〜ing〜アメリカつれづれ日記
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2013/01/31(木) 安全保障?
帰米して10日ほどが経った。まだまだ頭の中は、一人暮らしさせた母の人生や、最後の時間のことばっかり反芻していて、気持は落ち着かない。時間に癒されるのを待つしかないことはようくわかっている。少しずつ日常を取り戻したいと、郵便局へ行った。5ケ月以上ぶりの運転、それも雪道の運転となると、母のことを考えてばかりいるわけにもいかず、それはそれでよかった。郵便局から送ったのは、母がいた老人ホームへの苦情?である。母が逝って、骨になってしまってもう1ケ月以上経つのに、まだ言ってるんだ、と自分でも思うが(笑)、言わねばならぬことは絶対にいい続ける。。。頑固な生き様を私は母から学び、受け継いだのだから。。(笑)というわけで、小さな包みを送ったのだが、びっくりしたこと、びっくりしたこと。。郵便局は、送り主の私の名前と住所、宛先の住所を全部コンピュータに打ち込むのである。何これ。。。これが国家の安全保障というものか。いつから始まったのか、と局員に聞くと、この1月から、とか。自分たちは反対したけど、だめだったと。日本宛がにらまれることはないと思うけど、アフガニスタンやらイラク、シリアとやらに郵便物を送ると、その人間はいっぺんに政府にマークされるというシステムである。すごい。。。日本では、アルジェリアでの人質事件で、日本の危機管理、情報収集システムがどうのこうのと、テレビで評論家やジャーナリストたちが騒いでいたが、国家の安全保障のためには、個人のプライバシーなんてふっとばすのが、アメリカのやり方である。日本なら、こんなシステムを導入しようにも、個人のプライバシーがどうのこうの、の部分でひっかかって、結局は何もできず、そのうちうやむやになって、その部分が外から鼻であしらわれて、中国や北朝鮮が好きにやって、で、にっちもさっちもいかなくなって、で、リーダーシップが問われて、と堂々めぐりするだけだろう。まあ、政府を出し抜こうと思えば、日本に送って、それから第三国ー北朝鮮に送ることも可能??? 日本ではどこへ行っても、トイレで列をつくらねばならぬのがいやだったが、郵便物の宛先までコンピュータに記録する大変な国に帰ってきたものだ。。。

2013/01/19(土) 死神たち
友だちは、そこは死神横丁だね、と言って笑った。母が逝って1ケ月、東隣のおじさんは、去年の4月亡くなったおばさんを追うようにして、1月2日に亡くなったとか。西隣の老老介護のおじさんのところには、去年は特養ホームのデイサービスの車が来ていたが、このごろは病院からデイサービスの車が来ている。おばさんもそんなに長くはなかろう。おばさんがいなくなったら、おじさんはあとを追うようにして逝くのではないか。私が今度ここに戻ってきたときには、また風景が変わっているかもしれぬ。二日ほど前には、とうとう誰かが最寄駅で人身事故をやった。一晩のうちに、3度も4度も救急車のサイレンを聞く。空港までの宅急便の荷物をとりに来てくれた人は、近所の酒屋のお兄さん。私がいたころ、よく働いていたお父さんは数年前に亡くなり、お母さんは、震災のときにクモ膜下で倒れて、一度も意識を取り戻すことなく10年寝たきりのままで亡くなったとか。いろんな人生があるー母は、ベッドで、はっきりと「幸せやった」と言ってくれた。それ以上、何を望もう。母が逝ったあと、1ケ月をこの家で過ごして、母の気持ちが少し見えてきたような気がする。54年を過ごしたこの家は、母にとって城だったのだ。私の子供時代、父親のことー私が後ろに投げ捨てたかったすべてが、この家に詰まっている。それが、彼女を支えたのだ。ホームのベッドで、何度も「戻るの」「戻ろか」と、家に帰ることを望み続けた。その一方で、帰れないことも自覚していた。母親でも、寂しくなると、すぐに息子や娘に、うるさいほど電話してくる人がいるらしい。母からは、父の死以外に電話がかかってくることはなかった。寂しいときはあっても、ここでの時間に満足していたのではないのか。ここが彼女の人生だった。すべてをなげうって、アメリカに来て、私と住むことなど考えられなかったに違いない。私はそっけなくではあったが、毎日電話をかけて、私がいることを知らせ続けた。だから、1年に一度会うか会わぬかもで、会ったときに、久しぶりという気持ちはまったくわかなかった。毎日声を聞いていたからである。これでよかったのだ、と心の底から思えるようになった今に、感謝である。今日は、納骨の日である。どんなに帰りたがっても、連れて帰れなかったことを申し訳なく思うけれど、お母ちゃん、どうしても帰りたかったら、帰ろ、でも心臓がとまるかも、といえば、いやや、とはっきり言った母。家より生きることを選んだ母。今日、お骨がこの家を離れる。初めて箱をあけ、骨壺をあけ、母の最期の姿を見た。黄緑がかった部分もある骨がはいっていた。これが見納めである。ありがとう。私は、この家にしみついている父の、そしてこの家を守りつづけたあなたの美学を吸い込みに、またこの家に戻ってきます。ーーー母のお骨が消えた家ー再び寂しさ、喪失感が押し寄せる。思い切らねば、とは思うけれど。。。やっぱりこの家は重たい。。若いときに感じたのと同じだ。。早く出ていかねば、押しつぶされる。。。(悲)

2013/01/11(金) リンカーン
20年ぶりぐらいに友達に会った。小学校から高校までいっしょだった同じ年齢である。昔同様、”お気楽3羽ガラス”で、まるできのうもあってたかのようにわいわいしゃべったおかげで、この家を出る覚悟ができた。もうアメリカに帰るときだと。いつまでも、お骨といっしょにこの家にいても、私は前には進めない。二人には、これからは自分の体を鍛えていくんだよ、といろいろ健康と運動についてアドバイスを受けた。健康、食事、そして有意義に限られた残された時間を過ごすこと。友達の一人は、もう自分のアルバムすら捨てたという。身軽にして、何ものにも執着せず、好きなことをして思うままに生きることー生きるとは捨てていくことという生の美に触れて、エネルギーをもらった。「わたしたちがまた会えたのも、お母さんのおかげ」とまで言ってくれた。まわる、まわる、時代はまわるーすべてがまあるくおさまりますように。。。アメリカでそう念じながら、母を一人暮らしさせた17年間を過ごしたことを思いだした(悲)思い切って一歩を踏み出さねば、と考えていたら、テレビからリンカーンという言葉が飛び出してきた。何事か、と思えば、リンカーンという映画が、アカデミー賞候補になっているとか。げっ、げっ、げっ。。今ごろリンカーン??? もう一度「リンカーンの国から」を書き続けよ、という神様のメッセージかもしれぬ。(笑)本気で、イリノイに戻るときが来たのである。

2013/01/06(日) 見知らぬ町
気晴らしに、見知らぬ町に降り立った。岡山市の犬養毅記念館に足を運んだのである。めったに神戸から西に向かうことはないのだが、新幹線に乗って30分ほどのところに、日常からかけ離れたのんびりした風景が広がっていた。ほっとした。まだまだ母のことを思うと、心がふさぐ。17年ものあいだ、一人暮らしさせた親不孝をどうやってこれから背負うのか。。。背負わねばならぬ。私の十字架である。犬養毅の美しい生家がきれいに残されている。広い畳の間を歩きまわっていると、子供のころ訪ねた母の実家を思い出した。大きな家だった。茶室まであったらしい。今ごろ、記憶が記憶を呼んで息苦しくなる。母親とはものすごい存在だった。友達は呪縛と呼んだ。そうかもしれぬ。亡くなったからこそ、呪縛はさらに強くなっていくかのようだ。どうやってこの呪縛とこれから向き合っていけばいいのだろうか。まだ答えは見いだせず。(悲)


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