〜ing〜アメリカつれづれ日記
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最新の絵日記ダイジェスト
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2019/12/05 ごみ戦争?(笑)
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2019/11/30 キリンになる
2019/11/28 サンクスギビング

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2016/08/30(火) 美学2
きのう、高齢者のデイサービスに行って、また一人亡くなったと聞いた。マルコスというフィリピ―ノの男性だった。楽しい人だった。入院したと聞いてはいたが、病院から帰ってくることはなかった。(悲)年を重ねると、もうきれいによくなるということはない。私の左足だってそうだ。このまま、この痛みやらどこかおかしいな、という違和感と仲良くしていくしかない。そういう耐性をもつ、ということが年をとるということである。(悲)私が決していい関係を築くことはなかった義母がいよいよホスピス態勢に入った。わずか1ケ月前、抗がん剤治療をするといい、90歳で抗がん剤を使うの、と疑問に思っていたら、案の定、90歳の体には抗がん剤は強すぎたようで、たった一度の治療で急激に悪化、もう治療を全面的にやめて、遺体は大学の医学部に寄付することに決めたという。人間最後の美学だな、と思った。脳死と臓器移植の問題といい、自分の体の処理の決定は困難を極める。義母の場合は遺体になってからの話だが、それでも寄付すると、お葬式もお墓もなくなるそうで、それはそれで家族にはつらい部分があるだろう。家で死にたいといい、いろいろ医療関係者を雇ったが、すべての治療をやめるホスピスとなると、すべてが公的保険でまかなわれるとか。昨日、デイサービスで、ナーシングホームにはいると、ほったらかしにされて、高齢者の具合はいっきょに悪くなる、と聞いて、母親の老人ホームにつきっきりで文句を言った4年前の自分を思いだした。家で最後を迎える義母はラッキーである。もし抗がん剤を使っていなかったら、苦しみの時間といのちの長さは多少違っていたかもしれぬ。たとえ植物人間になっても、一秒でも長く生きていてほしいと願うだろう家族の気持ちを考えると。。。でも、医者の目から見たら同じである。治ることは決してないのである。二度と若くはなれないのと同じである。(悲)身近に迫りくる死の気配を前に、もう一度美学。 一人きれいに生きて、一人きれいに消えたい、と念じながら、毎日を必死で生きる。道で突然倒れて、そのまま消えた父親をうらやましがった母親の声が聞こえてくる、「お父さんはええことしたなあ。」死の恐怖と戦い、のりこえるものが、自分の体を社会の役に立てる、という強い意志だろうか。気持ちが交差することは決してなかったが、義母の美学に敬意を表する。

2016/08/21(日) 美学
このあいだ、太鼓レッスンで、へたでもパフォーマンスに出たがる人がいると聞いて、「それは私の美学に反するので」と答えた自分に、我ながらびっくりした。(笑)美学なんて、めったなことでは口にしない言葉だからだ。今日、加藤周一が若き日に書いていたノートに関するドキュメンタリーを見て、再び美学を考えた。自分がこれだけは譲れないものは何か、を考えながら生きることの美学である。スタンダールの言葉は、美こそが幸福への道?、だとか。さすが、スタンダール。(笑)その通りである。美を追求し、美しいものを見るのは生の喜びである。どう死ぬか、を考えながら生きることは、まさしくどう生きるか、を考えること。戦争の時代を生きたからこその美学だと思う。私の身体には、戦争を生き抜いた両親から受け継いだ美学が刻み込まれていると思う。その美学を貫いて生きようと思う。東大医学部出身の理系の頭脳をもちながら、文学にも通じていた加藤周一のようにはいかずとも、私は私の美学で生き抜こう。番組の最後で、加藤は、日本にあって西洋にはないものを考えていたとか。それが憲法9条とか。憲法9条も、ドーピングやら負けて大泣きした選手の話やら(私は、みっともないことをしたと考えている)、メダルの数を国家別で争うことのバカさ加減やらなどの、オリンピックのあり方問題も、すべて根っこで問われているものは同じである。普遍性をもつ美学はどこにあるのか。人間として共通に理解しあえる普遍性とは何なのか。それを追求することこそが、生きている、という実感につながっていると思う。今日も、一日がんばるぞ。。ごみ拾い、である。(笑)

2016/08/20(土) 雑念再び
きのう、無事に年に一度のパーティが終わった。配偶者が、今年一年がんばってちょ、と大学院生のインストラクターを集めて、大パーティをするのである。30人から50人集まるので、家の掃除とパーティ中のどたばたが大変である。もう20年近くやっているが、集まる学生はいつも20代の若い人が大半だが、こちらは確実に年をとっているわけで、今回は2日がかりで、家の掃除やら片づけをした。いつまでできるかなあ。。(悲)ニュースで、日本が核兵器禁止条約の署名を棄権した、と読んだ。ほらみてみろ、これが、8月15日になれば、平和を考える、を念仏のように唱える国にすることだ。みっともないったらありゃしない。腹の座らぬ国だ。日本に、原爆投下をごちゃごちゃ言う資格はないのではないのか。本気で、原爆投下は間違っていると考えるのなら、禁止条約には率先して署名するべきである。反対もできず、ただただ棄権とは、みっともない限り。で、こういう問題を真正面からとらえることが、ほんとの「平和」を考えよう教育だと思うけれど、考えないように、たぶん社会教育がなされているだろう。だから、人は、オバマがもってきた折り鶴の写真をとって、「平和」「平和」と念じているだけだ。アメリカや中国は、そういう日本を見て、にたり、にたり笑っているのである。ああ、いい加減にして〜〜〜〜。(怒) アメリカで腹が立ったのは、オリンピック選手がブラジルで強盗にあったと、嘘をついたことだ。たぶん、ロシアではそういうことはしなかっただろう。なぜブラジルで。。上から目線で、ブラジルをバカにしてるのである。アメリカでは、こういうメンタリティと戦いづつけねばならぬ。折り鶴をめでても、核禁止条約棄権の腹の座らぬ日本出身では、戦い続けるエネルギーすらわいてこないではないか。いい加減にしてくれ〜〜〜(怒)

2016/08/16(火) また雑念
もう、夏は終わろうとしている。確かに気温はまだ高くなるが、木の葉が庭におちはじめた。落ち葉はきから一日が始まるようになった。終活をしている身としては、もう新しい植物を植えることもなく、ただただいまある木々の世話をするだけ。庭の木も子育てと同じで、小さいときはかわいい、かわいい、とめでてたらいいが、大きくなってくると、ほっておくと、ジャングルみたいになって手に負えなくなる。ああ、人間の思春期と同じ。。(笑)。小さいとき以上に、大きなパースペクティブをもって、世話をしてやらねばならぬ。子育てとまったく同じ。生き物はほんとに大変だあ。。8月15日が過ぎて、やっと「平和を考える」というセンチメンタルな常とう句が日本のテレビから聞こえなくなって、ほっとしている。平和を考える、だって、あほか。(怒笑)8月15日前後に、いくつか戦争物を見た。一つは、映画「日本で一番長い日」。原爆が落とされてから、天皇の聖断とやらが2回も出たのに、まだ「2000万もの特攻をもってすれば、状況を変えられる」みたなあほなことを言う人間が国のトップにいたらしい。ぞっとした。。「平和」といった抽象観念ではなく、人間の命は何のために使うか、を具体的に考えるべきである。 本土決戦をやりたかった人間が日本にいたんだから、アメリカが戦争終結のために原爆を落としたのは当然、と考えられるではないのか。平和を考えよう、なんて、抽象的な気の抜けたサイダーみたいなことを言って、お茶を濁すのではなく、2000万の特攻をもってすれば、と、国民全員を殺したがる人間が国を牛耳っていたことをまっすぐ受け止め、考える教育をするべきである。原爆うんぬん、もそれからの話ではないのか。そうそう、生きて虜囚の辱めを受けるな、なんてことを言った東条ひできが、自分は自殺に失敗したことも、日本の教育の原点にすべきである。(怒)もう一つ、見て腹がたったのが、スペシャルの、アフガニスタンに派遣された文民警察官の話である。無理やりに通したPKO法案の結果、日本人の警察官は丸腰で、むずかしい場所に送られた。で、殺されたのである。で、外務省の人間や政治家が、ほかの国は犠牲を覚悟してますから、日本だけが、犠牲を騒ぎ立てることはできない、みたいなことを言った。じゃあ、はじめから、PKO法案に、武器携帯、自分の身に何かあれば、銃使用可、をいれるべきではないか。それができずに、ごまかして、ごまかして、でその場しのぎを重ねて、体裁だけをととのえようとする。で、まじめに職務を遂行しようとした人が死んでも平気なのである。アメリカでこういうことが起きたら、市民は国を訴えるだろう。訴えることで、国の欺瞞、国民だましを世に知らしめようとするだろう。2000万特攻も、ごまかしPKOも、ねっこはみんな同じである。で、8月15日になったら、平和、を考えよう、だ。で、戦争体験を語りつぐ、をやって、戦争はだめ、だめ、だめ、というセンチメンタルな一本調子だけがのさばっていく。はっきり具体的に答えを出して、変えていく、変わっていくべきなのに。本土決戦で2000万特攻を主張する軍人がいた国は、ほんとに変わったのか。まったく変わってないと私は思う。「平和」を考える、なんて、念仏のように唱えても、何の意味もない。何の意味もないことで自分たちを洗脳し、ごまかして生きている人たち。あああああ。。。(悲)そういえば、あのあほトランプがアメリカ大統領になれば、日本も変わらざるを得なくなるのでは、という声を聞いた。おおおおおおお、やっぱり洞窟の中がいい。。。(笑)

2016/08/08(月) 引き際の美
日本からのテレビで、天皇のビデオメッセージを見た。街のあちこちでも流されたようで、例の「耐えがたきを耐え。。。」のときもこういう感じだったのだろうか、と想像した。感想1 やはり話すのも食べるのも、育ちのいい人はゆっくりだなあ。。。わたしゃ、品が悪すぎる。(笑) 感想2 引き際の美を感じた。頭のいい人である。自分のポジションにこだわったら、群馬大学の殺人医師みたいになるのである。あのニュースを見て、びっくりしたのは、殺人医師の上司の教授とやらも処分されたことである。そうか、殺人医師の技量に疑問を呈したら、教授が「俺の采配にけちをつけるのか」と脅したに違いない。というわけで、自分の肩書のみに依存して、自らの力を誇示したがる小さな輩には、天皇の地位を退くなんてことは考えられまい。というわけで、平成天皇は立派な、度量の大きい人のようで感激。。感想3 スピーチを書いた人よ。「内在」という言葉は失敗したね。あのスピーチの全体の流れの中で、「内在」はそぐわなかった。スマップの歌の中で、「否めない」という言葉が出てきたときと同じような違和感をもった。(どの歌だったかはもう忘れた。。笑)感想4 天皇の本音は、天皇の崩御のあとの行事一切の大変さにあると感じた。昭和天皇の崩御のとき、よっぽど大変だったのだろう。天皇家のみ知ることぞ。。(笑)そういえば、社会全体もしばらく自粛モードになったような記憶がある。。やはりそういうことを考えると、生前退位がみなのため、という判断だろう。やっぱり頭のいい人だ。公と私のバランスがとれる人は頭がいい。。というわけで、初めて天皇に親近感と尊敬の念をもった。ビデオの最後、天皇が頭を下げたのにはびっくり。昭和天皇が国民に向けて頭を下げる絵は見たことがないのでは。。(笑)きのう、無事にモートン植物園での太鼓のパフォーマンスを終えた。ほっとである。まだまだ間違いだらけで、いやになる。でもまあ、やってよかった。いつも洞窟にこもっている身としては、植物園の人の多さにはうんざりしたが、たまには人と交流せねば。。(笑)「悪いやつほど出世する」という本が出ているそうで。そうだ、そうだ。組織で肩書を手に入れる人間は、先の群馬大学の殺人教授たちといい、自分が力をふるうことしか考えられない、「悪いやつ」がマジョリティになる可能性大なのである。というか、悪くならなければ、肩書は手に入らない。組織で生きる、とは悪くなる、と同義である。このあいだ、人と話をしていると、やっぱり上司がすべてやわあ、という。どういうことかというと、将来取締役にでもなるような人の部下になれば、社内の昇進試験でも、ちょっと大目に見てもらえる可能性がでてくるようなのだ。あの人の部下なら通してやろか、みたいな。そういうことか、げっ、げっ、げっ。(笑)そうやって、少しずつ腐っていく。。群馬大学の教授や医師もどうせそうやって肩書を手に入れたんだろ。だから、組織でしか生きられない人間はどうしても小さくなり、悪くすれば悪臭ぷんぷん、でも悪臭のもとの権力に人は群がりたがる。人や物事の本質、正論で勝負しようとしない、できない日本的風土にはうんざりだからこそ、天皇のように、引き際の美を体現できる人に尊敬の念を覚える。天皇といい、山口百恵といい。。。(笑)わが「引き際の美」はどこに。ポジションないからなああ。。(笑)でも、人間という生物学的分類をポジションと考えれば、すべて終活に答えあり。。がんばるぞ。。(笑)

2016/08/05(金) つれづれ2
久しぶりにビールを飲んだ。一人の生活も2週間をすぎると、やっぱりどこかリラックスしたくなってきたから。(笑)毎日、資料読みと書き物と、ごみ拾いとか、庭に出てぶらぶら、とか規則正しいb生活をしている。規則正しくしていなかったら書けないのだが、たまにはビールもよしとしよう。(笑)おとといだったか、久しぶりに電車でシカゴへ行った。びっくりびっくり。まず駅にごみがあんまり落ちてない。すごい。。友達が私のしていることは”伝道”だと言ってくれたけど、確かに伝道の効果は出ている模様。ありがたいことだ。9時25分発の電車、びっくりびっくり。とうもろこし畑の真ん中の始発駅が、平日の朝9時半から満員。。こんなことは初めてだ。いったいどうなってるのか、と思いきや、みんなお揃いの青いシャツを着ている。カブスのシャツである。どうやらシカゴで試合があるらしい。。ふ〜〜〜〜ん。野球に興味のない私としては、朝から電車がこむなんていやだなあ、しかなし。。帰りの電車の中も、これまたカブスファンがあっちこっちに。地下鉄ではみんなしょぼくれた顔をしてたから、負けたのかな、と思っていたら、郊外電車の中に酔っぱらってるカブスファンがいた。あわてて逃げた。。(日本からの癖。。げろげろされたらいやだから。。笑)結局負けたのか勝ったのかわからず。。(笑)90歳の義母がガンとわかって、入院したらしい。子供が5人いても、やっぱり状況は、誰かが母親とずっといっしょにいてやれるわけでなし、どうも首をかしげることばかりだ。義父がいても、助けてやれるわけでなし。。最後の最後に倒れるまで一人暮らしさせた母親のことを申し訳なく思ってきたが、子供が5人いてもこういう状況なら、最後の最後まで一人でがんばってくれた母親に感謝しこそすれ、あんまり罪悪感にとらわれることもないのかもしれぬ。義父母は老人ホームにはいかぬ、自宅で死ぬと言い張っているらしいが、そういう選択を口にしているあいだが花だろう。誰だって自宅で死にたい。でも。。。自分の終活をもっと真剣に考えねばならぬ。健康なうちに計画をたてておかねばならぬ。ガンだとわかってから、なんやかんやと計画をたてようとするのは遅いのである。ましてや義母90歳、義父94歳では何が期待できよう。時間が限られてきている。自分が判断できるときに、学校の時間表みたいなものをつくろう。まじである。(悲)


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