〜ing〜アメリカつれづれ日記
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2014/04/22(火) いのち
やっと庭に出て、そうじができるようになった。まずは気候である。やっと木の枝に緑のものがちらちら見えるようになってきた。春だ。日本からのニュースでは、もう桜は散ったかのようだが、こちらは桜どころか、まだ葉っぱも出ていやしない。(笑)もうひとつは心情的なもの。これまで、なぜ庭に出ることが心の平穏につながっていたのかと考えると、やっぱり遠く離れていた親のことを想っていたのではないか、と思えるのである。季節がめぐり、またいのちがつながっていくことに、日本に残した親との、それこそ”絆”を確認していたのかも知れぬ。でも今は。。。確かに、庭のそうじができるようになってはきたけれど、新しい命を見る私自身の視線の中に、以前とは違った空洞を感じるのである。たとえ、以前感じていた”絆”が私の心情にすぎなかったとしても、それが心の安定をもたらしていた。今はもう心情的に絆を感じることすら許されてはいない。春になって、新しく芽ぶいたいのちに、私は何を見出せばいいのだろう。この答えが見つかるには、まだまだ数年はかかりそうな気がする。それでいいと思う。答えを見出そうと生きる時間もまた、癒しの時間であることに変わりはないだろうから。生きるとはー親の庇護がなくなった今こそ、生きるとは何かが突きつけられている。これからが、ほんとに私だけの人生である。私は、自分の人生を生ききらねばならぬ。

2014/04/15(火) 4月の雪
きのう、雪が降った。その前日は20度ぐらい(華氏で80度)まであがり、なにやら半そで、半ズボンの夏みたいな格好で歩く人もいたというのに、きのうの夜は、雪が降る中をシカゴからドライブして帰った。でも、雪が降っても、真冬のそれとはぜんぜん違う。雪がおおきくて、水っぽくて、零下の外気もどことなく違う。4月に雪が降って、これからいよいよ本格的な春だろう。5月だけの1ヶ月である。それから6,7,8月と夏になって、またすぐに気温が下がりはじめる。与えられた時間を楽しむのみ。きのうのボランティアの時間では、おばあさんが、昔を思い出したように、いっぱい歌を歌いはじめた。ピアノのそばに座って、楽譜をめくるのを手伝ってくれる。love is splendered thing, danny boy, moon river... そういう時間を、ほかのおばあさん、おじいさんもうれしそうに見ている。私は、元気だった時間を思い出して、今の自分をいつくしんでほしい、と思って弾いている。。。前を向いて、がんばろう、がんばろう、だけではないはずである。というか、ない時間が必ずやってくる。その時に、自分にどんな覚悟ができているか。そこで、生き様が問われる。。できるだけ美しく生き切れるように、今から覚悟して生きていこう。ただ、どんなに覚悟しても、その覚悟すら自覚できない時間が来るかも知れぬ。それだけは誰にもわからない。(悲)4月の雪で想うことー人生って、天気と同じで、気まぐれなものである。

2014/04/11(金) 英語の学会
きのう、無事に学会のプレゼンを終えた。片道2時間弱、昔、イリノイ本を書くためにしょっちゅう車を走らせた道を、ひさひさしぶりに走ってみると、風力発電の羽が異様に多いのにびっくり。。(笑)相変わらず迷いながら、それでも無事に会場のマリオットホテルに到着。迷っても、小さな町だから、ホテルが一番高い建物のひとつだったのでよく見えて、あそこに行くにはどうしたらいいいの、と方向音痴もそれほど気にならず。。(笑)そして、英語の学会の様子もちらりと観察。ペイパーを読むのを聞くのは退屈だろう、と思ってたが、ミネソタ大学だのシカゴ大学だの名だたる大学院生もペイパーを読んでいたのでほっ。加えて、パワーポイントもできた。よかった、よかった。。といっても、コンピュータとスクリーンをつないでくれたのは別の人。。コードのつなぎ方などさっぱりわからず。(笑)パワーポイントで見せるイメージは、ペイパーの朗読を補完するというか、読み疲れをごまかす時間でもある。(笑)学会って、たいしたことないよ、と以前友達に言われたことがあったが、どうやらそんな感じもしないでもなかったなあ。(笑)発表をすっぽかした人もいたもんなあ。とにもかくにも、行って経験してよかった。次は、きのうの発表をもっとふくらませて、ふくらませて、それからどうなるの??わからん。。。生きてるのと同じだ。。(笑)

2014/04/08(火) コミュニティ
面白くなってきた。。(笑)といえば、またけんかかよ〜〜って感じ。。(笑)個人的なけんかではない。コミュニティである。大学に新しい学長がやってきて、市長も新しい人だそうで、いろいろ変化が。。町にトロリー?を走らせて、大学の入り口を変えて、広いキャンパスの一角には新しくハウジングを建てて、といった計画がもちだされてくると、コミュニティがざわざわし始めた。いくつかの道を閉鎖して、トロリー?を走らせたら、道路の交通状況が変わり、渋滞も起きるだろうし、自分の家の窓から見えていた緑の広がりが、何棟もの高い建物に変わってしまえば、自分の家の不動産価値も下がってしまうだろう。。というわけで、大学の新計画によって影響が出てしまう人たちがミーティングをもったのである。100人以上集まっていた。あれやこれや。。でも、何ひとつ確実に決まったわけではないけれど、コンセプトは決まってしまってからでは遅い。。だから、決まるプロセスにわれわれが影響を及ぼせるようにしなければ、がミーティングの目的である。アメリカの草の根の民主主義をじっくり観察しよう、で、出かけていった。中には、学生が嫌いな人もいたし、総論をぶちあげるだけの人もいたし、でなかなか面白かった。ひとつだけ、日本人の発言と違うのでは、と思ったのは、自分がこんなことを言えば村八部にされるのでは、というためらいだけは、一切感じなかったことだ。みんな自分の考えていることを言うー聞いているほうは、ああ、そういう人なんだ、で終わり。第二回目のミーティングはいつかなあ。。楽しみ、楽しみ。。。(笑)

2014/04/03(木) ”神経衰弱”
友達に教えてもらって、ウン十年ぶり?かで、”神経衰弱”を一人でやりはじめた。脳の活性化をはかるためである。まだ小学生だったころ、親と遊んだトランプである。カードを触っていると、父親の声やら顔を思い出す。6歳か7歳ごろだったろうな、と思うと、あれからもう50年以上経っている。あのとき、50年先などつゆとも脳裏に浮かばなかっただろう。お気楽な子供時代。。お気楽だからこそ幸せな時代だった。とにもかくにも、カードを二枚めくって、元に戻して、とやってたら、気づいたことがあった。めくってはみるものの、それをまた裏返したとたん、脳裏からカードの記憶がきれいになくなるのである。ましてや、2、3回前にめくったカードの記憶なんて頭に残るはずがない。。。ああ、これは何。(悲)。。もうかなり脳細胞は死にかけているのではないのか。仕事をやめた途端、認知症を発症したらどうしよう。。。ゲームのやり方を変えて、カードをめくったり裏返したりするのではなく、カードをめくったあと、その数字を覚えて言うゲームに変えたほうがいいかも。。そういえば、高齢者用のゲームがあると聞いた。今度日本に帰ったら、それを買ってきたほうがいいのかも。。ああああああ。。”高齢者”という言葉、もうひとごとではない(悲)


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