〜ing〜アメリカつれづれ日記
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2013/07/31(水) またやった〜〜〜(笑悲怒)
オンラインのニュースに流れていた、副総理がナチのやり方をまねて、憲法改正やったらどうか、と言ったとか。。。またやった〜〜〜懲りない人たちだねえ。。というか、結局、自分たちを国際的文脈におくということを一切訓練されてないんだろうねえ。。イスラムがどうのこうの、と言った都知事といい、風俗を使え、と米軍に言ってのけた大阪市長といい、ぜんぜん学んでいないというか、要するに国際感覚ゼロというか、こういう人たちが政治家として国の舵取りをしているということがものすごく怖い。外交なんて絶対にできないねえ。。。そして、ほかの国は、そういう日本をじっと凝視してて、どうやってこのあほさ加減を利用してやろうか、と計算しているに違いない。これがまた怖い。。今、自分の原稿に書いている、自分は日本人だ、とアメリカで言うことほど恥ずかしいものはない、それよりも、アパッチだ、と言うほうがよっぽど意義がある、と。ナチやらイスラム批判やら性を会話にするのは国際、とりわけキリスト教社会ではタブーなんだよ。小学校で英語を教えるとかなんとか、官僚が思いつくことはほんとに姑息だ。英語より、はるかに大事なことがあるんだよ。というか、英語でイスラム批判をやってみる?そのぐらいの根性があれば、まだ日本には希望があるなあ。(怒悲)

2013/07/30(火) これだ!!
やっと解けた!!!これだ!!!(笑)ここ数年、ニュースに出てきて発言する人間たちーとりわけ政治家たちの、そして日常生活で話をしていたら、「させていただく」という物言いの氾濫にいらいらしてきたが、日本語はカーストランゲージという表現を読んで、あ、これだ、と思った。昔の尊敬語、謙譲語は、特定の”上の人”たち、たとえば上司だとか、力関係がはっきりしている個人に対して使われていたし、使うように学んだ。ところが、最近、たとえば政治家たちが、国民のみなさまに理解していただけるよう、とか、その逆は、働かせていただこうと思います、式は、結局、目に見えない大衆が”上”と見なされているということだ。つまり、大衆がファシズム的な権力をもつようになったということであり、そこでは、個人の責任は、大衆の権力の中に埋没させられるということだ。ああ、おそろし。。。こういう構図には、つるしあげ大好きなマスコミやら、個人発信の情報網がおおいに力を発揮していると思う。大衆がファシズム的な力をもちはじめたら、きっと戦争なんて簡単に始められるのでは。。いつも”させていただきます”式におだてられるのに慣れてしまったら、個人の判断なんてふっとぶだろうからである。歴史は繰り返す、が、ほんの近くまで来ているような気がしないでもない。。(悲) 

2013/07/24(水) 飛行機の中
このごろ、飛行機関連の記事をよく見た。その中の一つ、ユダヤ系の私立学校の生徒100人以上が、フライトアテンダントのいうことをきかないので、全員機内に出された、というニュースを見て、気をつけなくちゃ、と思ったことがある。先日、ニューヨークへ遊びに行った帰りの飛行機の中で、そりゃもう、どうしようもない人と隣り合わせた。あんな人は初めてだった。長いひげづらで、頭のてっぺんには丸い帽子をかぶっていて、頭上のコンパートメントには黒い帽子が入れてあって、服装も白のシャツに黒い装束で、どう見ても宗教関係者ぽかった。私が自分の荷物をコンパートメントに入れると、なにやら英語のような英語でない、よくわからぬ言葉で、ぐちゃぐちゃ私に言った風だった。でも言うときには、目をそらしているのである。あれ、この人、精神障碍者だろうか、とすら思ったほどだ。まだスペースがあると思って、コンパートメントを閉めずにいたら、自分で立ち上がってばたんと閉めたから、どうやら、私には、閉めろと言ってたらしい。みみちい奴め、と思いはじめていた(笑)最初は、アーミッシュかな、と思い、へえ、このごろはアーミッシュも飛行機に乗り、携帯電話を使うんだ、と思ったが、その人が取り出してきて読もうとする、大学のクラスで使うコピーの資料集のようなものの字を見て、ありゃ、これはどうやらヘブリュー語だな、この人、ユダヤ人か、と思い始めた。そのうち、その人が、自分で持ち込んだエスニックフードを食べ、食べたあと手の甲を使って、ひげをぐりぐりなでて、そのうち最初は我慢できたのだが、いよいよ強烈な体臭が押し寄せてきて、私の頭痛が始まったのである。いったいこれは何者ぞ、と不快に思いながら、とうとうまともに頭を正面に向けていられなくなって、顔を通路側に出して、後ろをずっと向いていたのである。そのポジションでは、足をまっすぐ前に出しておくこともできず(前の椅子のしたには、荷物をおいていた)足もまた通路側に出さざるを得なくなった。そうすると、わが物顔に出てくるのが、フライトアテンダントである。足をひっこめろ、と言いに来た。my stuff are under the seat. I am doing my bestと言い返した。で、言い返しながら考えてのが、ニュースじゃないけれど、フライトアテンダントにたてついたで罰せられる可能性である。といいながら、隣の体臭で頭痛が始まったら、私にも呼吸する権利があるというものではないか。大事なことは、相手を責めないこと、責めたら人種差別でことが大きくなる可能性あり、責めることなしに、それでも私の呼吸する権利を守るにはどうしたらいいか。。今度、フライトアテンダントが何か言いにきたら、どう言い返そうか、と頭を悩ましてたら、結局、もう言いにはこなかったからほっとである。着陸態勢に入ると、ここは頭痛にも我慢するしかなかった。とこういうことを思いだしながら読んだ記事が、隣に座った巨大な人に自分の席の半分以上を占拠されて、フライト中立っていた、という人の話である。それでも、どうやら着陸態勢に入ると、巨大な体を自分の席に押し込んでいたというから、私の頭痛といい、やろうと思えばできるのだが、飛行機はいったん入ると牢獄のようなところだから、大変である。あとで聞くと、そのユダヤ系は、イディッシュ語と伝統を維持しているなんとかという特殊なユダヤ人だそうな。いい経験をしたね、と言われたけれど、あの強烈な腋臭の臭いは、いい経験とは程遠い。と思ってたら、昔、日本人は味噌の臭いがしてくさい、と言われていたことを思いだした。臭いなら移動したら終わりだけど、飛行機の中ではねえ。。多民族社会アメリカで生きるのは大変、大変。。。

2013/07/22(月) あほ!(怒)
普段、これだけはとみている日本からのニュース番組のトップがイギリスの王室の赤ちゃんの話だった。まあ、これがトップニュースになるということは、日本で特にひどい事件が起きなかったということだろう、と思ってみていたら、確かにイギリスとかオーストラリアといった英連邦の様子を写すのはわかるけど、日本でキャサリンさんが泊まっていたホテルの壁紙を内装に使った限定品のトランク発売だの、子育てが気になるとか、くだらんコメントがぐだぐだ並んだので腹が立ってきた。(笑)あんたら、どうやったらそこまで能天気になれるの???(怒笑)私は、キャサリンさんとやらが一般の人間だとつい最近知った。お父さんが航空会社勤務でお母さんはフライトアテンダントだったとか。それを聞いて、すぐに思ったのが、日本の雅子さんとの違いである。キャサリンさんは病気になんかなってなさそうではないか。元気、元気なのに、なんで同じく一般人からの日本のプリンセスは病気になったか? 治りそうもなく、長い長いあいだ病気、病気ではないか。
これから食べて生きていくのに何の苦労もせずにいい、よその国の王室に生まれた人間のことを、口先だけでも、うれしい、なんて気の抜けたサイダーみたいなことを言ってないで、キャサリンさんと雅子さんを比較して世に問う根性でも見せてみよ。テレビカメラに向かって、なんでキャサリンさんは病気にならず、雅子さんは病気になったか、そのあたりのエネルギーの違いが、王子誕生につながってるかも、なんて言ったら、たぶん男社会のテレビ局のこと、あっさりカットだろうな。。だから日本はだめなんだよ。(笑怒)わけのわからぬトランクが時間限定で新発売なんてことが半官半民の、見るのにお金をとるテレビ局のニュースになるなんて、ほんとに情けない国だ。そんなトランクを買って喜ぶ日本人がいるなら、もっと情けない。。(笑怒笑)

2013/07/13(土)
脳死移植がはじまるかいなかのころは、死がいろいろと論じられていたようだ。以下は、書き写すことで、自分に刻みこんでおきたい言葉ー「”現象としての死”=死亡は、確かに各私的で、代理不可能だが、死には”関係としての死”=死という側面がある。死亡は個人的かつ時点的だが、死は共同的かつ永続的だ。近代の臨床医学は死を死亡に還元してしまうが、中世までの日常生活では死が当たり前だった。だが今日でも死は、親しき者たちによって共鳴的な死として生きられている。。。」どうやら「死は共鳴する」という本が出版されたころらしい。「死にゆくものだけで死を考え、死を個人の所有権とみる思想を「個人閉塞した死」と名付ける。それに対して、死とは死者と看取る者との、一つの死をともに生きる過程とすることを「共鳴する死」と名付ける。この著者は脳死反対論者らしい。学者はいろいろむずかしいことをいうけれど。。。母の臨終には、母の身体の横に自分の体を横たえ、最後の蚊の鳴くような音(看護師は、これはもう息ではない、とあのとき言った)が消えるのを、自分の耳でしっかりと確認した私としては、「共鳴する死」の意味はよくわかるけれど、しかしそれと同時に、頭の片隅では、母が死戦期にはいった、前日の夜あたりから、死亡を意識していた。この学者は、「共鳴する死」を共同体のもの、と論じているようだが、ここに問題があると思う。視点が錯綜している。個人閉塞の個人は死者自体を意味していようが、死者が死亡を意識することはないのである。あくまでも、死亡は他者のものである。他者にとっては、そのときの意識次第で、死はときに死となり、ときに死亡となる。
ただ一つ、あのとき、私の心にあったのは、母はきっと一人で死ぬことの不安にさいなまれているだろうな、その思いだけだった。でも、思う、母が死の不安に襲われていたときは、私が横に寝ることを拒んだだろう。そして、私が横になっていたときは、もうすべてが”無”だったはずだ。学者が何を言おうと、問いは一つ。生きるって何。”死”は論じてはならぬ。誰にも論じられぬ。

2013/07/12(金) 女たち
いろんな女のことをメディアで知る。いよいよケネディの娘が駐日大使になるらしい。日米関係を重視している証拠? 日本人は有名人が好き、といってたラジオの声を思い出す。(笑)テレビで、国連でのパキスタンの女の子の演説を聞いた。あれで16歳? あの人は将来パキスタンかそれともイギリスか、とにかく国のトップになるべき器である。演説の仕方が違う。ゆっくりとはっきりと、1本のペンと1冊の本と、1人の子供と1人の先生が、世界を変えられると言った。変えられるーそれがリーダーの資格である。そう思うと、何年たっても変わらない日本にリーダーはいないということだ。まあ、ケネディの娘でもあてがっておこか、という発想になるなあ。。(笑)変える、がリーダーの資格なら、みんながそれぞれの足元で、リーダーになる資格をもっているということだ。が、まず自分が一人で立つ、ではなく、目の前の空気を読め、なんてことが奨励されるところでは、誰もリーダーにはなれない。若い人が次から次へと自殺に追い込まれていくところなんて、みんないっしょに沈没船に乗ってるようなものだ。赤信号、みんなで渡れば怖くない、をもじって、沈没船、みんなで沈めば怖くない、と言って喜んでるだけ(笑悲)部屋にためていた古い雑誌の切り抜き記事を読んでいる。ああ学者たちよ、フェミニストたちよ(笑)「父の制度の犠牲者である弱い母への同情と嫌悪、娘をいつまでも手元において保護し、支配しようとする強い母への依存と恐れ。近代の娘の「母殺し」は、母への愛憎のアンビバレンツに引きさがれながら、みずからの成長や女としての幸福を賭けて行われてきた。。。最近になって、娘による「母探し」物語が多く書かれるようになってきた。。近代フェミニズムによる「母殺し」と「母探し」の物語は、父権社会の産物としての自らの内なる母との葛藤であり、それは娘の成長には必要だったが、けっして娘の勝利ではなく、たぶんに自殺的な娘の不幸物語なのであった。。。母の内面はなお未踏の女性のテリトリーであり、闇なのである。。」(水田宗子 朝日2.23.1993)ああ、女はややこしい。(笑)。私もややこしいと自分で思うし、母はもっとややこしかった。私は、「母殺し」のためにアメリカに来た。そして、母が消えた今、「母探し」の物語を書けるものなら書いてみたいと思っている。生きるって、ほんとに矛盾に満ち溢れ、ほんとに哀しいことだ。(悲)

2013/07/09(火) 熱中症
日本からのニュースを見ていると、気温が35度以上になって、熱中症で病院に運ばれる人が増えて、なかには死亡する人がいると流れ、そのときに平成22年には、と今年と比較する声がある。それを聞くたびに、胸が痛む。平成22年こそ、母が熱中症で倒れて、病院に運ばれた夏であり、あれがひきがねになって、結局今はいなくなってしまったからだ。そして、あの年の6月に、エアコンのない家のことを思い、この様子では、神戸に帰って、エアコンを買ってやらねば、と思った自分を思い出しもする。後悔するのは帰らなかったからだ。状況がよくわかっていたのに、一歩を踏み出す勇気がなかったばかりに、母を病気にしてしまったと、まだ自分を責めている。でも、友達の中には、そう思って帰っても、エアコン買わない、とお母さんが言い張って、けんかになって、たぶん怒って結局買わずにアメリカに帰ってきてるよ、といってくれる人もいよう。病院に搬送される高齢者の多くは、エアコンを使っていなかった、ともニュースに流れていたから、母だけではないようで、私にはどうしようもなかったかも、とも思う。でも、結果はどうであれ、私があのとき神戸に帰らなかったという事実は事実である。(悲)平成22年でなくとも、今年、病気になって、同じ道をたどっていたかも知れぬ、とも思う。それでも、やっぱり生きていてくれる時間は少しでも長かったほうがよかった。(悲)「人はだれも、時間の長短こそあれ死ぬ前は障害者だ」と読んだ。障害者となる時間の長短だけでなく、人生のいつ来る時期かも長短があろう。人間誰しも寿命があるから、ともよく言われる。きのうは、ボランティアの二日目だったが、99歳でも、頭も身体も元気な人がいる。といって、社会的な活動ができるとは思えない。そうかと思えば、家族の都合で、長く預かってくれといわれ、プログラムが終わったあとも、2時間も一人でぼお〜〜としているおばあさんもいる。話は、つじつまがあってるのかどうか、よくわからない。生きるって何、とほんとうに考えてしまう。母の人生はあれでよかったのかも、と、ふっと思えるようになってきた。(悲)

2013/07/02(火) ボランティア
母が逝ってから半年以上が経った。が、母のことを考えない日はない。とうとう本人も医者を受診することを拒まなかった3月30日までの苦しかっただろう半年の時間のことを思うと、ほったらかしにした自分が悔やみきれない。関空の搭乗口で、どうしようか、神戸に引き返そうか、とベンチで考えこんでいた自分を思い出すと、思い切って入管にかけあい、もう一度”日本”に入国させてもらおうとしなかった自分のふがいなさが情けない。あのとき、神戸に引き返し、母を無理やりにでも医者に連れていき、心臓のほうも脳のほうも、問題をクリアにして、薬をもらって、私も自分の生活を整理しなおして、ときっちりしておけば、今、まだ母は生きていてくれるような気がするのである。警察じゃないけれど、初動が大事だ、みたいな感覚がある。要するに早期発見である。それさえしておけば、今もきっと生きていてくれるに違いない。そこをほったらかしにして、母の頑固さに甘えたというか、母の自己責任に責任転嫁してしまったから、結局、あの3月30日から二度と自宅に戻ることなく逝ってしまった。この悔しさ、自分への怒りへのエネルギーをなんとか有効に使いたいと、シカゴのコミュニティセンターで、ぼらんティアをはじめることにした。そこでも、高齢者対象のデイケアがあるのである。母も、自宅にいた最後の半年間、週に一度行っていたものだ。17人の高齢者ー白人、黒人、日系の男性、フランス系、日系、フィリピン系の女性たち。。車椅子の人もいたが、大半が歩ける元気な人たちである。年齢を聞いてびっくりした。ほとんどが80台も後半、なかには90歳を超えてる人もいた。やっぱりアメリカ生活は恵まれてるのではないだろうか。アメリカの油っぽいものを食べてたら早死にする、とか言う人もいるけれど、アメリカにいても、日本食を作って食べることは可能なのだから、アメリカの脂っぽいものうんぬんは、アメリカに対するやっかみのような気がする。大きな違いを感じるのは歯である。母は、自分の抜けた歯を全部袋に入れて、鏡台の奥深くにおいていた。育ち盛りが戦時中で、栄養が悪かったせいで、総入れ歯になってしまったのでは。。(悲)こっちの高齢者は、100歳近くになっても、自分の歯でしっかり食べている。自分で食べられなくなると。。。を考えると、きのう出会った高齢者はまだまだ元気で、100歳はゆうに越えそうな人ばっかりだった。かれらの顔に、母親の気持ちを探す。一人暮らしの人もいるらしい。車椅子の日系の90歳を越えたおばあさんは、脳障害で食べられない、話せない状態だった。母によく似た状態だが、まだまだからだは年齢を考えると、頑強といわんばかりだった。すこしずつすこしずつ、かれらの中に母を探して、自分が母にできなかったことをしてあげたいと思う。いつか必ず、安らぎが心に宿りますように、そう祈りながら。。


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