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2013/02/08(金)
再び、諦念(悲)
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ケロが、私が日本にいる5ケ月のあいだじゅう、みゃおみゃおと毎晩鳴いてうるさくて、困っていると聞いていた。私が帰ってきてからは、安心したのか、まったく静かになった。あれからわずか1週間ほどして、食欲ががたんと落ちて、ツナ缶のツナ汁しか口にしなくなった。歯でも悪いのか、と思って、きのう医者に連れていったら、兄さんといっしょで、腎臓が悪くなっていて、あと1ケ月ほどだろう、と言われた。またか。。この1年で、これで3度目である。シナ、母、そしてケロ。。ケロは、私が帰ってくるのを待っていたとしか考えられない(悲)時間はとめられないとはようくわかっている。そして、体のことを一番わかっているのは当の本人たちである。あきらめているのはほかの誰でもない、本人たちである。シナも母も、最後の最後まで生き切った。自分たちの生き様になんの後悔もなかったのではないか、と、死を第三者の目で見ている者は勝手に想像している。シナも母も、食べられなくなっても、それでも頑張って生きられるだけ生きてくれた。いや、死が日常光景のプロから見れば、生きさせた、のかもしれぬ。(悲)ケロは、シナのように腎臓が二個とも消えているわけではなく、まだ一つは正常サイズらしいのだが、どうもうまく機能していないらしい。(悲)食べたいものを食べられるときに食べさせてやって、と思う。母は。。。一度だって食べられなくなったことを愚痴らなかった。1年半、口から何も食べることなく、ただ気概だけでがんばってくれた。きのうからホスピス食を作っている。ツナをおもいっきりつぶして、水にまぜてやるー少しでも口から食べて、栄養を体に入れてやるー口から食べられなくなったら終わり、と人は簡単に言うけれど、意識がある限り、誰が餓死させられようか。そういえば、母がいた老人ホームにも、脳梗塞で植物状態になっても、口から栄養食を流しこんでいる人がいた。きっちり首の角度をはかれば、植物状態でも、のどに流しこめるそうな。。母の場合、その選択肢を与えられることなく、胃ろうとなった。そういえば、日本を離れる前に会った看護士さんが、あの人ももう限界、とか言ってたなあ。。。今、どうしておられるのか。。必ず終わりは来るーめぐってきた諦念の季節もまたそのうち。。が、また忘れたころに戻ってくる。(悲)
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