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2012/09/15(土)
ピアノと仏壇と
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家がだいぶ私らしくなってきた。月2度の燃えないゴミの日をのがさないようにと、ごそごそ毎日がらくたを整理しているおかげである。知人は、田舎にある実家を処分するのに、大きな家なのだろう、産廃業者を呼んだそうな。。私の家は、産廃業者どころか、日曜大工で男が片手で簡単につぶせそうである。だって、もう半分傾いている(笑)業者が来てブルドーザーで壊すとき、家のがらくたはどう処理されるのか知らないが、それでも捨てるときは、ありとあらゆるものに、これまでこの家で母とともに過ごした時間への感謝の気持ちをこめたいと思い、じっくりゆっくり吟味しながら捨てている。次は、これとばいばいしようかな、とか思いをめぐらしながら、次のごみの日を楽しみにしているという感じである。それで、今、はたと困っているのが、ピアノと携帯仏壇?である。この箱がこの家に来たころは、私はもうこの家で時間を過ごしていないから、それほどの執着もないのだが、それでもゴミの日にひょいと出すわけにもいかず、仏壇の横においてある父親の写真に、どうしよう、と声をかけている。捨てるタイミングが気になるのはピアノである。私が小学1年生のときに、家にやってきたピアノ。しぶる母親に、父が、好きなんやからこうてやったらいいやないか、と言ってくれて、家にやってきたと聞いている。音大の先生についてまでピアノをやってたのは小学5年生まで。30分ほどの1回250円のレッスンを、音大教授がある日突然500円に値上げして、そのことをどうしても親に言えなくて、次回のレッスンに250円しかもっていかなくて、袋をあけた教授が250円しか入っていない、帰れ、とレッスンをしてもらえなかったことがあった。ピアノはそれっきりとなった。それから、高校のときやら、大学のときにちょこちょこやったけど、音楽性のない私のピアノ。親の苦労は私の将来に何の役にもたたなかったが、ピアノに私がこの家で過ごした時間やら親の気持ちやらがぎっしりつまっているのは確かである。ピアノがこの家を去るときは、私が本気でこの家をさって、もう二度と戻ってこないとき、いやこの家が消えるときだろう。。いつだろうか。毎日ピアノを見るたびに、私が聞いたことのなかった父親の声やら私の子供時代がよみがえる。はてどうしたものだろうか。決断のときはそんなに遠くはない。
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