〜ing〜アメリカつれづれ日記
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2011/04/29(金) 鳥との共存
また新しい命の季節がめぐってきた。日本に帰ったとき、家中に置かれていたナフタリンにアレルギーが出たが、2、3日して、体が慣れたのか、アレルギーは出なくなった。おかげで、こちらに帰って、春の庭をうろうろしても、以前のように真っ赤な蕁麻疹が出ることもなくなった。。一応、今のところ。。笑 私のアレルギーは絶対に空気に含まれている化学物質である。。で、春の庭で、枯れ葉を掃除したり、無料でもらった種をまいたり、木を植えたりしていると、鳥たちがガレージの天井に巣を作りはじめた。上手なこと、上手なこと。。。こまめに枯れ葉、枯れ枝を口にくわえてやってきて、巣を作る。芸術家だ。。このまま巣を作らせてあげたかったけれど、配偶者は、わざわざ棒をもってきて、巣を壊し、あげくにこまめにガレージを閉めて、鳥がやってこないようにする。このままを巣を作らせ、そこで卵を産み、その卵がかえるまで、ガレージの戸をあけっぱなしにしておく気か、とつっこまれると、そういうわけにもいかないなあ、で、ガレージを閉めることに同意した。。(悲)で、わざわざ巣を壊して、鳥をおっぱらわねばならないのである(悲)ああ、共存はむずかしい。。いのちもむずかしい。。妊娠中絶問題にも通じるような問題だ。。(笑)ときどき、なぜ母親ともっと早く同居を考えなかったのか、という問いが自分をさいなむときがある。体が動けるときに、こちらに連れてきてたら、母親の人生はもっと楽しいものだったかもしれない??でも、やっぱり思うのである、共存はむずかしい。。元気なときは、親子はけんかするものなのだから。これしかなかったと考えるようにしよう。。人生を形づくるエネルギーには流れがあるのだから。。。流れるようにしか流れない。。。鳥さんへ。。ガレージはあきらめて、新しい場所を見つけて、安心できる巣を作ってください!!! 意地悪でやってるわけじゃないんだよ、あなたたちの卵と、その将来を考えてのこと。。。やっぱり親の気持ち、子知らずかなあ。。。(悲)子の気持ち、親知らずと思って生きてきたけど、親子なんて、ほんとは永遠に分かり合えないものかも知れぬ。。。それでいいではないか、与えられた命をまっとうせよ。。

2011/04/27(水) 厄年か??? 
最初は、”津波”だと思っていた。もうそろそろ水がひいてもいいころだろうに。。。日本の大震災について英語でプレゼンやって、そのときの私の写真が地元の新聞に載った。日本から帰って、職場に出てくると、写真の切り抜きが2枚机の上においてあった。ぎょっ、ぎょっ、ぎょっである。誰かが、親切に切り取ってくれたのだ。けっこうよく撮れた写真だったので、それはそれでよかったのだが(笑)、あれで終わりにしてほしかった。。あのあと、母の急病で急遽日本へ。。。2週間ほどばたばたして、こっちに帰ってくると、どうも眼の調子が悪い。左目で前の車のナンバープレートを見ると、上下に縮んでいるのである。なんだあ、これ。。で、あわてて医者に行ったら、両目とも視力は落ちてるわ、右目は手術のあとに残してあったカプセルが白濁、左眼は白内障が進んで、かつ網膜が波を打っているとかで、眼に入ってきた光の屈折度が変わって、おかしく見えるらしい。。がっくりしてたら、ここ数日、膀胱の調子もおかしくなった。。昔から、旅行用の体だとか言って、一日に3回ほどしかトイレに行かない、みたいな膀胱を自慢してたのだが、いつかこういうときが来るのを予感してたような気もする。6時間も8時間もトイレに行く気にならないという体はおかしかったのだ。で、とうとう膀胱の様子がおかしく、これまた医者に行かねば、という気になってきている(悲)母から学んだことーちょっとでも自分の体がおかしい、と思ったら、めんどくさがらずに、せっせと医者に足を運んで、未然に体が重大な状態になるのを防がねばならないのである。膀胱といえば、泌尿器科か??行きたくないよなあ。。産婦人科より恥ずかしい。。(悲)そういえば、今日は歯医者で歯のクリーニングだった。また問題を見つけられてしまった。虫歯を治して、詰めたものが劣化してるから、もう一度やり直しとか(悲)次のアポは、また電話するで逃げて帰ってきた。今年は、厄年だろうか。それとも単に、体のあっちこっちにガタが来ているだけか。。。そういえば、東京の友だちは、整形外科やら内科やらで、医療費が馬鹿にならないと連絡をくれた。みんないっしょなのかも。。。悲しいなあ。。年をとるって。。。(悲)

2011/04/22(金) 青春再び?(笑悲)
このときが来るとはようくわかっていたのに、また来た時に考えよう、で先延ばししてきた。来たとなると、やはり悲しいし、どうしたらいいかわからない。不安である。日本に残している母親はこれからどうなるのか。私の生活ー人生はどうなるのか。すでに両親を見送り、自分の庭に両親の墓を建てていたカリフォルニアの友達は、移民したのは一生の不覚だったと今でも思っていると書いてきた。そして、時間とお金が許す限り、日本に帰ってあげてください、と、そうすれば、お母さんは幸せを感じることができるだろう、と。たとえ国内であっても、遠距離になる可能性は大なわけで、同居していない限り、親と子の関係はむずかしくなる。先行き不安という今の状況に、若かった時代を思い出す。今思い出せば、穴があれば入りたくなるようなバカなことを繰り返していた若いとき。先行き不安と自分が何者かわからず、バカなことを繰り返すのが若者の特権みたいなものだ。今は、自分が何者かようくわかっているけれど、先行き不安という時間が再びやってきた。自分の人生が家族という全体像のなかでどういう位置を占めるのか、マネージすることが問われているのだ。やみくもに何もわからなかった若き青春ではなく、すべてを自分の管理下においた中高年の青春(笑)先行き不安といえば、東北の大震災や原発事故で被災した人々も、先行き不安の苦しさに胸をかきむしられる思いをしているに違いない。これからどうなるのか、という深い深い不安。若いときとは違って、目の前に続く時間の帯ももうそれほど長くはないのである。残された時間で、自分に何ができるのか。過去の修復と将来の最終的な設計。。。部屋に飾ってあるオキュパイドジャパンのおもちゃを見ながら想う。。敗戦後の日本も、先行き不安の塊だったに違いない。が、人々は生きる力をふりしぼって、かき集めて、もう一度生き直した。もう一度やってみよう。。。青春時代の若者にはわかるはずもない、すでに人生の折り返し点を過ぎた人間の知恵である。知恵ー二度目の青春のキーワードかも知れぬ。。(笑悲)一つだけ、私が確信していることーアメリカにやってきたことを私はこれっぽっちも後悔していない。今の私が大好きである。そして、今の私を創ってくれたのはアメリカである。アメリカに感謝こそすれ、一生の不覚だなどとは絶対に思わない。それさえ母親に伝えられたら、母親は喜んでくれるのだろうか。自分のことが大好きな第二の青春ー必ず乗り切ってみせる!!!

2011/04/19(火) いつまでも
あると思うな親と金ーを実感した2週間だった。こんな濃密な時間を過ごしたことがあっただろうか。毎日病院通いをするなんて、生まれて初めてのことで、学んだ、学んだ。。人間の生と死を。。人は、生まれてきた新しい小さな命を心から喜ぶ。。が、長年生きた、くたびれきった命に対しては、どんな目を向けるのだろうか。母親の向かいのベッドには、アルツハイマーがみるみるまに進んでいった女性。。。とんちんかんなことをしゃべり続け、時には踊りすら見せてくれる楽しい人だったが、徘徊がとまらない。実の妹さんと義理の妹さんが毎日交代で、朝から晩までつきっきりで世話をしていた。その隣が、器械で命をつないでいる、単に痰を出すだけの植物人間化した老女。同じく一人娘の娘さんーといっても私より年上だがー毎日顔を見に来ていた。といっても何かできるわけではない。胃に穴をあけて栄養を注入するいろうという医療行為を嘆いていた。延命にすぎなかったと。。私の母親自身は、酸素マスクをはずすことができ、リハビリも始まったが、どれだけ効果があるのかさっぱりわからず。病院に運ばれてきたときには、よく食べて、歩けたのに、今はもう、食べなくなって、かつ歩くどころか、ベッドの上に、自分の力で座ることすらできない。今度会いに行くときには、一体どうなっているのか。。私の顔すらわかるのかどうか疑問である。(悲)アルツハイマーの人もそうだったそうだが、病院に入ると認知症は進む、と医者も言ったのでびっくりしてしまった。見た目にもはっきりと着実に回復したのが、母親の隣のベッドにいたおばあちゃんである。やっぱり、元気になる人は明るい。(笑)私ともよくしゃべった。が、耳が遠いので、大声で怒鳴るし、こちらも怒鳴らねばならない。その向かいで、痰がたまっていくごぼごぼとした音と吸い取るときの器械のシューという勢いのある音がこれまた間断なく聞こえ、加えて、アルツハイマーの人の絶え間ないおしゃべりと、なんとか彼女をなだめ、コントロールしようとする付き添いの人の同じ言葉の繰り返しの声ーほんとに、ほんとに頭が痛くなって、食欲も失ってしまった2週間だった。医療保険と介護保険の違い、老人保健施設に特別養老施設?、病院という、医師と看護師、補助の人と、衣服で見分けがつくようになった階級世界。。。疲れた、疲れた。。。今思うこと。。人は、常に心の準備をしていなければならぬ。いつか必ず自分にもやってくるのである。どんな最後になるのか。。今日一日を大事にいとおしんで、ただ生きるのみ。身辺をそろそろ片付けねばならない。身軽が一番である。


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