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2017/02/10(金)
連邦最高裁
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いよいよドアホは、自分の入国禁止命令を連邦最高裁にもっていくそうな。税金の無駄使いだとは思うけれど、英米法は判例を重ねていくところから、法律を作る、みたいなところがある(と、大昔、勉強したような気がする。)裁判にもちこまれることはいいことかもしれぬ。それにしても、ドアホは懲りない。リーガルマインドなんて何も知らないだろうから。このての腐った人間にとって、法律とは金で買うものである。なにかもめごとがあれば、金で世界一の弁護士を雇えばいいだけのことだ。相手方は、相手の弁護士を見て、ああ、あの相手では自分は勝てない、と思うと、弁護をひきうけたりはしてくれない。そうやって、金持ちは法律を金で買って、自分を守る。それが、娘が大学時代に金持ちの男子学生を訴えたときに、われわれが学んだことだ。相手は、こちらの年収を見越して、3万ドルでどうだ、と示談をもってきた。一人1万ドルの勘定である。アホか、でけっとばした。誰も娘を弁護してくれなかったけれど、我々は自分たちの尊厳のために戦った。 ドアホも、弁護士は金で買うもの程度のことしかわからず、法律も裁判も自分の思う通りにできると思っているのだろう。だからドアホである。誰を国に入国させるかは、国が決めることだ、という理屈がある。もっともなことだ。もっといえば、誰を自国の国民と認めるかも国が決めることだ。だから、日本なんて、戦後長いあいだ経つまで、たぶん1970年代ごろまで??、日本人の男が父親の場合は、子供は日本国民となれるが、母親が日本人で父親が外国人の場合は、子供は日本国民と認めてもらえず、沖縄には無国籍の人がいっぱい生まれた。あのときだって、日本政府は、誰を日本国民とするかはこっちが決めることだ、なんて言っていたに違いない。それが、なぜ変更されたのか。国の権力を振りかざすだけでは、社会は前に進まないことを、日本政府も学んだからではないのか。社会は理想をめざして、動き続けるという考え方を前提としているのがアメリカである。アメリカの国の成り立ちはほかの国とは違う。理想的な論理で成り立っている。その理想的な論理を犯すのは、憲法違反である。だから、ドアホの命令は憲法違反なのである。何の証拠もないのに、すでに許可されている人を入国禁止にする理由は何なのか。ドアホの汚い胸一つか。アホか。そんなことがとおるわけがない。法律は金で買うものだとしかわからないドアホは、判事をso called judge と呼んだそうな。お前こそ、so called president だ。さっさとひっこんでくれよ。(怒)腹は立つけれど、それでも信じていることがある。娘が訴えた男子学生たちは、結局は大学を卒業できずにどこかに消えたと聞いている。そういうものである。金ではほんとに大事なものは何も手に入らない。金持ちになるのは不幸の始まりかもしれぬ。自分の娘の商売を、たとえso called だとしても、公人たるものがへらへらと何の問題意識なくうんぬんしたがるそのドアホ加減、学校時代はCとFばっかりと違うんか。(笑)勉強する必要ないもんな、腐るほど金があったらさあ。ほんまに大したことがない、金持ちなんて。なにやらかわいそうになってきた。ドアホの裸踊り、まあ、しばらく我慢してやろか、それしかできないんだろ、わたしゃ、見ないけれどね。(笑)
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