〜ing〜アメリカつれづれ日記
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2013/02/27(水) 売れないライターとは(笑)
資料読みをしていて、面白い文章を見つけた。「たとえ正論でも、群れから離れて論陣を張れば干される。大きく間違っても、群れの中で論をのべていれば、つねに主流を歩める。そして群れのなかにいさえすれば、いくら間違った発言をしても、あとで検証されることはない。これが日本の言論界です」−元外交官の孫崎亨「戦後史の正体」340ページである。これだけの知識人でもいろいろ干されるならば、アメリカに住んでる売れないライターなんて話にならないなあ。。(笑)群れの中にいさえすれば、の日本だから、沈没しかけているのである。どんなに”絆”だの”思い”だの、ものづくりがどうのこうの、とバカの一つ覚えみたいに繰り返しても、繰り返しているのがメディアだから話にならない。で、そのメディアを見聞きする人間が、これまた同じ言葉を繰り返してるから、お先まっくらである。メディアと同じことを言っておけば間違いはない、というわけでだろう。すべてが保身だけで動く国と国民ーまあ、沈んで当然か。(笑)もう一つ、絶対に私が売れないわけ。。。10年以上かけて英語本の出版をめざしているが、その英語の原稿を見て、配偶者が「あらっぽい」と言った。(悲)学会用に書いた原稿を見て、友達の学者が、荒っぽい、読者に不親切、と書いてくれてたメモを見つけた。ある文学賞の佳作に選ばれたときは、編集者に、あんたは文章がほんとにへた、といわれた。そして何よりも。。私だって、記者にインタビューされたことがあるのである。(笑)最初に旅行記賞の佳作かに入選したときである。部屋を掃除していたら、古いインタビュー記事が出てきた。(アサヒファミリー1985年2月22日付)記者が書いてくれたのは。。「作品への評価は、テーマはなかなか面白いが文章がややずさん。(深田)若い女性らしい発見があった。しかし表現が粗い(田原)」深田とは深田裕介、田原とは田原総一郎である。おお、そうそうたる面々が読んでくれたんだあ。。で、ずさん、粗っぽい。。(悲笑)でも、記者は続けた。「でも文章を書けば考えがまとまるから、これからもいろいろ書き続けるつもり」と目を輝かせる。。だって。。輝いていたかも知れぬ。。今から28年前だからなあ。。夢があったかも。。あれから今も佳作のみ。。(笑)これが私の能力の限界と悟って、さあ、どうしようかなあ。。自分の能力以上のことができるはずはなく、でも能力を磨く、ということはしなければならないのかも。。。粗っぽい性格をどうするか。。大変大変。。(笑)

2013/02/25(月) グルメ患者
ケロは、グルメホスピス患者である。毎日、毎日、ツナを水にまぜてやっているが、水の量が当然味に関係するわけで、いろいろむずかしい。ちょっと水が多すぎて、味が薄くなっても食べない。もちろんツナが古くなっても食べない。そういうときは、どんなにツナを増やして味を濃くしても食べないから、ああ、ツナが古いんだな、と判断して、新しい缶をあける。新しいツナ缶は、あけたとたん、おいしそうな匂いのツナ水があふれでてくるから、人間でも食べたくなる。(笑)それをちょりとケロにやると、そりゃもう、うれしそうに、ぺろぺろ食べる。このピッキーなやつめ、とその正直さには腹立しく?も感じられるが(笑)、それにしても、もう残り少ない時間だと思うと、わずか1ドルのツナ缶、毎日でも新しい缶をあけてやりたいな、と思うけれど、残りものを食べねばならない人間としては、毎日、ツナサンドウィッチも食べられないではないか。と、なんやかんやと、頭を使いながらグルメケロとつきあっていると、やっぱり母のことを思い出す。口から食べられなくなって1年半、食べられないことを愚痴ったことは一度もなかった。それでも私が、ちょっとジュースでも買ってくるわ、と部屋を出かけに言うと、私のも買ってきて、と言ったことは何度かあった。やっぱり飲みたかったのかなあ。。とか思ったりもするけれど。。。このあいだ会った友達は、歯が悪くて、インプラントをするという。1万ドルもかかるそうな。。このごろは入歯なんてしないんだよ、みんなインプラントだよ、といわれて、総入れ歯だった母のことを思った。歯が1本悪くても、食べられない、何食べてもおいしくない、と友達は言った。総入れ歯だった母は、もう長いあいだ、おいしいと思いながら食べたものなどなかったのでは。。。(悲)身体のすべての部品の状況が、少しずつ時間をかけて、老いの最終局面に向かっていたのだ。何一つ自分を責めることはないのだ、が、やっと少しずつ納得できそうな気がするけれど。。。が、まだまだである。ケロにはできるだけのことをしてやろう。今日、久しぶりに抱き上げてみた。ものすごく軽くなってしまっていた。その軽さに、母の最期の着替えを見たときの驚きが甦った。いつもはパジャマで見えなかったけれど、2週間のブドウ糖だけの点滴で、骨と皮になってしまっていた。あれでは生きられない。が、母が骨と皮だけで、最後の最後まで生き切ったことは確かである。その強靭さに感謝。。(悲)母の強靭な生き様を思いだしながら、ケロの最後を看取るつもりだ。医者に連れていって、薬を入れるなんてことは絶対にしない。”早く楽にしてやろう”なんて、痛みでもがき苦しんでいるのならまだしも、死を凝視できない人間の弱さであり、言い訳である。誰も死にたくない、たとえ猫であっても。自殺する人間だって、ほんとは死にたくないのである。(悲)

2013/02/24(日) 女性専用車両
日本で電車に乗るたびに、女性専用車両のことが気になった。こんなことしていいの、みたいな感覚である。女ばっかり、というのが気持悪いときもあった。今日、ニュースで、男性が乗っても法的には問題なし、とあった。ああ、そういうことか。ニュースによると、乗ってきた男性に向かって、不快だから降りてください、という女性がいて、口論になることもあるらしい。ニュースのあり方として、おかしいよな、と思ったのが、男性が乗っても法的には問題なし、とは書いても、じゃあ、女の人が、乗ってきた男性に、降りてください、とは言えないよ、の部分は書かないのである。おかしい。。日本のメディアはおかしい。。(笑)違法行為じゃないなら、乗るな、降りてくれ、と面と向かっては言えない、を教えてはじめて、問題解決への道だ、が、アメリカでの生活感覚である。そういえば、日本のメディアは、日米首脳会談をやいのやいのとトップニュースで報じたが、アメリカのメディアは一言も報道しなかった。なかには、日本の首相は誰、と聞かれて、教えると、ABEを、りんかーン並みにエイブと読む人もいたとか。。(笑)日本のメディアは、アメリカのメディアが日本の首相が来たことをまったく報じなかったことを報じたのか??? 国民に現実を直視させるのが報道じゃないのか。女性専用車両も、日米首脳会談も、なにやら一番肝心な部分がぬけているような。。どうでもいいけど。(笑)

2013/02/22(金) ホスピス食
一日、何度ケロのために、ホスピス食を作らねばならないか。朝起きると、しんどいだろうに、やっぱり空腹なのだろう、私のあとをつけてくる。それで、ツナ缶のツナをほぐし、水をまぜて食べやすくしてやる。毎日、1日に20回ぐらいー一度に食べる量が少なくなってきて、様子を見ながら、何度も作らねばならないー作っていると、どれだけの量のツナに、どれだけの量の水をまぜた味がお気に入りなのかもわかってきた。ツナは食べないが、お好みの水の味というのがあるのだろう。落ち着いてベッドに行くまで、ちょぼちょぼ水を足したり、ツナを足したりして、食べられるだけお好みの味を食べさせてやりたい、と思いながら、がんばってる。。そう、猫のためにがんばっているのである。母も、そうだったな、と思い出しながら(悲)結局、猫も母も同じである。動物はみんな同じなのである。老いには勝てない。治る見込みはない、と納得したうえで、人生の、そして猫生の最後を見届けようとがんばってるのである。今、ケロがたぶん今月もつかもたないか、みたいな感じなのは、私が去年の10月、右手首を骨折したのは、神様がお母さんのそばにいてやりなさい、と私からコンピュータをとりあげたのと同様、母親の死を受け入れられるようにという神様のメッセージのような気がするのである。私の記憶と後悔は、いつも、母が病気になってからの最後の一人暮らしの7ケ月の時間に戻るのだが、あのときすでに母は、自分の寿命が来たことを知っていた。知りながら、自分の能力で生き切ろうとしていた。誰しもが言ってくれるように、私が母の最後の2年弱の時間に関われたことは、私にとってすごく幸せなことだったのかも知れぬ。ましてや母は、きっと幸せに感じていてくれたかも知れぬ。ケロに、一日に何度も何度もホスピス食を作ってやりながら、そんな母の気持を信じてもいいのではないか、と自分を許す気持が生まれてきたような気がする。同僚に、残念だったね、と言われるたびに、nothing can stop itと言って、私はかすかに笑う。ケロは、毎日確実に痩せていっている。それでも、かすかににゃおと鳴きながら、ツナ水をねだる。誰にも止められない。ただただ誠実にケロに残された時間と向き合うのみ。私は、母にどれだけ誠実だっただろうか。まだ見えてこない。。(悲)

2013/02/21(木) とうとう始まった、わくわく(笑)
やっと、コミュニティのみんなが固唾をのんで見守る?事件が起きた。やったあ。。(笑)人種戦争である。ことの発端は、大学警察のトップが、去年の11月ごろから、出勤停止になっていた。といっても給料は払われる、という状態。黒人である。その人がきのうだったか、正式に大学から首にされた。で、もちろんその人は大学を訴えたのある。最初に出勤停止という懲罰的状況になったのは、どうやら部下の警察官が性犯罪をおかしたときに、その証人の供述調書を隠したから、らしい。で、大学が首にしたということは、その”隠した”行為の決定的証拠を握ったから、ということなのだろうが、黒人が大学側を訴えたということは、その”隠した”行為の決定的証拠を出せだの、その証拠の信憑性だのを問うのだろうし、そして何よりも、人種を持ち出してきたのである。というのも、ちょっと前に、大学所有の資材ーといってもくず鉄みたいなごみーを資材部が勝手に外部に売って、手に入れた金を自分たちのコーヒー代にしていた、という事件があった。これは刑事事件になる可能性もあったらしいのだがー横領??、これが外部に発覚すると、部のトップ(白人)がすぐに退職して、その後、うやむやになってしまった、という経緯があった。白人がそういうグレイなことをやっても、首にはならなかったのに、なんで黒人がやれば。。。という論法である。これでもう大学は二分されて、水面下で、非常にデリケートな大戦争が繰り広げられるに違いない。年収20万ドル以上のこの警察トップは、以前にも大学新聞でえらくたたかれていて、基本的に問題を抱えたグレイな人間だったのは確かかも知れぬ。一方、大学側には、学長の後ろに黒幕のほんとの実力者として、これまた黒人が配置してあるのだから、こういう状況になれば、その黒幕はどう動くのか非常に興味があるが、そういうことは絶対に表面に出ず、そのうち、警察トップに100万ドルが渡って、やめていった、といったニュースでも流れて、おお、大学側も弱みを握られてごねられたのか、と、部外者は勝手に推察するしかない可能性は大である。(笑)それまでは、みんな知らん顔をしながらも、手に汗を握って、成り行きを見守るに違いない。20万ドルもらっていたら、弁護士費用もかなり捻出できるだろうなあ。弁護士もごねがいがあるなあ。。(笑)このあたりがアメリカで生きる日常感覚である。だから、きのうラジオを聴いていたら、南アフリカの有名なスポーツ選手の殺人事件についても、弁護士だか専門家が出てきて、こういう罪の可能性があって、そのときはこういう罰になる、と実に具体的に事件の説明をしていた。一方、日本のNHKがこの事件を報じるときは、まるで番組「プロフェッショナル」のナレーターの口調と、お昼のワイドショーのレポーターのそれとをないまぜにしたような、深刻ぶったようでミーハー的な雰囲気を漂わせた口調で、混乱してます、人びとが集まっています、泣いていましたと、センチメンタリズムを先行させた表面的状況は伝えるが、この思考でいけば、論点がこう解決されるだろう、みたいな具体性はまったくない。だから見てても、自分の生活にまったく役に立たない。(笑)要するに、報道とは、ここでこんなことがありましたよ、を教える単なる物見遊山なのである。だから、同じことが繰り返され続ける。ほんとに問題を解決しようとするなら、たとえば鉄道で人身事故をやれば、残された家族にこれだけの費用がかかるということを報じるのが、報道の役割だろう。というわけで、とうとう大学で始まった人種戦争、システムをよく観察して、自分の生活、人生に役立てねばならぬ。大変、大変、といいながら、みんな固唾をのんで、面白がってさえいる。力のないアジア系の人間としては、夷をもって夷を制す、が起きればいいな、とは思っているけれど、この”夷”をコントロールできるのは、大学というシステムそのものだと思うけれど、それだけの力があるかなあ。。大学を動かしているのも、結局は人間だものなあ。(悲笑)

2013/02/18(月) 職場復帰
無事に復帰した。半年離れていたけれど、まるできのうも仕事してたような感じ。(笑)わざわざ私のところまで来て、お母さんのことは残念だったね、と言ってくれたのは2人。。中には、どこへ行ってたの。日本? 楽しかった?と聞く人もいたから、個人情報保護のために?、情報がどう伝わるか伝わらないか、なかなか興味深かった。基本的に知っていたのは、私の上司とその回りの偉い人だけだろうけれど、給料課の前の上司が知っていたのは、私が以前話したからかも知れぬ。。というわけで、誰も私がいようがいまいが関心なく、自分たちの仕事に関係もせずー私の仕事?を引き継いだ人はキープしたがるだろうし、で、私のほうから返してちょ、と言うわけはなく、はい、どうぞやってちょ、である。(笑)人生を俯瞰して、えいやっ、と飛ばねばならぬ時も、そんなに遠い先ではないだろう。じっと自分の心の中をのぞき続けること、自分の人生で何ができるのか、何がしたいのか、を凝視すること。。。

2013/02/16(土) 還暦?
母が逝って、ちょうど2ケ月である。まだまだ考え続けているが、若い娘に、過去に生きるな、今、目の前にあるものが大事、といわれて、母の口癖を思い出した。一日、一日を大切に、である。そう考えると、私の人生は、10日前に白内障の手術をしてから一変した。小学4年生のときにはすでに、学校の視力検査で、表の一番上の0.1の字が見えるか見えないか、の視力しかなく、高校でコンタクトレンズをするようになってから40年以上お世話になったレンズと完全におさらばしたのである。寝る前に、ごそごそレンズをはずす手間がなくなり、朝目をさますと、ばっちり見える。。何これ、と、まだまだ脳は混乱しているに違いない。網膜に穴があき、その副作用でおきた右目の白内障とは違い、今度のは自然な、年齢による白内障だから、右目ほどよく見えるようになるかは疑問、みたいな感覚がある。それでも、コンタクトレンズと永遠におさらばしたのは、生まれ変わったような新しい人生の始まりであることには違いない。還暦ということか。満58歳は、数えの60? 知らん。(笑)大事なことは、そろそろ吹っ切って、もう一度やり直すチャンスが与えられたと、新しい第一歩を踏み出すこととは思うけれど、まだぐずぐずしている。。。いよいよ職場復帰が近づいてきた。。どうなることやら。。還暦の気分で張り切るか、それともいよいよ退職への道を探りはじめるか。。。わからん。。(笑)

2013/02/14(木) ホスピスと死、日本のメディア
お気に入りの報道番組をつけると、ここのところ、トップニュースはグアムでの殺傷事件である。何をあぶりだしたいのだろう。被害者が日本人だったということで、日本人への恨みがあった、を言わせたいのだろうか。なにやら必死で、犯人の背景を調べている。日本人の恋人がいたとか???これが、秋葉原のように、日本で起きた、犯人が日本人の事件なら、こういう報道も理解できる、というか、そういう報道のあり方に慣れている。というのも、そういう事件から、社会学者たちが新しい”日本人”論、すくなくとも日本社会論をあぶりだそうとするからだ。つまり、”日本””日本人”には一定の定義を与えねば、与えられるという社会的思い込みがある。その報道のやり方を、アメリカでの事件でやってもなあ。。犯人の動機はどうのこうの、と調べ回っても、見てるほうは、犯人の個人的なことでしょ、別に知りたくないよ、で終わってしまう。犯人が何系であろうと、自分と何か共通点があるとはまったく思えないからだ。日本のメディアがやってきて、重箱の隅をつつくようなことを、ごちゃごちゃ嗅ぎまわったら、地元の人間たちは、ふ〜〜ん、日本人を殺したら、日本のメディアがいっぱい来て、それはそれで経済効果がある?と、まるで日本人の野球選手を雇ったら、取り巻きたちの経済波及効果を期待できる、的な発想になる???(笑)日本のメディアよ、あんたら、ほんとに”とんちんかん”だ。。きっと感覚が完全に内向きにずれてるんだろうね、それがジャーナリズムなら恥だね。。だから、レスリングがオリンピックでどうのこう、となって、それはそれであわてる。。くだらん。。(笑)ポイントは一つー何の理由もなく殺された被害者の無念と、突然根源的な喪失に向き合わされている被害者の家族たちの苦しみ。。死が、社会にあふれかえっている。。それがたまらなく悲しい。。絶対にあともどりできない、死の絶対感が苦しい。老人ホームで出会った有能な看護士さん(とはっきり書くのは、老人ホームに無能な看護士がいて、私が怒鳴りつけて、母の担当からはずすために戦わねばならなかったから。。笑)が、朝の3時から5時が一番危ない。それを乗り越えれば、一日もつ、と教えてくれた。今も、朝方になると、目がさめて、母のことばかり考えている。(悲)そして、ケロ。いよいよ便が止まっている。ツナ缶に水をまぜてのホスピス食をやっているが、食べてないという証拠だろう。そのうち、尿もとまるのか。。兄さんは、死ぬ前日まで、自分でトイレに行って、体中に砂をつけて、にゃおとささやき声で鳴いていた。母は、死の2日ほど前に、完全に尿が止まった。あれを見たとき、身体がとうとう機能しなくなったのだな、とど素人の私でも納得した。ケロは、どうなるの。。必ず来ると実感せねばならぬ死を待つこの時間が、一番つらい。床に顔をつけて、ツナ水をすすっているケロの顔をじっと見、背中をなでていると、母を車椅子に乗せて、外気に触れに、ホームの庭に出た時間をもう一度繰り返しているかのようだ。(悲)不慮の事故、事件の死と、意識して待つ病気の死と。。比べようもないが。。。ただただ、時間が止まったり、あともどりできないのが哀しいとしか、いいようがない。。(悲)

2013/02/12(火) フランケン命
まだアメリカに帰ってきてまもないころに買った植木がある。見たときから、胡散臭かった。葉の緑が、黒っぽい深緑で、固いのである。葉はつるつるとワックスをかけたように光っており、かつよく見ると、裏返しになってる葉すらあった。おかしな奴だ、と思ったが、けっこう大きな白い花を咲かせているので買った。緑色のつぼみが次々に白くなり、花に変わっていって、楽しかったのはわずか1週間ほど。ちょっと水やりが多すぎたか、と思った途端、突然すべての葉やつぼみが、蓑虫みたいになりはじめた。なあんだ、こいつ、ちょっと1回だけ水が多かったぐらいで、しょんぼりしやがって、と腹が立ったが、やっぱり要するに、ファクトリーグリーンだった証拠である。つまり工場のコンピュータで、湿度やら温度、すべて調整されて花を咲かすように、人工的に作られた命なのだ。だから、ちょっと条件が違うと、とたんに「青菜に塩」である。しょんぼりしてるのを見るのがいやだから、零下10度の外気に出して、あっさり凍殺してやれ、とは思うが、もしかして、自然のエネルギーが、このフランケンのどこかに残っていて、新しい環境に適応する能力をもっているかも知れぬ、と思うと、そんなむごいこともできず、毎朝、悲痛な気持で、蓑虫状態のフランケン命をながめている。なんとか気持を上向きに、と、また懲りずに花を買ってしまった。好きなショッキングピンクのミニつつじである。これまたフランケンだ。どす黒い葉の色を見たらわかる。で、思った。これは、外は真冬に、ピンクの花を見たいと思い、金を出す消費者のエゴの問題だな、と。喜んで買う人間がいるから、金儲けになるとフランケン命が誕生するのである。花さえ終われば、すぐに死ぬことが期待されているフランケン命。どこか人間も同じかも知れぬ。それが高齢者問題かも。。(悲)私もフランケン命をもっている。目である。両目とも白内障の手術をして、とうとう親ー自然ーからもらったオリジナルの部品を失い、プラスチックをとおして、この”世界”を眺めている。私は、とっくの昔に盲目になり、この”世界”を離れ、新しい”世界”に入っていてもおかしくないのに、フランケン命で、まだこの”世界”で生かせてもらっている。この”世界”に恩返しせねば、とは思うが、いったい自分に何ができるのだろうか、と考えると気がふさぐ。母が消えてから、いったいこれまでの私の人生は何だったのか、という思いにさいなまれているのである。それなら、たとえ1週間でも、人を楽しませた蓑虫状態のフランケン命のほうが生まれた意義があるのかも。。人を楽しませるーこれほど私が苦手なものはない。。(悲)

2013/02/08(金) 再び、諦念(悲)
ケロが、私が日本にいる5ケ月のあいだじゅう、みゃおみゃおと毎晩鳴いてうるさくて、困っていると聞いていた。私が帰ってきてからは、安心したのか、まったく静かになった。あれからわずか1週間ほどして、食欲ががたんと落ちて、ツナ缶のツナ汁しか口にしなくなった。歯でも悪いのか、と思って、きのう医者に連れていったら、兄さんといっしょで、腎臓が悪くなっていて、あと1ケ月ほどだろう、と言われた。またか。。この1年で、これで3度目である。シナ、母、そしてケロ。。ケロは、私が帰ってくるのを待っていたとしか考えられない(悲)時間はとめられないとはようくわかっている。そして、体のことを一番わかっているのは当の本人たちである。あきらめているのはほかの誰でもない、本人たちである。シナも母も、最後の最後まで生き切った。自分たちの生き様になんの後悔もなかったのではないか、と、死を第三者の目で見ている者は勝手に想像している。シナも母も、食べられなくなっても、それでも頑張って生きられるだけ生きてくれた。いや、死が日常光景のプロから見れば、生きさせた、のかもしれぬ。(悲)ケロは、シナのように腎臓が二個とも消えているわけではなく、まだ一つは正常サイズらしいのだが、どうもうまく機能していないらしい。(悲)食べたいものを食べられるときに食べさせてやって、と思う。母は。。。一度だって食べられなくなったことを愚痴らなかった。1年半、口から何も食べることなく、ただ気概だけでがんばってくれた。きのうからホスピス食を作っている。ツナをおもいっきりつぶして、水にまぜてやるー少しでも口から食べて、栄養を体に入れてやるー口から食べられなくなったら終わり、と人は簡単に言うけれど、意識がある限り、誰が餓死させられようか。そういえば、母がいた老人ホームにも、脳梗塞で植物状態になっても、口から栄養食を流しこんでいる人がいた。きっちり首の角度をはかれば、植物状態でも、のどに流しこめるそうな。。母の場合、その選択肢を与えられることなく、胃ろうとなった。そういえば、日本を離れる前に会った看護士さんが、あの人ももう限界、とか言ってたなあ。。。今、どうしておられるのか。。必ず終わりは来るーめぐってきた諦念の季節もまたそのうち。。が、また忘れたころに戻ってくる。(悲)

2013/02/05(火) 雪世界
また雪かきをする世界に戻ってきた。きのう、おとといと雪かきをした。雪と遊ぶと、いつも、昔キムタク君のドラマに夢中になってたころを思い出す。ドラマの中で、キムタク君が女主人公に、あんたは、みんなにふみつけにされたまっくろな雪だ、誰も踏んでいない雪は美しい、みたいな台詞があった。そう、誰も踏んでいないまっさらの雪を、しゃきしゃきと踏みしめながら歩くのは、ほんとに心が洗われる思いだ。明日は、いよいよ手術の日。病院との契約書?を読むと、手術して結果が悪くなることもある、死ぬこともある、失明どころか目がなくなることもある、まで書いてある。それでも手術したいか、と自問してしまう。ほんとはしたくもない。医者なんて信用できないし。。。と考えていたら、また母を思い出した。医者が嫌いで、最後の最後まで行かなかった母の人生を、つ〜〜んと冷え切ったまっしろの雪世界の真ん中で想う。あれでよかったのだろうか、とまだ悩むが、どんなに悩んでも、もう一度母に会い、声が聞けるわけではない。雪はそのうち消えるだろう。いつか消えてしまうものといっしょに流していかねば。。私の時間も、である。いつか消えるものだ。明日、手術が成功しようと失敗しようと。。。やっぱり諦念だろうか、母の一人暮らしの最後を支えていたのは。。

2013/02/03(日) 天気予報
日本語保持のために、帰米すると、また日本語番組を申し込んだ。一つ気がついたことー天気予報にまったく興味がなくなったのである。前は、大阪・神戸の天気に関心があった。母がいたからだろう。今、こういう天気で、母はどうしてるのだろうか、と自分勝手に無意識のうちに想像していたのである。その部分が消えると、日本の天気予報なんてどうでもよくなった。神戸で私のことをひたすら考え、待っていてくれた人もいなくなって。。。と書いてはみるものの、実は、自分の心に疑いの気持が生まれているのも、私自身が自覚している。ほんとに母は、私のことをずっと考え、待っていてくれただろうか。それは、私がそう思うように仕組まれたのであって、ほんとは、母は自分の人生を思うままに生きたのではなかったのか。私自身におきかえてみても、もう一人前に独立した娘のことを、一日中考えているわけではない。どこかで好き勝手に、がんばってちょ、とは思うけれど、会いたい、会いたいと一日千秋の思いで、会える日を待っているわけではない。それよりも、自分の人生のほうが大事である。とうとう親が消えて、自分の前にも後ろにももう誰もいず(友人は、親を亡くしたとき、これで自分が第一線に曝されると感じた、と表現した、親に突き放されて育った私は、その意味を理解するのにけっこう時間がかかった)、茫漠たる時間を、それも明らかにその終着点が見えてくるようになった今からどうやって生きていけばいいのか。自分の頭を悩ましているのはそれだけである。母は、もちろん私のことを思うことはあっただろうけれど、それ以上に、毎日、火事を出さないように、電気とガスの取り扱いには気をつけて、財布のおき場所を忘れないようにして、人様に迷惑をかけないようにして、とそんなことに頭と気持を使いながら、日々を生ききったのではなかったか。私はもうすぐ二度目の白内障手術を受ける。そのために今日から、二種類の目薬をささねばならないのだが、この還暦直前の年齢でも、ちゃんと薬をさすことを忘れないでできるかどうか、不安になってくるのである。80歳を超えて一人暮らしをしていたら、日々の不安は山ほどあったろう。骨折して寝たきりにならないように、こけないようにすること、ボケないよう漢字の書き取りや英語を勉強すること。。一日に一度は外に出て散歩すること。。けっこう忙しかったのではあるまいか、その緊張感が、母を動かし続けたのではなかったか。病気になった最後の数ヶ月直前まで。母も毎日気になっただろう天気ー天気予報に背を向ける、私の心の中の距離感が寂しい。


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