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2020/12/14(月)
家というもの
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手術からちょうど1週間である。1週間前の今頃はもう手術室にいたなあ、と思い出す。手術室にいた記憶はわずか1,2分だろう。おかしな1週間だった、早いような遅いような。きのうの午後くらいから、歩行器を完全に放棄した。足にとりつけた器械の持ち運びを片手で行うことで、かなり自由に歩き回れるようになれた。まだ太ももが張っているから、さっさっとは歩けないけれど。右足の痛みは感じない。感謝。日本からのテレビで、建築家のドラマを見た。ドラマの中で、「家とは親の存在そのもの」という建築家のセリフがあった。神戸の実家を思い出した。その通り。あの家から出たかった、とは、あの親から離れたかったということである。でも、この年齢になって、あの家に戻っていこうとする自分がいる。家とはその人間が最後に戻っていくところなのか。ドラマは、主人公の建築家が、無意識のうちに、別れてしまった家族とともに住みたい家を建てた、がテーマである。その気持ちを理解しようとすると、建築家の娘が神戸の家の土地にどうしても家を建てたい、と言い張る気持ちが少し理解できるような気がした。毎年連れて帰った神戸の家は、娘にとって牢獄でしかなかったらしい。私の母が特別娘に優しかった、という記憶はない。むしろ、言うことを聞こうとしない娘の頭を傘で叩いたと聞いている。(私はその場にいなかった)そういう関係性しかなかったあの家を壊したあとーそれは私の死後であるー、自分の家を建てたいと。それは土地の記憶と自分との新しい関係性の構築を新しい家の存在に賭けるということになるのだろう。私の死後のことなど心配することもなし。でも、ふっと思った、これまで拒否して、拒否し続けてきたこのアメリカの家のことを、もう少し前向きにとらえてもいいかもしれぬと。手術をして、新しい股関節を手に入れ(もう1本はいつ???笑)新しい身体とともに過ごす土地への新しくも最後の記憶。どうなることやら。。みおあわったドラマは消すことなく、このまま残しておこう。いつか答えが見つかるかもやしれぬ。
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