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2010/08/18(水)
児童虐待のニュース
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を見て、確か大阪市にメールを送ったように思う。大阪市では、虐待の通報が児童相談所に送られると、消防を現場に送る、とニュースで流れていたからだ。なんで、市民からの虐待の通報は警察に直接に行かないんですか、消防に、ドアをけやぶる権力が与えられてるんですか、と尋ねた。別に返答はない。(笑)きのうだったか、またニュースで流れていた。今度は、厚生省が、通報が相談所にあると、48時間以内に本人確認することにする、と。これって何、とほんとに思う。日本人の意識の中で、虐待とは何ぞや。アメリカでは、近所で虐待されてるようだと思えば、すぐに警察に電話である。迷い犬でも、警官がとんでくるところだから、虐待ーつまり生命の危険が迫っている、となると、すぐにやってくるだろう。なぜ日本では、子供がおかしな泣き方をして、虐待が疑われているときに、48時間以内に本人確認、などと悠長なことを言うのだろうか。さっぱりわからん。日本の110番は何のため???警察の仕事は何??? 48時間以内では、たとえ虐待があったとしても隠されてしまうではないか。そういえば昔、娘のことで小学校に呼び出され、ぎゃ、虐待を疑われているかも、と心配したとき、カウンセラーに言われた。虐待されている子供は、親のことを隠しますよ、あなたの娘さんは虐待されてません、と。(笑)48時間以内に本人確認して、親や子供に状況を聞いたところで、どうせ隠して、何もなかった、と言うだろう。それで満足して、相談所はひきさがる??? 加害者や、弱い子供の言うことを信じるのか。そんなことが繰り返されてきたのではないのか。近所の泣き声といえば、私自身が小さいとき、親に猛烈に怒鳴りまくられているとき、近所のおばさんがやってきて、もういいじゃないですか、そんなに怒らなくても、娘さんがかわいそうです、と言いに来てくれたことを思いだす。父親の大きな怒鳴り声といい、子供の泣き声といい、他人といえども、聞くに堪えられなかったのだろう。今なら、子供が猛烈に泣いていても、どうしたんですか、とマンションのドアをたたきに行く人もいないのだろう。ああ、私はいい時代に生きていた??? (笑)そのことをふっと思い出したのは、オークランドの中華街で、中国人の親二人が猛烈な勢いで、女の子を怒鳴りつけているのを見たときだ。よくあのとき、警官が来なかったことだ。中国語だったし、子供を殴るといった暴力が入る一歩手前だったからかも。。親の足にひきずられるようにしていた女の子の姿を見たとき、私の目に自然に涙が浮かんだ。ああ、私もあんな風にして育てられたなあ、と思いだしたのだ。あれも虐待である。たぶん親を最後の最後まで信じながら死んでしまった子供はほんとにかわいそうだが、虐待されて大きくなった人間も、一生トラウマを抱えて生きる。子供の仕事は、親を乗り越えることだといやというほど自分に言い聞かせながら生きねばならぬ。人は家庭から始まる。家庭の中に、その人の問題がすべて凝縮されている。完璧な家庭はなく、完璧な人もいない。生きるとは、そんな家庭や自分との戦いである。(悲)
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