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2020/06/01(月)
雑感
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やっと終わった、あほドラマが。70歳の女が子供を産んで、どうのこうの、のアホドラマである。原作者の意図が知りたくて、我慢してみた。結論ー意図があったとは思えない。ただただ、きれいごとで飾りたかっただけである。これって、今の日本そのものである、要するに、耳に聞こえのいい、聞いて気分のいいことだけを並べて、ハッピーな気持ちになりましょう的な。。本質は見ずに、ごまかして、なんとかその場をしのぎましょう、である。腹が立つのは、命とか生という人間の本質を問う難しい問題を、そのレベルでごまかそうとする原作者、こういうドラマを作って流すテレビ局のレベルの低さである。女の性、人間が生きるということをバカにしているとしか考えられない。ドラマの最後の最後のシーンは、幼稚園の子供が、「生まれてきてよかった」と言うのである。あっほ。。幼稚園児がそんなこと言うか。必死で生きてるわ。幼稚園児だけじゃない。現実は、毎日毎日みんな必死で生きてるわ、いつ「生まれてきてよかった」的なことを言ったり思ったりする?? それがわからん原作者の底の浅さに嫌悪感を覚えるのである。同じ言葉は、母親が大きなおなかを抱えて、出産前に撮ったビデオのシーンでもあった、母親がおなかをさすりながら言うのである、「生まれてきてよかった。」つまり、母親になれたから、「(母親が)生まれてきてよかった」である。あっほ。。母親になることだけが女の勲章か。あのドラマ、母親になることをえらく賞賛するわりに、一方では、夜の仕事をしているシングルマザーが、昼間眠りたいからと、家に鍵をかけて、子供を一日外にだしておく、という家族も描いたのである。あの部分だけえらく現実的だった。で、子育てしている70歳の女と比べて、作者は何が言いたかったのか。「こんな母親になってはいけないよ」だったのか。最終回は、67歳の父親がガンになり、手術を受け、母親はころんで骨折して入院し、それでも最後のシーンは、二人とも自転車に乗って、親ごっこをして、へらへら笑っていた。つまらん最後やのう。。ガンになって胃を半分以上切り、足かひざを骨折した親たちが、以前と同じように子育てできるのか。できるわけがないではないか。なぜ親の年齢を問わぬ。なぜ親を20代と同じように描きたがるのか。「子育ては青春」が最終回のタイトルだが、結局センチメンタリズムまみれの、意図のない、視聴者にこびるだけのくだらぬドラマだった。原作者の名前はカタカナ書きになっていたから、若い男だろう。お〜〜い、教えてやるよ、親にとって子育てとは、子供の最後まで心配するもんなんだよ。子育てって、子犬か子猫をなでまわすようにして、かわいいかわいい、「生まれてきてよかった」だの、幼稚園児に「生まれてきてよかった」と言わせるような、小さな、かわいい、親の手におさまるときだけのことじゃないんだよ、思春期の嵐の季節を通り、学校を無事に卒業させ、卒業しても仕事につけるとは限らず、ついても続くとは限らず、結婚したらしたで「続くのだろうか」と心配し、。。自分の目がとじるまで、子供のことを心配し続けるのが子育てなんだよ。女の性をバカにし、子供をペット扱いするようなつまらぬドラマをもっともらしい顔をして流すな、とか文句を言おうと思ったが、ドラマの中で、「養子にくれ」と言い出す親戚の人間が現れたりして、現実的な伏線も織り込んであるのである。だから、非現実のセンチメンタリズムで命を扱うな、と文句を言っても、その伏線でかわされそうな気がするから、文句を言うのはやめることにする。(笑)竹下景子が何度も言った、私たちは無責任なのかしら。はい、無責任です、と私はテレビの画面に向かって言った。(笑)ドラマの底の浅さは、たぶん交差しない時間軸に対する問題意識をもたなかったことだろう。子供を育てながらー子供の成長の中に、親がもう一度自分の来た道を生き直し、そして子供がいたからこそ新しい自分を得るというプロセスである。ただただ、子供が生まれました、育てるのは楽しい、あっはあっは、で終わっている。子育てを知らない男の発想である。もともと原作があって、それのドラマ化だから、たぶん原作は人気があったのだろう。あの手の底の浅いものが人気があるのなら、それが日本の限界ということだろう。まあ、親ごっこのドラマを見て、虐待の現実には目をつむってちょ。。一方、ここ数日、アメリカの限界を思い知らされている。白人警官による黒人の殺害事件への抗議で、全米であっちこっちの店が略奪されたことだ。警官もアホだから、黒人が、息ができない、と言えば、ますます喜んで、足に力を入れたのだろう。力のない者をいじめて喜ぶのが、一番弱いアホである。警官とは、アホに武器をもたせて、自分に力があるように思いこませて喜ばせている存在である。これが一番の問題である。コロナ問題でみんないらいらしているから、そういう事件が起きると、ストレス発散に最高の機会といわんばかりに、略奪事件が起きる。いつもごみ拾いに行っているところでも起きた。事件への抗議といったものではまったくなく、ただただストレス解消の様相である。。くだらん。どこもかしこもくだらん。ああ、何か面白いことはないかなあ。。。店のガラスを割る元気はないけど、小さな子供をおっかける元気はある??? あっほ。。(笑)
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