〜ing〜アメリカつれづれ日記
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2020/06/28(日) いろいろあります。。笑
出身大学は大阪大学に吸収されてしまって、今はもう存在しない。で、今、なにやらもめていることがあるそうな。それで次のような文章を考えて送った。以下、記録のために。。そんなにピンボケの意見とは思わないけど。。(笑)”「大阪公立大学」の正式な英語名を、University of Osakaにすると考えた人もまた、英語のセンスがないというか、あんまり英語ができない人の発想ではないでしょうか。
ちょっと調べてみると、大阪市立大学は、Osaka City University, 大阪府立大学はOsaka Prefecture Universityという英語名をもっていたようです。今回、この二つの大学を統合することになったとき、大阪大学との違いを明らかにし、また二つの学校の歴史・経緯を踏まえるという意味で、やはり大阪大学とは違って、府なり市なり地方自治体を基盤する、という意味を英語名にもこめたらいかがでしょうか。その意味で、私が思いついたのは、Osaka Municipal Universityです。もしくはMunicipal University of Osakaです。Municipalの意味が、ほんとうに地方自治体の意味をもっているかどうか、ネイティブの人に確かめねば、とは思いますが、
「大阪自治体ゆえの公立」の意味を英語にこめれば、自然に問題は解決するのでは、と考えます。” 大阪大学の正式な英語名はOsaka Universityだそうな。それをUniversity of Osakaと訳す場合もあるだろう。大阪大学のほうが長いのであり、今度の大学は新設大学なんだから、大阪大学が名前の変更を相手に求めるのは理にかなっていると思うけどなあ。。。ああ、そこの部分、書いておくるのを忘れた。。(笑)でもまあ、大阪公立大学がなんでUniversity of Osakaになるのか、センスないなあ、の気持ちは変わらず。。(笑)

2020/06/21(日) 階段を下る
3日前、足の調子がよかったと思う。それで、2日前、エクササイズの量を増やしたんだと思う。要するに、これまでは5回していたのを10回するとか。そしてら、きのう、体がぐちゃぐちゃになってしまった。要するに、足が痛くて、歩けなくなった。まるで、去年の秋からカイロに行く前みたいな状態に。。何これ。。。いったい何をしたんだろう、と情けなかった。このままよくなるかもしれない、と希望を抱いていたのに。。で、今日、無事にまた元に戻った。ほっとした。それで思い出したことがある。母が最初に入院したときに、医者が書いた絵である。右下がりの階段の絵である。つまり、コロナのような急性ではなく、慢性の病気のとき、人間の身体は階段を下りるように弱っていく。といって、階段は同じ高さ、長さではない。一段下りて、次はながあい平坦な線が続いて、また一段下りて、また平坦な線。でも、前ほど長くはないかもしれない。。そして、。。。このあと、医者は沈黙した。。同じことを自分の身体で経験したと思う。もう体を鍛えるという状況ではないのである。5回が簡単にできるようになったら、じゃあ10回にトライしましょう、というレベルではもはやないのである。いつか5回もできなくなるだろう、だからちょっとでも長いあいだ、5回が続けられるよう気長にやりましょう、というレベルなのである。(悲)5回ができるから、じゃあ10回に挑戦、体を鍛えようという欲は、まだ心のどこかに残っている若さへの欲だろう。もうほんとに若くない。。階段を下り始めているのである。めざすは、平坦な道をできるだけ長くすること。。そのためにていねいに生きること。このごろ筋肉は愚直と感じ始めた。突然の動きには対処できない。でも、ていねいにていねいに扱えば、ていねいに応えてくれるもの。そういえば、筋肉もりもりの体操の先生がテレビで言ってたよな、「筋肉は裏切らない」って。愚直だから裏切られることはないと思う。毎日毎日、決まった数だけのエクササイズをこなし、ていねいに愚直な筋肉ちゃんと生きよう。愚直さに感謝しながら。。今日は調子がよくてほんとにうれしい。ありがとね。(笑)

2020/06/17(水) 自然対教育
オンラインで、人間にとって一番身近な”自然’は身体、という文章を読んだ。生物学者が寄稿した文章なのだが有料記事なので、読めたのはそこの部分だけ。。それで充分(笑)、心の底から納得した。数日前、身体と時間の関係を考えたけれど、”自然’とは、この身体が背負っている”時間”を表象しているのだと思う。学者は、身体はロゴス(論理)ではコントロールできないと書いていた。そう、時間はロゴスではコントロールできない。自分に与えられている時間はロゴスではコントロールできない。つまり、身体という自然はロゴスではコントロールできない。例のアホドラマにイラついたのは、頭でっかちに「命」を考えたばっかりに、身体をロゴスでコントロールできる、しようというメッセージを発しているからだと気づいた。できないんだよ、脚本家さん。(笑)記事の見出しによると、生物学者はコロナウィルスと動的均衡を保とう、と主張しているらしい。動的均衡ー要するにウィルスは撲滅できるものではないから、身体という自然がウィルスとバランスをとりながら共存できるように、自然を少しすつ変えていかねば、と言っているのでは、と想像する。少しずつ変えるー自分でもそれが何かはさっぱりわからないけれど、思うに、まずは自分をのぞきこまねばなるまい。もう10年以上、足やら股関節が悪くて、車椅子生活もそんなに遠くではないかも、と心配しているが、それでも最近、自分の左足と右足の長さが違う、という感覚に気づいた。カイロの先生に言っても、首を傾げられるだけ。専門家の論理・医学的知識としては、大した意味をもたぬことなのかもしれぬ。でも、この身体をしょっているーつまり自然者としては、長さが違うと感じるのは、どこかの筋?に問題があって、この筋をなんとか直せば、右足の痛みも消えるかも、と希望を抱いて、毎日、エクササイズをしている。自然は、論理ーつまり医者の理屈ーではコントロールできない、というわけである。と医者嫌いが顔を出す(笑)論理が自然ーつまり身体をコントロールできないという意味では、黒人を撃ち殺した警官のことを考える。ファーストフードの店のパーキングで居眠りしていたから、という理由で、なんで殺されねばならぬ。息を調べられたからといって、なんで逃げねばならぬ。逃げるときに、なんで、アホな警官がもっているものを盗まねばならぬ。そういうことをするから、後ろから撃たれるんだ、逃げなくてもいい、という教育が必要だと思うけれど、黒人の警官に対する不信感は深い、深いものがあって、部外者にははかりしれないものなんだろうけれど、それでも思う、一応権威には従って、それでひどい仕打ちをされたら、文句をいいまくればいいではないか、文句をいうプロセスは設けてあると想像しているけど、そういうわけにはいかないのだろうか。警官も警官である、撃つなら、足でも狙えばいいではないか。なんで背中やねん。それも二発も。逃げる足を撃つのはむずかしいんだろうなあ。映画みたいにはいかないんだろうなあ。そういえば、ゴミ拾いをしていると、声をかけてきた女性警官の第一印象ーあのお、その体で犯人を追っかけられるの、だった。要するに、横幅があるのである。それではなあ、追っかけようにも息が続かなくなりそうだなあ、で、相手を止めるために撃つー足に撃て。撃てるように練習せよ。(怒)でも、人種差別が身体がもつ”自然’の一部なら、教育はどこまで効果があるのだろうか。疑いながらも、それでも教育を続けるしかない。それが生きるということ。(悲)お〜〜〜い、気軽に口にできる「生まれてきてよかった」なんて、ロゴスが自然を征服したような言葉、どこの国の言葉???(笑)

2020/06/16(火) コーヒー1杯
アホドラマのあと、いいドラマが見られている。だからハッピー(笑)なぜドラマが好きか。洞窟にこもり、日々誰とも話をしない人間にとっては、いいドラマだけが人間模様を教えてくれるからである。今、一生懸命見ているのは、事故のような形で人を殺してしまった男が、静かにコーヒーやをやっていて、そこに近所の人たちが集まってきて繰り広げる人間ドラマというもの。そして、その男を、男に夫を殺された女が好きになるというもの。殺人者という前提に絡んでいくのが、浮気、売春、借金苦の自殺未遂、老老介護。。と人間の哀しみ満載で、「生きるとは何か」を教えてくれる。予告編では、寝たきりで意識のない老妻の首をしめながら、夫が「死んでくれ」とうめいていた。生きてる人間はみんな同じようなものを抱えていきている。「生まれてきてよかった」なんて思う暇なし、である。(笑)で、そこに織り込まれるのが、「いっぱいのコーヒーが人生を変えることもある」というセリフで、人間の希望を示唆するキーワードとして使われる。「コーヒーの苦みが生きる苦しみを中和してくれる」というセリフは、どこかこじつけぽかったが、それでも、70歳のばあさんが妊娠して、「生まれてきてよかった」と喜ぶより、はるかに味がある設定になっている。こういうたまり場がいいよなあ、と思う。名前は知らずとも、よく見る顔だからと、ちょこちょこ世間話をして。。。じゃあ、今日もがんばりましょか、とコーヒーを飲む。。ああ、懐かし、喫茶店のモーニングサービス。。(笑)いいドラマは元気をくれる。脚本家さんに感謝。。(笑)

2020/06/13(土) 昼カラと人間の本質とは
テレビで、「昼カラ」という言葉を知った。高齢者が昼間にカラオケをすることだそうな。やったあ。。行こう。。(笑)1200円でコーヒー飲み放題で、1日歌っていられるそうな。そりゃ、毎日楽しみにして行くでしょう。(笑)で、この昼カラから、コロナの感染者が出ているそうな。でも、カラオケをやめてしまうのは、高齢者の精神衛生によくないと思う。歌が上手下手よりも、高齢者は自分の居場所が必要なのだから。このごろ感じるようになった。人間が背負っている時間の長さこそが生きることの本質ではなかろうか、と。65年生きてきた人間の気持ちは、20代、30代の若い人にわかるはずがない。たとえ自分の娘でも、である。でも、同じ年齢のアメリカ人となら、たとえ言語文化が違っていても、わかりあえる何か共通基盤があるような気がする。これが「生」ではないのか。70を超えた女に子供を産ませるというアホドラマは、「生まれてきてよかった」を何度も言わせていたが、人は、「自分は何のために生まれてきたのだろう」「今、自分は何をすべきなのか」を自問することはあっても、「生まれてきてよかった」は、日常ではほとんど考えないことだ。なぜか。人は、無意識だけど、常に意識しているからである。自分は必ず死ぬと。生まれてきたら、必ず死ぬのである。その前提で生きている。そして、自分たちに与えられた糸車の大きさは、人種、貧富、国籍、文化の違いなどとは関係なく、ほとんど同じ長さなのである。確かに、最近は100年生きる人も増えてきたから、100歳と80歳とでは考え方も違うかもしれぬ。というか、考え、それを表現する力が残っていたら、の話だが。。生きた年数が、人間を決めていると思う。それが「命」であり「生きる」ことだ、と。アホドラマがアホだったのは、人間が背負い、与えられている時間の力をまったく考慮することなく、「命」「生きる」ことを頭でっかちにとらえ、ただただ「産めよ増やせよ」と、まるで女を犬猫扱い、いや植物扱いすらしたからだ。このごろ、庭仕事をしてびっくりしている、植物も動き、位置を変えていくのである。種を作って、風やら鳥やら虫やらで、その種を広範囲に広げ、命をつないでいく、というだけではない。根を使って広がり、あれえ、こんなところにこんな子、いたっけ、といった感じに、思いもよらぬところから顔を出し、昔の自分ーつまり古い株ーは枯らし、消えていこうとする。その絶妙のタイミング、スペース感覚に、人間の生を思う。時間には勝てないなあ、と。時間がすべてである。時間の重みほど、人間が共通して理解できるものはないのではないか。だから、同じような時間を背負っている人間たちが集まる「昼から」は大事ーコロナで殺されても大事なのでは?(笑)アホドラマのように、「生まれてきてよかった」などと、頭でっかちの文脈で空虚な言葉を口にして、自己陶酔している暇なし。1秒1秒、止まることなく糸車の糸をひっぱり続けるのは戦いである。戦い続け、糸車の残り糸の長さを想像しながら、問うのである、「何のために今、生きているのか」と。何のために生まれ、生きてきたのだろう。自分に残された時間に何ができるだろう。何をすべきなのだろうか、と。

2020/06/05(金) カス
から手紙が来た。経済刺激策のための小切手を受け取ってから、1週間以上がたっている。紙1枚、片面は英語、裏面はスペイン語仕様である。おい、カス、お前が考える、考えられることは、自分がどんな風に見られるか、そればっかりじゃのう。小切手を送ったあとで、自分のことを自画自賛して、「我に感謝せよ」と書いてあるんじゃろう。カスに、紙いっぱい文章が書けるわけがないが、それでもゴーストライターも気を使ったらしく、最初の段落の最初の言葉は、to our great countryだったぞ。カスよ、お前が知ってる形容詞は、グレートとワンダフルだけだもんな。この部分だけ読んで、紙はリサイクル行じゃ。しょうもないことに税金を使いやがって。カス、はよ死ね。それにしても、カスから手紙が来たと喜ぶ輩もいるんだろうなあ。カスが相手にしてるのはそのレベルの人間だ。というか、そのレベルの人間がどんな発想をするのかしか、あのカスにはわからん。選挙の対抗馬は、ナルシシズムといった高度?な言葉を使ったようだが、カスにも、カスの取り巻きにもわかるわけもなし。。(笑)そういえば、このあいだ感激したのが、中島岳*という学者が、中国の「一帯一路」路線は昔の日本のアジア主義である、と言ってるのを知ったときである。はい。前から「一帯一路」は黒龍会路線と考えていた。その意味で、中国を応援している。がんばれ〜〜〜。カスの脅しになんか負けるな。負けるわけないよなああ。。中国は、カスが理解できないレベルの頭のよさがある。もうカスも、中国の人権どうのこうの、と、自分では理解できないことを無理して言わなくいいよ、よかったのお、カス。(笑)お前が言うたらさ、中国はすぐに、あんたは何したんですか、何も悪いことをしてない自国民に向かって、催涙ガスを噴射したではないか。お前に、人権を口にする資格は一切ない、ときっちりやり返されるだろうからさ。。ははは、だ。そういえば誰かも言ってたな、カスは、略奪行為に軍隊を出すとか言ったけど、白人警官の黒人殺害については一切何も言わないと。そりゃそうでしょ、カスは白人至上主義者だからな、黒人が殺されて喜んでいる、ほんとは白人警官に勲章でもやりたい気持ちだろう。カスを選んだアホの多い国アメリカ。。一方、日本のある大臣は、日本人の民度は高い、と表現したそうな。その通りである、日本人はそのことを誇りに思うべきである。それなのに、どっかの野党のねえちゃんは、また偉そうにかみついたそうな。しょうもないことで、なんでもかんでも文句言うんじゃなくて、どうやったらカスの国と対等に渡り合えるようになるのか、ぐらい考えろよ。カスの国、早く出たい!!!(笑)

2020/06/02(火) 死ね!!本気だ
ドアホが、平和的に抗議している市民に対して、警察に催涙弾を投げさせて、自分のために道を作らせて、教会へ行って、教会の前で手袋をした手で聖書をもっている絵を見た。吐き気がした。自分のために、平和的抗議者に催涙弾を投げさせた? それが国のリーダーがすることか。お前は何者じゃ。カスじゃ。助けてくれ、といった黒人男性の首を、助けてと言ったからこそ、にたにた笑いながら、ますます足に力を入れて首をしめつけただろう白人の殺人者とまったく同じじゃ。。社会のカスじゃ。カスに権力を与えてはならぬ。ドアホの支援者たちよ、お前らはまだそれがわからぬか。死ね、ドアホ。お前が聖書をもったのは、お前の行為は神が認めている、とでも言いたかったのか。底抜けドアホの独裁者がもつ聖書なんて地に堕ちたもんだ。聖職者たちよ、恥を知れ。あの絵で喜び、力を得るのは、聖書で自分たちを正当化する白人至上主義者たちだろう。ぞっとする。キリスト教の神よ、イスラムの神よ、仏教の仏よ、アニミズムの神々よ。。宇宙のすべてのエネルギーに祈る。。あの男を、この世界から抹殺してくれ。。死ね、ドアホ!! カスはさっさと死ね!!! そうだ、お前のこれからの名前はカスだ。(笑)おい、カスよ、お前が死んだら、体中の穴から腐った金の臭いがしだすのか。。消臭剤をかけまくって、祝ってやるよ。(笑)

2020/06/01(月) 雑感
やっと終わった、あほドラマが。70歳の女が子供を産んで、どうのこうの、のアホドラマである。原作者の意図が知りたくて、我慢してみた。結論ー意図があったとは思えない。ただただ、きれいごとで飾りたかっただけである。これって、今の日本そのものである、要するに、耳に聞こえのいい、聞いて気分のいいことだけを並べて、ハッピーな気持ちになりましょう的な。。本質は見ずに、ごまかして、なんとかその場をしのぎましょう、である。腹が立つのは、命とか生という人間の本質を問う難しい問題を、そのレベルでごまかそうとする原作者、こういうドラマを作って流すテレビ局のレベルの低さである。女の性、人間が生きるということをバカにしているとしか考えられない。ドラマの最後の最後のシーンは、幼稚園の子供が、「生まれてきてよかった」と言うのである。あっほ。。幼稚園児がそんなこと言うか。必死で生きてるわ。幼稚園児だけじゃない。現実は、毎日毎日みんな必死で生きてるわ、いつ「生まれてきてよかった」的なことを言ったり思ったりする?? それがわからん原作者の底の浅さに嫌悪感を覚えるのである。同じ言葉は、母親が大きなおなかを抱えて、出産前に撮ったビデオのシーンでもあった、母親がおなかをさすりながら言うのである、「生まれてきてよかった。」つまり、母親になれたから、「(母親が)生まれてきてよかった」である。あっほ。。母親になることだけが女の勲章か。あのドラマ、母親になることをえらく賞賛するわりに、一方では、夜の仕事をしているシングルマザーが、昼間眠りたいからと、家に鍵をかけて、子供を一日外にだしておく、という家族も描いたのである。あの部分だけえらく現実的だった。で、子育てしている70歳の女と比べて、作者は何が言いたかったのか。「こんな母親になってはいけないよ」だったのか。最終回は、67歳の父親がガンになり、手術を受け、母親はころんで骨折して入院し、それでも最後のシーンは、二人とも自転車に乗って、親ごっこをして、へらへら笑っていた。つまらん最後やのう。。ガンになって胃を半分以上切り、足かひざを骨折した親たちが、以前と同じように子育てできるのか。できるわけがないではないか。なぜ親の年齢を問わぬ。なぜ親を20代と同じように描きたがるのか。「子育ては青春」が最終回のタイトルだが、結局センチメンタリズムまみれの、意図のない、視聴者にこびるだけのくだらぬドラマだった。原作者の名前はカタカナ書きになっていたから、若い男だろう。お〜〜い、教えてやるよ、親にとって子育てとは、子供の最後まで心配するもんなんだよ。子育てって、子犬か子猫をなでまわすようにして、かわいいかわいい、「生まれてきてよかった」だの、幼稚園児に「生まれてきてよかった」と言わせるような、小さな、かわいい、親の手におさまるときだけのことじゃないんだよ、思春期の嵐の季節を通り、学校を無事に卒業させ、卒業しても仕事につけるとは限らず、ついても続くとは限らず、結婚したらしたで「続くのだろうか」と心配し、。。自分の目がとじるまで、子供のことを心配し続けるのが子育てなんだよ。女の性をバカにし、子供をペット扱いするようなつまらぬドラマをもっともらしい顔をして流すな、とか文句を言おうと思ったが、ドラマの中で、「養子にくれ」と言い出す親戚の人間が現れたりして、現実的な伏線も織り込んであるのである。だから、非現実のセンチメンタリズムで命を扱うな、と文句を言っても、その伏線でかわされそうな気がするから、文句を言うのはやめることにする。(笑)竹下景子が何度も言った、私たちは無責任なのかしら。はい、無責任です、と私はテレビの画面に向かって言った。(笑)ドラマの底の浅さは、たぶん交差しない時間軸に対する問題意識をもたなかったことだろう。子供を育てながらー子供の成長の中に、親がもう一度自分の来た道を生き直し、そして子供がいたからこそ新しい自分を得るというプロセスである。ただただ、子供が生まれました、育てるのは楽しい、あっはあっは、で終わっている。子育てを知らない男の発想である。もともと原作があって、それのドラマ化だから、たぶん原作は人気があったのだろう。あの手の底の浅いものが人気があるのなら、それが日本の限界ということだろう。まあ、親ごっこのドラマを見て、虐待の現実には目をつむってちょ。。一方、ここ数日、アメリカの限界を思い知らされている。白人警官による黒人の殺害事件への抗議で、全米であっちこっちの店が略奪されたことだ。警官もアホだから、黒人が、息ができない、と言えば、ますます喜んで、足に力を入れたのだろう。力のない者をいじめて喜ぶのが、一番弱いアホである。警官とは、アホに武器をもたせて、自分に力があるように思いこませて喜ばせている存在である。これが一番の問題である。コロナ問題でみんないらいらしているから、そういう事件が起きると、ストレス発散に最高の機会といわんばかりに、略奪事件が起きる。いつもごみ拾いに行っているところでも起きた。事件への抗議といったものではまったくなく、ただただストレス解消の様相である。。くだらん。どこもかしこもくだらん。ああ、何か面白いことはないかなあ。。。店のガラスを割る元気はないけど、小さな子供をおっかける元気はある??? あっほ。。(笑)


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