〜ing〜アメリカつれづれ日記
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2013/04/29(月) ハーパーちゃん
ハーパーちゃんとは、隣の犬である。私が庭に出ると、いつもわんわんとほえてうるさかった。きのう、久しぶりに見てびっくりした。やせ衰え、足も骨がむき出しになったような感じで、ふさふさだった毛もなくなって、雨にぬれたようになっていて、もう私を見てもほえない。鼻を草にくっつけてはいるけれど、歩くのがやっと、という状態である。隣人のロジャーさんによると、目は白内障で見えず、もう外にも出たがらず、毎日ほとんど寝て時間を過ごすという。たまに外に出してやることがあっても、もう絶対にほえはしない、すぐに中に入りたがるという。で、ロジャーさんが言った、そのうち自分が庭で土を掘ってるのを見たら、ハーパーは死んだと思ってくれ、と。ああ、そういうことなんだ。。うるさい犬だと思ったこともあったけれど、やっぱり時間には勝てない。あああああ。。誰も母を止めることはできなかったという思いが再び甦ってくる(悲)そうかといえば、ここ数日、近所の家が泥棒よけに裏庭につけている強力なランプの光線が、我が家の二階の窓を突き刺して、まぶしいくらいだ。なにやら警察かFBIのサーチライトにでも照らされるようで、気分のいいものではない。ライトが消される様子がまったくないので、旅行にでも行っているのか、と思っていると、ロジャーさんの話では、一人暮らしだったおばあさんが、つい数日前に亡くなったという。家が空き家になったために、それで電気がつけっぱなしになっているのだ。。。あああああ、時間は確実に風景を変えていく。(悲)神戸の実家の周りも空き家が続いている。駐車場にするのにも、なにかといろいろむずかしい条件があるのだろう。そのうち、子供時代から知っているおじさん、おばさんも消えていこう。神戸の実家に戻っても、私が知っている、落ち着ける時間はそのうちなくなるのではないか。そうなったときが潮時なんだろうなあ。。それがいつになるのか。。。神のみぞ知るである。でも、必ず来る。。ハーパーちゃんも知らぬまに、必ず消えてしまう。。悲しいなあ。。。寂しいなああ。。。よくそう言っていた母の声が聞こえてくる。。。(悲)

2013/04/24(水) 今年は
春がこない。。。少なくとも、私の心の中では。。まだまだ気温は低く、きのうだったかは雪まじりの雨が降っていた。今日は晴れたので、庭に出てみたが。。。やっと木々にちいさなちいさな新緑のぽつぽつが見えてきたかなあ。。。という感じ。でも、私の心は躍らない。むしろ、がっくりしていたら、とある新聞紙上でこんな表現を読んだ。「生命史全体の中で、個体形成や個体がつくる社会形成はほんの一部分にすぎないという。今も、生成子のままに地球上を漂う生命が圧倒的だ。時に寄生し、時に変異し、生命をつなぐ」私がこれまで庭に没頭できたのも、庭に漂う命の息吹きに、遠く離れた母親への愛憎入り混じった複雑な思いを託し、つながっていた命を感じていたからかも知れぬ。シナもケロも、そして母親もいなくなって、庭の新緑に何も感じられない自分がいる。心はまだまだ凍冬のままだ。氷がとけるときがくるのだろうか。(悲)

2013/04/20(土) 移民の哀しみ
ボストンマラソンの爆破犯がつかまった。捜査は今からだそうで、もしかして背後にイスラム系の組織でもいるかも知れないけれど、今のところは、私が感じるのは、anger control program が必要だった、ということだけだ。(悲)私が職場で行かされてたカウンセリングだ。腹が立ったときに、どう行動するか、を学ぶものである。腹を立てるのはいいけれど、そのあと、その怒りをどうもっていくかを学ばねばならない。カウンセリングの結論は、自分が腹を立てたときに、ある一言をつぶやけば、自分の怒りが消える一言を自分で探せ、というものだった。一応、クリスタル、とカウンセラーに言っておいたけど、あれからその言葉を言ったことがない。といって、別に腹を立てたことがないわけではない。(笑)まあ、爆破にしろ、上司を訴えるにしろ、そういう過激な行動はとる必要はなくなったということだ。。(笑)で、犯人たちだけれど、兄弟でアメリカに渡ってき、近くには親戚もいたし、このおじさんがテレビカメラに向かって、二人はルーザーだと言っていた、このおじさんでは、あんまり犯人たちを助けなかったのかもーおじさんの英語にはアクセントがなかったなあ。。。。たった一人ぽっちの私よりはるかに恵まれていたのでは、と思うけれど、爆破やら銃撃やらまでしなければいけないほど、何があったのかと思ってしまう。まだまだ若い。19の人間に何が分かる。。たぶん、20代真ん中だった兄さんに煽られたのかも。。英語を笑われて仕事がないのか、女ができないのか、それとも。。殺されたり、足を失ったりして人生を変えられてしまった人にはほんとに悪いけれど、移民の哀しみ、みたいなものを考えると、犯人に同情してしまう自分がいる。。。(悲)

2013/04/19(金) Yesterday Once more
もう4月もなかばを過ぎたというのに、気温は氷点で、雪がちらついている。気候が冬に逆戻りするとは、日本のテレビが流している天気予報で予測がついていたから、それほど驚きはしないけれど、それでも気が滅入るのは確かである。で、車の中で、最近繰り返し聞いているのが、カーペンターズのYesterday Once more。今の私にぴったりの気分である。(悲)大昔に友達が作ってくれたCDだ。だいたいカーペンターズを聴いて、気持ちがなごむというのでもう年がわかるというものだ。(笑)そういえば、カレンカーペンターズも、いつだったか、人気の絶頂期に亡くなったよな。。と考えていると、Yesterday Once more の意味がますます身に沁みる。とうとう親が二人ともいなくなって、ほんとにYesterday Once more である。親子関係をどんなに”呪おう”と、やっぱり自分の背後に、どんな形であろうと、親がいてくれるというのはありがたいことだった。Yesterday Once more。。でも、時間は絶対に止められない。人間は時間とともに流れされていくしかない。おとといだったか、退職のカウンセリングを受けた。もう退職できるらしい。毎月、いくらのお金が州政府からもらえるかも教えてもらった。もちろん一人で生活できるお金じゃまったくないけれど、時間と生活の質の相関関係を考えると、退職するのもいい選択肢だと考えている。(と考えて、多くの人が退職するが、暇をもてあそんでいる、とまた働いている人も多い。。。笑)Yesterday Once moreー気楽な子供時代に戻りたいものだ。。たとえ、親がアビューシブだったとしても。あれが子供が信じて疑わず、頼りにできる親の姿だったのだ。Yesterday Once more。。(悲)

2013/04/18(木) 体が弱っていくということ
今頃、母親の気持ちがよくわかってきた。(悲)70代も後半になってきたころ、よく言っていた。このごろ荷物がもてんようになってきた、と。スーパーからミルクを持って帰るのもしんどくなってきた、と。あのころ、ミルクぐらい、とか思っていた。きのう、両手にバッグを三つほど持って、大雨の中、傘さして、シカゴの娘のところに泊まりに行った。今朝、起きると、どうも体がしんどい。思うに、荷物を持って、てくてく歩いたからだと思う。同様のことが、まだ母が生きてたころ、日本でもあった。大きな荷物をもって、道に迷ったために、普段歩かない距離を歩くと、それから数日して、旅行中にぎっくり腰のようになってしまって、大変だった。要するに、体が弱ってきたのである。荷物を持って歩けなくなってきた。(悲)母が、一度だけアメリカに来たとき、荷物をもっていなかった。小さな手提げバッグ一つでアメリカまで来た。なんでだろう、とずっと不思議だったが、今頃になって分かる。荷物をもって歩きたくなかったし、歩けなかったのである。(悲)日本なら、歩いてスーパーにいけなくなったら餓死であるー母はそれに近かったのではないか、と今だに後悔している。アメリカでは、車を運転して、スーパーにいけなくなったら餓死である。(悲)やっぱり子供は、親のそばにいて、親に餓死の危険性が出てきたら、めんどうを見るのが子供の責任だよなあ。。。やっぱり親不孝したんだろうなああ。。。身体が弱っていくというのは寂しいことだ。。寂しい、寂しい、と言ってた母親の声が聞こえてくる。一人暮らしだったから寂しい、というよりは、自分が弱っていくのをじっと見てるのが寂しかったんだろう、と思う。源氏物語が好きだった母のこと、それぐらいの美学はもって生きてた。。。私の美学はどこ????(悲)人生の終わりが近くなってくると、生きる自分の美学が問われる年でもある。お金も、おいしいものが食べたいとも、そのうちどっかに行きたいという気持ちもなくなって、ただただ簡単には動かなくなった体をぶらさげて、自分の前に残されている時間と対峙して過ごすだけの日々がやってくる。。そのときまでに、自分の美学をどこに見出すのか、考えておかねばならぬ。人生のラストスパートだ。。(悲)

2013/04/16(火) 効果を考えると
友だちに電話しようと思ったら、全回線が使用中で通話不能、とコンピュータの声が言った。こんなこと、1989年だったかのサンフランシスコの大地震以来だと思って、ああ、ボストンのテロのせいか、と思いいたった。今、みんな電話してるのだろうか。そんなことないよなあ。。。中西部の人間にとって、東部ボストンは別世界である。ボストンマラソン、ふ〜〜〜ん、だから何って感じ。。誰が爆弾をしかけたのか知らないが、もしかして、小学校やら映画館や大学で銃を乱射する人間と同じレベル?(怒)要するに、爆発の効果を考えると、何のメッセージもなく、多数の人間を死亡もしくは怪我をさせただけで、効果なしの恨みを買っただけのつまらぬ、ほんとにアホな奴がすることだ。3.11が戦争をおっぱじめるぐらいの強烈なメッセージを与えたのは、やっぱり飛行機ごとにビルに突っ込むというその衝撃性じゃなかったか。突っ込んだ人間の思想が怖いのである。異人種、異宗教の人間は何するかわかったもんじゃない。。その怖さは、旧日本軍ももっていた。それだけ負の存在感があったということだ。(怒悲)それに比べて、今回のテロ行為は、犯行声明も出てないようだし、銃の乱射事件レベルなら、中西部の人間は知らぬ顔をして、日常生活を続ける。電話がかからないのはいやだよな。。でも、亡くなった人はもちろん、家族の人生は180度変わってしまった。誰にそんなことをする力が与えられているというのだろう。バカ、他人を死に追いやったことが正当化できるほどの犯行声明ぐらい出してみろ!!!(怒)

2013/04/15(月) 孤高
長いあいだ忘れていた言葉である。”孤高”−俳優三国連太郎がなくなったというニュースで使われていた。神戸で母が亡くなってから、何もすることがなくなって、珍しくレンタル店のメンバーになって、「飢餓海峡」を借りてきてみたことがあった。日本が貧しかった時代の人間の話である。すごい映画、見てよかったとは思ったけれど、最後に三国連太郎扮する主人公が自殺したのが、戦後70年を経た今を生きる人間としては、どうも納得がいかないという感覚が残ったのを覚えている。ゆがんだ社会ーつまり貧困と対峙し、殺人を犯さねばならなかった人間の弱さを訴えているのはようくわかっていたが、アメリカ生活が四半世紀を経ると、その弱さを抱えたまま、社会のゆがみをにらみつけたまま生き続ける選択肢はなかったのか、と思ったのである。それって、結局は、”開き直り”かも知れないけれど。。(笑悲)そう、アメリカで生きるには、”開き直り”とそしられても、自分の決定をまっすぐ生き切るしかないのである。それは、同じニュースで流れていた、ビルマのサンスーチンさんのことばがはっきりと表現していた。日本人の学生が質問したのである、どうやって抵抗の気持ちを維持できたのですか、みたいな。答えは、一度自分がやると決めたら、やりきるしかないのです、みたいな。。これである、アメリカで生きていくのに必要なのは。。やりきるのである。だから、飢餓海峡で自殺する必要はなかった、と感じたのだろう。でも、裏返せば、自殺は美学でもあっただろう。犯罪者で生ききるのも美学、自殺も美学ー対峙したのは社会のゆがみーどちらの道をとっても、最後に残るのは”孤高の生の美学”。。。

2013/04/13(土) また!!(怒)
警察から封筒が来た。でっかく”違反切符”と書いてある。またかよ。。家から50マイルほど東の町の警察からである。いつ行ったかな。。と思い出そうとして、ああ、このあいだカイロに行ったときに通ったよな、で思い出した。No turn on Red と確かに表示は出てたけど、ついいつもの癖で曲がってしまったのである。ポリスはいないようだし、左から車は来てないし、まあ、大丈夫だろう、と思ったのである。で、なんとまた写真に撮られていた。。(怒)前は、どこそこのホームページに行ったらビデオで見られるよ、と書いてあったのに、このごろは違反通知の紙に、わざわざカラー印刷で写真が3枚載っている。赤信号と、no turn on redの表示と、停止線から飛び出した車の写真である。頭のいい人間が、カメラの位置を決めてるんだろうなあ。。(笑怒)コンピュータを開かなくても、もうばっちりと逃げられないようになっているのだ。くそっ(怒笑怒)それにしても面白いのは、車の写真は、ナンバープレートの数字ははっきり見えるけど、そこから上はぼんやりしてて、車内に人が乗っているのかどうか、運転手は男か女か何もわからない。ぼかすのも機械なんだろうなあ。。(悲)ああ、面白くない。。。どこもかしこもカメラだらけらしい。。。洞窟住まいの縄文人がいい。。(笑悲笑)

2013/04/11(木) ギース
今日、ぷらぷらと職場に出てきたら、ビルのドアのところに大きなギースが二羽立っている。ありゃ、かわいい、と思って、こんにちわ、と声をかけた。ところがそのうち、二羽とも私の顔を見て、シューシューと威嚇を始めるではないか。あのとんがったくちばしをますます尖らせてである。ありゃ、なんでこんなに怒ってるの、と思ったが、それからも私をにらみつけてシューシュー。。何なのさ、と思って、職場の人に、ギースって危険な動物なの、と聞いてみた。答えは、そうだ、って。。ええっ。。。。人間を見て、飛びかかってきて、噛むそうな。で、けっこう大きな怪我になるとか。どうやら、私が、こんにちわ、と声をかけるのを見てた人もいたようで、その人曰く、あんた、ラッキーだよ、追いかけられなくて、だって。。ぎょっ、ぎょっ、ぎょ。。どうやら私はまだまだ都会人のようだ。(笑)さすがにもう、リスやうさぎを見て、ああ、かわいい、とは言わなくなったが(笑 あれはねずみとおんなじだ。。)鳥が人間に傷を負わせるほど危険だとは。。まあ、庭の木にぶらさげたえさ箱に飛んでくる小鳥は、人間が近づこうものなら、さあ〜〜〜と逃げていくけれど、ギースともなれば、人間を攻撃するらしい。今日は雨模様で、傘を手にしていたが、シューシュー言われて、もし攻撃してきたら、この傘でたたいてやろう、と思ったのも事実。でもたぶん、たたいても負けるだろうなあ。。だって、相手は空から攻撃できるぞ。。。おお、北朝鮮のミサイルと同じだあ。。こわ〜〜。(笑)やっぱり野生動物は知らぬ顔をしておくのが一番賢いということだろう。。それは、子供時代に、太ももをはってたムカデも同じだったよな。知らぬ顔をしてたおかげで、かまれずにすんだ。。(笑)

2013/04/09(火) めぐる季節(悲)
やっと庭に出られるようになった。まだまだ朝夕の外気は冷たいけれど、それでもじっと外で、庭仕事ができるようになった。つもりつもった枯葉をとりのぞき、新しい球根を植え、新しい芽を探す。。。もしかしたら、2年ぶりぐらいの作業かも知れぬ。でも、昔のように気持が入らない。季節が再びめぐってきたという命についていけないのである。(悲)もう二度と季節がめぐってこないというあの最後の瞬間を見届けてしまっているからだろう。母が、最後に目をつぶったあの瞬間である。あのとき、もう2度とあけることはない、とは思わなかった。まだまだ楽観視していたような気がする。でもあれが最後の最後だった。(悲)人は、時間が解決してくれる、と言う。それはようく承知だ。でも、今はまだ、庭にはあんまり出たいとは思わない。元気な、黄緑色のハッパなんて見たくもない、という気がする。できることなら、遠い遠い、もう季節が二度とめぐってこないところにでも行ってみたいと思う。。(悲)

2013/04/05(金) 新技術とやらめ!!!(怒笑)
また駐車違反の切符をもらってしまった。図書館に通っているノースウェスタン大学があるエバンストンの町である。キャンパスの中にあるような道だが、市道だそうな。駐車時間は2時間。ちゃんと時間切れになる前に行って、車を動かすというか、エンジンかけてハンドルを動かして、車を少し前後に動かして、タイヤを動かしたのである。というのも、去年ぐらいだったか、タイヤにでっかいピンク色のチョークがついてたのを見たから、あのチョークの位置さえ変えておけばいい、と考えていたからである。それが、なんと今回は、写真を撮ったぞ、という脅しつきの切符である。要するに、もうチョークは使わず、なにやら道路ごとに写真でもとるのだろうか。それで、しばらくしてまた写真をとって、おんなじところにおいてある車は、すぐにマークされる、というシステムにでもなっているのだろう。タイヤは動かしたけど、車の位置は、道のおんなじ場所だったから逃れようがない。要するに、これからは、ほんとに車を動かして、新しい場所を探さなければならないことになる。ああ、めんどくさい。都会はなかなか駐車するスペースが見つからない。とりわけ、ノースウェスタン大学のキャンパス近くは。何が技術革新だ。。技術なんて、人間生活にとってめんどくさいことばっかりだ。。しょっちゅう手順を覚えなければならないし。。(怒笑怒)カメラとコンピュータがくっついたばっかりに、スピード違反も駐車違反も、まったく逃げようがなくなってしまったじゃないか。くそくそくそ。。(笑怒悲)やっぱり縄文時代が一番人間にとって自由で幸せな時代だったろうなあ。。今や宇宙の果てから、他国の人間の行動も見張れる時代だしなあ。。そうか、そんなに見たかったら、裸にでもなってやるよ。。くそ、新しい技術なんて糞くらえだ!!!でも、どんなに裸になっても、絶対に他人に見られないものがある。心である。自由の最後の砦は、やっぱり”心”ということなんだろうなあ。。。

2013/04/03(水) 馬鹿にされるなよ。。。(笑)
今朝、出勤途中にラジオを聴いてたら、いやにジャパン、ジャパンが聞こえてくるではないか。ああ、珍し。。。(笑)どうやら、新しい駐日大使に、暗殺されたケネディ大統領の娘キャサリンが候補にあがっているらしい。で、その理由が、日本人は有名人が好きだから、である。う〜〜ん、よくわかってるじゃないか。(笑)ケネディの娘が来た、で、日本人がわいわい喜ぶ声と姿が目に浮かぶなあ。。あほ、馬鹿にされるなよ。。(笑)アメリカは、日本人の特性を読み込んだ上で、どう利用しようか、と頭をひねってくる。内実は、キャサリンさんは外交官の経験はまったくないし、もちろん日本のことも知らないー日本人としては、こういう人間を送ってくるな、と怒り、拒否するのが筋である。あの安倍首相にできるのか。。わあ、駐日大使として初めて女性が来て、それも伝説的ケネディ大統領の娘だ、で喜び、そのうちオバマ饅頭に対抗して、キャサリンキャンディでも作って、披露するのでは。。バカ、それだけはするな。。(怒笑)ルースは、シリコンバレーの弁護士で、オバマの資金集めで大活躍した人物だったそうな。キャサリン・ケネディ駐日大使では、日本軽視傾向はますます明らかだよな。。駐中大使にどんな人間が送り込まれるか、見極めたらいい。比重の差は明らかだろう。そうそう、車の話もしていた。日本では車が売れないとか。高齢化がものすごいスピードで進んでいるから、だそうな。日本車は市場の開拓に苦労している、なんといっても中国が世界最大の市場なのに、歴史が影響して、中国人は日本車を拒否している、アメリカは大丈夫とか何とか言っていた。。そう聞いて、私が渡米してまもないころデトロイトで起きたビンセント・チン事件を思いだした。デトロイトで日本車がぶち壊された時代で、中国人が日本人に間違われて殺された事件である。あのとき日本政府は、チンさんの家族にアプローチしたのだろうか。南京虐殺で何人中国人が殺されたのか、の歴史認識ギャップを乗り越えるためには、日々、こまごまとした部分でのたゆまない努力が必要とされる。外務省はそういうことがわかっているのだろうか。日系人に、日本のイメージがよくなれば、日系人もアメリカで住みやすくなるでしょう、みたいなことを言ってても(2009年ぐらいに、こういう言葉が新聞に掲載されていることをきのう知って、ほんとにびっくりした。。怒)百害あって一利なし、にもほどがある。情けないことだ。。(怒)アメリカ人は、もう日本車を壊す必要はまったくないが、中国人はやり続けるだろう。同じ黄色人種だからこそ、中華思想をもつ戦勝国としては、恨みを晴らしてやれ、の気持ちは相当に根深いはずだからだ。そうそう、情けないといえば、きのう日本からのテレビを見ていて、また腹が立った。大学進学でもらった奨学金が返済できなくなっている若い女性が、マイクを握って、「学ぶのに、借金を背負わせる国があるでしょうか」と、大きな声で言っているのだ。バカ、何を甘えたことを言ってるんだと腹が立った。みんな借金背負って、生きてるんじゃないか。学校へ行くにも、家を買うにも。。その返済のために、一生懸命働いてるんだ。それが、生きるということなんだ。私なんか、家に金がないから、大学へ行きたかったら、自分の力で行ってくれ、国公立しかやれん、といわれた。私の娘も、借金して大学へ行き、今月から返済が始まっている。究極の話、金がないなら、大学なんて行かなかったらいいじゃないか。大学へ行っても、「学ぶのに、借金を背負わせる国があるでしょうか」なんて、すかたんなことが言える程度なら、大学教育もたいしたことないのだ。その一方で、奨学金を申請するとき、高校では、将来の返済はこれくらいになる、といった具体的な話は、家庭のプライバシーに関わるから、と一切しないそうな。アホか。すべてが本質を見極めることから遠ざかり、空虚な問題を作りだして、一人踊って騒いでいるだけだ。と考えてたら、一昔前に、国際子供人権委員会か何かに、制服着用は人権侵害だと訴えた日本の高校生のことを思い出した。もちろん、侵害だとは認められなかった。生存を脅かされている子供たちが世界には数多くいるのに、制服なんて、が裁定だったと記憶にある。やっぱり、世界でバカにされても当然かもなあ。(悲)キャサリンキャンディでも食べながら、北朝鮮をめぐって米中が戦争をおっぱじめるようにでももっていくことができたら、話は別だけど。。敗戦国民ではなあ。米中には絶対に勝てない。。。お〜〜い、東条よ、出てこ〜〜い(昔の漫才のまね。。。笑)、お前はほんとにバカなことをやったよなあ。。戦後100年、急激な人口減少により日本が沈没するまで、日本人は日中戦争と太平洋戦争に振り回されて終わってしまうかのようだ(悲)

2013/04/01(月) 同業者?
今日から4月。長い1年が終わり、新年の始まりである。去年の4月に亡くなったシナバーに始まり、母、そして3月のケロの死で一年が終わった。今日から、気持を新たにして、またがんばらねば。。。というわけで、登山靴をはいて、道のごみ拾いに出た。足を鍛えるためである。で、今日は、初めて同業者?に出会った。向こうは白人男性。スーパーの袋二つに、アルミ缶をいっぱい詰め込んで歩いていた。すれ違うとき、思わず、お互い声をかけてしまった。(笑)「ああ、あなたはアルミ缶」「ほら、そこに落ちてるよ」男が指さしたのは、ぺっしゃんこになったタバコの箱である。そうか、男はお金のためにアルミ缶のみ。私は、お金にならないゴミーアルミ缶も拾いあげるけれど、お金にするためにどこかにもっていったりはしない。でもまあ、道をきれいにすることにお互いが貢献しあってるわけで、よしよし、である。(笑)そういえば、このあいだ配偶者が、別の人が同じ道のごみ拾いをしているのを見かけた、とか言った。道は長いので、私が歩くのは、自宅前から東向き。配偶者が見かけたのは、道の西向きの部分だった。少しずつ少しずつ、気持がつながっていけばいいなあ。。。東北の被災地で、アイドルグループが歌を歌ったからといって、思いがどうのこうの、絆がどうのこうの、と空虚な総論レベルの話ではない。はっきりとした結果を出すという意味で、具体的な変化が現れるよう、まず自分が身体を動かし、社会に働きかけていくことー登山靴をはいて歩き、身体を鍛えながら、道のごみ拾いが、私の退職後の楽しみとなる???立派な楽しみではないか。誇りを持て。(笑)


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