〜ing〜アメリカつれづれ日記
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2014/09/28(日) 雑感7
土井たかこ氏が亡くなったとのニュース。私がマニラで間違われた人だ。(笑)昭和3年生まれ、85歳と聞いて、また母を思い出した。母も昭和3年生まれ、84歳だった。ほぼ2年前だから、きっと土井氏ももうすぐ86歳、を迎える直前だったのだろう。歌にも出てくる御嶽山のニュースで、何人もの人が亡くなったとか。今また、不条理な死を前に泣いている人がいっぱいいる。そう思うと、気がふさぐ。その一方、こちらでは、イリノイからハワイへ転勤させられるのがいやで、オヘア空港の管制塔?に入って、ワイヤを切ろうとしてきれずに、あげくに火を放って、自分も死のうとする人間が出て、こちらはえらい目にあった。ちょうど、ロサンゼルスから帰ってくる日だったのである。オヘア発着の1000便近い便がキャンセルになったとかで、他人にえらい迷惑をかけておいて、そういうことをする人間は生き残るのである。ロサンゼルスの空港でニュースを聞いて、頭に来て、そういう人間こそ腹切りさせろ、とわめいたばっかりに、回りの人間が逃げていった。(笑)死ななくてもいい人間が天災で突然亡くなり、犯罪を犯してまで死にたい人間がなぜ死ねないのか。だいたいハワイのどこが悪いのさ。。まったく信じられない。そういえば、このあいだ、立花隆の臨死体験の番組を見た。で、私は思い出した、私は臨生体験をしているのである。あのエネルギーを信じて、残りを生き切らねば!!!

2014/09/24(水) 雑感6
日本からのトップニュースは神戸である。ろくなことがない。殺された女の子は、私が出た高校のそばを歩いていた? いまごろあの辺は大変な騒ぎになってるだろうなあ。二つ目のニュースは、アメリカのシラク空爆。ああ、これもうっとうしい。いやだなあ。空爆したくてしてるとは思わないけど、ああいう殺され方をされたらなあ。。せざるを得ないよなあ。。と同時に思うのである、この戦争は絶対に終わらない。だって思想戦だもん。イスラムという名前を借りただけのテロ集団らしいが、人が考えることは絶対に変えられない。殺しても、次のが出てくるだけだ。ちょうど国内では、白人至上主義者たちがキリスト教の聖書を自己正当化に使うように。思想戦ーこれが一番怖い。戦前の日本にも、アメリカが怖がる思想があった。それを調べに、今日からロサンゼルスである。思想ー人間にとって一番大事なものである。ばたばたした9月ももうすぐ終わる。生まれて初めて、小説のようなものを書いてみた。楽しい。。(笑)小説を読まないのに、書けるわけがないが、でも楽しいんだからこれからも続けよう。お昼には、キャンパスで、英語本のブックトークがある。それをすませて、オヘアに直行である。新車にもやって慣れてきた。2週間ほど前、今日は、ブレーキの様子がおかしいな、と思いながら、高速を走って、シカゴまで出かけていったのだが、娘に見てもらおうと思って、ちょっと乗ってもらったあとは、地獄だった。お母さん、私を殺す気か、と怒鳴りはじめたのである。そんなにひどい車なら、降りればいいのに、また運転して太鼓クラスへ。もう乗れないということで、駐車場に一晩おかしてもらって、バスで娘のアパートに戻り、翌日、駐車場に戻り、AAAに電話して、車をディーラーにもっていってもらって、ディーラーで修理費をふっかけられて、結局新車を買わされて。ディーラーも手のこんだ芝居をしたのかどうか、もう、ブレーキがなくなってますよ、あれでよくシカゴまで来ましたね、とか言いだして。。ほんまかいな、と疑ってみたものの、みんなに生きててよかったね、と言われ、20万マイルまで乗りたかったのに、と未練がましく言うと、それじゃ、車の世話ができなくちゃ、と言われて、ああ、ドライブのDと、バックするRと、ブレーキとアクセルしか使わない人間には、無理かあ、とやっと納得。2週間たって、おお、新車もいいね、という気分になってきた。(笑)車も進化しているようで、慣れると、けっこう乗り心地がいい。。まあ、これが人生最後の車になるだろう。大事に使わねば。。

2014/09/06(土) アメリカ
家の近所で何が起こっているかは、うすっぺらい地元紙をちらちら見て終わり。特に何もないのが普通だけど、きのうだったか、ああ面白い、と笑ってしまった。(笑)一つ、ローカルのニュース。高校で数学を教え、放課後は水泳クラブのコーチをしていた32歳の白人女性が、クラブの練習が終わったあと、スイマーの一人、女子高校生と手をつないでいるところを警官に見つかって、いろいろ調べたら二人は性的関係にあったとか。先生は当然首だが、その次、無事に仕事が見つかるのだろうか、と心配している、のは私。(私)新聞紙上に載っていた写真が、いかにも困り果てた、という悲しい顔をしていたので、私の印象に残っている。だいたいあのサイズで写真が載る犯罪者たちは、ふてぶてしい顔ばっかりしているからだ。あと1年か2年待てば、犯罪にはならなかったのになあ、抑えきれないのが恋ということか。。レズビアンの犯罪は非常に珍しい(幼児ポルノだの、男の性犯罪はよく載ってるけど)と思ってたら、もう一つ、同日の記事はシカゴのニュースで、タクシーに乗ったゲイカップルが、座席でキスしてたのか、セックスしてたのかよく知らないけど、タクシーの運ちゃんが、降りろ、とカップルをおろしてしまい、カップルが訴訟にもちこんだ、という話。シカゴのタクシーの運ちゃんには有色人種が多い。インド系やらパキスタンやら、アフリカやら。もちろんアメリカ黒人もいる。記事に引用された英語の感じから、外国人で、ゲイに我慢できなかったということは、パキスタン系のイスラム教徒じゃなかったかな、とか思うのである。あああああ。女でも顔を隠さなくちゃならないイスラム文化の人だったら、そりゃ、男と男がキスしたりしてたら腹が立つだろうなあ。。訴訟にもちこまれたら、タクシーの運ちゃんも首かもなあ。。車から客を降ろした場所は、なにやら高速道路だったらしくて、そりゃ客のほうも怒るよなあ。。というわけで、アメリカは大変である。折衷主義の宗教観をもっている日本人には、よけいに理解不能なところなのでは。(笑)一つだけうれしかったのは、道のごみ拾いに出ていると、通りがかった高校生の男の子が、黙って、足元に落ちていた1.5リットルのジュースのプラスチックのボトルを拾ってくれたこと。私がほんとにうれしくて、サンキューと笑い顔で言うと(ああ、めずらし。。笑)、照れたのか、走ってどっかへ行ってしまった。私は、こういうアメリカが好きである。(笑)

2014/09/03(水) 雑感5
先日、司馬遼太郎の特集番組を見た。「知の巨人」というシリーズである。東大阪にある記念館がよく出ていたので、懐かしく見ていた。だいぶ前、安藤忠雄の建築物を見て回っていた娘と訪ねたことがあるからである。ガラス張で、外の庭の自然が飛び込んでくる気持ちのいい空間だった。番組の中で一番驚いたことが、司馬が自分の気持ちを空(くう)、無だと感じていたという部分である。あれだけの仕事をしても、やっぱり無を感じるのなら、私なんて何???(笑)敗戦直後、日本は何とバカなことをしたんだ、という強い怒りから、日本人は何か、という問いを自らに発し、仕事を続けたが、ノモンハン事件のことは10年調べても書こうとはしなかった、怒りが先にたつと書けなかっただろう、と知って、そうだ、そうだ、と納得。(笑)私もいつも文句ばっかり言っているし、友達には、なんでいつも怒っているの、と問われたが、司馬遼太郎も生きている自分の来し方に怒りを感じて、書き続けたとなると、レベルの差こそ雲泥でも、私も書き続けるしかない。母親のことは、まだ怒りのほうが先にたつという感じで、書ききれるとは思えない。(悲)司馬遼太郎は、自分は学者ではないから司馬史観と呼ばれるのは嫌っていた、と知って、これまたふ〜〜〜ん、と納得。たぶん学者として論じるのではなく、読者の気持ちにすとんと落ちるものを書きたかった、書いてきたのではなかったか。私も学者になる頭もなし性格でもないし、で、自分のできる形で何かを書き続けていきたいな、と思っている。底にあるのはやっぱり怒りかなあ。。大きい女と笑ってきた日本社会や日本人に対する怒り、父娘を断絶させようとした母親への怒り、白人じゃないから、とバカにされることに対する怒り。。怒りばっかりだあ。。(笑)司馬遼太郎は、偏狭な日本人にはなりたくない、アジア人になりたい、とか言ってたそうな。じゃあ、アメリカに来たらよかったのに。。自分から日本人だ、と言わなかったら、アジア人以外のなにものでもないよ。(笑)テレビが言わなかったこと、でも私が記念館のビデオで知ったことー司馬遼太郎に趣味はなかった。やっぱり歴史に名を残す人は違うなあ。。友達なんて、たぶんいなかったのでは。。友達としゃべってる暇ないもんね。(笑)私は、自分の怒りを、書くよりも、庭そうじしてるほうが発散しやすいみたい。。ああ、年、とったなあ。。。(笑)


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