〜ing〜アメリカつれづれ日記
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2016/03/21(月) あと1週間
日本に来て約10日ほど経った。東京に1週間いて、ばたばたしていたから、まだまともに楽しんでいない。(笑)今日、関西に戻る。早くゆっくり遊びたいなあ。。(笑)それでもいろいろ勉強した。道を歩いていると、後ろから、人の声が聞こえてくる。明日は万引きしない、あさっては万引きする。。。変わった人がいるもんだ。そういうことを言いながら、歩くかあ???私以上の変わり者(笑)東京の地下鉄ー確か大江戸線と半蔵門線のエスカレーターでは、高所恐怖症で怖くて、おしっこをちびりそうになった。いよいよ地下鉄にすら乗れなくなった。(悲)それにしても、エスカレーターのある駅だったらラッキー。多くの駅ではのぼりのエスカレーターはあっても、下りがないので、ごろごろバッグをひっぱっている人間としてはかなりきつかった。なんで下りがないの。ひざには下りのほうが負担が大きいというのに。まだまだ貧しい。。初めて国立国会図書館へ行って、そのコンピュータシステムにびっくり。便利になったものだ。その帰りに、国会議事堂あたりから声が聞こえていたので見に行ったら、いくつかのデモのグループが声をあげていた。私があまりにもきょろきょろしてるものだから、何人もの警官に囲まれてしまった。長い棍棒をもっている人には、それで叩くの。痛そう、と言ってしまった。ライトアップしてる国会を見にいったのに、ライトアップは建物の先だけだったので、全体を見ると醜かった。(笑)夜のライトアップされてる東京タワーを見たのは初めてで感激。ドラマやらニュースの中でしか見たことがなかったので。(笑)居酒屋やらコンビニに入れば、働いているのは若い外国人ばかり。病気にならないようにね、と、洗い場で働く、きれいな若いベトナム人の女の子(まだ10代だとか。。)に声をかけたのは、客多しといえども、私ぐらいかも。。(笑)日本も変わりつつあるけれど、人々の顔から表情がないように感じられた。面白く生きてるよ、という生き生きしたオーラが感じられないのである。そのくせ、むやみやたらとバカ丁寧で、かつルール一本やりのような感じで、余裕がないのが感じられる。ホテルでも、コンピュータを預かってくれないのである。データを保障できないから、だって。何それ。。アメリカでは考えられない自己保身の発想である。とにかく余裕がない感じは社会に満ちている。純な優しさが感じられない。ばかていねいな言葉づかいから感じるのは、表面的な、その場しのぎの「事なかれ主義」「何かあって責任をとらされたら困るからだけしか考えられない自己保身の発想」きれいで効率的だけど、人間が生きる社会としてはつまらない。私は生きるぞ。最後の最後まで、堂々とにぎやかに。(笑)あ、そうそう、もう少し小さな声で、と叱られたこともあったなあ。。大きな声で話し、大声で笑い、堂々と生きよう。あと1週間だ。(笑)

2016/03/09(水) ニュースより
担任教諭への聞き取りでは、亡くなった生徒への進路指導の際、生徒が万引きを否定したという認識はなかったという

私も、教師には、一言も、盗んでいません、とは言わなかったもんなあ。。

会場では担任教諭が出席していないことに質問が殺到した。「体調不良」との説明に、遺族も「なぜ」と怒っていたという

お前、それでも教師か。堂々と出てこい。。はってでも出てきて、教師としての矜持を見せろ。

これまで誤認に基づいて『推薦できない』という指導をしたことについて、教育委員会としても、学校としてもご遺族に謝罪した。保護者会でもきちっとおわびする。生徒を預かる責任者である教育長として、生徒が亡くなったということについてまず申しわけなく思う

嘘つけ。ほんとに申し訳なく思ってたら、これだけしゃべれないよ。べらべらと口先だけの言葉をならべやがって。謝ってもらっても、死んだ人間が生き返るわけでなし。。お前らの度量のなさが、諸悪の根源だよ。どうせ、心の中で思ってるんだろ、これで、俺の昇進はなくなった、って。どうせその程度なんだから、教師なんて。学校という小さな金魚鉢の中で、大きなタイになって腐り、腐った水の中で、臭い大きな言葉を吐いて、教師づらしてる小さな連中だ。。若者たちへ。金魚鉢をぶちこわして、外へ出ろ。外は広い。小さな金魚鉢の腐った水の中で死ぬことはないぞ。。

そういえば、中学二年の私に盗みの濡れ衣を着せたあの教師はまだ生きているのだろうか。退職まであと一年という教師生活の最後に、私は、30年ぶりに、私はお金を盗んでいませんでした、と手紙を書いて告白した。
保護者会に出てこない担任の教師は、本人が出ないと決めたのか、それとも校長に、出てこなくてもいい、と止められたのか。どっちにしろ、人間の本質ー要するに見かけーたとえば言葉で万引きを否定したとかしなかったとか、と内面は違う、ということを理解して、中学生というむずかしい年頃の人間を守れないのなら、教師なんかやめてしまえ。(怒)

2016/03/08(火) 悲しいなあ。。教師ども、死ね
今朝の日本からのニュースのトップは、万引きしたからと推薦状を出さぬ、と告げられた中学生が自殺した、というニュースだった。自分のことを思い出して、ものすごく悲しくて、だから教師は嫌いなんだよ、死ね、と本気で思った。私も中学生のときにお金を盗んだ、と濡れ衣を着せられた。この件についてはもう活字になってるから詳しくは書かないけれど、ニュースを聞いて、あのときの教師は、今よりはましだったな、とつくづく思った。というのも、あのとき、教師は、このことを公表して、お前の将来をつぶすようなことはしないから、とはっきり言ったからである。でも、今回の事件では、推薦状を出さないという具体的な損害が伴って、中学生もどうしたらいいかわからなかったのだろう。どんな万引きだったのかーなんとニュースによると、この万引きが誤認だったとわかっていたのに、記録が訂正されなかったために1年生のときの記録が3年生まで持ち越されて、推薦状が無理ということになったらしいーだから、教師なんて死ねって言うんだよ。。(怒)−たとえほんとに万引きがあったとしても、1回だけだったのなら、このことを公表してお前の将来をつぶすようなことはしないから、とは言えなかったのか。推薦状って何??? 私の場合も濡れ衣だったから、高校への報告で、金を盗んだ、と書かれていたら、高校には入れなかったのかもしれぬ。もしそうなっていたら、どうしただろう。死んでいただろうか。まさか。死ぬ勇気があったら、教師にかみつくほうを選ぶ。。ニュースの男の子も、親との関係はどうだったのだろうか。私の女友達は、以前、私なら親に言って、親が教師に抗議して、でそれで終わって、忘れてたと思う、なんて言うけれど、みんながみんな親との関係がいいわけではない。男の子も、万引きをしたとかしなかったとか、そういうことが親にばれるのがいやだったのではないのか。。私の親だって、私が金を盗んだという濡れ衣をかぶせられたことはまったく知らぬままこの世界から消えた。ああ、多感な思春期はむずかしい。。それにひきかえ、教師はますますマニュアル通りの単純思考しかできなくなってるのでは。。お前の将来をつぶすようなことはしたくない、と言ってくれた、あの教師の度量に今ごろ感謝。。。(悲)

2016/03/06(日) エネルギー
また庭に出る季節がやってきた。エルニーニョだか、とにかく気温が上がったから、庭で落ち葉の片づけをした。すると、下から、黄色い水仙のめがいっぱいでているのを発見。黄色いのは、落ち葉がかぶさっていたからだ。あああ、また命の季節がやってきた。春は忙しい。新しい芽吹きはものすごいエネルギーをもっている。さあ、これから生きるぞ、がんばるぞ、と叫んでいるのが聞こえるようである。その声にこたえようと、一生懸命掃いたり、古い枝やら葉を切ったりするが、心の中で、いつかこういうことができなくなるんだろうなあ、と思っている。かれらは1年を周期に、新しい命を芽吹く。人間は、きょうみ90年かけて周期を終える。植物の春とシンクロできる人間のエネルギーはいつまでだろうか。それをじっと見つめながら、今年も庭を楽しもう。部屋の中においていた水栽培の球根を土に返してやり、あんたの勝負はこれからだよ、と声をかける。店で買ってくる鉢植えは、コンピュータでコントロールされた工場で作られ、店に並べられるころに一番きれいになるように管理された存在である。でも、ほんとの生命力は、そんな管理が終わったときから試されるのである。このあいだ買ってきたあじさいの鉢も花が終わってしまった。普通、人はもうこれで捨ててしまうのかもしれないけれど、私は、このあじさいの生命力を見届けたい、とまだ部屋に置いている。がんばれ!!底力を見せろ!!!、と、まるで冬に足をつっこんでいる自分を叱咤激励しているかのようでもある(笑)


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