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2022/01/07(金)
日本人としてできること
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だけを考えていたいと思う。以前、ボランティア先のデイサービスに来ていたけれど、認知症がひどくなったとかで、施設を変わった人がいる。Sさんである。日本人・日系人がまったくいない新しい環境に置かれて、さびしがってるに違いない、たかこ、行ってあげて、とクライアントに言われていた。新年のはじめに、と思い切って、出かけていった。ボランティア先への途中だし、ちょうど都合もよかったのである。行ってみて、厳しい現実を見た。母が入っていたところのようでも、アイオワの友達が移ったバークレーの施設のようでもなかった。寂しい、悲しいところだった。S子さんは、私のことは覚えていなかったようだが、それでも日本語で、ねえ、あなた、若くなったんと違う、すごくかっこいいわよ、あなたのことだけをずっと待ってたのよ、と、認知症と知らなかったら、簡単にのせられそうな、うれしい言葉を並べてくれた。(笑)もっとつっこめば、認知症でもこういう言葉が平気で出てくるというのは、若いときはいったいどんな仕事をしてたの、と思ってしまった。(笑)ボランティア先では、「花嫁人形」を上手に歌い、ショパンが好きだ、と言った人だ。今回も、「花嫁人形」と「海」を私がピアノを弾き、彼女は上手に歌った。老眼鏡を探しに、いっしょに部屋に入った。本人は、老眼鏡の場所など覚えていないだろうから、私が探した。無事にすぐに見つかって、よかった、よかったである。施設の人も、歓迎してくれて、これから毎週でかけていくことにした。レパートリーを増やしてあげたいと思う。少しでも、日本語に触れ、聞く機会を与えてあげたいと思う。施設の人も、英語がほとんどできないから、と言っていた。本人も、元気よ、でも寂しいだけ、とはっきり言った。認知症になっても、感情だけは最後まで残ると言われている。そして、その感情を引き出すのが音楽である。人間としての最後の砦を守るのを、できる限り助けてあげたいと思う。それが、アメリカで生きる日本人として、最後にできることではないのか。日本人であって、日本語をしゃべって、この国で何か得したことはあるのか。英語にアクセントがあると笑われ、バカにされ、白人じゃないと差別され、いやなことばっかりで、それでもがんばって生きてきた。人生の最後、へたな英語をしゃべるのもめんどくさくなってきているような気がする。昔、芥川賞をとった小説がある。モッキンバードのなんとか、かんとか。国際結婚してアメリカに来て、認知症になり、英語がでなくなった日本人女性の話だったような気がする。とうとう自分もその年齢になったのである。アメリカで、日本人であることが何かの役になったとは思えないけれど、人生の最後、自分の誇りをかけて、日本語を必要としている人に、できるだけのことをしてあげたいと思う。来週も来ます、と施設の人に告げると、喜んでくれた。Sさんに、いっしょにお昼ご飯を食べていきなさいよ、と勧められたが、う〜〜ん、ちょっととしぶると、そんなにおいしくないけどね、と言った。二人で大笑いした。あの人が、あそこで笑ったのは初めてだったのでは。年とともに、確実に消えていく人間の尊厳ーどうやって守れるか。Sさんが私のことを覚えてくれることはないが、覚えてほしいとも思わない。でも私のピアノにあわせて、楽しそうに歌ってくれるそのエネルギーに感謝。週に1度、シカゴに出かけていく喜びが増えてうれしい。。
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