〜ing〜アメリカつれづれ日記
ホームページ最新月全表示|携帯へURLを送る(i-modevodafoneEZweb

2012年7月
前の月 次の月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
最新の絵日記ダイジェスト
2024/03/16 3ケ月
2024/03/09 いろいろ
2024/03/05 雑感
2024/03/01 自由
2024/02/29 とうとう

直接移動: 20243 2 1 月  202312 11 10 9 8 7 6 5 4 3 1 月  202212 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  202112 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  202012 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201912 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201812 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201712 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201612 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201512 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201412 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201312 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201212 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201112 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201012 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200912 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200812 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200712 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200612 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200512 11 10 9 8 7 月 

2012/07/31(火) 出戻り準備2
何かと、こまごまとしたことがあるものだ。クレジットカードに自動的に請求されるYMCAの会費の支払いを止めること、職場の駐車料金の支払いを止めること。。。きのうは、無事に右目の処置が終わった。レーザー治療が簡単とは聞いていたが、医者もめんどくさがっていやがるほど簡単だった。(笑)医者は、左目の白内障の手術もいっしょにしたがったが、今回は断った。これで今回、アメリカに帰ってきた用件をすませたことになるけれど、やっぱり明日日本へ出戻り、とはなかなかいかず、こまごまとしたことを片付けている。それにしても、これでついに右目は、持ってうまれたものはみんな加工されたことになる。レンズは人工物、レンズを支えているカプセルは穴だらけ、眼球の中の体液?はみんな水になり、網膜を守っていたしょうし体も全部はがれ、手術のときに吸い上げられてしまったのだろう。視野に、黒い蚊が飛ぶこともなくなった。。。穴をあけるとは聞いていたが、穴は1個かと思っていたら、なんと医者はゲームセンターで射撃ごっこでもやってるかのように、クリック、クリック、クリック、クリック、クリック、クリック、クリック、クリック、とコンピュータ?のボタンを押し続けた。大西部のガンマンにやられた悪党みたいに、私の眼は穴だらけの模様。。。(笑悲)毎日、庭に出て、今度この庭を見るときは、どのくらい雑草だらけになってるだろう、と思うと悲しくなる。といって、すぐに帰ってくるよ、とも思いたくない。おとといだったか、隣の庭から幼女の声がした。あれ、あんな小さな人がこの辺にいたかな、と思い、振り向くと、隣の中東出身の教授が、にこにこ笑っている。このあいだ、そこでもぐらを見ましたよ、と言う。はい。あそこに大きな穴があって、としゃべっていると、ついこのあいだ新婚さんだったはずの奥さんが幼女を抱いている。ありゃあ。。。今、いくつですか。2歳。。。ええ、奥さんが妊娠している姿は一度もみませんでしたよ。。2年間、隣人とまったく接触がなかった証拠だ。それとも、イスラム教の人は、妊娠中は外に出ないのかなあ。。今度、私が庭でゆっくり時間を過ごせるようになったときは、もうこの女の子は幼稚園にでも行ってるかも??? 時間だけは絶対に止められない。それも、絶対に後戻りできない。それが今たまらなく悲しい。。テレビで、原発事故のあった双葉町の人々の姿を映していた。今だに多くの人が、高校の教室に、たたみを敷いて暮らしていると知って驚いた。前を向いて生きるしかない、と人々は口にはするけれど。。。必死で、自分たちに言い聞かせているのがよくわかる。テレビカメラに向かって、しゃべらなくていいよ。。沈黙にこめられた気持ちがわからなくてどうする。。言葉にするとすべて嘘になる。私は黙って、ただ庭を眺めだけだ。来年の今頃は、どこで、どんな気持ちでいるだろうか。

2012/07/28(土) 出戻り?準備1
今日、箱を一つ送り出した。中身は、書く材料の紙と本3冊とパンツが3つ、Tシャツが3枚。値段をつけねばならず、すべて1ドル、本だけ10ドル。でも考えてみれば、日本で買った本なんだよね。まだ読んでないから、送ることにした。でもこっちから送り返したら、日本の物でもやっぱり関税がかかるの??どうなるのか、国際宅急便システムのお手並み拝見。。(笑)

2012/07/26(木) ニューメキシコ(4)にて
ナバホトーカーだった人に会った。太平洋戦中、ナバホ語で暗号を作り、日本と戦った人たちである。インディアンコミュニティのための寄付金集めに狩出されて、本を売るために、店頭に座っていた。もう90歳近く、暑いのにじっと座らせられているから、こっくりこっくりまどろんでいた。それでも声をかけると、暇なもんだから、いっぱい話してくれた。硫黄島へ行ったという。そういえば、映画「父親たちの星条旗」にもインディアンヒーローが出てきたなあ。。あの人は、戦後シカゴに転住してきたが、うまくいかず、アリゾナだかの居留地に戻って死んだ。このナバホトーカーは無事に生き残り、議会からメダルをもらい、軍服を来て、日本人の女の手を握ってにたにたし、女とカメラにおさまり、本にサインして、のんびり昼ねもしながら、自分の人生を語り、うまあくやっている。(笑)ほんとに人生いろいろである。ダコタにいたとき、フィリピンに送られたラコタコードトーカーのことが新聞に出たので、会いたいと何度か電話したが、会ってはもらえなかった。その話をしたら、ナバホのおじいさんはははは、と笑って、わたしゃ、韓国にも日本にも行ったよ、とか言う。ふ〜〜〜ん、信じるかどうかは私の自由である。(笑)別れ際、おじいさんが言った、手紙ちょうだいね、と。元気で長生きの秘訣を見たような気がした。。(笑)

2012/07/25(水) ニューメキシコにて(3)
インディアンミュージアムに書いた自分の英語を読み返してみた。へたくそ〜〜〜〜(笑悲)エディターつまり配偶者の手が入らなかったら、自分ではあの程度の英語しか書けない。仕方ない。。しゃべればアクセントやらシンタックスの間違いやらで、なかなか言おうとすることをわかってもらえないし、書くともっと日本語のレトリックが如実に出て、英語のように見えて、英語にはなっていないことはようくわかっている。(悲)ニューメキシコで出会った珍しい人の一人は若い日本人学者である。TESL-teaching english as second language の、それもwritingの世界的権威で、配偶者の所属する学会のキーノートスピーカーに呼ばれた人である。昼食後の彼のプレゼンを聞いたが、相変わらずの”学者嫌い”だから(笑)、ふ〜〜〜ん、学者ってこんなことを研究するんだ、と斜めに構えて聞いていた。(笑)確か論題は、非ネイティブのライティングの間違いをどこまで教師は直すべきか、といったようなことだったのでは。。はっきり記憶になし。。(悲笑)なぜ世界的権威なの、と配偶者に聞くと、パぶりケーションが多いことと、スピーチが上手ということだった。確かに、英語にはアクセントはあったが、私のようにヘビーではなく、確かにプレゼンには確固としたものがあり、面白かった。(が、部外者の私の脳には、あまり記憶に残らず。。笑)かつパプリケーションが多いということは、英語で書くことに躊躇はないんだろうなあ。。いいなあ。。。と思っていたら、その先生と、朝ご飯のレストランで、テーブルがとなり合わせになった。私も先生も一人だったので、先生がまだ食べているテーブルに、メキシコ式の朝ご飯が食べらず、いらいらしている私がしゃべるためにすわった。(笑)聞くと先生は、高校生のときから、英語の雑誌を読み、英語の文章を毎日書いてたという。ああ、そういうことか。。と納得。若いときの脳に、英語のセンスが刻み込まれたのである。私の高校時代は、翻訳式の受験勉強しかしてないもんなあ。。(悲)それでも一応形だけteaching english as second languageの修士を持つ私としては、ぐだぐだ、英語帝国主義者のような人間が集まっていた大学院のクラスがいやで、言語教育に興味を失ったみたいな話をしたら、確かに昔はそうだったでしょうが、今はだいぶ変わってますよ、とおっしゃった。世代交代がありますから、と。ふ〜〜〜ん。。。と思って、自分がいつ大学院を出たかを思いだすと、なんと1990年である。今からもう20年以上も前。。。そりゃ、変わってるわあ。。で、そのことがショックだった(笑)先生の話から察するに、どうやら最近の言語教育は、教えるのではなく、状況をシミュレーションして、その状況に置かれたら、どういうものを書くか、という風に持っていくらしい。そうだ、インディアンの人にバカにされ、カフェでサービスを拒否されたら、どう抗議するか。。で、手紙を書かせ、教師たちは、私の手紙をどう直すか、で、いろいろ議論するわけである。なんでもいいから直してくれ〜〜〜(笑)先生自身がESLの学生だったわけで、経験があるだけに、ネィティブの教師よりその視点には新しいものがあって当然だし、世界的権威になってもおかしくないと思う。ニューメキシコのあとは、イスラエルでの講演が待っているとのこと。すごい。。。がんばれ〜〜〜。。私は、もうとっくの昔に英語のライティングはあきらめている。日本語でライターをしようとする限り、英語では書けないだろう。それでいい。(笑 と、開きなおっているわけではないけれど。。。笑)私のインディアンミュージアムへのメールの中で一番好きな部分は、「かつて部族語を禁止され、英語を強制されたが、今、言語の自由の権利を勝ち取り、部族語の復活に努力しているインディアンだからこそ、アクセントのある英語をしゃべる人間に対して寛容でなければならないし、アクセントのある英語の意味と価値を理解すべきである」なのだが、英語を読み返すと、そんな私の気持ちがうまくわかるように表現されているとは思えないなあ。。(悲)が、相手に理解さえしてもらえれば、アクセントのある、へたくその英語で何が悪い、である。もう一度第七騎兵隊のカスター将軍をやっつけるつもりで、この英語でがんばるぞ!!!(笑)で、ふと思う。。。こういうのって、食べていく努力をしなくてもいい人間のお気楽ぶつぶつ、だろうなあ。。TESLの世界的権威の先生は英語名を持っている。もし私が本気の本気でアメリカで生きていくつもりなら、まずは英語名をもつことから始めたほうがいいんだろうなあ。。言語能力以前の、同化への心理的第一歩である。私が英語名を持つとしたら。。。Standing with fist??? Dancing with butterflies?? (笑 だめだあ。。。笑)

2012/07/24(火) ニューメキシコにて(2)
(続き)
2 Issues and my idea
1) I do not know the salesgirl's personality but I have an impression that she is not good at customer service, to compare with other women at the shop. If she is usually good at her work, I am sorry to say but I have to point out she did discriminate me due to my appearance and my
linguistic problem. I saw her attitude had some courtesy to white couple customer although she was not talkative to them either.
2) That I was ignored at the cafe has no excuse, I believe. The hostess immediately could point out the problem, i.e. who waitresses can serve easily and who they cannot, which is completely wrong.
3) I was more shocked than at any other places because the museum is educational place, and I expected that it not only teaches people about local indian history and cultures, but also shows bigger perspective on
the socity and the country itself which discriminated indians for so long. In this sense the special exhibit was very good and informative to me. I believe what I went through at the museum goes completely againt the museum' mission and that employees at at the museum should
understand that. Therefore I would like to tell you that
The musuem needs employee training, to be tolerant and understading toward diversty of the society, especially toward people who speak English with accent, especially because native americans won back right of language freedom and know that language is identity.
I personally want to bellieve that native americans can understand meaning and importance of English with accent more than any other Americans.
I lived in South Dakota for seven years and visited Pine Ridge Reservation many times and wrote a book on Oglala Lakota people in Japanese about ten years ago. I liked the reservation so much; I felt so free, away from narrow minded, discriminatory attitude of local white people. But this time in New Mexico I learned that indians
situations varies so much and that if urban indians absorb
disciminatory hierarchy of race and language etc of the white society, that is also wrong and nobody disagrees, I believe. Urban indians in Chicago are also in quite a different situation from people in Albuquerque, too.
Thank you to take your time and with my favorite indian word-Mitakuye Oyasin
Takako Day
DeKalb, IL

2012/07/23(月) ニューメキシコにて(1)
無事にニューメキシコから戻ってきた。毎日、母の具合を心配しながら日本に電話して、でもこれで、当分のあいだ、バケーションはないだろうから、と覚悟して、長いあいだ行ってみたかったアルバカーキーとサンタフェにアムトラックに乗って行ってきた。ずっと一人でぶらぶらしていたので、けっこう面白い経験をし、考えた。イリノイに帰ってきて最初にしたことーインディアンミュージアムのディレクターに文句のメールを書いた。ああ、インディアンにまで文句を言わねばならないとは。。(笑)がんばるぞ。。。アメリカで生きるとは戦って生きるということであり、大事なことは、自分が勝てるように戦い方を学び、知ることである。ミュージアムが何か言ってくるか、それとも無視するのか。それを見極めるのもまた、アメリカで生きる方法を学ぶことでもある。。(笑)
Hello

My name is Takako Day, a Japanese (Asian) writer from
Illinois, and I visitted the museum Last Saturday, 21st of July. I had uncomfortable experience at the museum and that is why I am now writing to you. I know my English is not good enough to write about sensitive matter as I am not a native speaker of English. First of all I would like to ask you for your patience and generosity. I talked about my experience with a middle aged woman with glasses at a
musuem cafe, with hispanic background who served as hostess then and also with a young girl at the entrance as you were not in the office on Saturday.
The following is my idea about my experience at the museum and I do hope my experience will help improve the museum's operation for the future.

1 What happened
1) I was looking for an indian jewelry bracelet which fit my big wrist at museum gift shop. A young, good looking woman with darker skin color (I guess she is an native american, but am not sure as many people in NM seem to have mexican background) served me but she was so mean to me and treated me poorly. I did not feel at all that I was welcome. I was almost apologetic about asking her to show me bracelets, but finally she showed me just a price tag at back of the bracelet and not even let me see or touch the item as if I am going to steal it. She did not speak any words to me while serving me. I was so
uncomfortable and felt that I was not respected at all, actually looked down by her.

2) When I went to the cafe after the gift shop, the above mentioned hostess took me to the table, but nobody came to my table to take an order, even for an drink. I waited for a while about 10 minutes, but nobody came. Then I saw the white couple came in and sitting down at an table, then a waitress rushed to the table before they even sat down. When I saw it, I learned that I was ignored and rejected at the cafe. The hispanic hostess passed by me and asked me, you are not yet
served?. I answered, no. She said that they are so intimidated by a person who speaks English with accent and that she would send me somebody right away. I said no and left the cafe.
(続くー笑)

2012/07/16(月) 夏の庭
あとどのくらいこの庭が楽しめるのかな、と思いながら毎日庭にでる。ネクタリーンが熟すのを楽しみに待ってたのに、どうやらリスに全部とられてしまった模様。たわわになっていた枝なんて、どうやら鹿に折られたのではないかと思われる。猟をする友達に来てもらって、鹿なんて全部殺してしまえ、と思った。(笑)一年に一度、ただこのときを楽しみにして待ってるのに、それを全部野生の動物に横取りされるなんて。。。悔しい。。殺した鹿の肉でシチューを、皮でバッグを作り。。なんてやってたらきっとボケないだろうなあ、と思う。(笑)日本で、看護師さんに、料理はボケ防止にいいんですよ、と言われて、よし料理するぞ、と息ごんだのもつかのま、そうめんを作るのにもふうふう、薬味に庭に勝手に生えてくる紫蘇の葉をとってくるのもめんどくさい、と思う始末。。一体この先どうなるのか。。猛暑で雨が振らないせいで、もう庭には枯れ葉がいっぱい落ちて、まるで秋のように枯れ葉集めをしなければならぬ。その一方で、大事に大事に育てているもみじには、がんばれよ、といいながら、水まきをする。庭の自然に触れていると、ほんとに心がなごむが、生命維持と管理はほんとに大変である。母が酸素マスクをしていると聞くたびに、もう帰ろうか、帰らねばという思いと、いやもう少し大丈夫だろう、という気持ちが葛藤する。そして、何もかも済んだら、どっか遠くへ出かけようとも。。これって、臓器移植のドナーを待っているような感じである。(悲)生きるってほんとに大変。。。ああ、ネクタリンなんてどうでもいいか。。また来年がある。。そう思えない生もあり、いつか自分もそうなる。。(悲)

2012/07/13(金) 戦え!!!
アサヒドットコムニュースより

大津の中学生のいじめが原因の自殺のニュースが飛び交っている。なにやら、内藤とかいうボクサーの言葉が、トップにおいてあった。以下引用。。。

「ボクシングの練習がつらいときは「いじめに比べたら大したことない」って考え、マイナスの体験をプラスに変えてきた。でもね、「いじめられてよかった」なんて思ったことは、ただの一度もないぜ。いまだにつらい思い出なんだ。

 「いじめられたらやり返せ」っていう大人もいる。でも、やり返したら、その10倍、20倍で仕返しされるんだよな。わかるよ。

 俺は一人で悩んじゃった。その反省も込めて言うけど、少しでも嫌なことがあったら自分だけで抱え込むな。親でも先生でもいい。先生にチクったと言われたとしても、それはカッコ悪いことじゃない。あきらめちゃいけないんだ。(ボクシング元世界王者)

***なあんか気の抜けたサイダーみたいな言葉が並んでいる。あの国の人は、戦え、とは教えないようだ。自分だけで抱え込むな、なんていってるけど、警察に行っても被害届けを出させてくれず、教師に言っても、遊びの範疇だと相手にしてもらえなかったことが問題なんじゃないの。。とにかく、ことなかれ主義の処世術で自分の保身しか考えないのさ、あの国の人たち。ややこしいことはいやだって、ただそれだけ。それが蔓延していることは、わずか10日ほどの滞在でもいやというほどわかる。よけいな空虚な言葉ばっかり並べてさ。。トラストミーのアホなおっさんが今だにニュースに出てきて、えらそうなことを言ってるのにはぎょっとした。。金だけ目当てにされてて、一応格好はつけさせてもらってるけど、という空虚さの象徴である。(怒笑)私も職場でいじめられた。やり返して、仕返しが20倍になったら、30倍にしてまたやり返したらいいんだよ、ばっか。。。最後は、えらあい人、市長やら教育委員会の委員長、いや警視庁長官?でもひっぱりだしてくるぐらいの覚悟で、とことん戦えばいいだけのことさ。。「いじめられてよかった」なんて思ったことはない???じゃあ、たいしたことないね、たとえボクシングのなんとか王者でも。。私は、いじめられてよかった、と思ってるよ。戦うことで、私は自分のintegrity とdignity を手に入れたから。もう誰も、私には手出しはできない。確固としたintegrity とdignity を持った人間ほど強いものはない。あの馬鹿女が絶対に理解できないず、絶対に手に入れられないもの。。いじめる人間はinsecureなのである。日本人は基本的に、いじめるのが大好きなinsecureな民族である。勝ち組、負け組なんて言葉を平気で作れるのも、いじめ根性をもってるからである。小さな島国でーつまり小さな池ーで、順番に誰かを大きな魚に仕立てて、ごそごそ生きてるだけだから。そして、大きな魚は腐りだす。典型的big fish in a small pond のメンタリティでしかなりえない。あの女と同じだ。。。(笑)insecureな人間たちとどう折り合いをつけて生き延びるかという処世術を教えることしかできない島国日本と、たった一人ででもいい、自分のintegrity とdignity のために戦うことを奨励する大陸国アメリカ。。。つい最近、戦時中に連邦政府の強制収容政策に抵抗して投獄までされたゴードン平林に、大統領がメダルを渡して称賛した。。。抵抗した平林氏は、長年日系社会からもさぞ忌み嫌われたことだろう。でも、一人ででも戦えば最後には勝てる。。必要なのは、人間性という普遍性に対する信頼と、自分のintegrity とdignity のために戦うことである。日本人は、integrity とdignity という普遍性をもつ人間の本質を追求しようとしない。ただただ、その場しのぎの空虚な言葉、ボクサーのあきらめるな、とか、かっこ悪くないよ、みたいな言葉を並べてごまかすだけ。。いじめられたら、首相官邸からトラストミーのアホおっさんでも飛んでくるぐらい、とことん戦い返せばいいんだよ。。ただし、すべてメモにとって記録に残すこと。。。(笑)

2012/07/10(火) リスの襲撃
朝おきて、庭に出ると奇妙なことが起こった。なにものかが、私めがけて、ネクタリンの実を投げたのである。私に向けられたことはすぐに分かった。私が玄関の外に出たとたん、上から投げつけられたのである。ネクタリンの木は、家の西側、ちょっとはずれたところにある。誰だ、と思って、振り返って屋根を見上げた。サルでもいるのかな、と思ったのが、屋根の上には誰もいない。おかしいなあ。。足元の桜の木の下に、確かにネクタリンの実が落ちている。半分かじった感じだ。それから裏庭に回った。すると、また上からぼとん、ぼとんとネクタリンの実が落ちてきた。また私をめがけている。今度は、木を見上げると、確かにリスが走りまわっていた。そうか、これはリスの襲撃なのだ。リスがネクタリンを握って、それを下にいる人間に向かって投げつけるとは知らなかった。リスの襲撃!!!!こんちくしょう。。。かわいいなんてとんでもない。ねずみといっしょだ。。(笑)

2012/07/07(土) 疲れる〜〜
あめりカに戻り、なんとか日常を取り返そうとしているが、疲れる〜〜〜。気温が華氏で100度を超え、摂氏40度近いのである。疲れる〜〜〜外には出られず、一日エアコンをかけて、家の中にいるが、それはそれで疲れる〜〜〜少なくとも、節電、節電という声が聞こえてこないだけでほっとである。(笑)忘れないうちに書いておこう。。。今の日本からのニュースのトップ記事は、大津で起きた中学生の自殺のようだが、このニュースを見るたびに死の美学を考える。というのも、帰米当日も、JRが人身事故で遅れたからだ。運良く、事故があってから1時間ほど経ってからだったので、なんとか電車に乗れて、飛行機にも乗り遅れなかったが、これが1時間ほど前、飛行機の出発時間にあわせて乗っていたら、飛行機にも乗り遅れていたかも知れぬ。わずか10日ほどの滞在で二回も人身事故にあうなんて、いったいあの国では1ケ月に何度ぐらい人身事故があるのだろう。鉄道に飛び込んで死ぬ人に言いたいことー死の美学を考えろ。他人に迷惑をかけずに死んでくれ、と。よりにもよって、公共交通機関を死の道具に使うことで、えらい迷惑をする人間がいっぱいできるんだ、死ぬときぐらいきれいに死ねよ、と。マンションの屋上から飛び降りる中学生のことを考えろ。中学生が、下をのぞきこんで、誰も真下にいないことを確かめてから飛び降りるのかどうかは知らないけれど、列車に飛び込む人間はそのくらいの配慮はあってもいいと思う。それとも、自殺用の拳銃レンタル業でも始めれば。。駅で、人身事故というアナウンスを聞くたびに腹が立つ。しかも、である。人々はただ黙って、まるで何事もなかったかのように振るまう。わざわざ鉄道に飛び込む人は、まるで他人に最後の迷惑をかけることで、自分の存在をアッピールするつもりなのかも知れないが、誰も気にもとめてないよ。うるさいのは、ご迷惑をおかけして申し訳ありません、と、何の意味もない、まるで死者に鞭打つような言葉を繰り返して悦に入っている駅員だけである。駅員に責任があるわけでなし、口先だけのごまかしを言うな、とこれまた腹が立つ。(笑)そうそう、電車が遅れれば、動きだした電車の車内は込むわけで、これまた腹が立つことが起こる。人は、自分が電車を降りるとき、何も言わずに、ただただごりごり人の背中を平気で押すのである。これを階段でやられたときは猛烈に腹が立った。電車に乗ろうとする男が、下から私の背中を黙って押してのかそうとするのである。危ないではないか。腹が立った私は思わず、先を行く男の背中に向かって噛み付いてやった。声をかけろよ、何考えてるねん、ドアホ、と。(笑)小さな姑息な男め。。お前がどんなに走ったところで、たいしたことないよ。(笑)で、自分が電車を降りるときは、大きな声で、すみません、降ります、と宣言してやった。回りの人間たちは、びっくりしたように、一瞬身を引いて、私が通るスペースをあけた。そうだよ、それでいいんだよ。。(笑)足元の一番大事なコミュニケーションができないくせに、テレビをつければ、絆だの、家族だの、中身からっぽのきれい事ばっかり並べて悦に入ってる人間たち。哀れなものだ。哀れといえば、日本が敗戦国民で、中国が戦勝国民ということを受け入れられない人にも会った。国連では、中国は英米と並んで、拒否権をもつ常任理事国で力をもっているが、日本は敵国条項に入れられている。そんな世界の戦後体制をそのまま受け入れることなく、アメリカが世界を牛耳っているという一方的な批判は、実に偏狭に感じられ、腹立たしかった。しかも日本人が、自らを敗戦国民と定義できないのならば、それこそアメリカの占領・戦後政策が成功した証であり、ああ、哀れと、あらためてアメリカの戦略に舌を巻いた。(笑)戦略といえば、上野で生まれたパンダの赤ちゃんに対する日本人の喜びぶりにもうんざりした。中国の戦略が感じられた。わざわざ日本が金を出して、貸してもらってるパンダが子供を生めば、その子供も中国のものでそのうち中国に返すの???育児費を徴収せよ!!!(笑)多民族の葛藤と交渉の戦略を知らない人々が沈むしかないことは、帰りの飛行機の中で、インド映画が上映されていることを知って実感した。いよいよインド映画が飛行機の中で見られる。。。インド映画界の大きさは、ハリウッドに匹敵するのでは。。しかも面白い。英語、ヒンズー語が自然に飛び交い、インドの古典的な音楽やダンスでエスニックを強調しながら、欧米のアクション映画のリズム・スピードやらアジア的なユーモアももっている。日本の寅さんなんて、見てるほうが腹が立ってくる。(笑)というわけで、日本といえば、腹が立つほうが多い。思うのは、ただ一つ。。。海の外で、私は日本人です、と言えば、ほほ〜〜〜と、相手から一種尊敬の念が感じられるようになりたいものだが、どうしたらいいものか。。。疲れる〜〜〜(笑)

2012/07/02(月) 日本便り
原発が再び稼働しているとのこと。ふ〜〜〜ん。このあいだ、友達が働くオフィスのあるビルで、トイレのドアをあけた途端、便器のふたがあいた。こんなトイレに入ったことがなかったので、まるでオカルト映画を見たかのようにぎょっとした(笑) で、思うこと。。。原発を再稼働する前に、この手のトイレは製造禁止、そして使用禁止にするべきなのでは。。。なんでトイレのドアをあけた途端、便器のふたがすう〜〜と、おばけがいるみたいにあくトイレを使わねばならないのか、それに納得する答えを
出してから原発問題を考えるべきだ。。。(というのが、地面に穴をあけただけのアウトハウスで用がたせる人間の気持ち。。笑)今日もまた、JRが人身事故で止まった。日本に帰ってくるたびに、人身事故に出会う。いったいどうなってるの、この国。。ほんとにほんとに末期症状だ。。銀行で待っているとき、隣に座ってたおばあさんに聞かれた、おざわさんのこと、どう思いますか、と。おざわかあほなトラストミーか、どうでもいいや。もうそういうことを論じる前に、国の、社会の、人間の存在の根幹が腐りきってると思うから。。敗戦国民が、今度は戦勝国民になるチャンスは永久に失われた???(笑悲)


 Copyright ©2003 FC2 Inc. All Rights Reserved.