〜ing〜アメリカつれづれ日記
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2022/08/31(水) 終わりの始まり2
水とはすごいものだ。部屋が臭いだした。これではもう、プロに来てもらって査定してもらって、プロにきれいにしてもらうしかない、ということとなった。今日さっそく来てくれた。明日からカーペットをはがし、洗浄?して、乾かして、壁のボードの部分に穴をあけて、湿気が木から抜けやすくして、といろいろしてくれるらしい。というわけで、またカーペットを新しく買って、うんぬんとお金がかかることとなった。これが配偶者の退職生活の始まりである。どこかに書いてあったぞ、退職してああ、うれし、で、家を買ったり、大きな旅行に出たり、はするな、と。そんなことしたら、10年後、食べモノを買うお金にすら困るようになるぞって。退職したからといって、どおってことないのである。普段の生活がただただ続けるのみ。そういえば、これからは貯金を引き出す生活になるというのに、また家にお金を使わねばならぬ。これはちょっとねえ。。家もないほうがいいかもしれぬ。あると、修理代はかかるし、税金はかかるし、で、大変だああ。なのに、日本では、退職金で家を買う、みたいなことをするらしいと聞いたことがある。大丈夫??? 毎日のご飯は食べられるの???(笑)終わりの始まりは、これを機会に、本棚を4つ捨てることにした。本も、仕分け中で、図書館にもっていくか、まだしばらくは手元におくか、を決める。持ってたって、ほんとはどおってことないんだけれどね。(笑)それでも、地下で見つけた、私の子供の時の本ー少年少女世界の名作文学14 小学館 第一回配本小公子、小公女、秘密の花園を出してきて、机の上に置いた。私が小学校3年生ぐらいのとき、父親が初めて買ってきてくれた本である。今から60年近く前の本。480円もした。けちな母親が父親に毎月どれだけおこづかいを渡していたかは知らないけれど、私が喜ぶ顔が見たくて買ってきてくれたには間違いない。うれしくて、何度も何度も読み返したのを覚えている。アメリカまで来てしまったのも、こんな本を読んでいたのも一因かも。カバーにはリンカーンの切手の写真やらパウアウで踊るインディアンの顔が載せてあるぞ。どちらもなじみ深いぞ。。(笑)空き家になった神戸の家に残っていたほかの本はもう全部捨ててしまったけれど、この第一回配本の本だけはアメリカまでもってきた。親のありがたみをいつも感じたくて。(といえばかっこいいけど、ほんとは娘に読ませようと考えたのかも。。娘の日本語は本を読むまでにはならなかった。笑)。60年間かあ。。戻れるものなら戻りたいなあ。。あのなんにも知らなかった時代。親さえいれば、安心できた時代。。そのありがたさを全く知らなかった時代。。今知る親のありがたい思い出をただただいつくしむのみ。。これも終わりの始まりである。

2022/08/30(火) 終わりの始まり
二日前の夕方ごろから、ものすごい雨風の嵐になった。怖いような降り方だった。斜めに激しい雨がたたきつけ、辺りはかすんで何も見えなくなった。雷はそれほどではなかったような記憶がある。その日の夜、地下に水が流れ込んだ。地下室用の窓のあるところに、地面からカバーをしていなかったのである。それからが大変、大変。地下においてある物を動かして、コンクリートの床をふいて、濡れてしまったあれやこれやガラクタを外に放りだし、倉庫の隣の部屋にも水は流れ込んで、カーペットのあちこちが濡れていたから、そこにバスタオルを敷いて、インディアンダンスをやって水を吸い取り、扇風機を一晩中かけて、と、一体何枚のバスタオルを、何回ドライヤーにかけたことだろう。それぐらいバスタオルは水でどぼどぼになった。これで落ち着くものと思っていた。そしたら、今朝、トイレに行こうと思って、ベッドを出て足をカーペットにおいたら、つめたあああ、濡れているのである。ああああああ、要するに、水だからどこかで止まることはないわけで、どうも広範囲に広がってしまったらしい。朝の4時ごろから、またバスタオル、ダンス、扇風機と一連の作業が始まって、もうこうなったらおしまいだな、全部カーペットをはがして、すべてやり直すしかない。。。終わりの始まりである。どうせ20年間、一度も掃除をしなかった部屋である。カーペットも古い。どうせ近い将来、家を売りに出すには、カーペットを変えるしかない。娘が使っていた部屋で、壁も汚くなっている。すべて塗り替えるしかない。こんなことになったのも、終わりの始まりを神様が教えてくれたんだろう、と考えることにした。古い本をゴミとして出し、集めた小物を飾っていた重いガラス棚も動かし、救世軍にでも持っていこう、そういえば、古い竹細工の椅子も先週、ごみにした。確かサウスダコタで、初めて大きな一軒家に住むことになって、うれしくて、こんな椅子に座ってのんびり本が読めたらいいな、と思いながら、買った椅子である。結局一度だって、あの椅子に座って、ゆっくり本なんか読んだことがなかった。そんなものである、人生なんて。ああできたらいいなあ、こうなったらいいなあ、なあんて思いながら、結局何も手に入らぬまま、終わっていくのが普通なのである。人間は欲深いから、手にはいったとしても、もうそのときは別のことを望んでいる。結局満足感は永遠に得られず。断捨離とは、自分の人生を俯瞰した上での一種の諦めの気持ちかもしれぬ。あああ、もう何もかも捨ててしまって、すっきりしたい。くだらぬ、何をどれだけ集めたり、ため込んでも。一瞬の水でダメになる。人が作ったものより、いや人よりも水のほうが強い。自然に対して人間がどんなに無力かを実感するときもまた、終わりの始まりである。

2022/08/26(金) うつろう季節
このあいだ、プールで泳いで、更衣室に戻ったら、水着を着た白人の年配の女性がー年はわからず。。笑ー更衣室のロッカーをかたっぱしからあけまくっているのに出くわした。あれえ、変な人がいるぞ、で、その人が私のロッカーのところへ来たとき、別のところに逃げようと一瞬考えたが、ロッカーの中の荷物を動かすのもめんどうで、その人のやることを見ていたら、私の隣のロッカーまであけてから離れた。ほっと、である。こちらが着替えをすませて、出ていこうとしたら、その人は、まだロッカーをあけてはばたん、ばたんとしていた。受付の人に、どうも自分のロッカーを忘れたらしいような人がいて、変なことをしてますよ、と告げたものの、わたしゃ知らん、であわてて外に出た。もし認知症の人なら、十分に納得がいく行動である。それとも泥棒か??? とは考えられないけれど、ああいう人がいるからやっぱりロッカーは危ないなあ。。(悲)泳ぎは、だいぶ体が思い出してきたようで、かなり楽に体が動きはじめた。うれしい。今度は、フィンをもっていって、フィンを使う練習をするつもり。。どうなるかなあ。。(笑)久しぶりにボランティア先で、ステラに会った。歌が上手な人で、この10年間、ずっと歌ってくれた人である。しばらく会っていなかった。見てびっくりした。もう鼻には酸素のチューブが入れっぱなしである。悲しいなあ。。1ケ月ほど前は、まだ元気に歌っていてくれたのになあ。またなんとかして、歌ってもらえるものなのだろうか。そういえば、昔の勤め先の新聞社の社長も、酸素ボンベ持参で会社に出てきてたときがあったなあ。。このあいだ、部屋を掃除していたら、その人からの手紙を見つけた。「大好きなタカコへ」と書いてくれてた。。ああ、懐かしい。。あの時代が、アメリカのことなど何も知らなかったサンフランシスコ時代が懐かしい。もう一度戻れたらいいのになあ。。あの社屋のあたりも変わっちゃってるけどなあ。。いっしょに仕事をした同僚はみんな日本に帰った。懐かしいなあ、また会えたらいいのになあ。。悲しい、哀しい。。。今日、怒ることがなんとむなしいことか。。庭の木々の葉も勢いを失っている。落ちるときを静かに待っているかのようだ。私も結局は待っているのだ。。(悲)

2022/08/19(金) 秋の庭
また落ち葉掃除の季節がやってきた。今のところ、1日に1回だけど、そのうち日に3回やらねばならなくなるだろう。去年までは、隣の家の庭境に捨ててたけれど、若い娘のような奥さんが、庭仕事が好きなようで、今まではほったらかしだった庭をきれいにしているから、こちらももう落ち葉を捨てるわけにもいかず、この秋からはどうしようか、と思案中。このあいだ、ごみ拾いをしていたら、動くものを拾ったから、何だろうとよく見たら、蛙だった。ああ、なんと懐かしい。。(笑)昔、中学校の理科の時間に蛙の解剖をやって、そのうち切り刻むのが楽しくなって、教師に顔をしかめられるぐらい切ってしまったことを思いだした。(笑)落ち葉の下に見つけたのは蝉だった。ひっくりかえってしまって、足を空中にあげて、羽をばたばたばた。。元に戻してあげようとしたが、なかなかである。昔は、平気で蝉を触って、注射したりしてたのになあ。。夜中に生き返って、箱の中でごそごそ音がして、怖かったなあ。。(笑)無事に箒の先でひっくり返してあげると、緑色の蝉だった。ふ〜〜〜ん、昔よくつかまえた油ぜみはこげ茶だったなあ。。(笑)もう秋である。チェイニーさんが負けた。知性のないワイオミングの人間ども。そうそう、1月6日の反乱に、プライベートジェットでかけつけた金持ちの若い女がいたことも知った。要するに、退屈した金持ちどもの遊びだったのである。政治も経済も安全保障も、なんにもわからぬアホどもの遊び。物事はピラミッド形だから、下へ行くほど数は多い。ドアホが狙っているのは、その知性のない、数だけは多いピラミッドの一番下のアホな大衆と、頭の中は同じく空っぽだけど、金だけはもっていて、人生に退屈しているほんの小指の先ほどの金持ちたち。情けないアメリカーそんなやつらに国が乗っ取られようとしている??? アメリカさんよ、もうよその国に向かって、民主主義だの人権だの、エラそうなことは言うなよ。何と言い返されるか、わかってるんだろうなあ、人に偉そうに言わんと、自分とこ見てみ、犯罪人が大きな顔をしているアホな国やないか、黙れ、ばっか。。である。(笑)人間社会に関わると、脳の血管が切れそうだから、もう蝉やら蛙ちゃんを見ているほうがはるかにいいなああ。。(笑)

2022/08/15(月) 大変、大変。
前回の日記を読み返すと、10日ほど前のことだと知って、びっくりした。この10日間、ばたばたもいいところ。顔の発疹をインフェクションだと言った医者にどうしても納得がいかなくて、その夜、思い出した。ちょうど顔に出たときと同じときに、指のあいだにも発疹が出たことを。そして、そのことをどの医療関係者にも行っていなかったことを。それで、またインスタントケアに出かけて行った。今度は看護婦でもいいや、と思ってたら、確かに看護婦が出てきた。そして、これこれといろいろ説明して、はっきり言ってやった、私はアマチュアだけど、この指の発疹はインフェクションではない、と。で、やっと看護婦が言った、あなたに同意します。それはアレルギーです。そりゃみてみ。で、アレルギーのクスリと軟膏?を処方してくれた。で、心のどっかに落ち着きが生まれて、ちょっと気が楽になった。指の発疹もすぐに消えた。で、週明けの月曜日、休暇だったスリランカ人の医者に会うことになった。私があんまり文句を言うもんだから、看護婦が至急アポを入れたのである。で、医者が部屋に入ってくるなり言った言葉ーこれは血液検査のフォローアップでしょ。あほか、お前、患者に会う前に患者の情報を見てないんか。血液検査のフォローアップでは、7月18日にあんたに会いました、19日にプールへ行きました、22日に2回目の発疹が出ました、8月3日に3回目の発疹がでました、この2週間ほど、このことでバタバタしとるんじゃ、と言ってる気持ちで、医者に話をした。心の中では、医者を変えると考えながら。だって、この男が皮膚科の医者に書いたとされる紹介状だって、よく話を聞けば、看護婦が作ったものにすぎない、ということが判明。間違った情報で作られているのである。お前んとこの病院システムは失敗した、とか書いてやった。(笑)とにもかくにも、検査の営業しかしない(肺炎のテストをするか、骨粗しょう症のテストをするか、みたいなことしか言わないのである)医者だが、肝心のことは聞かないーほんとに5月のひどい発疹は、帯状疱疹かどうか、それをチェックするテストがあるのか、ということである。聞けば、あるというではないか。あるんなら、最初からそれをやればいいではないか、あっほ。で、その日、血をとられて、2つの検査がなされた。結果は、一つは、私が小さいときに水疱瘡をしたことがわかったとアホ医者が書いてきた。あっほ、そんなこと、一言患者に聞いたらわかることではないか。検査でまた金をとられるだけだ。患者に聞くことすらしようとしないアホ医者は、絶対に首だ。で、オンラインのメッセージに、あんたのせいで、私は金の無駄使いをした、と書いてやった。お前は首だ。で、二つめの検査の結果は、その数日後、返ってきた。結論ー私は帯状疱疹にはかかっていなかった。5月の若い医者の誤診である。くそっ。。病気にもなってないのに、長いこと薬を飲み続けていて、これって、体に副作用が出るのではないのか。今度はそっちが気になってきた。あああああああ、医者を信じるな。医者なんてくそくらえだ。。で、医者を変えたいと病院に電話をすると、今度、医者に会う要件がなかったら、変えられないんだと。ふん。私に、あんたは糖尿病になる危険性高しの状態、ということをうれしそうに言う医者には2度と会わない。10月の血液検査でパーフェクトの結果を出して、医者に会わなくてもいいようにしてみせる!!〜! というわけで、ばたばたの10日間だった。アレルギーのクスリをもらって、調子はよくなったけど、何のアレルギーだったかはわからないから、やっぱり不安。そうそう、アレルギーのクスリをもらった日、また眼医者にも出かけて、目を見てもらった。で、話をしたら、プールの水がアレルギーの原因で顔に発疹が出るということはまずないです、顔より目に出ます、目のほうが弱いから。。ああ、そうなんですか、でやっと納得できた。3人の医療者がプールはOKと言ったから、明日行くつもり。それでもまた発疹が出たら。。。知らん。(笑)軟膏だけは、一生つけても使いきれないぐらい買わされたから、なんとかなるでしょ。(笑)これも腹の立つ薬局ビジネスだった。看護婦は軟膏を4つもオーダーしやがってさ、指二本にうっすりつけるだけなのに、なんでも4つも買わなあかん。で、店がしたことー店に4つなかったものだから、私に1つだけ渡して、4つ分を払わせたのである。だから次に薬局に行ったときに、残り3本を渡されて、あんたはもう支払ってるから、だってさ。1本渡すなら、1本分払えばいいではないか。払い戻しを要求したが、看護婦が4つオーダーしたから、で、なすすべはなし。こういうシステムは大嫌い。患者の弱みにつけこんで、病院、薬局が結託して、金儲けしているのである。やめやめやめ。。(怒)

2022/08/04(木) 決心した!!!
前の日記を読み返すと、帯状疱疹が落ち着いたからと喜んでいるではないか。落ち着いていたのだろう、だから次の日の火曜日、Yのプールに泳ぎに行った。気持ちがよかった。でその日の夜に、また顔の右半分に赤い発疹が出た。帯状疱疹だと思った。あああああ、なんでよ、もう2週間もクスリを飲み続けているんだよ。おかしい。やっぱりインスタントケアの看護婦が対処できるレベルではない、と思った。結局5月に初めて発症してから、何も変わっていないのである。で、水曜日、医者に会いたい、とかかりつけ?の医者のオフィスに連絡をとったが、医者はこの1週間いないとか。で、看護婦が紹介してくれたのが、これまた看護婦で、それもスポーツ関連の看護婦だった。あほか、で、インスタントケアに医者を要求した。たまたま、勤務時間になってたようで、いるというから、あわてて行った。その医者はわからん、と言った。医者と看護婦の違いは、医者は自分の専門領域ではない、という確信があるから、わからんものはわからん、とはっきり言うのである。それに引き換え、看護婦は、何かしておかねば、と、この2週間効きもしない薬を処方し続けた。いや、効いていたのかもしれぬ。プールへ行けたのだから。で、医者は、新しくできた発疹を見て、これは、帯状疱疹ではない、と言い出した。でも、最初の医者は顔半分にしか出ないから、帯状疱疹だと言ったんですよ。確かに、それは帯状疱疹の特徴ではあるけれど、と認めつつも、帯状疱疹ではない、という。じゃあ、素人頭で、プールのあとで発疹がでたのだから、プールの水とのアレルギーじゃないでしょうか、と聞くと、それはわからん、と言う。で、またおためごかしのクスリー抗生物質と帯状疱疹用の違った薬を処方された。で、結局は、専門医にかかるしかないのである。で、今朝、紹介された皮膚科の専門医に電話したら、何と言われたか。一番早い予約は11月です、だと。あほか。今、症状が出ている今見てもらわねば、結局薬でごまかされて、11月には症状はいったんはおさまっているように見えても、根本的な問題は解決されず、意味がない、とぐちゃぐちゃ言った。電話に出てくれた人はいい人で、よくわかる、と言ってくれた。で、何と言ったか、医者同士が話をして、早めに予約を入れられるようにするしかない、だってさ。かかりつけ?の、テストの営業しかしなかったインド人の医者は、今週はずっと休みだそうで。そういえば、私の股関節の手術をしたインド人の医者も、今週だった1年後のチェックアップの予約を来週に変えたなあ、ということは、イリノイで仕事をしているインド人医者の夏の慰安会でもやってるんだろうか。というわけで、決心した、病気になっても、予約、予約とうるさく、医者に会えないようなところで老後を送るわけにはいかない。絶対に日本に帰る。皮膚の様子が悪くなったら、悪いときにその症状を見てくれる医者がいるところにおらねばならぬ。薬、クスリでごまかして、医者に会わせようとしない医療制度なんてくそくらえ、だ。決心した、これからただただ健康問題が増えてくるときに、費用の問題に加えて、何ケ月先に予約をいれねば、医者に診てもらえぬところなんかにいたら、病気は絶対によくならない。すぐに医者に会いたかったら、生死の境をさまよって、救急に運びこまれるしかないのである。こんなところにはおられぬ。日本に帰る、絶対に。(怒)

2022/08/01(月) ただただ
がんばるしかないなあ、と思った。松本清張の番組を見た。どんな人だったか。一番忙しいときは連載を11本、もっていたんだって。11本!!!担当編集者が家を訪ねると、松本清張は玄関口で放心していた。理由は、自分の原稿がどうなっているのか、自分が何の原稿を書いているのかわからなくなったから、とか。それで編集者の仕事は、積み重なっている紙の中から、同じ小説に属するものを探して集めることだったんだって。そりゃ11本ではねえ。こっちの頭は金沢へ殺人旅行へ、その下の脳細胞は、桜島の火口にでも身投げしに行く人のことを考えていたのか。そりゃ、頭の中ぐちゃぐちゃになるでしょう。才能あふれてなくてよかった。(笑)無名の人間が今抱えている?のは、3本から4本ほどである。日本の研究者が出しているジャーナルに出す社会主義者に関するもの、ハワイからシカゴに来た日系人の話、シカゴの柔道の話、それから日本語によるシカゴの日本人の話。。。どれもこれも、松本清張ぐらいの力があればぱっぱっぱっと出来上がるものなんだろうけれど、才能がない人間は、社会主義者を一段落書いたら、気晴らしににんじんを食べ、柔道家を一行書けば、また席を立って、と書くことから逃げる口実を必死で探す。で、またぼそぼそ机に戻る。。有名になる人との違いは鮮明だ。11本なんてとんでもない(笑)ぼちぼち、自分の器にあったペースで楽しみながら書いてりゃいいや。。どうせ、売ってお金にする原稿じゃないんだからさ、楽しむのが一番大事である。先週末は、シカゴの図書館まで出かけたのに、こちらの準備不足で収穫なしに終わってしまった。それからずっと気分が悪かった。2度発症した帯状疱疹はよくなったのでほっ。3度目は出ないようにと、まだ薬を飲んでいる。前回は、医者に言われたとおりの1週間のクスリでは、十分に効かなかったのだ。だから今回は2週間分飲んで、ウィルスを叩きのめす。。(となればいいけれど、心配は心配である)もうはや8月である。猛暑が続いているらしい日本と違って、こちらは朝夕は秋の気配が濃厚である。1年が早いなあ。。(悲)ただただ今日一日だけをのぞきこんで、がんばるのみ。


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