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2011/04/22(金)
青春再び?(笑悲)
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このときが来るとはようくわかっていたのに、また来た時に考えよう、で先延ばししてきた。来たとなると、やはり悲しいし、どうしたらいいかわからない。不安である。日本に残している母親はこれからどうなるのか。私の生活ー人生はどうなるのか。すでに両親を見送り、自分の庭に両親の墓を建てていたカリフォルニアの友達は、移民したのは一生の不覚だったと今でも思っていると書いてきた。そして、時間とお金が許す限り、日本に帰ってあげてください、と、そうすれば、お母さんは幸せを感じることができるだろう、と。たとえ国内であっても、遠距離になる可能性は大なわけで、同居していない限り、親と子の関係はむずかしくなる。先行き不安という今の状況に、若かった時代を思い出す。今思い出せば、穴があれば入りたくなるようなバカなことを繰り返していた若いとき。先行き不安と自分が何者かわからず、バカなことを繰り返すのが若者の特権みたいなものだ。今は、自分が何者かようくわかっているけれど、先行き不安という時間が再びやってきた。自分の人生が家族という全体像のなかでどういう位置を占めるのか、マネージすることが問われているのだ。やみくもに何もわからなかった若き青春ではなく、すべてを自分の管理下においた中高年の青春(笑)先行き不安といえば、東北の大震災や原発事故で被災した人々も、先行き不安の苦しさに胸をかきむしられる思いをしているに違いない。これからどうなるのか、という深い深い不安。若いときとは違って、目の前に続く時間の帯ももうそれほど長くはないのである。残された時間で、自分に何ができるのか。過去の修復と将来の最終的な設計。。。部屋に飾ってあるオキュパイドジャパンのおもちゃを見ながら想う。。敗戦後の日本も、先行き不安の塊だったに違いない。が、人々は生きる力をふりしぼって、かき集めて、もう一度生き直した。もう一度やってみよう。。。青春時代の若者にはわかるはずもない、すでに人生の折り返し点を過ぎた人間の知恵である。知恵ー二度目の青春のキーワードかも知れぬ。。(笑悲)一つだけ、私が確信していることーアメリカにやってきたことを私はこれっぽっちも後悔していない。今の私が大好きである。そして、今の私を創ってくれたのはアメリカである。アメリカに感謝こそすれ、一生の不覚だなどとは絶対に思わない。それさえ母親に伝えられたら、母親は喜んでくれるのだろうか。自分のことが大好きな第二の青春ー必ず乗り切ってみせる!!!
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