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2021/06/27(日)
出たあ。。これだあ・・(笑)
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日曜討論を見た。コロナと五輪の関係をあれでもない、これでもない、といつもの議論。出席者の一人は今まで見たことのない人。五輪委員会?の人だった。で、彼がこう言った、「日本人はですねえ、サッカーの国際大会へ行けば、ゴミを持って帰ったということで世界中で賞賛された、これと同じことが今度の五輪でも起こるのではないでしょうか、コロナ禍の中で開いた五輪で、日本人はこんなに礼儀正しく行動したから、五輪は開催することができ、成功したと世界中から賞賛されるのでは」みたいなこと。。出たあ、これだあ。。(笑)この手のセンチメンタリズムは、五輪を招致したときの「復興の証の五輪」去年、ドアホ大好きのアホぼんぼんが言った「コロナを克服した証の五輪」といった言葉と通底している。中身なしのスローガンを振り回し、自己陶酔するだけ。自己陶酔のセンチメンタリズムでは、ウガンダ選手事件のように、現実にはまったく対処できないのに。えらい迷惑なこっちゃ。。空虚な自己陶酔に群がるのは、ドアホを支持する脳たりんの田舎の白人どもと同じだ。それでいいのか。(笑怒)それでも、言い尽くされてきた言葉の塊を聞きながら、ああ、これが日本人だ、と思いいたった。明治時代から、日本人は和魂洋才を唱え、和洋折衷を賢明なことをしてきた。一つに絞りこむのを嫌う民族性なのである。日本人のコミュニケーションも同じだ。英語話者が直線的なのに対し、日本人のそれはbeating around bushと呼ばれる。はっきり言わず、回りをつつき、つついているあいだに状況が変化するのを待つ。状況が変化すれば、機動的にだとか、柔軟に、とか(といった言葉がテレビに出る人たちが好きな言葉。。笑)、で、また次の手を考えるというわけである。こういう思考・行動形態の人間に、五輪中止、といった思いきった決断は絶対にできない。コロナ陽性者が空港で出たら、その国の選手は全員帰国してもらう、みたいなルールも作れない。そういうルールを作って、モーツアルトかショパンだかを怒らせて、怒った相手がどう出てくるかを見てから、交渉に臨んでやれ、みたいな発想もできない。ちまちま、自分たちの島国だけで通用する発想とルールで、ああでもない、こうでもない。。(笑怒)デルタ株が蔓延している国から来る選手はどうのこうの、とまた新しいルールを作ったらしいが、答えは一つーあんたら、なんでそんなにガイジンさんたちが、日本が言うことをおとなしく守ると信用できるの。空港で陽性者が一人でも出たら、即刻全員国へ送還、五輪出場不能、ぐらい言い渡さねば、あいつら本気にならないよ。と、こういう発想を口にすると、わたしは育ちがよく、そこまで人を疑わねばならないような悪い経験をしてませんので、と言ってくれた日本人の女がいたなあ。。結果的にその女の意見は間違っていたことが判明したが、それでも悪いのは育ちの悪い私ということになった。あっほ、というか、センチメンタリズムにまきとられて、いい人ぶるのが普通の日本人ということだろう。わたしゃ、普通じゃないよ(笑)それにしても、日本人の空振りは明治時代から少しも変わっていない。(悲)今、1893年のコロンビア博のことを調べているが、日本女性が参加したとき、日本の優秀な伝統文化を知ってもらいたい、と一生懸命がんばった。ところが、である。それを見たアメリカ人の反応といえば、単純アホアメリカ人らしく、古い物を出してくるなんて日本は遅れている、の一点ばりである。要するに、西洋文明だけが進歩であり、日本固有のものー伝統は遅れの象徴、というわけである。おお、ヨーロッパの伝統を拒否して国づくりをしてきたアホアメリカ人らしいのお。(笑)ましてや和魂洋才、和洋折衷、いいところどりをして、自分たちの伝統文化を発展させていけばいい、といった発想は、かれらに分るはずがない。各方面からのいいとこどり、の発想こそが、今の日本政府のコロナ・五輪対応である。国民、飲食店、経済界、医学界、もちろん自分たちの後援会、党、あらゆる人間を満足させようと、細かいルールをいっぱい作って、ちまちまやっているわけだ。日本人だけが相手ならそれでいいけど、ガイジンさんはねえ。。相手に自分たちのやり方を”お願い”するのではなく、相手がわかるやり方で要求せねばねえ。。日本入国時に、コロナ陽性者が一人でも出た国は五輪参加不能、即全員帰国ーこれが言えるようになってはじめて、日本は世界に認められるようになると思うけどなあ。。五輪会場で、日本人は飲食しなかったので、ゴミは落ちていなかった、と言ってもねえ。。(笑)
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