〜ing〜アメリカつれづれ日記
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2020/06/17(水) 自然対教育
オンラインで、人間にとって一番身近な”自然’は身体、という文章を読んだ。生物学者が寄稿した文章なのだが有料記事なので、読めたのはそこの部分だけ。。それで充分(笑)、心の底から納得した。数日前、身体と時間の関係を考えたけれど、”自然’とは、この身体が背負っている”時間”を表象しているのだと思う。学者は、身体はロゴス(論理)ではコントロールできないと書いていた。そう、時間はロゴスではコントロールできない。自分に与えられている時間はロゴスではコントロールできない。つまり、身体という自然はロゴスではコントロールできない。例のアホドラマにイラついたのは、頭でっかちに「命」を考えたばっかりに、身体をロゴスでコントロールできる、しようというメッセージを発しているからだと気づいた。できないんだよ、脚本家さん。(笑)記事の見出しによると、生物学者はコロナウィルスと動的均衡を保とう、と主張しているらしい。動的均衡ー要するにウィルスは撲滅できるものではないから、身体という自然がウィルスとバランスをとりながら共存できるように、自然を少しすつ変えていかねば、と言っているのでは、と想像する。少しずつ変えるー自分でもそれが何かはさっぱりわからないけれど、思うに、まずは自分をのぞきこまねばなるまい。もう10年以上、足やら股関節が悪くて、車椅子生活もそんなに遠くではないかも、と心配しているが、それでも最近、自分の左足と右足の長さが違う、という感覚に気づいた。カイロの先生に言っても、首を傾げられるだけ。専門家の論理・医学的知識としては、大した意味をもたぬことなのかもしれぬ。でも、この身体をしょっているーつまり自然者としては、長さが違うと感じるのは、どこかの筋?に問題があって、この筋をなんとか直せば、右足の痛みも消えるかも、と希望を抱いて、毎日、エクササイズをしている。自然は、論理ーつまり医者の理屈ーではコントロールできない、というわけである。と医者嫌いが顔を出す(笑)論理が自然ーつまり身体をコントロールできないという意味では、黒人を撃ち殺した警官のことを考える。ファーストフードの店のパーキングで居眠りしていたから、という理由で、なんで殺されねばならぬ。息を調べられたからといって、なんで逃げねばならぬ。逃げるときに、なんで、アホな警官がもっているものを盗まねばならぬ。そういうことをするから、後ろから撃たれるんだ、逃げなくてもいい、という教育が必要だと思うけれど、黒人の警官に対する不信感は深い、深いものがあって、部外者にははかりしれないものなんだろうけれど、それでも思う、一応権威には従って、それでひどい仕打ちをされたら、文句をいいまくればいいではないか、文句をいうプロセスは設けてあると想像しているけど、そういうわけにはいかないのだろうか。警官も警官である、撃つなら、足でも狙えばいいではないか。なんで背中やねん。それも二発も。逃げる足を撃つのはむずかしいんだろうなあ。映画みたいにはいかないんだろうなあ。そういえば、ゴミ拾いをしていると、声をかけてきた女性警官の第一印象ーあのお、その体で犯人を追っかけられるの、だった。要するに、横幅があるのである。それではなあ、追っかけようにも息が続かなくなりそうだなあ、で、相手を止めるために撃つー足に撃て。撃てるように練習せよ。(怒)でも、人種差別が身体がもつ”自然’の一部なら、教育はどこまで効果があるのだろうか。疑いながらも、それでも教育を続けるしかない。それが生きるということ。(悲)お〜〜〜い、気軽に口にできる「生まれてきてよかった」なんて、ロゴスが自然を征服したような言葉、どこの国の言葉???(笑)


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