〜ing〜アメリカつれづれ日記
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2022/05/24(火) えらい
めにあった。帯状疱疹になった。(悲)5日ほど前から、顔にかゆみが出ていた。でもまったく気にせず、普通に掻いていたと思う。病気だとは思わなかったから。それが2日前から、顔の右半分だけまっかになって、しかも黄色い液体が出始めたので、これはおかしい、で翌日クリニックに行った。なんでこういうことになったのか。マスクのアレルギーだろうか、古いマスク使ってたからなあ、とか、庭で変な葉っぱに触ってしまったんだろうか、とか、今はやりはじめてるモンキーなんとか、なんだろうか、とかいろいろ心配して行った。医者は、顔の症状を見て、Interestingと言った。医者がInterestingなんて言う病気は。。。帯状疱疹だった。誰かからうつったんでしょうか、と聞くと、なんとストレスで、体に残っている水疱瘡のウィルスが元気になって、こういうことになる、と医者が言った。確かに小学生のとき、水疱瘡にはなったけど。。60年経って出てくるんかよ。。ストレスと聞いて納得。5月の初めごろから、気分が悪く、鬱状態だった。そういうことか。身体は正直なのである。薬のおかげで、かゆみはだいぶ少なくなってきたが。。ひどい顔である。それに、日本語のウェッブで調べると、帯状疱疹は、水ぶくれが帯状にいっぱいできるそうなのである。私のはまだ水ぶくれにはなっていない。でもかゆい、かゆい。。(悲)加えて、黄色い液体がごりごり固まって、でもとろうとしたらだめだと思うから、ほったらかしにしているけれど、醜い、醜い。マスクもする気にならないしなあ。。かゆくてもかいたらだめだしなあ。。。ああああああ。なんでこういうことになるのか。これも年か。。きれいに治るのだろうか。どのくらいかかるのだろう。あああああ。たすけて〜〜〜

2022/05/20(金) 不全感
まだ落ち込みが続いている。落ち込みーつまり不全感である。こんな人生でよかったのか、という不全感。以前、神戸の実家の隣のおじさんに電話したとき、ちょっと長生きしすぎたかなあ、という声を聞いた。おじさんはもう92か3ぐらいだと思う。90を過ぎたら、そういう気持ちになるのだろうかと思ったけど、今の不全感をもってして、おじさんの気持ちがよくわかるような気がする。アメリカに長くいすぎたのかもしれぬ。もしアメリカ生活に満足していたら、不全感をもたずして、これまでの人生に納得できるのかもしれぬ。しかし、ドアホが登場した2016年からもう6年である。この6年間、アメリカ人がどんなにバカかがいやというほどたたきこまれた。白人が、自分たちが脳たりんのくせに、その部分には何の疑問ももたず、ただ白人という理由だけで、どんなにエラそうにしているか、その傲慢ぶり。そして、有色人種の人間を殺すことを正当化するか。そんな暴力を煽っているのがドアホやら、その思想に共鳴するアホアメリカ人たちである。だが、かれらを罰することはできない。最高裁判所の判事にまで、その思想が及んでいるのだから。なぜこんなアホな国にいなければならないのか。その疑問が自分の人生に対する不全感につながっている。確かに、アメリカに感謝するとすれば、それは自分が女であることを怖がらずにまっすぐ認める気持ちを与えてくれたことだ、といつか書いたような気がする。ところが、である。このごろ、アメリカでも男と間違われるのである。泳ぎに行くYMCAでは、男性更衣室に連れていかれそうになったし、きのう、新しく知り合った人と久しぶりに行ったスタバでは、店員にSirを連発された。I am a womanと言うべきだったのかもしれないけれど、あきれすぎて、怒る元気も出なかった。女も女性ホルモンが出なくなる?年になると、男顔になるんだと思う。土井たかこなんか、男か女か、顔だけではわからなかったもんなああ。私もそういう顔になっているのだろうか。あああああああ。お前のようなのは売春婦にもなれない、と平気で面と言われた日本がいやで、アメリカに来たが、アメリカでもSir呼ばわりされるようになったら、いったい私の人生は何だったのだろうか。もう疲れた。。ほんとに長生きしすぎたのかもしれぬ。(悲)

2022/05/13(金) 生命力
きのうは、かなり落ち込んでいた。水曜日に、おばあちゃんたちの生命力に圧倒されたと思われる。まず、1ケ月ぶりにS子さんに会いに行った。どこかへ、車をぶっとばしたかったのだ。会って、びっくりした。かなり元気になっていた。もうしゃべれなくなっているのではないか、歩けないのではないか、とかいろいろ心配した。ところが、1ケ月前とは違って、一人で歩けるようになっている。歌詞の紙ももつことができる。確かに、字は読めるが、脳が集中することを許さないので、歌詞を見て、歌うということはできない。結局、覚えている曲しか歌えないが、それでも、どんぐりころころを歌ったあとで、ああ、いいねえ、としみじみと言ってくれる。加えて「今日は日曜日だから、あなたが来てくれるかもしれない、と思って待っていた」なあんて、うれしいことも言ってくれる。水曜日だったし、あなたとは誰のことなのか知らんけど。。(笑)ショパンが好きなことは知っていたから(大量のCDを以前の施設の部屋で見ていた)それで、別れの曲を弾いた。終わると、手をたたいて喜んでくれた。ちゃんと「別れの曲」と題名も覚えていた。すごいなあ、女の生命力は。また来るね、と言って、施設を出た。私のへたなピアノを喜んでくれるのは、認知症の患者さんぐらいだもんね。(笑)そのあとのボランティア先では、今度は、S子さんとは違う症状をもっている日本女性がいる。私がピアノを弾くと、刺激されるのか、知っている日本の歌を甲高い声で歌いだすから、ちょっと大変。それでも学んだことは、S子さんと違って、あれだけコミュニケーションができなくなっても、女と男の違いだけは判ることだ。ずっとフィリピン人男性のあとを追いかけ、いっしょに座っていると機嫌がいい。その人がいないときは、キチンで働いている別のフィリピン男性を追いかけるらしい。日系アメリカ人男性もいるが、その人をおいかけたとはまだ聞いていない。フィリピン人男性のほうが東アジア人より魅力的かも。(笑)脳のどこかがセクシュアリティをコントロールし、そこが異常を起こすと、こんな感じになるのだろうか。あとを追いかけるぐらいならまだしも、前にいた(もう亡くなったと聞いた)白人女性みたいに、男性器を握って、いい気持ち?と聞くようになったら困るなあ。。ああ、これだけは自分でコントロールできないからなあ。。それでも、握られた90を超えたおじいさんのほうも、何も感じない、とか言っていたそうだから、ええ勝負かも。。(笑)それでも日本人の御主人が迎えに来ると、飛びついていくのである。なあ、若い人ならともかくも、80近い日本人の女、旦那に飛びついていくような文化社会で育った? 私は育ってないよ。アメリカ人にでも、わたしゃ、ハグはしません、と言う人間だからね。(笑)聞くところによると、ハグに関しては、彼女は誰にでもー女にでもー抱きついていくらしい。認知症といっても、症状は人によって千差万別である。一日中、娘さんが迎えに来るまで、クスリで眠らされている人もいる。あの人は起きると怖い。。怒声で叫びだすから。そういえば、96歳ぐらいの日系のおばあさんは、ずっといっしょに歌をよく歌ったのに、ここ2,3ケ月一日中寝ているから心配したが、このあいだは異常に元気だった。それはそれで怖いので、聞いてみると、足にひびが入って、その痛み止めを飲んでいたとのこと。その薬が終わったので、元気になったらしい。よかった。また、回覧板の歌やら収容所の歌を歌ってくれるだろう。ああああ、おばあさんたちのすごい生命力。よかった、よかっただけど、当てられて疲れたああ。。(笑)そういえば、おばあさんが後を追っかけるフィリピン人の男性スタッフ。昔の写真を見せてくれた。なあんとカーボーイハットをかぶって、笑っている。今とはえらく違う顔。(笑)ギターが上手で、歌が上手で、マジックができてというエンターテイナーだが、なんとプロだったのだ。船で日本へ行ったとは聞いていたが、どうやらクルーズ船に出演する歌手だったようだ。当時の奥さんも歌手だったそうな。ああ、そういうことか。。それで、あのおばあさん、あとを追いかけるのかなあ。。彼の身体からオーラが出ているのである。じゃあ、女には苦労しなかったでしょう、女の子に追いかけられるのには慣れてるよね、と言うと、素直にうなづいた。「若かった」としみじみ。でも、つけ加えた、年をとった人はわからん。(笑)マジックで、空っぽの手からバラの花1本を出せば、それだけで女の子がきゃああああ、と言っただろう若き時代。。誰しも若かったなあ。。前の奥さんがよく歌っていたという「昴」を私が弾いて、二人で歌った。いよいよボランティアかカラオケかわからなくなってきた(笑)そういえば、私も旅先で、フィリピン人のグループといっしょになったことがある。歌手やらダンサーたちの一団だった。あれはどこだったか。確か白浜へ行くとか言ってたっけ、それとも白浜からの帰りだったっけ。。船の上だったと思うけれど。遠い遠い昔。。みんながんばって、それぞれの人生を生きてきた。死ぬまで生きるしかなし。。おばあさんたちからエネルギーをもらって、これからもがんばるしかなし。(笑)

2022/05/09(月) 感謝
いっきに夏が来たような感じだ。庭が忙しい季節となった。ひさひさしぶりに庭仕事に精を出している。何よりも、足がよくなったからだ。最初の右足の手術は2020年の12月、左足の手術は2021年4月で、もちろん2021年の春は、何もできなかった。あれから1年、斜面になった庭の一角を歩くこともできるし、しゃがむこともできる。片足で立つこともでき、何の痛みもない。ずっとずっと昔、もう忘れてしまっていた時代に戻ったかのような感じだ。痛みに我慢して10年。痛みのない時間なんて、考えられなくなっていた。それが今はもうきれいに痛みから解放された。心から感謝。そろそろヒールのある靴もはかなくちゃ。。ほんとにはけなくなるときが必ずあるんだから。それにしても、ヒールがはけるようになっても、ヒールをはいて行くところがない。(笑)庭仕事も、これまでとは違って、整理に入った。要するに、もう何も新しく植えることはない。ただただLandscapingのつもりで、庭をきれいに整えていくのだ。で、思った、こちらではLandscaping designというのは大学院まであるような専門職だが、日本にいるときは、そんな学問があるとは全く知らなかったなあ、というか、家の庭といっても、ほんとにほんとに人が一人通れるかどうかの狭さだから、デザインなんてものとは縁がなかったのだ。だから、ここアメリカではじめて、庭とはデザインするものなのだ、と学んだ。(笑)近所の、当初からプロがデザインした庭とは雲泥の差があるが、それでもいい、自分が楽しむのが大事なのだから。そうやって、庭とも”さよなら”の準備を始めるぞ。。あと何回春が来るかなああ。ただただいまを楽しむこと、大事にすること。。

2022/05/06(金) 無事に
娘がシアトルに到着した。ほっとである。デュッセルドルフ近くの小さな田舎町での仕事だったようで、Wi-Fiのつながりが悪く、プレゼンがなかなかうまくいかなったとか、ホテルが貧乏くさい、とかいろいろ聞かされた。そして何よりも、直属の上司がコロナにかかっているのが、アメリカ出国時の検査でわかり、ドイツに来られなかった。だから娘が全部処したらしい。大変、大変だったようで、外国出張なんて、やっぱりいやだなあ、仕事とは縁のない人生でよかったなあ、と変な納得。(笑)ドイツは、トイレに行くまでに4つぐらいドアがあるとかなんとか、世界にアメリカの常識は通じない。あげくに、ドイツ出国時には、ドイツで合流した会社のCEOまでコロナ感染がわかって、10日間ホテルに缶詰めだそうな。ようまあ、娘は無事に出国できたもんだ。。よかった、よかった。。というわけで、娘の話を聞きながら、世界が自分の手のひらにのっているかのように行動できる若さを想像した。自分も、若いときは、いろんな国に出かけていった。今はもう。。。日本に帰るだけで精一杯だあ。。もう一度若くなれるものならなりたいかなあ、やっぱり。。。若いときも、それはそれで大変だけどねえ。。(笑)

2022/05/03(火) 若い人
配偶者は、いよいよ8月末で退職である。後任者も決まった。きのう、後任者のご夫婦が家探しに来ているというから、いっしょに晩御飯を食べることになった。奥さんは、若い韓国人女性である。何やらよく似ている環境で。。(笑)旦那さんが韓国へ教えに行ったときに知り合って、結婚したそうな。アリゾナ、オハイオと住んで、アメリカ生活は10年目とか。がんばってください、としか言いようがないが、びっくりしたのは、彼女が日本語が上手で、日本食が好きで、アメリカで食べる日本食はまずい、とそんな話ばかりしていたことだ。韓国にいたときから、しょっちゅう日本に観光旅行をしていたという。プサンから福岡まで高速艇で2時間ほどだとか。ええええええっ、私は、下関からプサンまでフェリーに乗ったけど、あのときは一晩かかったぞ。。玄界灘を渡る時、フェリーが揺れて、揺れて、船長に、よっぱらって船といっしょに揺れてたらいいんや、と言われて、よっぱらってたなあ。。あれから40年以上。よっぱらうことができない年になってしまった。(笑)2時間ですか。それじゃしょっちゅう遊びに来るよね。。日本語も、私の英語よりはるかに上手だった。仕事はシェフである。オハイオではフレンチレストランで働いていたとか。イリノイでもレストランの仕事探しをするという。日本食レストランで働いてみたいとも言った。そうですか、じゃあ、私がイリノイに来て初めてした仕事、ウェイトレスをやったレストランに声をかけてあげますよ、と話た。なんとかなるでしょう。(笑)それにしても、彼女ときゃあきゃあしゃべって、笑ってたら、悪化した日韓関係とやらはどこ吹く風である。戦時中の徴用問題とか慰安婦問題とか。。歴史的事実であるのは確かだけど、結局、政治に翻弄されているにすぎないのかも。日本は食べ物がおいしい、と嬉しそうに語る若い人に、徴用問題や慰安婦問題は、自分とは一切関係ないものだろう。あああああ、流されて、ぷかぷか浮かんで生きるしかないかもなあ。。それにしても、あれだけ日本語が上手な普通の韓国女性がいるのに、逆に韓国人と2時間以上話し続けられるほど韓国語が上手な普通の日本人はどのくらいいるのか。。韓国ドラマにはまる中年女性はいても。。(笑)いろいろ考えさせられる晩御飯となった。感謝。

2022/05/01(日)
立花隆の番組を見た。好きではないから、著作は読んでいない。しゃべり方といい、書き方といい、。。。なのである、みたいな言い方が嫌いだった。勉強してるのはあんただけじゃないんだから、自分だけが知ってるみたいないい方せんといてよ、という感じだった。ただ今回、感心したことがあった。死ぬ前に、自分の蔵書は全部古本屋に売り払ってくれ、と家族に伝えたというのだ。番組のカメラは、床から天井まで四方ぎっしり詰まっていた、20万冊だか40万冊だかの本がきれいに消えた、空っぽの壁棚を映した。そうかあ、こういうことか、と思った。無に帰したということである。作家は、境界を見極めることをめざしていたらしい。生と死、人間と動物、宇宙と地球、境界を見極めようとして、最後にたどりついたのは永遠を見た、という言葉だったとか。永遠=無である。自分を永遠の一瞬にとじこめてしまう、それが死である。自分のあとに、本を残す理由はなかったのだ。本を読みつづけるとは、これまで生きた人間たちが世界の中に閉じ込めた無を探しながら生きたということだ。見当知だったか見当なんとか、医学用語らしい。つまり自己をとことん俯瞰することーなあんか自分がずっとしているような気がしないでもない。無ーそれを考えると、庭仕事も楽しくて仕方ない。私がいなくなっても、ここで生き続けるだろう草木たち。。。ありがとう。


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