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2012/12/31(月)
年の瀬
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母が逝ってちょうど2週間が経った。この2週間、自分が何をしていたのか、よくわからない。息をひきとるとまもなく、葬儀屋との話が始まり、お通夜、葬儀、火葬場、初七日、とばたばたし、その翌日からは、銀行、区役所、保険庁、その他もろもろ、電話をかけたり、証明書やら戸籍謄本をとりに出かけたりしながら、ホームの部屋をかたづけていかねばならなかった。今、久しぶりにビールを飲みながら書いている。自分を奮い立たせて、今年を思い切るためである。一つ確かなのは、この2週間ずっと、あのときこうしてやっていたら、母は病気にならずにすんだのではないか、もっと長生きできたのではないか、と考え続けたことだ。二七日に来てくれたお坊さんにその思いを告げて、そんなこと言ったら、お母さんがかわいそうじゃないですか、お母さんの人生を全否定するのですか、お母さんは自分の生をまっとうされたんですよ、と言われて、少し元気が出てきた。ホームで知り合ったおじいさんは、同じ家に住んでいても、ばあさんは迷惑をかけたらあかんとおもったんでしょうなあ、じっと我慢してたから病気なのがわからなかったと話してくれた。同居していても病気になるのだ、すべて運命なのだ、と受け入れる気持ちがすこし生まれてきた。それでも、今こうやって大晦日、正月を一人で過ごしていると、2年前のこの時間、母はどんな気もちでこの家にいたのだろうか、と、母の気持ちをまさぐるようにしている自分がいる。母がこの家で過ごした最後の年の瀬だった。すでに病気だった高齢の母のこと、そのさびしさ、心細さを思うと、私がいまここで一人で、年の瀬を迎えるなんて、寂しいことでもなんでもない。ビールも飲めるし、年越しそばを食べることも忘れなかった。(笑)明日から新しい年がはじまる。思い切って、もう一度自分の生活を、人生をはじめねばならぬ。ただただ前を向いて歩き続けるだけ。母への思いを書いたエッセイはまたもや佳作どまりで、活字にはなるらしいが、賞金も表彰式もないらしい。自分の文章が活字になっても、お金がもらえないのではライターとは言えないなあ。。くそっ、どうしても1等賞がもらえないのが、私のライター人生である。(笑)もう一度、母へ。。。ありがとう。。。たとえ仲良くできなくても、いてくれるのがありがたいのが親なのである。母はそこまで見抜いて、最後の最後まで私を守ってくれていた。ありがとう、そしてほんとにごめん、やっぱり親心子知らずだった。2012年が早く終わるように、6時には布団に入る。たぶん2年前の母もしていたように。
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