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2021/07/21(水)
自分でも
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びっくりしたこと。きのう、シカゴまでボランティアに出かけた。相変わらず道にゴミがうじゃうじゃ落ちていたので、拾って回った。そのとき気づいたのである、ごみのあいだで、ぼおおおと顔を出している雑草の緑の色に、心がほっとなごむのである。ゴミは、あほな人間が生み出した人工物。でも雑草は。。あれは、地球の根っこに根差す生き物である。人間は絶対に自然には勝てない。どんなにゴミをまきちらそうと、雑草はそのあいだを縫って、生命をつむぐ。その生命の色が緑である。人間も生命体なら、緑に安らぎを覚えるのが自然だろう。今、家の庭には動物がうじょうじょ。うさぎの赤ちゃんが2匹ほど、そのへんを走り回って、草をはんでいるし、鳥のえさ箱には、どんなに脅されても懲りないリスがぶらさがっているし、赤やら黄色やらの鳥たちはカップルで枝のあいだを飛び回っている。木のこずえから鳥たちのさまざまな声も聞こえてくる。一羽が枝を離れたら、すぐにそれを追っかけるようにして、もう一羽が枝を離れる。いいなああ、仲が良くて。。そういえば、さっき、びっくりしたこと。鳥のキスを見てしまった。真っ赤なオス鳥がえさ箱で、口をもぐもぐさせて、それからちょっと飛んでデッキの手すりへ。茶色か灰色か、なにやらはえない、さえないメス鳥がそこで待っていて、その真っ赤な鳥がキスして、雌鳥にえさを渡したようなのである。一瞬のことだ。鳥のキスなんて、人生初めてみたぞお。。いいなあ、仲が良くて。。(笑)と、今はもう、緑の中にいる時間が好きである。あわただしく身を右へ左へとくねらせながら、大阪駅の地下道の人の群れを横切って、忙しく歩き回っていたあの時代、単に若くて、何も知らず、ただただ身体が元気だっただけではないような気がする。 都会の”大嘘”が見抜けなかった、いや見抜けたくはなかったのかもしれぬ。やっぱりそれが若いということだろうか。今はもう、見抜けたくはなくても、見抜こうとしなくても、身体が自然に教えてくれる。雑草の緑こそが本物だよ、と。 緑にこの身を託そう、雑草からでもエネルギーを分けてほしい年になってしまった。(笑悲)
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