〜ing〜アメリカつれづれ日記
ホームページ最新月全表示|携帯へURLを送る(i-modevodafoneEZweb

2011年7月
前の月 次の月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
最新の絵日記ダイジェスト
2024/03/16 3ケ月
2024/03/09 いろいろ
2024/03/05 雑感
2024/03/01 自由
2024/02/29 とうとう

直接移動: 20243 2 1 月  202312 11 10 9 8 7 6 5 4 3 1 月  202212 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  202112 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  202012 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201912 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201812 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201712 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201612 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201512 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201412 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201312 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201212 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201112 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201012 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200912 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200812 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200712 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200612 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200512 11 10 9 8 7 月 

2011/07/27(水)
私は、死んだ父親が蝶になったと信じている。亡くなったあと、楽しみにやっていた畑へ行って、缶ビールを飲んで、残ったビールを畑にふりかけたら、だいだい色の蝶が目の前に飛んできた。それからずっと、父親は蝶になったと思っている。だから、蝶が私のそばを飛び回るたびに、ああ、父親だ、守ってくれてるんだ、と考える。このごろは、蝶を見るたびに、なにやら母親のことをちゃんとせえよ、と言われているような気がする。で、私は、母親のことを頼むで、今までと同じく守ってやってよ、と声をかける。今朝、庭でごそごそしていたら、目の前の小さな枝から、これまで見たことがなかった大きな大きな、アゲハチョウ?みたいな蝶で、黄色いのが、私めがけて飛んできた。私が知らずに近づいたのである。私はすごくびっくりして、思わず、どうしたん、お父ちゃん、と声をかけてしまった。アゲハチョウ?みたいに、大きく4枚の羽を広げた、それも明るい黄色の蝶なんてここで見たのは初めてである。母親になあんかあって、告げに来たのでは、と思わず思ってしまった。ちょうど昨夜、病院に電話すると、母の退院が決まったと聞いたところだった。父親が喜んでくれてると思いたかったけれど、どうしても思えない。老人ホームからは、早目に帰ってきてください、とメールが入っていた。大きな蝶の姿を思いだしながらーそれも、よく見る白いモンシロチョウなら、あたりをしばらくのあいだ、たわむれるように舞ってるのに、この異様に大きい黄色い蝶は、さっと私めがけて飛んできたと思うと、そのまますっと後方に消えてしまったのであるー来月中旬の予定を早めて、10日後、再び太平洋を渡ることにした。何もかもまあるくまあるくおさまりますように。。。今は、もうそれだけである。。(悲) 

2011/07/21(木) 私???(笑)
ああ、びっくりした。。。今日のアサヒドットコムニュースより

空港の身体検査に抵抗、日本女性に米ネットで礼賛ー米アリゾナ州の空港で、日本人女性が身体検査に抵抗し、逮捕された。「テロ対策」の名の下での、厳しくなる一方の米空港の警備体制にへきえきしていた人々から、ネット上で「よくぞ当局にやり返した」と彼女への礼賛が相次ぎ、フェイスブック上の支援ページが続々誕生する社会現象になっている。

 弁護士によると、逮捕されたのは、日本出身で米コロラド州に住む通訳兼作家の女性(61)。アリゾナ州の地元当局の話では14日午後、フェニックス空港内で身体検査を拒否し、その際に女性検査官の左胸をつかんだとして、「性的虐待」の疑いで逮捕された。 (後略)

私は、あの女のどこも触らなかったぞ。。にぎりこぶしは両手で作ってたけどさ。。。やっぱり私みたいな人がいるんだ。。(笑)

2011/07/20(水) 客観的に見ると
自分の目を悪くするまでのストレスをためて、職場闘争をやって、バカ給料課を出て、もうすぐ2年になる。やっと自分自身を客観的に見る余裕が出てきた。そして、自分がほんとは何をしたのか、今どこにいるのか、これからどうするのか、をはっきりと見ておきたいという気持ちになってきた。きっかけは、私がいたときは、私に競争心を燃やしてーなんでパートタイマーに燃やすのかが、私にはいまだにわからん。。笑、バカ上司に吹き込まれた私の悪口を信じて、私をいじめた?−というかスパイをやってたSが、なんと今回いじめられたそうで、来月給料課を出て、またまた私の隣のキュービクルにやってくることになったからだ。これで、私の経験は人種差別ではなかったことを、やっと納得する気になった。(笑)優秀な白でもいじめられたようだ。。Sも私も、締め切りのプレッシャーとともに働くのがすきな、課にすれば、得がたい人材だったと思う。だから、私が暴れたときも、なかなか出してもらえなかった。ところが、である。今度Sが、タイミングよく、最近退職した人のポジションをとって、課を出ると聞いて、まあ、バカ女のあほさ加減は、もう考えるのもバカたらしく、それ以上に、公務員システムの腐り具合を考えた。課にとっては得がたい優秀な人間を外に出してしまうバカでも、30年も勤めたとなると、いったん上にしてしまうと、ハラスメントをやろうが、どうしても切れないらしいのである。友達が教えてくれたのは、組織がピーターの法則?で動くというものである。いい上司はどんどん昇進して出ていくから、自分の前から消える、どうしようもないのだけが残る、というわけだ。が、それは民間会社でも同じらしい。そしてそれは、ぺえぺえも同じではないだろうか。どうしようもないのだけが、どうしようもない上司の下で、じとっとなめくじみたいにはりついているわけである。気色わる〜〜〜〜。(笑)
客観的になって、自分の経験を見直しはじめて、一つ学んだのは、ハラスメントとして認められるには、いじめられた結果、仕事が続けられなくなるぐらいに、深刻な状況にならねばならないということだ。精神的苦痛なんて、法的な因果関係証明不能なことはよくわかっていた。で、弁護士に聞いた、じゃあ、いじめられればいじめられるほど、ますます元気になっていったら、ハラスメントじゃないんでしょうか。違います、とのこと。それが私だ。。(笑)どうやらバカ女は、私をコントロールするために私を怒らせようと、あの手この手でいじめた。怒らせようとするのもいじめだそうな。ふん、じゃあ、あの女、自分が欲しいものが手に入ったんだから、感謝せよ。怒ってやったよ。(笑)その反対に、いじめられて、私が深刻な鬱病にでもなっていたら、あの女の首がやっと吹っ飛んだのかも??? 冗談じゃないよ、誰が、あんな女の首のために、うつ病になるかあ、バカたらしい。。で、戦ったから、あの女、首が飛ばなかった??お〜〜い、感謝せんかえ。。(笑)これも初めて知ったが、たとえ相手が泥棒でも、泥棒より大きな武器を持って、殺してしまえば、正当防衛にならないそうな。それが私がやりかけてたことだ(笑) システムは私に、上司は選べないんだよ、ということを教えようとしたらしい。ええ、じゃあ、自殺をはかるぐらい深刻なうつ病になるまで我慢せえてかよ、冗談じゃないよ。システムとしては、はっきりとバカ上司に、こういうことはやめてくれ、と言いにいき、それで終わらなかったら、その上に言いに行き、と段階を踏んでほしかったような。抗議書を提出する法的権利はあるが、やっぱりそれを行使すると、いろんな関係者をわずらわせ、何かと不具合が多かった模様。でもまあ、今回、優秀なSまでいじめられて、課を出るとなるとー優秀だからいじめられる???それが上司のすることかよー、誰かをいじめずにはいられないバカ女の評判は、部中に広がり、もうわたしゃまったくの安泰である。ああ、やっぱりやってよかった。(笑)システムは、あの課を解体させることができないのだろうか。次に誰を入れても、またいじめの被害者は必ず出る。もう二度と被害者が出ないようにするためには、あの女を動かせないのなら、課をなくすしかないだろうになあ。。。変なところだ!!!ー結論!!(笑)

2011/07/19(火) 原田芳雄さんの死
好きな俳優さんがまた亡くなった。ついこのあいだ、やせ細った車椅子姿と誤嚥性肺炎とか出ていたから、ああ、母親もこんな風になるのかなあ(やせ細った車椅子姿のみ、今のところの共通点ー悲)と思ってたら、今日のニュースで、数年前から癌とたたかっていたとあった。そうかあ、やっぱり勝てないんだよなあ。。と納得した。病気もそうだけれど、年齢のこともあると思う。それでも、原田さんは71歳とあった。まだ若いよなあ。。と思うと、67歳で亡くなった父のことを思った。めちゃめちゃ若かったよなあ。。と思ったものの、50代、40代、いや30代、20代、10代、いや幼児で亡くなった人もいるわけだから、与えられた命をまっとうするだけだよな、とあらためて納得。ときどき出かけている居合のクラスに、医療関係者がいる。死にいく人を見るのは、毎日ではないが、普通のことだと言った。普通の人にとって、死は家族か友人知人のことで、そんなにしょっちゅう見るものではない。病院勤務の人の世界のほうが異常だ。それでも、死にいく人ってどんな感じなのか、と聞いてみた。”自分が何者であるか”そのアイデンティティの部分が、すっと体から離れて、リラックスして、空にたちのぼっていくみたいだと言った。本人にはわかっているのである。時間が来たことを。そして、そのことに満足して逝くのだろうか。。その先のことを語り、記憶に残した人はいないと理解しているが。。。最後の最後まで、人間としての自分の尊厳を守ることーその美なのかも知れぬ、”間に合わなかった”ことに家族が後悔するのは。。。もう原田芳雄さんも緒形拳さんも見られないなあ。。残りは、山崎努さんと辺見庸さんかあ。。(笑)このごろ、新聞の死亡記事で、亡くなった人の年齢ばかり見ている。アメリカ中西部の田舎では、人が長生きするのである。85歳なんて若い、若いって感じである。回りに元気な人が多いから、私もつい油断してしまった。母83歳ーこの17年間、母が実家に残した父のものは、もうそろそろ私の手で片付けよう。遅かれ早かれ、円環は閉じる。閉じられた円環が透明になり、きらきらと輝く小さな光の玉となってたちのぼっていくことができるよう、周辺をきれいに片付けていくのが、残される者の仕事である。(悲) 

2011/07/12(火) 年をとるということ
きのう、またもや年齢を感じてしまった。久久しぶりに、高速を飛ばして、シカゴに出ていったのである。疲れた、疲れた。。やはり緊張していたのだろう。目的地に着くと、便秘が治ってしまった。(笑)もうシカゴもそんなに魅力を感じなくなっていくのか??? 人と車のごちゃごちゃのエネルギーが疲れるのである。それよりも、人も歩いていない、対向車もいない、畑の真ん中の一本道を走っているほうがどんなに楽しいか。空の色をめで、流れる雲をおっかけ、道端の野草の色に驚き。。都会の虚飾と見栄の塊みたいなところに身をおいても、エネルギーをむしりとられるだけではないか。。母親の病気で思ったことー私には、庭があってほんとによかったな、である。毎朝、はさみをもって庭に出て、終わった花がらを切り取ったり、隣の庭まで伸びた木の枝を、とびあがって切ったりしていると、ほんとに心がなごんでくる。すべてを受け入れられるような気がするのである。自然の懐のほうが、都会の雑踏とエネルギーよりはるかに大きい。。それを学べただけでも、私にとってアメリカ生活は意味があったような気がする。神戸とサンフランシスコしか知らずに移った、大西部のサウスダコタ。どんなにあの地を憎んだことか。。でも、あそこから私自身の幅が広がったような気がする。離れて12年。やっともう一度訪ねてもいいかな、という気持ちになって、今年は友達に会いに行くつもりだったのに、母親の病気で延期。若かった、あの時代の自分に会うのが苦しいような気もする。神戸の実家にいても苦しくなる。あの家に住んでいたころの自分を思いだしたくないのである。そうやって、すべてを自分の後ろに残して、自分はただ自分の前に現れるものを、すべてありのままに受け入れていくーそれもまた、年をとるということかも知れぬ。今日、病院に電話して、母親の声を聞こう。。聞けますように。。

2011/07/10(日) あきらめる
2週間以上ぶりに、母親の声を聞いた。病院に無理を言って、車いすに乗せてもらって、電話のあるナースステーションにまで連れてきてもらったのだ。声を聞いて、ほっとした。どう、気分は。。もう疲れたわあ。。足がいとうて。。あかんなあ。。か細い、くらあい、ぽわっとした力のない、聞き取りにくい声である。ずっと一人暮らしをさせた17年のあいだ、この言葉を何回聞いたことだろうか。そのたびに回復してたから、今年はじめも、またかあ、ぐらいな気持があった。。それがだめだった。。(悲)

それにしても人は、もう疲れたわあ。あかんなあ。。を繰り返していくことで、じょじょに力を失い、死を納得していくのかも知れぬ、とふと思った。友だちは、何事にも限度があります、生身の体です。あきらめることも大事ですよ、とメールをくれた。
すると、今日のニュースの映画評で、次のような言葉を読んだ。。自分に言い聞かせるつもりで、コピペである。(笑)

世の中には「諦めるな」というメッセージがあふれている。「諦めない人に幸せは訪れる」と。それゆえ、諦めないことが強迫観念になっている人は少なくない。どんなに頑張っても、望んだものが全て手に入るわけではない。むしろ、上手に諦めることが幸せへの近道である。 (中略)

自分に非があると分かっていながら、負のスパイラルを止めることが出来ない。諦めることを拒否して生きてきたエミリアが、諦めることを選択しなければならなくなる。しかし、そこから彼女の再生が始まるのだ。

映画のタイトルは、「エミリアの水曜日」とかなんとか。。娘の名前だ。今、日本公開ということは、もうこちらでは終わった???ちょっと探してみよう。相変わらず単純(笑)

2011/07/06(水) アメリカというところ
地元でいくつか面白いニュースがあった。新聞に、珍しくアジア系女性の写真が載っている。名前からしてインド系らしい。弁護士だという。で、何でつかまったというと、売春をしたからである。それも、場所が学校のそばだったから。。へえ、と思った。学校のそばの家では、教育上よろしくない、で、売春ができない???アメリカの子供たちはほんとに守られているなあ、と感心してしまう。そのわりには、???だよなあ。。(笑)記事を読んで、もう一つびっくりしたのは、売春料金が50ドルとか100ドルだったこと。そんなに安いの???(笑)あんまりお金になる弁護士業ではなかったかなあ。。それとも、その女の人がよっぽど。。。だったかなあ。どう書いたらいいかわからず。(笑)まあ場所を選んだら、つかまらなかったということか???それとも、売春は違法行為だったっけ??? アメリカはようわからん。。(笑)二つ目は、1957年に、当時7歳だった女の子を誘拐して、殺した犯人が西海岸でつかまったというニュース。1957年!!!FBIはずっと追っかけていたのか。確か、殺人には時効はないと聞いたような。。すごいよなあ、正義?に対するその執念。。ビンラディンを殺すなんて、当然中の当然行為だったろう(笑)。。その女の子は、私より5つ上だから、今生きてたら61歳かあ。。つかまったじいさんは70代である。 10代に起こした犯罪か。今どんな気持ちなのか聞いてみたいものだ。そして、3つ目は航空会社からの返事。securityにはいろんなやり方がある、が、具体的にどういう方策か、その詳細は教えることができない、いやな思いをしたことは謝る、9000マイルをあげる、手紙の中にあった関係者には直接当たって、今後どうするか考える、新しいやり方を考えるかも知れぬ、というものだった。詳細を教えることはできないというから、結局何のことかさっぱりわからないけれど、配偶者が言うには、搭乗何人めかの客には、自動的に再チェックするのではないか、と。要するに、運が悪かっただけ、ということになる。(怒)ふん!!securityといえば、なんでも通る錦の御旗か。。だいたい、そういう権威の塊みたいなところに、低級な人間ー要するに、人のあら捜しをすることでしか、自分の力を確かめられないタイプの人間ーを配置されると、こっちはやってらんない。。と思いながら、そういう仕事に、その手の人間はばっちりだなあ。と納得。(笑)こちらの手紙には、一度もunprofessionalという単語は使わなかったけれど、向こうからの返事にはあった。ということは、向こうも、何が問題だったかはよくわかっているということである。運が悪かった、で、忘れたほうが賢そう??? でもまあ、ゲートのあの女二人、もしほんとに会社のほうから呼び出されたら、ざまあみろ、だ。(笑)英語のできないアジア系だと思って、バカにした態度をとったら、容赦しないんだから。。アメリカで生きてる限り、一人一人、おかしな人間は必ずしらみつぶしにつぶしていってやる!!!(笑)

2011/07/02(土) ストレス
このところ体調が悪い。顔にはぶつぶつができてーといって、目立つものではなく、触るとぶつぶつになっているといった感じだ。ぶつぶつ感は、両腕にもある。庭に出て、ごそごそしていて、蚊に猛烈なまでにかまれているから、そのせいかと思っていたがそうでもなさそうだ。内科から来ているような気がする。要するに、この3ケ月の疲れが今、どどっと出ているらしい。普段なら1週間ほどで直る時差ぼけも、1週間たっても直らない。相変わらず朝の3時ぐらいに目がさめて、午後は眠たくなって、3時間は平気で寝るって感じである。夜7時前後に、ああ、こんなことではだめだ、と思って、必死でおきようとするが、頭はぼお〜〜としたままで、また12時になると寝てしまい、3時に起きるというスケジュールである。泳ぎに行っても、プールの水で皮膚が真っ赤にはれて、かゆくなるというアレルギーが出るようになったから、喜び勇んで泳ぎにもいけなくなってしまった。(悲)私に、どうせいいうねん。これが年をとるということか。(怒)何分我慢して泳げるかー今日も一応行ってみるつもりだ。朝の3時から起きてるんだから、何かせねば。。(笑)それにしても、体調を崩して、気力もなえてきて思うことはただ一つーどんなことがあっても、私は母よりは先には死ねないよな、である。万が一の事故でもあって、誰が今の母に、私が死んだ、と伝えられよう。どんなことがあっても、私は生き延びねばならぬ。今の体のぶつぶつ感が、西ナイルの蚊に刺されたせいだとしても、絶対に生き延びて、もう一度日本に行かねばならぬ。。こういう気合が、ますます私をゾンビにする。。あああああ〜〜〜今年はほんとに大変だ。。2011年を絶対に忘れない(悲)が、考えてみるに、それは、日本国と日本に住んでいる人、みんなそうかもなあ。。。大震災と原発事故で、日本が再び世界に名をとどろかせた年。。どこかで、「危機は好機」と読んだ。今がふんばりどきということだ!!!


 Copyright ©2003 FC2 Inc. All Rights Reserved.