〜ing〜アメリカつれづれ日記
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2012/03/31(土) 孤独死
めったに日本のテレビも見なくなってしまったが、ニュースだけは、で、1日に一度ちょこっと見るときがある。で、きのうは、有料老人ホームでの孤独死のニュースが流れていた。もちろん、母親のことを一番に思った。で、介護居室でよかったな、と。(笑)毎日、アメリカからファクスと電話はかかってくるわ、で、ほおっておこうにもおけないではないか。(笑)ニュースによると、亡くなった87歳の老女は、一人で自炊し、毎日の健康チェックも拒否してたとか。。おお、老人ホームに入っても、やっぱりこういう人がいるんだ、とほっとした。(笑悲)そのくらい人間というものは、いくつになっても自立していたいものなのだ。それが、人間の尊厳ということだろう。誰が老人ホームなんかに入りたいものか、という友だちの声が聞こえてきた。母親も、元気なときは、いろいろ自分でホームを見て回っていたようだが、やっぱり最後の最後まで自立の道を選んだせいで、今がある。母親の性格を考えると、たとえ元気なうちに老人ホームに入る決断を自分でしたとしても、この亡くなった老女のようになる可能性はあっただろう。そう考えると。。。再び友だちの声ーお母さんは、パーフェクトのタイミングで老人ホームに入ったんですよ。。そうかも知れぬ。。。納得である。(悲)いろいろ教えてもらえるすべての事象や人のエネルギーに感謝。。。やっぱりたまにはテレビを見るのもいいなあ。。。(笑)それはそうと、遺体を1週間放置していたというこの老人ホームの先行きは。。ああ、虐待を録画された、母の近くの老人ホームはその後どうなったんだろう。。メディアがそこまで流してくれたら、もっと一生懸命テレビを見るのになあ。。。(笑) 

2012/03/30(金) 武道
もうこのごろは、日本からのニュースもあまり見なくなってしまった。アメリカのテレビもほとんど見ない。人との接触がほとんどなくなって、庭でごそごそ、である。新緑の庭がきれいできれいで、見ているとああ、幸せ、このまま意識がなくなっても大丈夫、とまで思ってしまう。(笑)きのうは、とうとうプロの芝刈りやさんを雇った。配偶者はとうとうできなくなってしまった。が、今朝、きれいに刈られた庭を見て、ああ、ほっとする、と言うのを聞いて、やっぱり毎年、毎年、庭の芝刈りは、そんなに重荷だったんだ、と納得。そんなにつらかったんなら、やめたほうがいい。。いやいやすることほど、体に悪いことはなかろう。というわけで、なんとプロは、毎週、芝刈りに来るそうな。。そのくらい、春の芝生はどんどん伸びる。すごいなあ。。と思っていたら、久しぶりに日本のニュースを見て、なにやらちかぢか武道が必修科目になる、と流れていて、おお、これもすごいなあ、と感心してしまった。(笑)柔道や剣道が学校教育の必修になるとは。。いいことだと思う。ただ、痛いのが。。怪我が。。。800ドルのCTスキャン。。。(笑)痛くない居合いもいいぞ。。(笑)学校教育だから、たぶん相手を必要とする柔道や剣道のほうがいいんだろうなあ。。相撲は? 相撲は武道じゃないのだろうか。

2012/03/26(月) 老い
やっと3月らしい気温に下がった。零下にまでは落ちなかったものの、5度以下である。寒い。きのうまでが、夏みたいに25度ぐらいまで上がっていたから、今日は寒い、寒いといい続けている。人間は、ただ重ね着をするだけど、気温に押されて必死でつぼみをつけ、花を咲かせようとしている桜ちゃんはどうなるのだろうか。もくれんなんて、もう花が終わろうとしているが、この寒さにどう対処するのだろう。ああ、こういうのは絶対によくない。そして、いよいよ配偶者が、庭の芝刈りをプロに頼むと言い出した。去年、無理をして、背中を痛めたから、今年はもういやだ、という。身体の健康のほうが大事だから、それでいいと思っているが、やっぱり老いが確実に迫っていると思うと悲しい。水をやり、お金を出して肥料をまいて、庭の草を伸ばして、それをまた必死で刈るのだからばかげているとは思っていたが、とうとう刈るの部分までお金を出さねばならなくなってきた。こうなってくると、庭なんてないほうがいい、である。(怒悲)。そういえば、シングルマザーの友達が、家を買おうと思うんだけど、庭のことをどう思うか、と聞いてきたことがあって、シングルマザーに庭は勧めない、とはっきり書いた。だいたい庭なんて、楽しむ余裕がなかったら、コストがかかるばっかりの無用の長物である。そういえば、カリフォルニアの若い金持ち夫婦は、月に1000ドル出して、メキシコ人に庭の世話をしてもらっていたが、あの二人の忙しさから想像するに、庭を楽しむ余裕はなさそうだった。ああ、きれいな庭って何、とつくづく思う。単なるステイタスシンボル??? 自分の身体のほうが気になる年になると、いよいよ庭の世話を楽しむということすらできなくなるのだ。それが、老いるということか。そのうち、庭の世話どころか雪かきもできぬ、で、何もかも管理会社がしてくれるコンドに入る、ということになるのかも知れぬ。迫ってくる自分たちの老いーできるものなら、いつまでも森の中にいたいと思ってるけど。。。そう、芝刈りをしなくていい森。私の神様ー木に囲まれた最後の時間。。森の中の一軒や。。狼に噛み付く赤頭巾ちゃんになれればいいなあ。顔中のしわを隠した赤頭巾ちゃん。狼も逃げていく赤頭巾ちゃん。。老いと死をぶっとばせる赤頭巾ちゃんの誕生。。(笑悲)

2012/03/20(火) 死と別れ
やっと暦の上でも”春”となって、ほっとする。異常気象の今年の春。あとで、どお〜〜〜んと悪いことが起こるような気がする。バランスを欠くことほど悪いことはない。シカゴの春は、雪にうずもれているべきなのだ。それにしても、庭の花や木々は必死で、つぼみをつけ、花を咲かせようとしている。気候に押されている。無理はよくないのになあ。。。それにしても、死に取り囲まれているような気がする。シナバーはますます食べなくなっている。庭の柳も、もみじに押されて、私が枝を切りすぎたせいだろう、死の直前である。もうこれからは絶対に切らない。どんなことがあっても。。10年以上前に、庭ではじめて植えた木だから思いいれがあるのである。どんなことがあっても、殺したくはないけれど、やっぱり生存競争に負けたということで、逝かせてやらねばならないのだろうか。数年あとで植えた小さかったもみじが、今は大きく成長した。その一方で、間違えて鉢から出してしまったミントは、絶対に殺してやるぞ、と、毎朝シャベルを握り、ちょっとでも顔を出していたら、そのあたりの土を掘り返している。一生懸命生きたがっているのを、死ぬのだあ、といいながら、太い根をひっこぬくのも、どこか気持ちが塞ぐものだ。(悲)週末は、娘がシカゴに仕事で出てきていたので、私もでかけていって、二人でホテルに泊まった。月曜一日で、私の2週間分の給料以上の買い物をさせられた。で、飛行機に乗る時間になると、二人とも別れを納得していた。ああ、もうこれ以上、いっしょにいる必要はないよな、みたいな。子供が親離れするとはこういうことだ、と腑に落ちたのである。買い物がすめば、子にとって親は不要かも知れないけれど、それ以上の心理的距離が自然のものとして感じられた。それもこれも、すべて本物の別れへの助走である。庭の木々も、いつしか雑草におおわれてしまうのだろうな、という気がする。人間はお金のために家を建てて、人間が住んで、生と死が身近な庭であくせくして、でもそのうち、この家も朽ちていく。。人間にできることなんて知れてるもんだ。。春に想う”冬”の気分。。それでいい。

2012/03/15(木) 地球の中心に向かって
庭に4頭の鹿が迷い込んで、うろうろしていた。どうやら、顔を出し始めた水仙やらチューリップの芽を食べているらしい。。さぞ、おいしいだろうなあ。。見るからにやわらかくておいしそうだから。(笑)猟をしている友達は、あんな鹿たちを殺しているのだろうか。。やっぱり考えるところあり。殺生はいいことないなあ。(悲)オス猫のシナバーはいよいよ母みたいになってきた。食欲がなくなり、痩せてきたのだ。。母と違うのはまだ歩きまわっていること。。そのうち、歩かなくなるのだろうなあ。。で、眠る時間が長くなっていって。。。(悲)部屋の隅に押し込んでいた父親の写真を、毎日母に送っているファクスマシーンの上においた。父が亡くなって18年。こんなこと初めてである。やっと親たちとの邂逅の時間が訪れたことを自分でも感じている。父親の写真に心の中で声をかけるーおかあちゃんのこと、よろしく頼むで、と。エネルギーが静かに静かに、ある一点に向けて収束していきつつあるのが感じられる。これでいい。。職場で、気晴らしに、太鼓のばちだと思って、庭で拾った木の枝を振っている。(笑)薬指と小指だけを使って握り、手首でスナップをかける。これって、もしかして、仏さんの前でたたく、あのまるっこい木のもの(何というのか忘れた。配偶者がコミで拾ってきて、家にあるんだけど。。。笑)を打っているのと同じではないか、という気がふっとした。薬指と小指は身体の重心につながり、すべては地球の中心に向けて落ちていっているような気がするのである。この感覚に身体が浸されるとき、私は”無”になれるような気がする。。”無”。。生死は”無”(そういえば、あれは木魚???笑)

2012/03/13(火) やっと春!
ようやく春を実感できるようになった。つまり、庭に出て、ごそごそ落ち葉の掃除をして、黄緑色の新芽を陽にあててあげている。それにしても、何年か前に、ねぎの根を植えたことがあった。今、出ている新芽がねぎのそれか、それとも水仙のそれかがよくわからず、自分でも苦笑い。。(笑)それでいいではないか、何かわからないときが楽しみなのであって、わかってしまえば面白くない。子育てと同じ。。(笑)やっと春!だと、なにか新しいことをはじめたくて、きのう太鼓クラスに行ってみた。どんどんどん、と打つだけでも、いろいろむずかしいことがよくわかった。まずは、股関節がよく開かず、そこからすでに難関が始まる。(笑)でも、股関節は腰痛とつながっていて、とテレビで言ってたような気がするから、股関節を柔軟にするためにしばらく通ってみようか。若い人の太鼓とは、えらく目的を異にするものだ。(笑)それにしても、アメリカに住んでいる日本人が太鼓をはじめたというと、日本人のナショナリズムが騒ぐカも知れぬ。それとも、たかこさんは、望郷にとらわれてるんだとか何とか。とんでもない。太鼓もしくはドラムは、アフリカ系もインディアンもやっているではないか。夢を持つことができるのなら、インディアンのドラムと太鼓とのコラボなんかは面白いのでは、と勝手に想像している。(笑)日本人の思考は、日本人中心で、アメリカ多文化世界のダイナミズムに欠けるとつねづね思っていたが、そのことをアメリカ在住の移民学の日本人研究者がはっきりと書いている論文を見つけたので、胸がすきっとした。(笑)では、なぜ太鼓かなあ。。やっぱりアクセスの問題だろうなあ。。日本人が、シカゴのインディアンドラムグループにひょこひょこ出かけていって、やらせてくれと言っても、まず奇異に見られるだろうなあ。。だから、とりあえずは、よくなじんでいる音に惹かれて、太鼓かなあ。。いつまで続くことやら。。でも、太鼓のあとで居合いのクラスに行って、今日は身体がしゃきっとしている。しゃきっとしたら、ネックレスでもつけて職場に出てこようかな、という気にもなる。すると、アメリカ人がアメリカ人らしく、たかこ、きれいよ、と外交辞令を投げかける。それでいい、アメリカに住んでいるのだから。(笑)太鼓でもやってみようか、と思わせてくれた春のエネルギーの連鎖に感謝。。

2012/03/08(木) この本、読まなくちゃ。。
母を思う。。。いろいろ怒ってきた、”配置医師”にまかそうか。。(笑悲)アサヒドットコムニュースより。。。
 「胃瘻(いろう)だの点滴だの酸素吸入だの全身に管を刺され、意思表示もままならぬまま死にたくない。かといって、家族には1分1秒でも長く生きてほしいと思うのも人情か。
 中村仁一の『大往生したけりゃ医療とかかわるな』は、上手な天寿のまっとうのしかたを教えるガイドブックである。著者は病院院長、理事長を経て、現在は老人ホームの付属診療所長。行政用語では「配置医師」というそうな。
 語り口はユーモラスである。いや、ときに大爆笑。「医学界の綾小路きみまろ」と呼びたい。模擬葬儀で段ボール製棺桶に入った著者の写真まで載っている。
 主張はシンプルだ。現在の延命治療は拷問のような苦しみを与える。ところが、衰えに身をまかせる「自然死」ならば、気持ちよく楽に死んでいくことができる。そのためには「医療とかかわるな」というのである。
 「本来、年寄りは、どこか具合の悪いのが正常なのです」と著者はいう。原因が加齢なのだから、医者や薬でどうなるものでもない。しかたないと諦めればいいものを、「老い」を「病」にすり替えていると著者は批判する。
 著者おすすめの死にかたは「がん」だそうだ。がんというと、痛い、苦しい、というイメージだが、完全に放置すれば痛まないのだそうだ。それどころか、最期には意識レベルも下がり、脳内にモルヒネ様物質が分泌されて、おだやかに安らかに逝けるという。終章には治療行為の中止など事前指示の例文もあって実用的だ。
 自分の生き死にを自分で選ぶなんて傲慢だ、という意見もあるだろう。人は一人で生きていないのだからと。しかし、だからといって医者が選んだ死にかたを押しつけられるのも変だ。死にかたは当人と家族が選ぶものだし、家族は当人の意思を尊重してほしい。」
 当人の意思は、当人が言い出してくれなくては聞けないものである。ちょうど、老人ホームへの入居も、本人が言い出してくれなくては、家族からは言いにくいのと同じように。。(悲)

2012/03/07(水) センチメンタリズム
長崎の郵便局に、匿名で、震災復興に使ってくれ、と1000万円がおいてあったとニュースで流れていた。読んで、気分が悪くなった。匿名さんに申し上げたいーなんで、自分のすることの結果を見届けようとしないのか、と。きっちり結果を出してもらえるのかどうか、出してもらえるようにもっていくるが自分の責任なんだよ、と。ほんとに震災復興に使ってほしかったら、東北まで行けばいいではないか。1000万もあれば、東北までの交通費と滞在費が出るだろう。それから、どんな人にどんな風に使ってほしいかを絞り込んで、その団体にもっていけばいいではないか。自分の名前を出したくなかったら、当事者にそう伝えればいいだけのことである。それが、長崎の郵便局なんかにおくだけで自己満足してるなんて、これまた中身からっぽのセンチメンタリズムにすぎぬ。そういえば、シカゴにも、わざわざニューヨークから駐米大使がやってきて、絆とやらのテーマで話をするらしい。何が絆だ。。。そういう言葉を投げて、同情を煽って、金集めして、で、その金がどこにどう使われたのか、報告しようとはしない。確か世界中から集めた3000億円だか3兆円だかの義捐金はどうなったの。私のわずかなお金も含まれてるんだぞ。。(笑)どうやって平等にわけたらいいかわからぬから、まだ地方自治体が握っていると、大分前のニュースで流れていた。その後、分配されたとは聞いてないから、まだ握ってるんじゃないの。自分で考えて、さっさと動き、変化なり結果を出せない人間たち。絆といったセンチメンタルなきれいごとを並べて、悦に入ってるだけの人間たち。くだらん。このごろニュースに出てくる仮設住宅の被災者たちも、えらく上手にカメラ言葉を使いはじめた。元気が出ます、ありがたいことです、とかなんとか。。体裁よく、きれいごとを並べているだけだ。口先だけなのがよくわかる。嘘つけ。。。カメラに向かってほんとに言いたいことは、もうほっといてくれ、ではないのか。そういえば、母が入ってる老人ホームで出会った老人は、神戸の震災で家が全壊したので、ホームに入ったと言っていた。60代からはいって、今はもう80歳近い。東北の高齢者のために、どお〜〜〜んと老人ホームを建てて、仮設住宅から被災者を解放することはできないのか。どうせちまちまと、姑息なことを計算してるから動けないのだろう。別に渡辺謙が、なんとかという国際会議にまでしかめつらして出かけていって、絆がどうのこうのともっともらしく言わなくとも、キリスト教徒たちは絆をいやというほど知っているだろうし、世界中から自然に集まった金ではないか。思い切って、ど〜〜〜んとまず第一歩を踏み出せばいいのに。。。そのエネルギーがまったく感じられない。。長崎に1000万円か。ああ、もったいない。郵便局員が自分のポケットに入れても、誰もチェックできないんじゃないの。そのうち、1000万円はもやもやとどこかに消えてしまうだろう。かわいそうな匿名さん。。(悲笑悲怒)センチメンタリズムでは、何も変わらない。(怒)

2012/03/06(火) genuineな春
私が帰米すると、すぐ母親が入院となる。今回も、私が月曜日に帰ると、同じ週の金曜日には再び入院となった。いったい何が起きてるんだろうか。で、今回は1週間たらずして、無事に退院となった。確か、今日が退院日である。老人ホームのほうも、私がうるさいものだから、大事をとって入院させたのだろう。病院の看護婦さんからは、患者が多くて。。。と聞いた。どうやら、次から次へと、患者が押し寄せている模様。高齢化社会とはそういうことだ。(悲)医療関係者も、できるものなら、若い、人生これから、という人たちの病気を治したいだろうなあ。やりがいがあるではないか。。「死人に口なし」の一歩手前のような人間の治療がしたいだろうか。一度聞いてみたいと思ったりするが、正直なことを言うはずがない。。言ったら、人非人と烙印を押される。でも、私としては、そういう本音が聞きたい。本音が言える人に出会いたい。きれいごとはもううんざりだ!!!(笑)このごろ、とみに思うこと。。おいしいものを食べたり飲んだり、美しいものだけを見て、本物ーgenuineを探し、追いかけて、自分の人生をまっとうしたいと。そういう視点で世界を、人間を見ると、美しい人なんてあんまりいない。ほとんどいない、に近いかも。。(笑)多くが、自分を大きく見せようと、嘘、はったり、見栄をはる人ばっかり。。ああ、この人、見栄はってるな、空自慢しているな、と思うと、心がす〜〜〜と遠ざかっていくのがはっきりと感じられるようになった。で、人と話すこともなくなった。。(笑)いつもgenuineであること-そんなにむずかしいことかなあ。。世界から、人間の美学は消えて、処世術があふれすぎである。うんざ〜〜〜り。。。今年は、春の庭を楽しめるかどうか心配していたが(去年はまったくできず。。いつのまにやら、あっというまに1年が過ぎた。。悲)、どうやら母のケアも、どこか処世術じみてきたから、こうなったら、腹をくくって、運を天にまかせて、自分に与えられた時間をまっとうすることにする。もう、母のことで、じたばたするのにも飽きた。(笑悲)いつも帰米する前に、母が、おどおどした表情を見せる。これまでは、私が帰米するのをいやがっているのだろう、と思っていたが、もしかしたら私に、できるものなら、もうそうしょっちゅう帰ってこなくてもいいよ、と言いたいのではないか、と思えはじめた。一度だけ調子がいいときに、もうそんなに帰ってこなくてもいいよ、とはっきりと言ってくれたことがあったのである。あれが、あの人の美学である。でも、本音の本音は、私に、あ、そう、じゃ帰らないよ、と言われるのが怖いから、そう何度も言えず、顔をしかめるだけで終わってきた。genuineな人間的葛藤ーその葛藤をじっと見つめきるのが、私のこれからのgenuineな仕事。一度だって、自分のエゴで目を曇らせてしまうと、私は美しいものを見逃すことになる。春ー季節の春はまためぐってくるが、私と母親との関係の”春”は、これからが本番で、最後のgenuineな春の始まりである。ところで、genuineとは、何と訳せばいいのだろうか。文学的素養がないので、皆目見当がつかず。福沢諭吉の”自由”みたいな無責任なことはしないぞ。。(笑) 


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