〜ing〜アメリカつれづれ日記
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2022/03/10(木) 悲しいなあ
きのう、さっそくSさんのお見舞いに行った。ドライブは行きはよいよい、帰りは怖い、だった。(笑)行きはまっすぐ北上だから問題なし。帰りのシカゴ行の94号線がこむわ、出口がわからず、初めての出口で降りたものだから、うろうろ。都会を忘れてしまっている。一方通行の道が多い不便さである。誰もいないのを確かめてから、一方通行を無視して引き返した。幸いポリスは飛んでこなかった。(笑)帰りは1時間かけて、それでもなんとか無事に高齢者センターまでたどりついた。S子さんは。。。まず、思ったほどいい施設ではなかった。それでも前の所よりはまし。。でも車椅子に座っていた。ケアを担当している若い女性によると(いい人だった)、きのう、今日とずっと眠気に襲われている、日曜までは元気であたりを走り回っていたのに、月曜日に何かが起きたのではないか、私は非番だったからわからない、と言う。じゃあ、月曜担当の人は何をしてたのか、と家族なら怒鳴るだろう。わたしは何も言わなかった。(笑悲)脳梗塞が起きたんじゃないか、と思うとも言った。もしそうなら、たぶん母と同じ毛細血管を襲う多発性脳梗塞だろう。頭がはっきりしているときとそうじゃないときがある。麻痺も起きる。施設にはいいピアノがあったので、S子さんの好きな「花嫁人形」や「あした」を弾いた。眠いのを必死で我慢してくれたのだろう、思い出して、歌ってくれた。でも、以前と同じ力が声にはない。前のところでは、ピアノの横に立って、歌の本をもって、老眼鏡をかけて、「花嫁人形」をろうろうと歌ってくれたのである。それが、今回は、老眼鏡はないわ、手はだらりとしてしまって、紙一枚もてないような感じだった。それでも、メロディを聞くと、歌詞が出てきたので、ほんとによかった。小さな日本製のスナックをもっていったので、食べてもらった。お菓子をつまむ指の動きもどこかおかしい。口にもっていくのも大変そうだった。まっすぐ口にいかないのである。ああああああ。何曲か歌ってもらって、日本語でしゃべって笑って、帰ってきた。最後、また来るからね、と声をかけると、また来てね、来てね、とびっくりするような大きな声で言った。そして、ごちそうさま、とも。ケアの人には、S子さんが会話して反応しているのを見てうれしかった、と言われた。英語が通じないから、ここでも困っているらしい。とうとう来たかもなあ、と思う。施設をあっちこっちに動かされて、それだけでストレスがたまって、脳梗塞を起こしたのかも。。テストをすると言ってたから、どうかいい結果が出ますように。ケアの人が部屋を見せてくれた。病院よりはいいかも、だけど、隣のベッドのあいだにカーテンがあって、ほぼ日本の病院と同じ感じである。所持品をもちこめるスペースも、クローゼット一つだけで、老眼鏡やらクラシックのCDなんて、前の施設で処分されたのか。相変わらず入れ歯ももっていなかった。身よりがなく、病気になってしまったら、結局はこういうことなのである。ほったらかし、どうでもいいーそりゃそうでしょ、いっぱい患者はいるんだから、一人にかまっているわけにはいかぬ。。と。私の日本語が何かの役に立つのなら。。あの調子なら、老眼鏡も探してもらえそうにないから、歌詞を大きく拡大コピーしてもっていくしかないかも。何よりも、S子さんはもう一度自分の足で立てるのだろうか。すでにあの頃脳梗塞を起こしていただろう母が、自分の足で立っているのを見たのは、病院でリハビリをしていた姿が最後である。何やらリフトに乗って高いところに上がらされていた。あのあと、大きめの脳梗塞の発作を起こして、あれっきり寝たきりになった。それから胃ろう。2年半後だった。すべてが終わったのは。まだ日本のスナックを食べられて、袋に書かれてある日本語を、老眼鏡なしでも読めたS子さんが1日でも長く、楽しむことができる時間をもてるよう、私の日本語が役に立つのなら、また出かけよう。どうか来週は元のように元気になってくれてますように。


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