〜ing〜アメリカつれづれ日記
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2019/04/27(土) 冬か春か
隣のおじいちゃんからメールが来た。神戸は、私が帰ったあと、気温が下がって、ファンヒーターで調節していると。私が帰るころは、朝はひんやりしていても、午後は暑い、暑いの夏日になりかけで、帰らねば、とあわてて帰ってきたのだが、あのあと気温が下がるとは。。。寒い、暑い、寒いという気候のようで、身体はかなり疲れる。気候がおかしいのはここも同じだ。3月に家を出たときは、まだまだ冬のど真ん中で、庭は土色だったのに、二日前に帰ってくると、そりゃもう、どこもかしこも春で緑、緑、緑。鮮やかな緑の芝生が目にまぶしかった。木々にもやっと小さな葉のつぼみがではじめた。きのうは、さっそく道のゴミ拾いにも出た。すごくうれしかった。(笑)なのに、今日は、また雪である。庭は一面真っ白になってしまった。あの新芽はどうなるのよ。。。くそ。。死ぬなあ。。。(笑) 明日中にはとけると聞いているけれど、いやだなあ、こういうのは。 神戸の家と違うところー家の中にいる限り、寒い、寒いを心配しなくてもいいこと。ああ、明日からるんるんで、庭のぶらぶらと、道のごみ拾いに出られますように。

2019/04/25(木) 帰米の日
1ケ月を超える滞在だった。無事に今回の目的は達せられた。台所と3畳のあいだの壁はとりのぞかれ、友達が心よく提供してくれたテーブルとイスのおかげでかわいいダイニングスペースが誕生した。母親がガラスを壊れたままにし、破れた雨戸で隠していたーつまり外と内がすでに一体となっているにもかかわらず、絶対にあけられることはなかった、66年前のオリジナルの窓をとりのぞき、サッシ窓を入れたおかげで、くらあああかった6畳の部屋は明るくなり、家の雰囲気が変わった。もう親の家ではない。これでいいのだ。あと何年、この家に戻ってくるのか、この家で死ぬのか、ここから最後の施設に移るのか、それはわからない。が、するべきことをしたという充実感がある。死戦期に入る直前に、母に、お母ちゃんが守ってきたものは必ず私も守るから心配するな、と言い、母を冥土の旅に送りだした。これでいい。これが最初で最後の手直しである。このあとは、ただただ使えるだけ使って、私とともにこの家は消える。それでいい。滞在の最後の日に、アメリカから連絡があった。義理の何?(笑)、去年亡くなった義父のお兄さんが、いよいよ目が見えず、耳もほとんど聞こえなくなり、他者とのコミュニケーションが難しくなっていたが、いよいよ頭もクリアでなくなりつつあることを自覚したため、自ら死を選び、断食に入っていた。亡くなったと聞いた。96歳だった。私も、状況さえ整えば、これでいこうと思う。強い意志をもった、立派な生き様、死にざまだと思う。立派な生き様といえば、滞在中ずっと腹をたてていたのが、87歳のじいさんが日本の細い道を100キロでぶっとばし、殺人をおかしても、さん、づけで呼ばれていたことだ。通産省のえらいさんで、勲章までもらってたから、だって。若いときに、どんなにえらくても、人生の最後で殺人を犯したら、人生すべてがぱあ、である。それがわからずに、人をひき殺しても、車のせいにしたり、人、ひいちゃった、と息子に電話してのける厚顔ぶり。だからこそ、勲章までもらえたんだ。腐った国だ、と怒っていたら、何と翌日、通産省の陰謀だ、と私は怒っていたのだが、地元神戸で同様の事故が起きた。何度も何度もビデオを流し、運転手はすぐに容疑者よばわりされた。亡くなった人の数は同じだけど、バスのスピードは10キロほどである。87のじじいのドライブレコーダーの映像は一度も流されず、容疑者よばわりされていない。隣のじいちゃんは、役人天国やねん、と言った。ふん、役人が腐ってるんだから、腐った役人の天国なんて、この国は最低の最低になり下がっている。100キロでぶっとばしたじいさん、体調を崩したと入院する政治家同様、絶対に退院してこないのでは。退院したら、容疑者と呼ばれる、とどこかで聞いた。容疑者よばわりされたくないと、自分のエゴだけで生き延びようとする人間の小ささ、汚さを考えると、断食で自死を選んだ人間の気高さを想う。官僚がなんだ、勲章がなんだ、誰にも知られることなく、吹けば飛ぶような小さな存在でも、内に気高く無限の宇宙を広げている大きな人間でありたい。そんたくだか何だか知らないが、上手にごまかせる人間がほめられる国ではなく、正論がまっとうに通る国に帰るときである。

2019/04/12(金) 櫻の季節
まだまだ寒い。助けて〜〜〜(笑) 日本を離れてから初めて櫻満開の季節に日本にいたような気がする。櫻の開花状況が、毎日のニュースで流れ、お花見うんぬんのニュースが流れしたが、実際に満開になると、特に感慨なし???(笑)確かに美しかった。友達によると、空の青さを背景にした櫻よりも、ちょっと暗くなりかけぐらいのときに、櫻の美しさが際立つという。そうかもしれぬ、あのピンクがかった白さの繊細な美は、薄い夜のとばりが落ちかけたような膜が空気にはりついたときに、はっきりと感じられるのかもしれぬ。そう想像すると、電気に照らされた夜桜なんて、人工の骨頂???この寒さでは、夜桜なんて見たいとも思わないぞ。。(笑)櫻の名所になぞ行かぬとも、家の近所には学校やら幼稚園があるから、櫻がきれいに咲き誇り、目を楽しませてくれた。そして、何よりも、いったい何十年ぶりだろうか、その櫻の満開の下で、まっさらのランドセルを背負った小学生とその親たちが、小学校の正門のところで記念撮影をしているのである。おおおお。。。いいなあ。。。人生これからだなあ。。若い親ごさんもぴかぴかの小学生もうらやましかった。若いっていいなあ。。そう思いながら、歩いていると、近所のおばあさんといっしょになった。おばあさんが言った、私の時代はこんなことなかったですからねえ。。戦争のど真ん中で。。。聞くと母より6つほど若い。敗戦時は11歳ごろである。国民学校入学時は、真珠湾を攻撃した日本がまだ威勢のよかったころか。おばあさんは鹿児島の特攻が海軍の基地近くにいたそうで、空からいっぱい爆弾が落ちてきて。。。と言った。敗戦前の鹿児島は父がいたところである。B29が焼夷弾をどんどんどんと落としていった恐怖は、母親からよく聞いた。そう言うと、おばあさんが、神戸の空襲で亡くなった女学生の碑が隣の区にあるという。一度行ってみよう。次の日だったか、下校時にその小学校の前を通ると、教師が門のところに立ち、下校する小学生たちと親しげに挨拶を交わしていた。教師がSee you tomorrowと、子供に声をかけた。See you tomorrow? いったいここはどこの国や、と思った次の瞬間、おおお、確か小学校でも英語教育が始まったのだったっけ。。See you tomorrow...また明日、でいい、と思うけれど。。どうでもいいや。。(笑)それよりも、テレビドラマを見ていて、いやに目につき、居心地が悪いもの。。ハグである。日本人はハグなどしなかった。それがこのごろは、ハグだらけである。時代劇でもやってたような。。(笑)日本が経済力をつけて、みんなが海外旅行をするようになって、買い物以外に日本人が身につけたものはハグ? (笑)See you tomorrowもハグもどうでもいい。。もっと大事なことは、怒り、戦うことを恐れないこと。。それがなかったらねえ。。日本の外では生きていけないねえ。(笑)藤原しんやが書いている、負けるが勝ち、の思想・美学は日本の外では通用しないと。。日本の外では、自己防衛のための怒りの眼が光っているのである。櫻の花がはらはらと散っていく情景は、まさに負けるが勝ち、の美だろう。お〜〜〜い、ワシントンのポトマック河の櫻はどんな感じ??? 散ってたまるかあ、と怒りの色でがんばってる?(笑)

2019/04/04(木) やっとこさ人間?
そりゃもう、ひどい2週間だった。寒い、寒い。。日本はシカゴより寒い。。もう3月も下旬だし、4月になるし、で、楽しみにしてやってきたのに、部屋の気温5度。さむい、さむい。友達に、さむい、さむいを連発したので、ある友達は背中にはるカイロをもってきてくれた。腰に1個どころか、体の前と後ろ、3段構えで計9個ぐらいはりたい気分だった。服もないので、家に残してあった、父の冬の作業着を、家の外でも中でも着ていた。それでもさむかった。もう一人の友達は、冬のジャケットや厚いセーターをいっぱいもってきてくれた。やはり作業服よりはるかにあったかい。ほんとに助かった。最初の1週間は作業着を着てうろうろしていたが、友達の女ものの服を着るようになると、人の目もやさしくなったような気がする。(笑)それでも今朝も、卵やきを作ろうと思って、油を出そうとすると、油が瓶の中で凍っているではないか。油を使うのに、コンロで油瓶をあっためなければならなかった。なんという家だ、この家は。。(怒笑) 押入れを探して、電気ストーブを出して使っている。ナショナルと書いてある、パナソニックじゃないんだよ、ナショナル。。いったいいつのものだ。これは堂々と昭和博物館行だ。。(笑)いつ発火するかとか心配しながら使っていたが、電気ストーブは、そこのところしかあたたかくならないから、非効率的である。どうしようか、とか心配していたら、やっと今日の午後、春らしい陽気になった。世間は櫻満開とか新しい元号のことで喜んでいるけれど。。わたしゃ、とにかく朝、あったかくなってほしい。日中は気温が上がっても、まだまだ朝は寒い。。。あああああ、あたたかくならないと、本を読む気にもならず。。寒いからと、夜7時には布団に入って、ただただうとうとしながら朝を待つ、という生活が2週間続いている。早く人間らしい生活を送りたいなあ。。今は、ときどき土の外に顔を出してはひっこんでいるもぐら状態。。。(笑)


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