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2020/10/17(土)
白人の傲慢
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フランスで、イスラムの神の風刺画を授業で使って、「表現の自由」を教えた教師が、イスラム教徒の若者に殺されたというニュースが流れた。一番に思ったことは、白人教師の傲慢さである。「表現の自由」を教えるのに風刺画を使いたいのなら、カスの風刺画を使えばいいのに。裸のカスが汚いお尻を突き出して、弁護士が札束でその肛門をふいてる絵でもさ。。(笑)自分とこの大統領の風刺画でもいいではないか。なぜ白人を使わなかったか。なぜイスラム教だったか。そこが問題である。日本のテレビは、宗教の批判も「表現の自由」とフランスでは考えられている、と言っていたが、もしそうなら、フランス人は完全に間違っている。そうなら、なぜローマ法王を風刺しないのか。できないんだろう。その根性は人種差別者のそれとまったく同じである。アメリカでは、公の場、もちろん教育現場で、白人はどうのこうの、黒人はどうのこうの、黄人はどうのこうの、インディアンはどうのこうの、と、表現の自由の旗印の下で、人間のステレオタイプを増長する言動は絶対に許されない、それは人種差別意識とみなされる。それなのにフランスでは、宗教批判を表現の自由の旗印で許す? あっほ。宗教はその人の内面の一番大事な部分をつかさどる。何を、誰を神、つまりその人のためには死ねる、とまで信じきるかは個人の内面の自由であり、それを誰に批判することができよう。自分の宗教を批判されることは、自分自身を否定されるのと同じである。「表現の自由」にも、していいことと絶対にしてはならないこととという、全き灰色のむずかしい境界線があるのである。それを意識することなく、ましてや教育現場で、イスラム教の風刺を認めたのなら、まあ、殺人は許されることではないが、教師も当然批判されるべきだと考える。全世界のイスラム教徒さんたちへ、怒る気持ちはよくわかるけれど、殺人は論点をそらせてしまう。 ここはじっと我慢して、ローマ法王のすっぽんぽんの姿に、フランスの大統領がゲイといわんばかりに抱きついている絵でも世界中にばらまけ。白人キリスト教徒たちの傲慢さを訴えろ。。と、黒龍会が顔を出す。(笑)黒龍会は、白人とキリスト教徒たちの傲慢な植民地主義の打破を目的に、世界の有色人種とイスラム教との連帯を訴えた。 人種と宗教の対立構図は、黒龍会が力をもった100年前からまったく変わっていない。どちらも人間の尊厳にかかわる深く、むずかしい問題で、表現の自由だか何だか知らないけれど、どんな理屈を使ってでも絶対に批判だけはしてはならない、と考える。そういえば、戦前シカゴでも、天皇の風刺画が大きく新聞に掲載されて、日本の領事が抗議したことがあった。領事の抗議に対して新聞社側は、外国人をどう描こうか、こちらの自由であり、日本政府がとやかく言うことではない、と応じた。天皇が侮辱されたから、といって、シカゴの日本人が新聞社に斬り込みに行くこともなく、そのままうやむやになった。さすが日本人(笑)今回の事件は、移民のホスト国で起きたことだ。ホスト国に問題あり、である。(怒)フランス語ができたらなあ、マクロンにでも文句言いたいなあ。カス相手に怒るより、はるかに意義深く、相手に不足なし!!!(笑)
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