、友達宅に。企業で出世しているようで、プールがあって、舗道や街灯のない高級住宅地に住んでいる。プールの掃除をする人、庭の掃除をする人、家の中の掃除をする人と、三種類の掃除人が、二週間に一度やってくるそうな。彼女がまだ17歳だったとき、私が日本語のチューターをして知り合った人だ。彼女曰く、この家を維持していくのにお金は必要だけれど、仕事がつまらない、退屈だ、ものすごく疲れる。教師をしている妹夫婦がうらやましい、と。おお、そういうことか。企業でお金を稼ぐ人は、出張も多くなり、いったい自分は人生で何をしているのか、とむなしい気分になるらしい。だから、私は言った、いっぱい働いて、お金が回ってこない分野にお金をまわしてあげてよ、と。教師をしている妹さんも言っているに違いない、こんなに一生懸命働いて、やりがいはあるけれど、お金がぜんぜんなくて、ああ、ものすごく疲れると。何をやっても、疲れるのはいっしょらしい。やりがいともらうお金をミックスさせて、なんとかうまく中庸にもってこられないものか。バークレーの友達は、富裕層や企業からの寄付や献金を、社会事業に役立てる財団の仕事をしているが、今回、200ミリオンドルのプロジェクトを勝ち取ったと言っていた。200ミリオンドルもの人のお金を動かすのも大変だろうなあ。でも、やりがいはあるだろうなあ。でも、普通の人にはできない仕事だろうなあ。。サンフランシスコで会った日本人の友達は、自分がやっていた会社をつぶして、今、どうしようかと悩んでいる。日本では、英語ができる、は売り物にならないから、新しい事業が始められないのだという。シカゴにおいでよ、と誘ったが、この年になって、また新しい土地というのは疲れるよなあ、と。それもそうだ、と納得。25年ぶりに会ったバークレーの知人ーこれまた私が日本語を教えてた人だーは、アフリカ人との離婚のプロセスのど真ん中。バークレーに家を持っているが、一人で住むのはすごく寂しいという。そうだろうなあ。。バークレーの家ともなれば、イリノイでは考えられないような一財産だろうけどなあ。むなしいんだろうなあ。わずか3日ほどだったが、いろんな人の人生を垣間見た。一つだけ、確かなことーみんな必死で、自分の今日を生きているということだ。誰も”自分”を選ぶことはできず、自分にできることをして、必死で今日を生きているだけだ。明日のことは誰にもわからない。私も、まるで週末がもう1年前のことのような気分になりながら、再び職場に戻っている。変わりばえしない公務員の職場。。だから何。今日と今の私に感謝するだけである。私の人生をそのまま受け止めるだけ。。私は、私にできることをしているだけだ。誰に文句が言えよう。お金があってもなくても、生きるのはただただ大変なのである。今日ある自分に感謝するのみ、生きさせてくださってありがとう、と、宇宙のエネルギーに頭を下げる。。。

2010/07/04(日) 大相撲協会とわが職場
野球賭博をしていた大相撲協会に関するニュースで、理事長謹慎処分と代行は誰それ、と流れていた。それを見て、ああ、そういうことだったのか、と納得した。先月末、職場のバカ女が、1年ぶりぐらいに、人事部のトップの部屋に入っていった。けっこう長いミーティングだった。それから、今月に入ると、あの女が、オフィスをうろうろしはじめて、あっちこっちで、きゃあきゃあとけたたましい。一年ぶりほどに聞く声だから、うんざりする。なんで、あの女、このごろ、うるさいんだろ、と思っていたのだが、日本からのニュースで納得した。あの女、この一年ほど、謹慎処分を受けていたのである。で、職場の誰の目にも触れない倉庫みたいなオフィスに蟄居していたのである。その処分が、先月末のトップとのミーティングで解けた。で、今、うるさい、うるさい。。(笑)大相撲協会とわが職場の違いは、大相撲協会理事長が蟄居すれば、代行がたてられるが、わが職場は、あの女がいなかったら、給料課の仕事が滞るかも知れぬ、という状況にあるらしい。それで、あの女、回りの人間には、私には何も起こらない、私がいなかったら、給料課は問題が生じる、とでも触れ回っていたらしい。。それが、野心のある小さな人間がすることである。そういう形で、自分がいなかったら困るだろう、と脅す状況を作りあげることで、自分の権力?を保持しようとする。そういう形でしか自分を守れない。しかし、組織にしてみれば、あのバカ女だって、明日、交通事故で死ぬかも知れない。そうなって困るようでは、大学という組織が問題となる。あの女が作りあげた形は、あの女のエゴのためー自分だけのためであり、わずか4人しか部下のいない給料課であぐらをかくことしか考えられない小さな人間が考えたことだが(といっても、金がからむから、他の学部やら人間に対してけっこう偉そうにふんぞり返っているらしい。私の機嫌を損ねたら、小切手を切るための書類を止めるわよ、みたいな脅しをかけるようで、けっこうみんなはへいへいと頭を下げるらしく、そのことに至極ご満悦とか。バッカ。早くあの女を徹底的につぶせ。笑)、大学という大きな組織がその形を許すとは私にはとうてい思えないのだが。。。謹慎処分はとけたかも知れないけれど、大学という組織は、水面下で別のことを考えているのでは。。。が、私がトップなら考えるけどなあ。。と誰にも頼まれないことを考える(笑) あの手の人間は、いじめる人間を必要とする、自分が力を持っていることを自分に再確認させるために、である。でも、今度同じことをやったら、今度は。。だろうが、さあ、どうなることやら。。公務員は守られているから、その硬い守りを崩すには、相当な準備をせねばならず、時間がかかる。バカ女の甲高いけたたましい声やら笑い声を聞き流しながら、じっとエネルギーの流れを見守ってやる。(笑)

2010/07/03(土) 言葉
このところ、宮崎が日本のテレビでとりあげられることが多い。家畜の病気とか大雨とか。。宮崎と聞くと、ああ、父親のふるさとだな、と言葉の定義で処理していた。なんとかというタレント出身の知事が出てきてしゃべっても、何も感じなかった。ところが、である。あるとき、テレビのクルーが、地元の人にマイクを向けた。そして、その人が自然にしゃべったとき、突然、長い長いあいだ思いだしたことがなかった、忘れていた父親の電話口での声が聞こえてきた。イントネーションである。テレビに映った人のイントネーションが、神戸育ちの私がもっていない、父親のそれとまったく同じだったのである。18才で宮崎を離れたと聞いた父親だったが、あのイントネーションが、それも電話口だけで現われるあのイントネーションが消えることはなかった。神戸人間とはわずかに違う、一文の中の最後の二言、3言だけほどに現われる、あの独特のイントネーションを再び聞いたその瞬間、目がうるんできた。消そうにも絶対に消えることのない身体の記憶がよみがえったのである。あの一瞬にだけ、父親が再び目の前にいるように感じられた。身体の記憶って、すごいものだ。人生を作っているのは、身体の記憶だけなのだとあらためて思う。それが、今度の原稿のテーマでもある。証拠をあらためてつきつけられたようで、がんばらねば。。


 Copyright ©2003 FC2 Inc. All Rights Reserved.