〜ing〜アメリカつれづれ日記
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2016/05/29(日) 真夜中のER(救急)
昨夜で、また人生観、人間観が変わってしまった。夕方、大雨・大風のストームが来て、写真好きの配偶者が、空模様を撮ろうと走って、玄関先のコンクリートの上ですべって、背中を強打。しばらくは元気だったのだが、映画「レべナント」を見ている途中で、どうも具合がおかしい、というので、病院の救急に行くことになった。このごろは映画を見ていても、すぐ寝てしまうのに、レべナントだけは寝るどころか、目をぱっちりあけて、必死で見ていた。大好きな監督だし、テーマに木がいっぱい出てくるし、寝ている暇なぞなかった。と、救急行である。行って、人がけっこう来ているのでびっくり。夜11時すぎだった。1時間ぐらいまたされて、やっと処置室に連れていかれて、それからがびっくりびっくり。。阿鼻叫喚がスペースいっぱいに絶え間なく響き渡った。地獄からの声というのはあれである。女だった。でも、若くはなく、が、あれだけの狂声を大声で張り上げ続けられるというのは、まあ40か50代だろう。思えば、病院の入り口に立っている男がいて、そのうち警官がやってきて、男が警官に、アルコールのことは知らなかった、どうのこうのと言いながら、中に入っていった。案の定である。ドラッグの禁断症状が出ているのである。ヘルプミー、ヘルプミーとどなり続けるかと思えば、ものすごい怒声で、ぎゃああぎゃあああとうなり、怒鳴り続ける。これはもう人間ではない。獣、動物である。ドアからのぞくと、警官が二人立っていた。処置室に入ったのが12時で、出たのが2時前だったが、その2時間ものあいだ、阿鼻叫喚が続き、こちらもだんだん腹が立ってきて、死ね、お前みたいなのはどうせ役に立たん、ちょっと薬の量を増やして、そのまま死んだほうがよっぽど楽だろう、回りの人間も重荷を下ろせて、ほっとするよ、と、恐ろしいことを考えてしまった。(悲)どんなおばはんが、どんな顔をして、うなり、わめき、怒鳴り、奇声をあげ、聞く人間を恐怖に陥れているのか、見てみたい気もしたが、やっぱりこれは映画ではないんだ、と思うと、ぞっとした。ヘルプミー、と大声で獣のようにうなり、狂人のようにどなりあげていたのは、薬がほしいということだろう。もうああなると、社会復帰はとうてい無理だろう。ああ、こういうことか、と心底納得した。それにしても、医療関係者も警官も見慣れている光景なんだろうけれど、初めて聞いた私は本気で地獄にいる気がした。誰もいつか生き地獄に突き落とされる、と思って、生まれてくるわけではない。それにしても、あれだけ獣のようになってわめき、叫び、怒鳴り、悪態をつく地獄絵は、裏返せば、薬を使うと、それほどまでの高揚感に得られるということなんだろうか。。ああ、生きていくのは大変なんだよ。一つ一つ積み重ねていくのみ。必死で生き抜いたディカプリオを見て、地獄絵をかいま聞いたあとの今日は、元気いっぱいだった。よかったよかった。。ああ、配偶者の傷は。。知らん。(笑)救急の請求書はいくらぐらいだろうか。ああ、それが心配。。(笑)

2016/05/24(火) ごみ拾いと戦い
配偶者を空港に迎えに行って、早く来すぎたので、高速道路にもうけられているレストエリアに入り、超巨大企業のファーストフードの店に入ると、またもやいやな思いをした。抗議を、やつらのウエッブサイトに書き込んだ。1200文字(単語ではない)という制限があって、削るのに苦労したが、ここに全文を記録しておく。ターゲッ()といい、公立図書館といい、サービス拒否のマイクロアグレッションにあったら、全部叩きつぶしていくと決意した。これって、ごみ拾いと同じである。果てしなく続くだろう。が、これまで、どれだけの人間が、差別抗議で殺されてきたか。もちろん奴隷制度も含めてで、ある。リンカーンもマーチンルーサーキングも殺された。そうやって、いまがある。いまも、差別は続く。過去に戦い、殺されてしまった無数の人々の血と悔しさと怒りのエネルギーを想像して、私も戦い続ける。ごみ拾いだって、このごろ効果が出てきて、ごみがだんだん見当たらなくなってきたではないか。私の抗議も、いつか少しずつ少しずつ根を張っていくかもしれぬ。キングが言ったように、アイハブアドリーム、である。でも、声をあげねば、何もはじまらぬ。さあ、マク。。。のあとは誰? かかってこい。。受けて立ってやるよ。(笑)

I am a tall Asian woman. I visited the Ma’s at the O’Hare airport Oasis around 5:10 PM on May 22.
When I went to the counter, there was no one attending the cash registers.
Instead, three customers, two women and one man, all white, were gathered around the register at the center of the counter. There were three registers at the counter.

It was clear that the register on the left was not in service as it had a white board standing in front of it. Those three customers did not appear to be making a line, and, as I did not know what to do or where to stand, I joined them. They were waiting for food.

After they left, I was alone, still standing around the register at the center of the counter, waiting for someone to say, "Can I help you?"

About three female employees were working at the time, one black, one black-Hispanic, and a short white woman with a black hat and black glasses. All three of these employees looked at me, acknowledged my existence, but did not say anything to me. They completely ignored me as if I were crazy, not worth serving.

I waited alone for a while. Then two young Hispanic male customers came to the right register, and started waiting.

The short white female employee with black glasses and hat acknowledged them; she passed by me, looked at me, but started serving the men instead of me.
Realizing that I had been ignored, I asked the black-Hispanic female employee who was dispensing drinks, facing customers, "Excuse me, are you rejecting service to me?"

She answered, "No, you go to a register" pointing to the right register where the short employee was serving the men.

I had to stand behind the men and wait even longer.

There were no signs indicating which register was open, or indicating that one register was for ordering, and another was for picking up orders.

I believe that the fact that nobody would serve me even though they acknowledged that I was waiting, and that the short white female employee -- who seemed to be the only one in charge of taking orders -- completely ignored me was a micro aggression, which is a subtle form of racism.

When my turn finally came, I said, "You know that I have been standing here," but she did not answer or apologize.

I thought perhaps that she was assigned to the other register, where I was forced to wait, but in fact, she started using the center register at 5:40 PM.

She could have taken my order using the center register when I was waiting with the first white customers, but she did not. Instead, the staff forced me to move to the right register and made me to wait longer.

Another fact that seemed odd to me, in comparison with other Ma’s outlets, is that the short white female employee did not wear a nametag.

At the counter I said to her, "So you don't have even name tag?" and she answered, "I don't know."

I did not check the other two women, but it seems that none of the staff wear nametags at that outlet.

I understand that I cannot change people, but if employees have issues with Asian women for any reason, they should not be in front serving customers, but instead work in the back.

2016/05/17(火)
こでまり(だと思う。。。笑)が庭に咲いた。子供時代、神戸の家の庭に咲いていたものだ。(今はなし。。。)枝を切り取ってきて、仏壇の横においてある花瓶にさした。たゆむ枝がちょうど小さな仏壇を囲むような形になる。心のどこかでほっとする自分がいる。庭にこでまりが咲いていた子供時代に戻れるわけではないし、戻りたいとも思わないけれど、これでいいんだ、という安ど感がもてる。親との関係がよかったわけでなし、いい子供時代を送ったとも思わないけれど、こでまりの白い花にふちどられている仏壇を見ていると、お父ちゃん、お母ちゃん、心配せんでもいいで、元気にやってるからね、というメッセージを送っているようにも感じられる。人間の五感って不思議だあ。。人間を決めるのは、パスポートをどこの国が発行するか、ではない。人間の身体に刻み込まれた五感である。この五感に、国名をひっかけて論じたがるのがナショナリズムである。いつか、こでまりからエネルギーを得ながら、五感とナショナリズムについて書きたいなあ。(笑)

2016/05/15(日) ごみと普遍性考
このごろ、ごみがない。きのう、大学の図書館に行ったら、いつもならゴミの集積場みたいになっているところが、何と、きれいに、ゴミ一つ落ちていなかった。なんだあ、これ。私の狩猟場もしくは漁場がなくなりつつある。。。(笑)誰かが拾っているのは確かである。感謝。感謝せねばならないのは確かだけど、寂しくもあるなああ。ゴミがなくなると、わたしゃ、ますます歩かなくなるぞ。。困ったなああ。。(笑)いやいや、これでいいのだ。。これからは、駐車場を探して、車で遠くにでかけていって、それからまたゴミ拾い。。そうやって、”世界”を拡げていく。それこそ、グローバル人間だあ。。。(笑)などと、あほな政府広報みたいなことは言いたくないが、グローバルとは何か。普遍的な価値を探し、それを自らの行動で拡げていくこと。。決して組織にはしてはならぬ。なぜなら、組織にすると、そのうち、組織維持のための論理がまかり通り、追求すべき本来の普遍的な価値は二次的なものになりさがるから。組織のトップのエゴが大きすぎると、腐りはじめるから。。みたいな考えをもって、今日は、久しぶりに人に会いに、キリスト教会に出かけてみる。どう感じるかなあ。楽しみ、楽しみ。。(笑)とにかく、ゴミ拾いの次の猟場を探さねばならぬ。うれしい悲鳴。。(笑)

2016/05/13(金) 孤独
須賀敦子の文章をなめるようにして読んだ。すごく気持ちが落ち着き、生きてることがどんなにありがたく思えたことか。本の帯にある、人生ほど、生きる疲れをいやしてくれるものはない、という逆説めいた言葉が、じわじわと身体にしみこんでいった。須賀敦子の人格と人生の深み、それを見つめぬく彼女の眼の清廉さが彼女の言葉と世界を作っている。ああ、文学者は違うなああ。。改めて思う、わたしは何とがさつな人間か。。。でもまあ、いまさらそんなことを嘆いてみても仕方なし。。がさつな人生を生き抜くのみ。。(笑)彼女の本の最後の言葉を書きだした。「その相違が、人間の誰もが、究極においては、生きなければならない孤独と隣あわせで、人それぞれ自分自身の孤独を確立しない限り、人生は始まらない。。。少しずつ、孤独が、かつて私たちを恐れさせたような荒野でないことを知った」。。洞窟にこもっている人間の気持ちとしては、これ以上の表現はない。自分自身の孤独を確立しない限り、人生は始まらない。。それは、よく母から聞いた、「人は一人で生まれ、一人で死んでいく」という現実を真正面から受け止める覚悟でもある。そう考えて、日本のテレビに出てくる人たちにあふれかえっている、「思い」やら「絆」といったセンチメンタリズムに欠落しているものをはっきりと悟った。それは、自分自身の孤独を確立するという生に対する覚悟であり、自らの思想であり、生の称賛でもある。どんなに「思い」やら「絆」といった言葉を並べても、それは自分をごまかして生きる、めくらましのためのすべにすぎぬ。生きるとは孤独と向き合うこと。そして、なぜ年をとってからこそが生が充実してくるように感じるかといえば、それは、孤独が、若いときに恐れていたような荒野ではないことを知るからである。自らの孤独と向き合える人間こそ、他者をも助ける力、エネルギーをもっている。自分が見えない人間に、なぜ他者の声が聞こえるだろう。須賀敦子さん、ありがとう。あなたのすばらしい人生に対する眼に触れて、エネルギーをいっぱいもらいました。

2016/05/12(木) 普段通りの生活
が、なんと一番ありがたいことか。丸二日断食して、コーヒーも飲まず、胃が一番調子よくなるようにと、ジュースの飲みすぎにも気をつけて、2リットルの薬入りの水が飲めるようにと臨んだが、やっぱりきのうは気分が悪くなって、2リットルの3分の2ほどしか飲めなかった。それでも、寝るころには、腸から出る水には便はまじらなくなっていたので、よし、もうこれでいこう、とクリニックに出かけた。検査そのものは簡単。検査室に連れられていって、まだ起きてるよ、と、眼の手術のときと同じようにわめいたまではおぼえているけれど、今度気がついたら、無事に病室?に戻っていた。で、医者がやってきて言った、いっぱい便が残っていたけど、できるだけのことはした。。。あああああ。あれ以上、きれいにせえ、いわれてももう私にはできん。。。頑固な体なのは百も承知である。写真を見ると、確かに黄色いものが映っているけれど、腸壁の血管まで見えるやん。もう、これでいいやん。で、ポリープを一つとって、検査に回したらしい。なんか見つけなくちゃ、医者の沽券にかかわるって感じ???(笑)とにかく、終わった、終わった。。大量?出血の原因は大きな痔だそうな。。よかった。。。これでやっと普段通りの生活に戻れる。3年後にまた検査、とか言われたけど、もう行かんぞ。そういえば、乳がんの検査なんかどれぐらい言われていることか。。あれは毎年行かなくちゃだめなやつ。。もう5年は行ってないと思う。医療機関が言うとおりに検査してたら、そりゃもう、毎日病院通いになるだろう。今日だって、あんまり待合室が混んでいるので、車椅子を押してくれた看護師さんに聞いてみた、いったい一日どれぐらい検査があるの、って。そしたら、今日は22件だって。22件。。部屋二つを使って1日22件こなそうと思ったら、クリニックの時間が9時から5時までとしたら、ほぼ30分に1件の感じで、ベルトコンベヤ式ではないか。。ああああ。おそろし、おそろし。。とにかく終わった。。万歳。万歳。。。(笑)

2016/05/11(水) 死に方
友達の旦那さんが、去年の10月に亡くなっていたことをきのう聞いた。同じ国際結婚で、神戸で長年教え、去年の春退職して、旦那一人だけアメリカに帰ってきていた。友達に、離婚するの、と聞いても、今さら、どうせあの人、長くないよ、という言葉が返ってきた。電話すると、あの人、全部わかっていたと思う、という言葉が何度も聞かれた。要するに、死ぬためにアメリカに帰ってきたのである。わずか半年あまりだったが、日本で稼いだお金は全部使いはたしていたという。毎月500万円は使う豪遊だったのでは、と友達が言った。悲しくなった。娘もいる人である。なぜそこまでしなければならなかったのか。まるで、日本での33年もの時間ー娘も妻もーをすべて消してしまいたかったかのようではないか。人生の最後の「自由」、死ぬための「自由」−死にざまにすべてが出る、とあらためて思った。今日から、また大腸がんの検査の準備が始まった。今回は、丸二日食事を抜かねばならぬ。前に、医者の指示通りにやって、げろげろになったから、今回は、医者の指示を適当に修正して、気楽にやろうとか思う。医者の指示には従わぬ、と思うと、ちょっと気が楽になった。(笑)それでも失敗したら。。。大腸がんといっしょに死ぬ。。。医者がなんぼのものやねん。。。(怒)

2016/05/03(火) 奇跡の桜
家族みんなが言ったーといっても二人だけど。。でも、たぶん近所の人たちも。とりわけお隣は木のプロだから。。もう、この桜は死んでるよ、と。すべての枝がだめになった。だから全部切り落とした。一つだけ残して。シカゴの冬はやっぱり日本の桜には厳しすぎるのである。ところが、一つの細い枝だけがどうも様子がおかしいので、それだけは生き残るのでは、と願をかけていたら、なんとこの春、その細い枝に4つぐらい花が咲いたのである。関山という八重桜だから、4つ花めがついたということは、けっこう華やかなピンクになる。やったあ。。。というわけで、この2週間ほど、毎朝庭に出ると、この細い枝を握りしめて、ありがとう、私にもエネルギーをわけてください、とお願いしている。ときどき、近所の人の車が通りかかるから、まあ、何やってるねん、けったいなことをやってるなあ、とびっくりしていることだろう。だって、幹から出ているのは細い枝一本というけったいな姿の木に、ピンクの花がぽらぽら見えて、それを握りしめて、見上げているアジア系の女だよ。。。(笑)自分でもおかしなことをしているとは思うけれど、この桜の木のエネルギーはすごいものだ。。アメリカ人なら、さっさと切り倒していただろうものを(だいたい死んだ金魚をトイレに流す連中だから。。怒)大事に大事にして、私はまた来年も咲いて、と世話をするつもり。。そうやって、与えられた生のすべてを使いきる。。。私にもそのエネルギーと勇気がありますように。。。雨が降って、庭に小さな池ぐらいの水たまりができると、ここ二日ほど、ダックの夫婦が来て遊んでいた。だんなのほうは緑色の顔できれいで、奥さんのほうはこげ茶色の地味な姿だけれど、奥さんが水に顔をつっこんでいると、だんなが後ろから黙って見守っているという感じで、ああ、いいなあああ。と人間の女はうらやましがった。(笑)エネルギーに満ちた奇跡の庭である。感謝である。


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