〜ing〜アメリカつれづれ日記
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2018/01/27(土) 音楽療法
日本からのニュースで、ホスピスで音楽をやる効果を知った。かなりストレスが低下するらしい。よかった。なぜなら、私が週に一度シカゴでやってるボランティアこそ、音楽療法だと思うから。みながよく知っている歌をピアノで弾いて、歌ってもらって、元気になってもらおう、という趣向である。おかげで、カブスの応援歌はほとんど覚えてしまった。といっても、特に歌う気にはならず。(笑)ニュースに出てきた人が、中島みゆきの「時代」を聞くと元気になる、と言っているのを聞いて、自分のことを思い出した。私が就職した1977年に店の閉店近くなると、流れていた曲である。あれから40年かああ。。。私ももう少し年をとったら、どんな曲を弾いて、自分で自分に音楽療法しようかなあ。。やっぱりカラオケ友達というのは作っておくべきかも。。(笑)カラオケを発明した日本人はずっと音楽療法をしてきたようなもんだ。。(笑)そういえば、このあいだ、ニューヨークでカラオケに行った。しょっちゅうニューヨークに出張するロサンゼルスの人に、ニューヨークへ行きますよ、と声をかけると、ああ、私もちょうど新年会で行きますよ、というから、待ち合わせたのだった。で、カラオケータイムズスクウェア近くの店で、バーでアメリカ人が大声で歌っているのでびっくりした。日本人用に個室ありで、10歳ほど年上の知人は、三橋美智也とか村田英雄とか、やはりちょうど10年ほど違う選曲。(笑)私は相変わらずの「時代」とか「シングルアゲーン」とか「駅」とか。。。歌える曲は限られているけれど、あの時代に戻ったような気になることがストレス解消になるのだろうことは十二分に理解できる。テレビでは、リラックスできる曲として、映画「ロミオとジュリエット」の曲を流していた。シカゴのクライアントにも、カブスの応援歌やら、「リメンバーパールハーバー」やら陸軍、海軍、空軍、マリーンの歌ばかりではなく、優しい映画音楽でも、時には弾いてあげることにしよう。歌えなくても、曲想がかれらをリラックスさせるに違いない。それにしても、あの人たちは、陸軍、海軍、空軍、マリーンの歌はよく覚えている。国威発揚のそういう時代に育ったんだ、と改めて思う。勝ってよかったね。こっちは負けて、私の親たちはえらい目にあったんだよ、と思いながら、かれらの歌を聞く。あああ、これも音楽療法????(笑)

2018/01/23(火)
週末は気温が上がり、道の雪もとけたので、久しぶりにごみ拾いに出た。そして、腹が立つものを拾った。まだ開封もしていない新しい食べ物がいっぱい入っているプラスチック袋である。マルちゃんのインスタントラーメンとか、アップルソースだとか、袋入りのスナック菓子とか。。思うに、どこかの支援団体が、貧困層の人に配った支援食糧だと思う。袋ごと捨てているのである。めちゃ腹が立った。お前ら、食べる気がないのなら、ましてや捨てるならもらいに行くな。もらって喜ぶ、必要とする人がいっぱいいるんだから。ええ、何て、ステーキがもらえると思った? あほ。その程度の根性だから負け犬なんだよ。食べる物を何の躊躇もなく捨てるなんて、最低だ。封はあけられてないから食べようと思えば食べられるのだが、やっぱりどこかいやああな気がして、捨てた。ごめん。(悲)そこからすこしいくと、これまた封を切っていない1ガロンのミルクを拾った。あほっ、仕方ないから、これもミルクを道に流した。もったいないなああ。。どんな奴らか知らんけれど、お前ら、アメリカの豊かさに甘えているろくでなしだ、屑だ。(怒)そう思いながら歩いていると、今度は、尿袋を見た。膀胱尿道にとりつける細い管がついている。プラスチックの袋の中は、濃いこげ茶色の液体が入っている。尿なのかどうかわからないが、いったいこれは何だ。病人のものではないか。なんでこんなものが道に落ちている? 尿袋をつけてる人間が、車の中で袋をとって投げたのか。それとも尿袋をつけて、歩いていたとでもいうのか。ほんとに人間の心もするこもわからない。私は、基本的に人間が嫌いだ。(怒笑)その一方で、きのうは、久しぶりにシカゴのじっちゃんばっちゃんに会いに行った。クライアントの中に、筋肉が弱っていく難病をかかえている人がいる。5年ほど前に私がボランティアに行き始めたときからいる人だが、このごろは、いよいよ舌の筋肉も弱ってきているのだろう、ますます言っていることがわからなくなった。それでも昨日は、別のクライアントの娘さんと一生懸命話をしている。病人の娘さんと同じ職場で働いていたとか。信頼関係があるのだろう、よく回らない口で何度も口にしたのは、私はナーシングホームには行かない、家にいる、だった。ナーシングホームは、家で介護ができなくなった人が行くところである。クライアントの症状はだんだん重くなってきているし、家族はそろそろナーシングホームに送るしかないなあ、家族のケアもいよいよ限界だ、みたいな話をしているのかもしれない。以前は、抱えてあげたら、両足をえっちらこえっちらこと歩けたのに、いよいよ車椅子に座りっぱなしになってきている。家での介護はむずかしかろう。それを聞かされるクライアントは、私はナーシングホームには行かない、を繰り返した。回りにいるほかのクライアントも私もスタッフも黙りこんで、あたりは静まりかえってしまった。 彼女は心から悲壮な本音を叫んでいた。ナーシングホームには行きたくない、家族といっしょにいたい、と。そこにいたみんなは、それが、もしかしたらかなわないかもしれないことはようくわかっていたから、ますます誰も一言も声を出そうとはしなかった。そのときである、クライアントの一人の男性が立ち上がり、その車椅子のクライアントのそばに行き、何も言わず、彼女の手をとって、じっと握った。相変わらず誰も何も言わなかった。言葉が聞き取れなくなっているクライアントも何も言わなかった。言葉はいらなかった。何もいらなかった。心だけが、そこにあった。見えないけれど、心があった。温かい心があった。道端のうす汚い心に腹を立てながら、人生の最後が迫る悲しさを一生懸命生きている人たちの暖かい心から、私はエネルギーをもらう。もう何もいらない。あたたかい、強い心だけが欲しい。振り返ってみれば、私も、食べる物を道端に投げ捨てるようなことをしてきたかもしれぬ。小さな自分を思い出すのは怖いものだ。もう目の前の時間には限界が見えてきたのだから、なんとかきれいに生ききりたいものだ。心ー人生で一番大事なものだと思う、自分が自分として認識できる限り。。(悲)

2018/01/18(木) 親というもの
神戸の震災から23年とのことで、日本からのテレビは震災関連のプログラムを流していた。ニュースにも神戸が出てきて、もっとうれしいのは、けったいな尻上がりのイントネーションで、ゴシップ番組に出てくるような体言止めとか、このあいだはノーベル賞の山中教授すら東京弁に毒されてしまっているのを発見、がっかりしたが(ほね、という二文節の言葉では、ねが尻上がりになるのが東京弁―憎笑)取材された神戸の普通の人の言葉が聞けるのがすごくうれしいのである。で、ショックを受けたのが、震災孤児という番組である。震災で両親を二人ともなくしてしまった人たちが、この23年どう生きたか、を伝えていた。一番ショックだったのが、10歳ぐらいで両親を亡くした女性が自分の子供が生まれたそのときに、ママパパに会いたい、と病室で大声で叫び続けたことである。取材した人間もショックだったから、その声を記録に残したのだろう。ナレーターは、今まで抑え続けた感情がほとり走り出た、としか言わなかったが、肝心なのは、彼女がどんな感情を抑え続けていたか、である。親にもう一度甘えたかったんだろうなあ、と感じた。これから自分が親になって、人間を一人育てていかねばならない、という大きな責任を背負うことになったとき、もう一度自分が親に甘えたい、助けてもらいたい、と本能的に感じたんだろうなあと思った。ところが番組が追ったのは、彼女の、親に会いたいという気持ちは、自分も死んで、親と同じところに行きたい、という気持ちだったという。子供が生まれていても、でもある。屈折した人間の気持ちのむずかしさを思った。そして、ほんとに悲しかったのは、そんな母親の気持ちを、娘がすべて吸収して、よく理解していることである。この娘さんも、これからが大変だろうなあ、と想像した。ああ、親というもの。。番組の中で、孤児の女性が言った、親はいてくれるとありがたいものですよね。ほんとにそうである。親とは、二人ともいなくなったときに、その姿を現すのである。自分をこの世に送り出した根っこが消えるということ。人生100年時代となり、親がいつまでもいてくれるように感じられる人が多くなっているからこそ、小さいときに親が二人とも突然いっしょに消えてしまうというのはどんなに寂しいことだろうか。神戸の震災23年と聞けば、その前年の夏に突然消えた父親のことを今だに思う。そうか、死んでもう24年が来るんだ、と。生きてるときはあんなに腹を立て、嫌っていたのに。。。(悲)亡くなる直前、ある新聞の懸賞論文の2位に選ばれ、私の文章と写真が新聞に掲載されたことがあった。あのときも、東京の編集部から電話があって、神戸のご両親にお知らせしましょうか、と何度も聞いた。新聞社側は、単に購読者を増やしたかっただけかもしれないが、私は、はい、知らせてください、と何度も言おうとした。でも言えなかった。その前に神戸に帰ったときに、2度と帰ってこないのが本当の親孝行や、と言われて、大けんかしたからである。あれでも親か、と腹を立てていたのである。親にあの新聞を見せたかった、と今だに思う。どんなに喜んでくれただろうか、と今だに想像する。意地を張って、ほんとにバカだったといまだに涙が出る。あああ、親というもの。。(悲) 番組の最後、テレビ画面の孤児の女性に声をかけた。子供さんをしっかり育ててあげてください。親はあなたしかいないのだから。ああ、親。。。親を知らない人間が子育てをするむずかしさー小学校5年生で親元を離れた父親の姿が重なった。寂しかっただろうに、じゃあ、娘を甘えさせて育ててくれたらよかったのに。。。私の寂しさである。(悲)

2018/01/14(日) ニューヨーク
きのうの夜、無事にニューヨークから戻ってきた。3泊4日の旅。ああ、つかれたあ〜〜〜。出かけた朝は、5時すぎに家を出て、十分に間に合うはずだったのに、なんとネイパービルあたりで車両火災があったと、4レーンが2レーンになったために、とろとろ。普段なら5秒で通過のところを40分以上かけてとろとろ。。どうしよう、と心配しながら、やっとこさなんとか空港の駐車場に着いたら、今度は駐車するところがない。えええええええと心配しながら、やっと隅の隅になんとかあいてるスポットを一つ発見。ほっとしてなんとかゲイトに着くと、もう誰もいなかった。こんなこと初めてである。それでもぎりぎり乗せてもらってやっとニューヨークへ。ニューヨークに着いたら着いたで、バスに乗るにも一苦労。だいたい空港のバス乗り場には観光客がうじゃうじゃだから、誰に聞いても知らん、みたいな感じ。やっと切符を買う機械を見つけてーバス乗り場にはないのであるーその切符をまた別の機械に入れて、レシートを出して、とややこしいことをしてやっとバスに乗った。なんとか地下鉄の駅に着いて、今度は電車に乗ろうとしたら、電車がメカニカルプロブレムで動いてないという。どうせえいうねん、と怒っていたら、親切な黒人男性が、MとFならマンハッタンまで行くよ、私も行くから、と教えてくれて、くっついていった。で、無事にホテルに着いて、ほっとである。テレビをつけると、今日はどこそこの電車が動いていない、とか、水があふれて電車が動かぬ、とか、事故で道路が渋滞とか、交通に関してはうっとうしい話ばっかり。天気もうるさくて、洪水になるぐらい雨が降るとか、今日は60まであがるけれど、明日は10に急激に下がるから気をつけろ、とかなんとかがたがたうるさい。何が10じゃ、こっちはマイナス20からきとんねんぞ、10ぐらいでぎゃあぎゃあ言うな、とぶつぶつ。(笑)飛行機会社からも、天気が悪くなるから、帰りの便の情報には気をつけてくれ、みたいなメールが入るではないか。予定通りに帰れるんだろうか、とほんとに心配した。で、もう一つがドアホの話ばっかり。ドアホみたいなassholeがいるところが、shitholeなんだから、もうホワイトハウスじゃないんだよ、うるさい、とまたテレビ画面に向かってぶつぶつ言っていたが、一つ気がついたのが、コメンテーターの誰も、あんなドアホを誰が大統領にした、と有権者の半分を責めるようなことは絶対に言わなかったことだ。そこが肝心なところなのに。それよりも、共和党をどう守るか、みたいな話ばっかり。みんなわかっていても、誰も言わない。。政治家とはそういうものだ。くだらん。(笑)1日の終わり、5番街のドアホタワーを見にいってやった。若い兄ちゃんが二人重装備で立っていた。私がじろじろ見たものだから、向こうもじろじろ。中をのぞくと、中にも警官がぞろぞろ。でも、思ったほどの警備ではなかったから、ちょっと拍子抜け。(笑)となりのティファニーでは、あのお、「ティファニーで朝食を食べられるようになったそうですが、カフェはどこですか」と聞くと、4階です、と言われた。ああ、ビルの中で食べるんだ、じゃあ、いいや、で帰った。(笑)ティファニーでは、中国人の女性が二人、中国人の店員となんやかんや言いながら、買い物をしていた。そうか。中国人店員を置いてるんだ。そういえば、地下鉄の切符機械でも、中国語のボタンがあった。日本は影が薄くなった。それでいい。パトカーのサイレンはSF映画に出てくるみたいな派手な機械音(光線でもあたりにまきちらしているみたいな)で、びっくりした。運転はすさまじいし、汚く暗い、小さく、うるさい街ニューヨークは、25の時、初めてアメリカに行ったときに訪ねた町である。40年近く前にどこに泊まったのか、何日いたのかまったく覚えていない。ただセントラルパークやら、メトロポリタンやらグデンハイムやら美術館を回り、タイムズスクウェアに感動し、リチャードバートンの劇を見、ミュージカルのキャットだったのか、を見、とにかく盛沢山に動き回ったが、あれから40年、ホテルの回り3ブロックほどをぐるぐる回るのがせいいっぱい。(笑)ニューヨークにはもう興味はまったくなくなったが、それでもやっぱりすごいなあ、と思ったのは移民たちのエネルギーである。寒い日にも屋台を出して、一日中、売れるかどうかわからないのにじっと立っている人々。声高に、どこの言葉かわからない言葉でしゃべっている人たちに、誰一人として視線を投げる人はいない。(シカゴにはいる。。)ホテルのおじさんも、英語がへたな移民だが、親切な人だったから、私としては珍しくチップをはずんだ。(笑)ほんとにメルティングポットのニューヨーク。魅力的なところだが、もう私にはついていけなくなった。前回行ったのはもう5年以上前だっただろうか。次行くとしたら、もう70を超える???(笑)最後の日は、心配した天気とはまったく裏腹に、冷えてはいるが、真っ青な青空が広がるいい日になった。もう少しいたい気持ちもしたが、いてもすることもなく、早めに空港へ行って(電車とバスのシステムはさっぱりわからず、それでも何とかたどりついた。。笑)無事にスタンバイで、予定より1時間早くイリノイに戻ってきた。終わりよければすべてよし。。。ニューヨークへ行ってよかった、エネルギーをいっぱいもらった。ラッキーなことに、人はみんな親切だった。娘にもらったオレゴンとでっかく書いてあったうわっぱりを来ていたのがよかったのかも。。西のはずれの田舎もんだよ、を前面に出して、へたな英語をますますへたにして、同情を買う戦術がうまくいったかも???(笑)またしばらく、イリノイの洞窟でがんばるぞ。。ニューヨーク、感謝。。(笑)

2018/01/05(金) 肉欲
ボランティアに出かけていく月曜日が、年末年始2回、祝日にかかって行かなかったので、きのう、じっちゃんばっちゃんに会いたいと思って出かけていった。来ているクライアントのメンツが変わると、雰囲気もだいぶ変わっていた。加えて、いやああなものを見たのであわてて帰ってきた。老婆の肉欲である。あの人ももう80を超えていると思う。私が出かけていく月曜日に、男性のクライアントの手をとりあって、婚約した、と二人で喜んでいるのを見たことはあったが、きのうは、96歳の日系のおじいさんのそばに寄っていって、おじいさんの股間を握ろうとし、それとも握ったか、で、加えて、are you feeling good?と聞いているのである。気分が悪くなった。フィリピ―ナのスタッフに聞くと、こういうことはしょっちゅうで、息子も知っていて、恥ずかしく思っている、とのこと。いっしょに手を握って喜んでいたリチャードという男性クライアントは、もうその老婆のそばには座りたくない、と言っているらしい。性欲をまるだしにされると気分が悪い。昔、日本で、電車の中で、隣に座っていた男が新聞に隠しながら、露出していたものを見てしまったときの感覚がよみがえった。見なくていいのに、と男は言ったが、わかってたら、席をたってただろう。(怒)その老婆も、ほかの部分ではほぼ普通なのである。ぼけているわけではない。しかし、その性欲の部分だけがコントロール不能らしい。あああ、食欲と性欲は最後まで残るとは聞くけれど。。スタッフは、気にするな、と言った。で、考えた、これが男だったらどうなのか。男のクライアントが、女のクライアントの胸をわしづかみにしたら、どういうことになるのか。最近、映画監督やら政治家たちがセクハラ疑惑でばたばたやめることが続いたが、男のセクハラは罰せられるが、女のセクハラは罰せられないのか。それは裏返せば、まだまだ社会が男社会ーつまり男が力をもっていると考えられているーからではないのか。個人的には、その白人老婆のセクハラをやめさせるべきだと考える。でも、組織としてはクライアントが払う費用が必要だろうし、しかも、現役政治家の若いときのセクハラとは違って、この老婆が、そういう”病気”であり治るもの、やめられるものではないとしたら、クライアントを失うことはしたくないだろうなあ。 でも男のクライアントは失うことになるのでは。。ただでさえ男のクライアントは少ないのになああ。。いや、男のクライアントはセクハラを受けても、その時だけで、バスに乗って家に帰るときは忘れているかも。。(笑)あああああ、怖いなああ。。自分が年をとったときのことを想像するのは。。。そういえば、日本でも、老人ホームで、男だか女だか取り合いになって、殺人事件があったような。。殺人のほうがまだすっきりしていていい、なんて言ったら叱られるかなあ。あんまり生々しいのはいやだなあ。。(悲)

2018/01/03(水) うれしかったこと
年が明けて、うれしかったことがあった。ずっと探していたものが見つかったのである。何かというと、短くなった鉛筆をさして、長くするやつ。。(笑)どこを探しても見つからずに、今度日本へ帰ったときにさがさにゃ、とは思ったけれど、あんなもの、今頃売ってるんだろうか、と思うと、すごく気が重くなっていた。昔は、ああいうものを使って、鉛筆も大事に使っていたのに、今では、紙に鉛筆で書くなんてことも少なくなっているのでは。。と、しょんぼりしていたら、何と、ベッド横の隠れたところにころがっているのを発見。。やったあああ。。。ああ、年が明けてよかった。(笑)もう一つうれしかったこと。大好きな蒼い夕空に浮かぶ、大きな満月を2回見たこと。スーパームーンというものだったそうな。大きな、冴えきった月だった。月のクレート?の影もはっきり見えた。見ていると、涙が浮かんできた。ああ、こんなにきれいなものが見られるんだったら、摂氏零下35度の世界も捨てたもんじゃないよ。美しい冴えきったお月さんにお願いした。今年1年いい年になりますように。(笑)日本からのニュースは、新年早々おもちが喉につまって亡くなった人のことを報じていた。人ごとじゃないよ。このあいだから、2回ほど、私ものどにものを詰まらせがちになっていた。何がつまりそうになったかというと、ちょっと大きめのカルシュウムのサプリメント。1ケめは何とか飲み込めても、2ケめはのみこめず、何これ、とあせってしまい、指で取り出す始末だった。なぜこういうことになるか、と言うと、唾液の分泌が減っているせいだと思う。1ケめはなんとか唾液でスムーズに動かして、のどまで運べても、2ケ目にはもう唾液がなくなり、動かずに、なんとうわあごにくっついてしまうのである。へたに、のどのほうに送りこもうなんて考えたら、あぶない、あぶない。のどなのか気管支なのか、もう自分でもコントロールできなくなっているのがはっきりとわかる。というわけで、これからは、サプリメントをのむときは絶対に水といっしょにのまなければならない、ということが判明した新年。。。昔は、水なんてのまなくても、ふつうに何でも飲めてたのに。。。そりゃ、おもちは危ないでしょう。。。というわけで、いよいよおもちも普通には食べられない年齢となりつつある。悲しいなああ。。。ああ、これが新年。やっぱり何がめでたい???(笑)

2018/01/01(月) あけておめでたいか??(笑)
また1月がめぐってきた。あああああ、いっこもうれしくない。いつもと同じ朝である。(笑)きのうは、朝5時すぎに起きて、テレビをつけると、日本でのライブの紅白の真っ最中。おんなじ顔した若い人のグループがつぎからつぎに出てきて、何を歌っているのか、歌詞もメロディもさっぱりわからぬ。一つわかったのは、最近のグループは、歌よりも、とにかく見せるのが主ということ。ダンスやら、カメラマンが大写しにしたがる顔とか。若い女の子の顔がえんえんと大写しになると、おおこれがお前の好みか、と見えぬカメラマンに向かって言っていた私。(笑)歌を聴かせる、というコンセプトは、高橋真利子と石川さゆりにしか感じられず。テレビはくだらなくなった、ラジオのほうがいいな、と考えたりしていると、高橋真利子の歌を聴いているときに、急に、昔、父の布団の中で聞いたあちゃこの声が聞こえてきた。あれはいくつぐらいだったのだろう。どういう番組だったのだろう。父の布団のあったかさとあちゃこのまあるい声の組み合わせが心地よかった。こんなこと、この50年思い出しもしなかったことだ。あちゃこという人は、たぶんテレビでは見たことがないのではないか。私の中では、ラジオの中だけで存在する人。ラジオから聞こえてくるあちゃこのトークを思い出して、もう一度、父に会いたいと心から思った。父は私をかわいく思っていたのである。母は、それを嫉妬した。だから、言ってのけた、聡という名前まで考えて、男の子を楽しみに待っていたのに、あんたが生まれて、お父さんは絶望したんよ、と。。小学4年のときである。忘れられない。でももう忘れたい。父がいなくなって、神戸の震災の前の年だから、もう24年。もっと優しい、甘えられる時間を過ごしたかったなあ。。言った母親を恨んだが、その母もいなくなってもう丸5年が過ぎた。家族と自分、そして一度しか生きられない人生ー因果なことだ。年があけて、何がめでたい。。因果はいっこも変わらない(笑)でも、今ふっと思った、忘れられないことを忘れようとしてみようか。忘れようとしたら、新しい自分になれる??? そういえば、紅白に出てきた若い人の歌は、そんな歌ばっかりだった。夢やら希望やら、どうのこうの。。。言えば言うほど、嘘になるのに。。(笑)司会者の数は減らしてくれ。3人もいると、同じ「ありがとうございます」を3回続けてきかなあかん。みんな仕事で歌っているのに、なんで司会者は歌手に「ありがとう」を言うの?? さっぱりわからん。歌手への質問は誰が誰に聞いても、「どんな思いをこめて歌いますか」だって、あっほ。。そうそう、シカゴで見たがさがさ林真理子は、えらくころころと上品そうな顔になっていた。(笑)みんな変わっていくーそれだけは変えられない。変えられないものをもつのもいいことかも、で、相変らず親を背負って今年もがんばるか。。。あけて、何もめでたくないけど、生きるしかない。こんな自分でも。世界でたった一人の私。大事な私である。。と、ここまで考えついて、やっとあけましておめでとう!!(笑)


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