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2014/04/22(火)
いのち
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やっと庭に出て、そうじができるようになった。まずは気候である。やっと木の枝に緑のものがちらちら見えるようになってきた。春だ。日本からのニュースでは、もう桜は散ったかのようだが、こちらは桜どころか、まだ葉っぱも出ていやしない。(笑)もうひとつは心情的なもの。これまで、なぜ庭に出ることが心の平穏につながっていたのかと考えると、やっぱり遠く離れていた親のことを想っていたのではないか、と思えるのである。季節がめぐり、またいのちがつながっていくことに、日本に残した親との、それこそ”絆”を確認していたのかも知れぬ。でも今は。。。確かに、庭のそうじができるようになってはきたけれど、新しい命を見る私自身の視線の中に、以前とは違った空洞を感じるのである。たとえ、以前感じていた”絆”が私の心情にすぎなかったとしても、それが心の安定をもたらしていた。今はもう心情的に絆を感じることすら許されてはいない。春になって、新しく芽ぶいたいのちに、私は何を見出せばいいのだろう。この答えが見つかるには、まだまだ数年はかかりそうな気がする。それでいいと思う。答えを見出そうと生きる時間もまた、癒しの時間であることに変わりはないだろうから。生きるとはー親の庇護がなくなった今こそ、生きるとは何かが突きつけられている。これからが、ほんとに私だけの人生である。私は、自分の人生を生ききらねばならぬ。
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