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2022/05/01(日)
無
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立花隆の番組を見た。好きではないから、著作は読んでいない。しゃべり方といい、書き方といい、。。。なのである、みたいな言い方が嫌いだった。勉強してるのはあんただけじゃないんだから、自分だけが知ってるみたいないい方せんといてよ、という感じだった。ただ今回、感心したことがあった。死ぬ前に、自分の蔵書は全部古本屋に売り払ってくれ、と家族に伝えたというのだ。番組のカメラは、床から天井まで四方ぎっしり詰まっていた、20万冊だか40万冊だかの本がきれいに消えた、空っぽの壁棚を映した。そうかあ、こういうことか、と思った。無に帰したということである。作家は、境界を見極めることをめざしていたらしい。生と死、人間と動物、宇宙と地球、境界を見極めようとして、最後にたどりついたのは永遠を見た、という言葉だったとか。永遠=無である。自分を永遠の一瞬にとじこめてしまう、それが死である。自分のあとに、本を残す理由はなかったのだ。本を読みつづけるとは、これまで生きた人間たちが世界の中に閉じ込めた無を探しながら生きたということだ。見当知だったか見当なんとか、医学用語らしい。つまり自己をとことん俯瞰することーなあんか自分がずっとしているような気がしないでもない。無ーそれを考えると、庭仕事も楽しくて仕方ない。私がいなくなっても、ここで生き続けるだろう草木たち。。。ありがとう。
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