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2022/08/30(火)
終わりの始まり
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二日前の夕方ごろから、ものすごい雨風の嵐になった。怖いような降り方だった。斜めに激しい雨がたたきつけ、辺りはかすんで何も見えなくなった。雷はそれほどではなかったような記憶がある。その日の夜、地下に水が流れ込んだ。地下室用の窓のあるところに、地面からカバーをしていなかったのである。それからが大変、大変。地下においてある物を動かして、コンクリートの床をふいて、濡れてしまったあれやこれやガラクタを外に放りだし、倉庫の隣の部屋にも水は流れ込んで、カーペットのあちこちが濡れていたから、そこにバスタオルを敷いて、インディアンダンスをやって水を吸い取り、扇風機を一晩中かけて、と、一体何枚のバスタオルを、何回ドライヤーにかけたことだろう。それぐらいバスタオルは水でどぼどぼになった。これで落ち着くものと思っていた。そしたら、今朝、トイレに行こうと思って、ベッドを出て足をカーペットにおいたら、つめたあああ、濡れているのである。ああああああ、要するに、水だからどこかで止まることはないわけで、どうも広範囲に広がってしまったらしい。朝の4時ごろから、またバスタオル、ダンス、扇風機と一連の作業が始まって、もうこうなったらおしまいだな、全部カーペットをはがして、すべてやり直すしかない。。。終わりの始まりである。どうせ20年間、一度も掃除をしなかった部屋である。カーペットも古い。どうせ近い将来、家を売りに出すには、カーペットを変えるしかない。娘が使っていた部屋で、壁も汚くなっている。すべて塗り替えるしかない。こんなことになったのも、終わりの始まりを神様が教えてくれたんだろう、と考えることにした。古い本をゴミとして出し、集めた小物を飾っていた重いガラス棚も動かし、救世軍にでも持っていこう、そういえば、古い竹細工の椅子も先週、ごみにした。確かサウスダコタで、初めて大きな一軒家に住むことになって、うれしくて、こんな椅子に座ってのんびり本が読めたらいいな、と思いながら、買った椅子である。結局一度だって、あの椅子に座って、ゆっくり本なんか読んだことがなかった。そんなものである、人生なんて。ああできたらいいなあ、こうなったらいいなあ、なあんて思いながら、結局何も手に入らぬまま、終わっていくのが普通なのである。人間は欲深いから、手にはいったとしても、もうそのときは別のことを望んでいる。結局満足感は永遠に得られず。断捨離とは、自分の人生を俯瞰した上での一種の諦めの気持ちかもしれぬ。あああ、もう何もかも捨ててしまって、すっきりしたい。くだらぬ、何をどれだけ集めたり、ため込んでも。一瞬の水でダメになる。人が作ったものより、いや人よりも水のほうが強い。自然に対して人間がどんなに無力かを実感するときもまた、終わりの始まりである。
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