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2018/12/31(月)
年の瀬
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今年も大晦日を迎えた。あと4時間ほどで今年も終わる。悲しい。終わるのは悲しい。去年の今ごろも一人だっただろう。今も一人。これでいい。一人で年の瀬を見つめる。きのうの夜、無事にサンフランシスコから戻ってきた。娘とは相変らずけんかはするわ、サンフランシスコの汚さにはうんざりした。気候がいい分、ホームレスも多く、Jタウンの道なんて、顔をあげて歩けない。ホームレスのなのか犬のなのか、大きな大便が道のあっちこっちにあるわ、ホームレスが腐ったものでも食べたのか、吐しゃ物があっちこっちで流れているわ、そのホームレスは道の木に向かって、パンツの前をあけて立ちしょんべんをしてるわ、地下鉄の駅やらビルの影では尿の臭いがぷんぷん臭ってるわ、で、ほうほうのていでサンフランシスコを逃げ出してきた。それに加えて、ホテルは、むやみやたらと税金をかけている。だいたいこの頃はどこでもフリーWi−Fiでしょう、それを27ドルも支払わせて、それにまた何やかんやと税金をかけていた。サンフランシスコももう終わっているな、と感じた。30年以上前、あの町で喜んで仕事をしていた自分はもうどこにも見つからなかった。私にとってもう過去の町である。もう戻ることはない。今もまた、過去の時間と向き合っている。大晦日だと、近所のスーパーで日本そばを買ってきて食べた。年越しはこれで終わり。。(笑)テレビをつければ紅白歌合戦をやっているだろうけれど、見たいとも思わない。知らない、若い歌手が出てきて、きゃあきゃあ騒いで、自分たちで喜んでいるだけだ。昔、父親が紅白の途中で、一張羅の着物に着替えて一人家を出ていった光景を思い出した。神戸の湊神社にお参りに行くためだ。帰ってきたときのことは記憶にまったくない。いつも寝てしまっていたのだろう。大昔の小学生のころの思い出。もうあのころには戻れない。戻りたいなあ、とふと思う。娘とけんかするたびに、もっと優しくして育ててやればよかったと思ったりもする。私の父も、そんな風に私のことを考えてくれたことがあっただろうか。今回のけんかでは、もう私のことは死んだと思って、自分でがんばればいい、私がホームレスになってでも、あんたにはたとえわずかでも金を残してやる、とまで言ってしまった。昔の私のことを何やかんやと責めるからである。そんなに親が嫌いだったら、親なんて死んだと思って、一人でがんばればいい、と、私にしてみれば励ましの言葉なのである。(笑)それはそれで、意地が悪い、とか何とかごちゃごちゃ言って泣き出した。もう、ええ加減にせえよ、で、ますます腹が立ってくるという悪循環である。私と娘の決定的な差は、私は心の中では何と思っていても、親には一言も言い返さなかった。言い返せなかった。じっとじっとただひたすら我慢した。親と子。。ああああああ(悲)「2度と帰ってこないのがほんとの親孝行や」と言い切った父親の最終的な愛情。その気持ちは一世代をすっ飛ばして、私の娘が答えを出した、「お母さんが帰ってきて、と言わなかったら、私は絶対にお母さんには会いに帰ってこないから」そうか、それでよし。(笑)年の瀬一人。人間、生まれるときも死ぬときも一人。よくそんな言葉を母親から聞いた。一人。じっと一人の時を凝視する。新しい年はめでたいか。否。ただただ時が深く落ち、体に刻み込んでいくその時の流れの痕を指先でなぞり、いとおしむだけ。いつか終わるこの時の流れーたった一人で向き合いきる力を蓄えること。 そうそう20年ぶりに会った、還暦を迎えた友達は最近離婚して、新しい彼氏といっしょに住んでいるとか。もう一人の知り合いも、名前が変わっていると聞いた。20年なんてあっというまだったけど、思いかえせば、人それぞれそらもういろんなことがあったのだ。時って不思議なものだ。年の瀬、一人。めでたくはないけれど、やっぱり来年もまたいい一年でありますようにと願わざるをえない。今年も来年もないよ。ただただ、深く充実した時がゆっくり流れていくのを見つめていたい。逝こうとしている今年へ、ありがとう。年の瀬ー「悲しみよ、こんにちわ」(笑)そして流れた先の1月1日、よろしゅうたのんまっせ(笑)
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