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2022/05/20(金)
不全感
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まだ落ち込みが続いている。落ち込みーつまり不全感である。こんな人生でよかったのか、という不全感。以前、神戸の実家の隣のおじさんに電話したとき、ちょっと長生きしすぎたかなあ、という声を聞いた。おじさんはもう92か3ぐらいだと思う。90を過ぎたら、そういう気持ちになるのだろうかと思ったけど、今の不全感をもってして、おじさんの気持ちがよくわかるような気がする。アメリカに長くいすぎたのかもしれぬ。もしアメリカ生活に満足していたら、不全感をもたずして、これまでの人生に納得できるのかもしれぬ。しかし、ドアホが登場した2016年からもう6年である。この6年間、アメリカ人がどんなにバカかがいやというほどたたきこまれた。白人が、自分たちが脳たりんのくせに、その部分には何の疑問ももたず、ただ白人という理由だけで、どんなにエラそうにしているか、その傲慢ぶり。そして、有色人種の人間を殺すことを正当化するか。そんな暴力を煽っているのがドアホやら、その思想に共鳴するアホアメリカ人たちである。だが、かれらを罰することはできない。最高裁判所の判事にまで、その思想が及んでいるのだから。なぜこんなアホな国にいなければならないのか。その疑問が自分の人生に対する不全感につながっている。確かに、アメリカに感謝するとすれば、それは自分が女であることを怖がらずにまっすぐ認める気持ちを与えてくれたことだ、といつか書いたような気がする。ところが、である。このごろ、アメリカでも男と間違われるのである。泳ぎに行くYMCAでは、男性更衣室に連れていかれそうになったし、きのう、新しく知り合った人と久しぶりに行ったスタバでは、店員にSirを連発された。I am a womanと言うべきだったのかもしれないけれど、あきれすぎて、怒る元気も出なかった。女も女性ホルモンが出なくなる?年になると、男顔になるんだと思う。土井たかこなんか、男か女か、顔だけではわからなかったもんなああ。私もそういう顔になっているのだろうか。あああああああ。お前のようなのは売春婦にもなれない、と平気で面と言われた日本がいやで、アメリカに来たが、アメリカでもSir呼ばわりされるようになったら、いったい私の人生は何だったのだろうか。もう疲れた。。ほんとに長生きしすぎたのかもしれぬ。(悲)
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