〜ing〜アメリカつれづれ日記
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2018/07/29(日) 洞窟にこもりたい
今日今から再びオヘア空港に出かける。これですべてが終わる、と思ったけれど、そうでもないなあ。それにしても、この1週間は何と忙しかったことか。娘がやってきて、朝ごはんを食べずに、ロックフォードやらシカゴまで出かけていったのが先週の日曜日。月曜日はボランティアと太鼓のレッスンでシカゴ。火曜日は、夜出張から帰ってくる配偶者を空港まで迎えにいかねばならないから、どうせならついでに、と、午後から図書館と戦争花嫁に関するレクチャーを聞きにシカゴへ。水曜は、これまた再び配偶者をオヘアに送っていき、木曜は、夜同窓会があるというので、それならと再び午後から図書館二つ回って、やっと金曜、土曜と洞窟にこもり、今日今からオヘアへ、明日は再びボランティアと太鼓、火曜日は田舎道を1時間走っての図書館行、あああああああ、いつ洞窟にこもれるのか。このあいだに、大型の台風が来たというので、神戸の隣家に電話。テレビには、二階の屋根が吹っ飛んだ、という絵が流れていたから心配したのである。 あああああ、いよいよ神戸の家もめんどくさくなってきたなああ。。あああああ、どうしよう。とにもかくにも、また時速140キロで運転だああ!!!シカゴよ、そろそろ飽きてきたよ。(笑)

2018/07/22(日) 親心、子心
無事に飛行機に乗った模様。特に連絡なし。「便りがないのはいい便り」(笑)昔の同僚の結婚式に出席する娘が、ボーイフレンドを連れて家に来るという。忙しいから、家にいるのは30分ほどだけど、家をきれいにしておいてね、と娘に言われて、ほぼ1週間かけてごそごそ掃除した。今日は、リビングだけ、とか今日は階下の片づけ、とか。そりゃもう、掃除が嫌いで、どこもかしこも埃だらけだから、一度始めたら収拾がつかない。埃から生まれるような細い細いくもやら、黒い小さな虫どもは、普段は静かに暮らしているのに、急に人間がうるさい器械を持ち出してきて、があがあやるもんだから、びっくりして、あっちこっちから飛び出してくる。くそ〜〜、こいつらかもしれぬ、私の身体のあっちこっち噛んで、医者まで行かなくちゃならなくなったのは、と思うと、仏も神もあったもんじゃない、バキュームで襲って吸い込んでやった。。(笑)床においておいた紙は湿気でかびがはえてるし、いったい何や、この家はって感じ。(笑)がらくたが多く、片づけが大変だったが、どこからか娘が20年近く前に書いた詩が出てきた。まだ小学生だったときのものである。土曜日に私といやいや日本語と算数をやったこと、週末は暗雲に覆われる、と書いてあった。かわいそうに。(笑)一つびっくりしたのは、私の母に関する詩があったことだ。子供心に母を何とか理解しようとしたらしい。私の母は人との付き合いはマイナスの人間だったから、娘には何の責任もなかったのに。。それでも、はっきりと書いてあった、おばあちゃんはふりをしているのだ、私にはわかる、と。私の母は娘のことをあまり好いていなかったと思う。娘はそれをひしひしと感じていたのだ。でも私のために、いっしょに日本へ行っていたのだ。私を喜ばすために。子供ってすごいなあ、と改めて思った。本能的に感じるのである。子供好きな人とそうじゃない人との違いは、言葉で表せられるものではない。ああああ、子心、親知らず、である。一生懸命、朝ごはんも食べずに、トイレやらとにかく目につきそうなところだけ片づけて、無事に駅まで迎えに行って、30分後、出張中の配偶者の車で二人で出かけていって、そのままバイバイ、と思っていたら、なんと使おうとした配偶者の車が死んでいるではないか。バッテリーだろうと思って、私の車やら近所の人のトラック、それから業者まで呼んで直そうとしたが、直らず。バッテリーではない完全な故障だとわかって、なんと私の車でロックフォードやらシカゴまで連れていくことになった。教会での結婚式には遅刻である。何これ。。。運転するのはボーイフレンドだったけれど、それでも疲れた、疲れた。。若い人たちの訪問はよっぽどのエネルギーをもっていたようで、壊れたのは配偶者の車だけではなく、部屋で水の流れる音をたててくれていた、小さなモーターじかけの”泉”も、死んでしまった。モーターがいかれてしまったらしい。あああああ、若いってすごい。。それでも親としては思うのはただ一つ。娘の人生が幸せなものでありますように、ただそれだけ。車もモーターも、そして私の疲労も何のその、だ!!(笑)

2018/07/14(土) 踊り場
私は、上野。。。という社会学者が嫌いである。自分はもてた、を平気で連発して本に書ける女の傲慢さが嫌いである。(笑)でも、今日、新聞の悩みの相談室でいい言葉を読んだから、書き留めておこうと思った。40代の独身女性の悩みを、あなたは「人生の踊り場」にいると表現したのである。おお、上野さん、さすがですねえ。「踊り場」かあ。。いい表現だなあ、その通りだなああ。。もう私は踊り場から下に下って、だいぶになるけれど。(笑)今、家のデッキの修繕をしようとしている。デッキの木材が古くなってー築25年ーデッキがかすかにぐらぐら動くし、木の階段も昇降が怖くなってきたのである。で、これまでは一直線だった階段ー上から見ると、下の地面までどんどんどんと一気に落ちていきそうで、それはそれで怖かったーに、私が踊り場を作って、コの字形にして庭に降りるようにしてほしいというと、工事のコントラクターは、踊り場から90度の角度で階段を作るデザインをもってきた。それで私が、90度の角度は面白くないから、優しい曲線の形にしてほしい、と注文をつけて、それっきりとなっている。費用はあがるだろうし、階段を曲線にして、手すりその他コードにあうようにするにはなにかと計算するのが大変なのかもしれない。「踊り場」とは何ぞや、と考えているときに、「人生の踊り場」という言葉に出会ったのである。私が「踊り場」の下を曲線にしてくれ、といったのは、案外的を得た注文だったのかもしれぬ。「踊り場」から下の階段が直線なのは、息がつまりそうな感じがする。そう、人はじょじょに衰えていくのだから。そう優しく下りていきたいではないか。「人生の踊り場」−もし人が、いつまでも若い、現役だを実感したいとするなら、それは「人生の踊り場」に立って、踊り場の下を見下ろす時間を1年でも長くすることだったかもしれぬ。「踊り場」に立っていたのはいつだったのか。もうゆるい階段を下り始めた人間には、もう振り返って、踊り場を見上げることすらできない。過去はきらきら輝き、「踊り場」が見えないから。。(悲)テレビで、初めて松岡。。。という元テニス選手のタレント的しゃべりを見た。元気があった。あの元気が人気らしい。腹が立って寝つけなくても、笑顔を作れ、というコメントにびっくり。そこまで「笑い」の効用を吹聴するのかあ。笑いは、声をたてて笑う、という声出しの行為が大事なのでは(笑)まあ人それぞれだけど、短気な私が、案外効用があると自分で勝手に考えているのが、手をあわせること。実際に手を合わせてもいいし、頭の中で、合わせた手を想像すること。自分の身におこることは、自分に与えられたものとして、すべてに感謝すること。「人生の踊り場」−もう見えなくなった「いつかどこか」に、手を合わせて振り返ってみなければ。

2018/07/06(金) 天災
無事にカリフォルニア旅行から帰ってきた。ばたばたと、毎日発見のあるいい旅だった。身体がその興奮を消化するのに時間がかかっているらしく、なかなか本来の生活のリズムに戻れない。加えて、久しぶりに見た日本からのニュースはまた天災の話である。今朝は、ニュースを見てびっくり。地元の写真が出ているではないか。須磨浦公園駅の西で、土砂が線路に流れたとか。ああ、あそこだ、とピンと来た。ああああああ。隣のおじいちゃんは、”たかちゃんの家はすました顔をしてますよ”、とメールを送ってくれたから、空き家は無事らしい。よかった。私が子供のころは、台風が来るたびに床下浸水に悩んだ屑地に立つ家である。あっちこっちの窓を少し開けて出てきているから、さぞ湿っていることだろう。あと何年、あの家はもつかなああ。。最後の最後までめんどうをみるのが、私と死んだ母との約束である。がんばるぞ。。それにしても死者のニュースに、ああ、また泣いている人がいる、と悲しくなる。でも、天災による死は幸せな死かもしれぬ。これだけは予想もできず、防ぎもできないのだから。でも、人為的なアホな行為による、不慮の死ほど腹立たしいものはなかろう。”あおり運転’やら高齢者の運転やらによる交通事故死とか、性犯罪者やらテロの犠牲になるとか。。。なんで小学生を襲った男が無期懲役なのか、さっぱりわからん。おかしな弁護士がついているに違いない。男はDNAが見つかっているのに、まだ無罪を主張しているそうな。ええ根性してるのお。だから人間は嫌いだ。(怒笑悲)オウムの松本の死刑が執行されたそうな。ふりかえれば、あれは浮かれた、おかしな時代だった。「ああいえばこういうじょうゆう」とはやされた男の顔を、久しぶりにテレビで見た。もう50を過ぎてるそうな。昔よく見た20代の顔とは違い、傲慢さが消えているような印象を受けた。私の顔は????ひどいものに違いない (笑) カリフォルニア旅行で、アメリカで一番深い湖を訪ねた。木々のあいだから、ものすごい、今まで一度も見たことがない青の色が見えたとき、心が震えた。ああ、この色は本物だと思った。それから何時間も見続けたが、感動が減じることはなかった。すごい青。トロピカルの海の色とも、秋晴れの空の色とも、ましてや日常で簡単に見つかる、ありとあらゆる種類の青の色とはまったく違う、異世界の青。。本物は絶対に手に入らない、自分のものにはできない、と心底から思った。どんなに上手な写真家が、どんなに高価なハイテクのカメラを使ったとしても、絶対に写しとることができない青。。自分の眼だけが捉えることができる本物がもつ力。あの青のあざやかさ、深さに、私は自分をゆだねようと思った。自然に自らをまかせきること。 誰にも、他者をこの世界から消すことは絶対に許されない。ましてや自分より若い人を殺すことがあっては絶対にならない。 それは自分自身を餓鬼にする行為である。 でも天災だけは。。。豪雨で命を落とされた方々の冥福を祈るとともに、「同じ死ぬならば」と、どこかでうらやましく思っている自分がいる。


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