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2013/07/12(金)
女たち
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いろんな女のことをメディアで知る。いよいよケネディの娘が駐日大使になるらしい。日米関係を重視している証拠? 日本人は有名人が好き、といってたラジオの声を思い出す。(笑)テレビで、国連でのパキスタンの女の子の演説を聞いた。あれで16歳? あの人は将来パキスタンかそれともイギリスか、とにかく国のトップになるべき器である。演説の仕方が違う。ゆっくりとはっきりと、1本のペンと1冊の本と、1人の子供と1人の先生が、世界を変えられると言った。変えられるーそれがリーダーの資格である。そう思うと、何年たっても変わらない日本にリーダーはいないということだ。まあ、ケネディの娘でもあてがっておこか、という発想になるなあ。。(笑)変える、がリーダーの資格なら、みんながそれぞれの足元で、リーダーになる資格をもっているということだ。が、まず自分が一人で立つ、ではなく、目の前の空気を読め、なんてことが奨励されるところでは、誰もリーダーにはなれない。若い人が次から次へと自殺に追い込まれていくところなんて、みんないっしょに沈没船に乗ってるようなものだ。赤信号、みんなで渡れば怖くない、をもじって、沈没船、みんなで沈めば怖くない、と言って喜んでるだけ(笑悲)部屋にためていた古い雑誌の切り抜き記事を読んでいる。ああ学者たちよ、フェミニストたちよ(笑)「父の制度の犠牲者である弱い母への同情と嫌悪、娘をいつまでも手元において保護し、支配しようとする強い母への依存と恐れ。近代の娘の「母殺し」は、母への愛憎のアンビバレンツに引きさがれながら、みずからの成長や女としての幸福を賭けて行われてきた。。。最近になって、娘による「母探し」物語が多く書かれるようになってきた。。近代フェミニズムによる「母殺し」と「母探し」の物語は、父権社会の産物としての自らの内なる母との葛藤であり、それは娘の成長には必要だったが、けっして娘の勝利ではなく、たぶんに自殺的な娘の不幸物語なのであった。。。母の内面はなお未踏の女性のテリトリーであり、闇なのである。。」(水田宗子 朝日2.23.1993)ああ、女はややこしい。(笑)。私もややこしいと自分で思うし、母はもっとややこしかった。私は、「母殺し」のためにアメリカに来た。そして、母が消えた今、「母探し」の物語を書けるものなら書いてみたいと思っている。生きるって、ほんとに矛盾に満ち溢れ、ほんとに哀しいことだ。(悲)
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