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2020/05/25(月)
古古古古古古古x10米
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一体誰が食べたんだろう。庭に、古い古い米を出しておいた。2日ほど誰も手をつけなかったが、今度見たら、少しずつ減っていって、今はもうきれいになくなった。それも、である。その食べ方である。食べ散らかしたわけではない。回りに何も残さず、1ポンドがきれいに消えた。超古米が好きな動物がいたのだ、よかった。リスかな、チップモンクかなあ。。楽しいから、何かもっと出しておきたくなった。(笑)きのう、また嫌いなドラマを見た。70歳で子供を産んだ夫婦の話である。見ながら、やっと違和感・嫌悪感がどこからくるのかよくわかった。あのドラマ、静的なのである。つまり確かに子供は大きくなっていくが(きのうはもう3歳で、幼稚園を探すとかいう話)、育てている親が変わらない。子育てとは戦いである。戦いを通して、親も成長するのである。その部分があのドラマには一切ない。それでイライラする。子供がトイレに行けない、と悩み、行けるようになったと喜ぶ、そういう表面的な部分だけをとらえて、きゃあきゃあ言い、子供をペットとしてしか見えない老夫婦。子育ての戦いとは、親が自分がどんな親にどんな風に育てられたかを実感して知ることであり、自分の身体に刻み込まれた育て方が、我が子といえども、別の人間である子供にどこまで通じるのか、通じないのか、それを学びながら、けんかし、笑いあい、そして子供の成長を見守り、やがて自分を子供に任せざるを得なくなったときにやっと子育てが終わる、というプロセスである。ところが、その戦いと学びの人生プロセスがあのドラマにはない。そらそうでしょ、親が72歳と67歳なんだから。子育てを通して学び、子供といっしょに成長しながら、新しい自分を育ててくれた子供に感謝する、どころか、ただただ、ああ、子供がいてくれてうれしい、人生初めての経験だ、レベルの表面的かつ平凡な感想に終わる。そんなこと、初めて家で子犬を飼うことにしても言うだろう。だからつまらない。見たくもないけど、原作者の意図がどうしても知りたいから、最後まで見るしかない。原作者は若い男なのかそれとも高齢者??? 最後のおちを見てから、文句を言うかどうか考えよう。(笑)
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