〜ing〜アメリカつれづれ日記
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2013/08/28(水) 汚い人間
また「戦争」がニュースで流れはじめた。今度はシリアだそうな。(悲)英仏が同意してるとか言ってたけど、なんでまあ、アメリカがミサイルを撃ちに出ていかなくてはならないのか。20世紀初頭から国際警察力とやらを主張してきたアメリカで、それをアメリカの世界的使命と考えてるのはよくわかるけど。まあ、地上部隊が投入される前にうまく解決されることを望むのみ。アサドだけを暗殺するわけにはいかないの???とは、私の好きな黒竜会の手口?(笑)娘は、仕事でシリアへ行ったとき、大統領に会ったと言っていた。nice guyと言ってたかどうかはもう忘れた(笑)。それにしても、アサドさんよ(笑)、やっぱりそんなにまでしてかじりつきたいほど、大統領っていい仕事なんですか。化学兵器を使ったとかなんとか、そんなことまでして人間をコントロールしようとしても、絶対に人心は掌握できないよ。汚くなるまで権力にかじりついても、結局は自爆が残されるのみ。ヒトラーに自殺する勇気があってよかった。。東条なんて自殺に失敗して、これまた物笑いになった。(悲)きっと職場にもいるよなあ、汚い人間。上司に同僚を”売って”まで、自分の雇用なり立場を守りたがる人間。汚いことをやる人間には、人間としてのintegrityもdignityもない。あるのは、ただ自分がよければ、のエゴのみ。エゴをむき出しにして、権力にへつらっても、結局は利用されるのみ。底辺にいる汚い人間は利用されるだけ、トップにいる汚い人間は自爆だけ。アサドにくっついてる人たちも、いい加減、さっさと逃げ出したほうが賢いだろうに。。。というわけで、アリストテレス曰くの中庸だあ。(笑)そう、人間の欲望のスペクトルの真ん中でふらふらと、きれいに生きたいものだ。ふと思い立って、大好きな辺見庸で検索すると、氏がブログをもっていることを知り、のぞいてみた。震災を報道する言葉の軽さー思いだの、絆だの、きれいごとの言葉ーに彼も怒ったと知って、うれしかった。(笑)で、文学者曰く、震災の悲嘆の深さに匹敵する言葉を探しているとかなんとか。。きれいな人だと思う。詩集も出して、賞をとっていると知った。読んでみよう。汚い人間が世にはばかる今、辺見氏の詩の世界はいかに。。。

2013/08/27(火) 心にしみること
日本からのテレビ番組で、震災で子供さんを亡くした人たちが、子供さんと”再会”したという話を見た。部屋に気配を感じたとか、おもちゃが動き出したとか、夢に出てきて笑ってくれたとか。。。息子を亡くしたお父さんは、今、児童施設でボランティアで子供たちの世話をしているという。その気持ちはいやというほど分かる。私もきのうボランティアに行って、今まで動かないのだろうと思っていたおばあさんの左手の指が一生懸命動いて、ゲームのコマをつかもうとするのを見て、涙が出た。脳卒中で言葉も失い、意思表示がぜんぜんできない人だが、生きているんだず、気持ちがあるんだぞ、を突きつけてくるエネルギーに私は圧倒された。その日の気分で、おじいさん、おばあさんの態度はかなり違ったものとなる。それもまた生きている証拠である。番組の最後は、亡くなった子供たちといっしょに生きる、というメッセージが流れた。そう、自分が死ぬまでずっといっしょである。そうやって私の中で親も生き続ける。ただし、子供は成長するが、私の中の親は、最後に言葉を交わしたときのあの顔で終わる。でも、あの顔が私に力を与え続けてくれるのだろう。
もう一つは、別の番組で見た緒方貞子の言葉ー生きてさえいたら、もう一度チャンスが与えられる。。生きていることが大事なのである。生きよう。

2013/08/23(金) 自然の恵み
やっと終わった。ほっとである。自然の恵みも数が多くなると、なにやら苦痛になって(このあたりは、昔勉強した経済学原論の限界効用のところー限界効用だけが、経済学で理解できた笑)庭に植えたネクタリーンの木のことである。植えたときは、花が好きで買って植えた。梅みたいな感じのかわいい花なのである。ネクタリーンの木だとも知らずに植えた。最初の数年は花だけだったが、そのうち、1こか2こ、実がなりはじめた。喜んだのもつかぬま、春の嵐の大風でいつも地面に落ちてしまった。そういうことがこれまた数年続いてきた。それなのに、今年、何が起きたのか、どの枝にも、枝がたわんで折れてしまうほど、鈴なりにいっぱい、いっぱい実がなった。いつもの大風にも、なぜだか地面に落ちなかった。それよりも、実で重たくなった枝が地面についてしまうほどだった。こうなると、実の世話をしていないから、虫たちのえじきになって、そりゃもう、大変、大変。それでも、せっかくなってくれたんだから、と、虫たちのえじきになったのでも、一生懸命食べた。虫がつついて汚くなってしまった部分は、ナイフでとりのぞけば、まだまだ食べられた。実際のところ、虫がつついてくれたおかげで、熟すのが早くなった、という感じでもあった。そういうのが毎日、毎日、毎日、もう1ケ月ぐらい食べ続けただろうか。こうなると限界効用の理論の実感である。自然の恵みと感謝しているがーこの数週間は、スーパーで果物を買わずにすんだ笑ーやっぱり、こう自然に追われるようになると。。。もう、いい加減にしてくれ〜〜〜って感じ。とうとう、虫のえじきになって腐って、実が枝に化石にようになってぶらさがるようになった。葉はそこから腐っていくようなので、木への影響は心配はするが(なぜだか化石になった実は、なかなか地面に落ちず、枝にへばりついている)、勉強不足の私はどうしてかいいかわからず。ここ1週間ほどは苦痛だったネクタリーンだったが、とうとう食べ終わった。ほっとである。(笑)地面にもごろごろ自然の恵みがころがっている。動物たちが喜んでいるだろう。ああ、これでよかったと思う。もしかして、虫たちと食を共有して、私のお腹の中は今や虫の卵だらけかも知れぬ。私の身体の抗体能力が虫に圧倒されて、白血球も作られなくなり、医者に連れていかれても、医者にもわからぬ病気になって死ぬかもしれぬ。もし、変な病気になったら、虫たちと食べ物を共有したからである。ああ、私もやっぱり一介の動物にすぎないことを改めて実感???(笑)そういえば、ニューヨークで会った、日本のテレビ番組でも紹介された著名な医師があっけなく言った、人間、必ず死にます。。ああ、それも自然の恵み???(悲笑)来年また生きてる証拠の苦痛が経験できるように、ネクタリーンちゃんに、お礼肥をあげておこ。。(笑)

2013/08/19(月)
このごろ、日本からのニュースを見ていても腹が立つことが多くなった。(悲)今日は、食物アレルギーの子供のいる学校や保育園で、ショック症状が出た子供に教師が薬をうつトレーニングをするか否か、みたいな話がえんえんと出てきた。さっぱりわからず、腹が立って、テレビを切った。だって、ニュースを見ている限り、答えは一つである。親が、子供に食べ物をもたせて、学校へ送り出せばいいだけではないか。子供には、絶対にお母さんの食べ物しか食べたらあかんよ、と言い聞かせ、教師には、家から持参のものしか食べさせないでください、と言うだけである。それで終わり。ニュースでは、早く友達と遊ばせたい、と嘆く母親の声を出してたが、なんで、お弁当を持たせて、学校へ送り出さないの、とこちらは不思議でならない。なにやら不毛な話にえんえんと時間を費やすニュース番組に腹が立ってきて、テレビを切ったというわけである。(笑)それでも、このあいだ見た水俣患者のドキュメンタリーのような番組の価値を考えると、やっぱりしょうしょう高くても、日本のテレビが必要かな、と考えてしまう。自分の生きた時代を理解したいからである。水俣病患者は、水俣市民によって差別されたという。病気を認めろ、と運動すれば、”騒ぐな”との声が市民から出たという。チッソの会社で働くことが、かれらの生活を市を支えていたからである。金ー経済ーがからむと、ほんとにむずかしい。私が2000年に出した日系人の歴史の本の英訳がやっと形をなしてきたが、帰米二世ノーノーボーイたちも、水俣病患者と同じ、同胞から差別される弱者中の弱者だった。かれらの場合は、戦時中ゆえに忠誠というわけのわからぬものがからんだ。普通人は、勝ち組やら権力をもつ人間につきたがる。だから、日系人の収容補償運動でも、同胞が補償要求に反対した。社会の主流でない人間は、どこでも同じことが起こるんだ、とほんとにいやになる。権力側につきたがる人間を非難しても仕方がないと思う。人間の性のようなものだろう。でも、一つだけ確かなことは、たとえ弱者でも力をもてるラッキーな人間は、その力を、自分を守ることのできない弱者中の弱者を切り捨てるようなことだけはしてはならぬ、ということだ。自分のもつ力を、権力へのへつらいやらに使って権力者を喜ばせても、権力者は絶対に自分を認めてくれない。ただ利用するだけである。それよりも、より大きなビジョンをもって、自分の力の使い方を考える。。。事故で死亡、といったニュースを聞くたびに、今まで生きてこられた自分に感謝する気持ちになる。これまで生きてこられた力をこれからどんな風に使えばいいのか。そういえば、私が好きなトムクルーズの映画「A few good man」でも、上司の命令で、兵士をリンチし、死なせたために罪に問われた軍曹が最後に言っていた、俺たちが守ってやるべきだったのだ、と。リンチせよという命令を出す上司が腐っていたのである。腐っている権力者には銃を向けてもいい、がアメリカ憲法である。(笑)もう一度、映画を見てみようか、なんとか英訳本を完成させるエネルギーを奮い起こすために。

2013/08/14(水) 自転車通勤2日目
このごろ職場に出てきたくなった。自転車に乗るのが楽しいからである。(笑)自分の技量と距離と体力を考えると、ちょうど仕事に出てくるぐらいがちょうどいいらしい。とろとろと片道20分ぐらいの距離である。今日は銀行に寄ってと、違う道を通ってみた。坂になっているのでトライすると、ギアもやっと1から2に変えることができた。やったあ〜〜〜(笑)友達には、ちゃりちゃりとベルをつけてみたら、と言われ、日本の駅前のごちゃごちゃした細い道を思い出した。(笑)ところが、アメリカの広い歩道を走りながら、ああ、あのちゃりちゃりはアメリカでは無理だな、と思った。というのは、今日キャンパス沿いの広い歩道を走っていたら、女の子が一人歩いている。後ろから自転車が来てるのがわかっているのかどうか、後ろを振り返ろうとはしないし、もちろん横にほんのわずかでもよけようともしない。道の真ん中を平然と歩いている。で、私としては、日本ならここでちゃりちゃり鳴らせて、横を通りすぎていくのだろうけれど、アメリカではあのちゃりちゃりは言わせられないな、と感じた。あのちゃりちゃりは、私が通りますよ、のいてください、という一種の、上から目線の傲慢さを感じさせるからである。アメリカでは、そんなことをしたら、へい、私が歩いてるんじゃ、そっちが止まれ、と噛みつかれてもぜんぜんおかしくない。というわけで、私は謙虚にも(笑)自転車から降りて、少し走り気味に自転車を押して女の子の横を通りすぎ、それからまたあわてて自転車に乗った(笑)アメリカで生まれ育っていない人間は、マナーが分からず、気を使うこと、使うこと。。(笑)自転車のちゃりちゃりが、水戸黄門の印籠並みの力を出せるところは、まだまだ”権威””権力”がまかり通るところ?考えすぎかも、だけど、用心に用心は重ねたほうがいい。英語でけんかができないんだから。。(笑)自転車のいいところは、どこからともなく現れるポリスを心配しなくてもいいことだ。スピード違反で止められる心配がないから、移動に自由が感じられる(笑)怖いのは、通りが交差するところだ。車はいないと思って、交差点(信号がないところ)に入っても、急に車が現れるから怖い。。。でも、今日は、自転車が来ていると見ると、バックしてくれる車があった。片手をあげて、挨拶するだけの技量がないから、大きな声で、はっきりと何を言ってるかわかるように、口も大きくあけて動かして、サンキュウと叫んだ。向こうも、気持ちよくユーアーウェルカムと言ってくれた。自転車から新しいアメリカを見るー還暦おばさん、自転車でアメリカ全土走破!!、う〜〜〜ん、やっとこれで売れる本が書けるかも。。(笑)

2013/08/13(火) 自転車通勤
いよいよ自転車通勤だ!!!(笑)車で10分ほどのところ、2、30分かかった。でも、職場はYMCAより近いことがわかった。(笑)相変わらず、とろとろ走っているが、キャンパスは走りやすいことがわかった。考えてみるに、1970年代か80年代だったか、障害者法ができて、歩道にはすべてランプがもうけられることになった。車椅子で移動しやすくするためだ。その法律の話を聞いたときは、ふ〜〜ん、と思っただけだったが、こうやって、自分が自転車通勤をするようになると、そのランプが何とありがたいことか。やっぱり最初はコストがかかっても、普遍的な価値をもつものは、”100年の計”並みの力があると実感した。その場しのぎの皮相的な、たとえば”韓流”といった”はやり”を生み出しての金儲けなんか、やっぱり底が浅すぎて、力なしだ。今、America's Geisha Ally という本を読んでいるが、つねづね思っていることが見事に表現されていて、読み終えるまでやめられない。著者が、しぶさわなおこという日本人?だから、アメリカを見る眼が私とまったく同じで、ここまで書けるなんてやっぱり学者は違う、と、珍しく研究者に尊敬の念を覚えてしまった。(笑)アメリカはすべてを見通して、”子供っぽい、女のような、男らしさのないガキ”のような日本(人)と付き合ってきた。イスラムがどうのこうの、ナチがどうのこうの、風俗店を利用して、と21世紀でも平気で言える人たちが、どんなに理屈をこねて、たとえばTPPに参加したとしても、アメリカには絶対に勝てない。(悲)このあいだ日本のテレビで、沖縄の軍用地収容の歴史をやってたが、あのやりかたー地主同士を争わせたり、永久使用を念頭に地代一括払いを提案するといったやり方は、インディアンがたどった道とまったくおんなじである。アメリカは、いったん手に入れたもの、とりわけ土地は絶対に手離さない。沖縄の人は、アメリカインディアンと手を組んで、アメリカに対峙するべきだ。といった思いは、障害者法に普遍性があったおかげで、自転車通勤がしやすくなってのるんるん気分の連想としては、考えすぎ???(笑)

2013/08/11(日) 年よりの冷や水(笑)
アメリカ生活26年。最初の3年間は車なしで、バークレーのごたごたした道を乳母車を押して、てこてこ歩いていた。ということは、23年間、車を運転してきたわけだが、とうとう車の運転には飽きがきた。朝、ミルクがないとわかれば、ちょこっと自転車でスーパーに出かけたい、いちいち車に乗って、というのはめんどくさい、という思いが募っていた。環境問題もあるし、健康問題もあるというわけで、2、3日前、思い切って、自転車を買った。競輪選手みたいに前のめりにならない、前にかごがつけられるやつ、といろいろ注文をつけて、最後は配偶者にいろいろ乗り比べて、判断してもらって買った。私にはどんな自転車がいいかもわからない。(笑)それから毎日1度は乗るようにしているが、いつまで続くことやら。。(笑)娘は、また転倒して、手首を折るのでは、と心配している模様。今日は、車で5分ほどのYMCAまで走ったら、なんと40分もかかってしまった。歩くよりは早いだろうが、人が走るより早いかどうかわからない。(笑)なにせスピードが出るのが怖いから、ずっとブレーキをかけて走っているのである。ギアが7つもあるそうだが、その使い方がまだわからない。まあぼちぼちやってればいいか。自転車でぼつぼつ走っていても、風を受ける。これが気持ちがいい。26年のアメリカ生活で初めて感じるような風のような気がしないでもない。歩くでもない、車でもない、自転車にはまた違った爽快感がある。アメリカ人の友達が、以前、カンボジアのアンコールワットの遺跡を自転車で回ったといっていた。いつか私もやってみたいなあ。アンコールワットの夕焼けの下で走るのを夢みながら、アメリカの、歩いている人がほとんどいない歩道をがたがた、ぶきっちょに走っている私。(笑)

2013/08/06(火) 勝手な人間、私(笑怒悲)
ほんとに自分でもいやになった。冬のあいだ、いろいろと鉢植えを買って窓のそばに置き、楽しんでいたのに、このごろ、鉢植えの世話をするのが面倒になってーといっても、単に水をやるだけなのだがー、植物が死ぬのを待っている自分がいる。要するに、どうやら冬のあいだ、窓の外が真っ白のときは、家の中に緑が欲しかったのに、夏になって、窓の外が緑一色になると、家の中にまで緑があるとうっとうしいのである。それも、庭に大きな木があるせいで、家の中まで日光が入ってこず、部屋が薄暗いのである。ただでさえ夏の日差しは短いわけで、いっぱい鉢植えを窓際に置いていても、なにやらしょぼんと枯れたような感じになるだけでーとりわけサボテン族はーある。薄暗い部屋の窓ぎわでしょぼんとしているサボテンを見ているとなにやら腹が立ってきて、勝手に死ね、という気分になってくる。(悲)それでお前はお払い箱だ、の気分で、実際にいくつかの鉢をデッキに出してやった。すると部屋の中がすっきりして、短い日光も差し込み、部屋が明るくなったような気がしてきて、気分がよくなった。というわけで、人間、ないものねだりをするだけの実に身勝手な存在であることを実感している。とはいっても、木の葉の色は少しずつ変わってきている。あと1ケ月もすれば、秋である。長かったような短かったような、奇妙な一年がまもなく終わる。母の一周忌をどのように過ごすか、の問いが今、私の頭の中をぐるぐる回っている。別に日本に帰らずとも、もう母はほんとに何も言わない。何か言ってくれるときに、笑われ、嫌われ、さんざんいやな思いをしても、帰っておけばよかった。ほんとにほんとに、人間は身勝手な存在である。(悲)


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