|
2022/12/24(土)
行く年来る年
|
|
|
やっと冬の大嵐が過ぎたらしい。きのうまでどんよりとした天気が続き、雪が降り、きのうは強風と華氏でマイナスという気温が続いて、外にはいっさい出られなかった。外気に触れると、息ができない、死ぬ、をすぐに実感する温度である。今朝は青空が広がっている。明日のフライトは大丈夫だろう。明日から、赤道直下まで出かける。ガラパゴスというけったいな動物がいるところを見にいくそうな。すべて家族にお任せだから、よう知らん。(笑)明日早朝の飛行機だから、今晩はホテルに泊まりに行く。今日が、この家で「行く年来る年」を想う日である。今年もいろんなことがあったんだろう、と思う。もう大半を忘れてしまった。(笑)相変らずあっちやこっちに文句を言い、結果が出たのもあるし、出なかったのもあるような。覚えているのは、医療法人に出した「医者の誤診だ、あげくに別の医者は診療を捏造した、もうやってられん、誤診のせいで支払ったすべての金返せ」の文句には、いっさい返事が来ていない。無視するつもりか、とも思うけれど、あれ以降、催促の請求書やら別の血液検査の請求書も来ていないところを見ると、何かシステム上で指示が出ているのかもしれぬ。もめた郵便局では、ある局員さんと仲良しになった。これでよし(笑)「戦前シカゴの日本人」プロジェクトに関しては、もうやりぬくしかない、の気合のみ。「風とともに去りぬ」を一つ書いて、永遠に名前を残したマーガレットミッチェルさんのお墓参りをして、私にも、「風とともに。。」みたいなテーマを与えてください、とお願いした効果がやっと今頃現れた??(笑)来年に期待することは何もなし。。ただただ、すべてのエネルギーが美しく流れてくれることのみを願うのみ。友達が教えてくれた「老いとはこういうことかと老いて知る」と私自身の美の三位一体を常に思いだすこと。美の三位一体とは、美しいものだけが強い。強いものだけが優しくなれる、の連関式?である。他人のきれいごとの、一見優しい言葉なぞ、絶対に信じない。たとえ優しくなくとも、もしその言葉に美が宿っていたら、その言葉は本物である。 なあんで考えていたら、ますます人からは遠ざかるなあ、それでよし。生まれるのも一人、死ぬのも一人。よく小さいときに親から聞かされた。戦中派の親たちもまた、小さいときから、そんな言葉ばっかり聞いて育ったのかもしれぬ。「行く年来る年」ー今年も無事に、ガラパゴスで見送ることができますように。年が明ければ、税金を計算せねばならぬ。年金生活はじめての税金計算。簡単にできますように。来年も平穏無事な、いい一年でありますように。さあ、大掃除のまねごとをして、トイレ掃除だあ!!!(笑)
|
|
|