〜ing〜アメリカつれづれ日記
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2023/01/30(月) 青空
今日は、冷え切っているけれど、空には青空が広がっている。人間はなんと単純な動物か。この空の青の美しさを見ていると、気持ちがはればれしてくる。何といって、いいことがあったわけではないけれど。(笑)娘は今メキシコである。大学時代の友達の結婚式だそうな。メキシコまで来てくれ、という友達も友達だなあ、と思うけれど(笑)、大学にはそういう金持ちがうじゃうじゃいた。娘が大学を嫌ったのは、そういう社会階層の違いがあったからだ。 でもまあ、それも昔の話。今は、自分のお金でメキシコまで結婚式に行けるようになった。よかった、よかった。(笑)それにしても、娘は休みが多い。10月に二週間日本、12月にこれまた2週間ほどエクアドル、そして2月にメキシコが1週間である。あんた、そんなに休みをとって、仕事は大丈夫なの。帰ってきたら、首になってるんじゃないの、それがあんたのパターンだ、と警告するが、知らん顔をしている。シカゴ時代はキリマンジャロから戻ってきたら、レイオフ。パタゴニアから帰ってきたら、これまた仕事をやめることになった。とにかく旅行から帰ってくると、無職になる、がこれまでのパターンである。だから今回も心配している。ところが、同僚は、今年に入って、ヨーロッパに出かけたという。6ケ月間、仕事をしながら、ヨーロッパを旅行するという。そんなことできるの。時差もあるだろうし、変な職場やね、どんな仕事してるねん、と思うけれど、どうも合点がいかぬ。で、思う、いよいよ時代遅れの人間になりつつあるなあ、と。コンピュータさえ持っていれば、世界中どこにいてもいい、という仕事が若い人のあいだで普通になりつつあるらしいのである。 会社は同僚に新しいコンピュータを買って、渡して、ヨーロッパに送り出したというから、もう異世界である。それに比べて、日本からのニュースは、国のトップが、育児休業中に、りすきりんぐしたらいい、みたいなことを言ったそうで、遅れてるなあ、と。当初、りすきりんぐの意味がさっぱりわからなかった。どんな英語だと首をかしげていたら、どうもre-skillingということらしく、これは英語、それともジャパリッシュ? いまごろ、育児休業中に、うんぬん、の感じじゃないですねえ。今日来た、ある会社社員のメールには、子供がまもなく生まれそうなので、メールの返事が遅れる可能性あり、とか書いてあった。育児休業をとる、の意味ではなく、仕事しながら、適当に家に戻って、コンピュータさえ持ってたら、家でも仕事ができるわけで。。。と、すべてが、仕事とプライベートの境目がなくなり、労働者はそのあいだ、コンピュータとともにさまよい、自分のベストな働き方を探している時代である。育児休業中にリスキリングとかなんとか、けちくさいのお。。。(笑)あかんなあ。。フィリピンの刑務所にいても、日本にいる人間を使って、泥棒、殺人ができる時代である。発想をもっと柔軟にしなくちゃあねえ。。何かががちがちの日本。。(笑怒)

2023/01/28(土) 雪の日
雪が朝からしんしんと降っている。うつくしい。やっぱり冬は雪である。雪は、外の音を全部吸い取ってしまうのか、世界は静まりかえる。この静けさがいい。「雪が降る〜〜〜あなたは来ない〜〜〜」という歌を思い出した。そりゃ来ないでしょう。雪が降っているときは家から出ずに、窓から雪を眺めているのが一番だ。(笑)今週は、これで3回目である。先週までは、雪がまったく降らず、今年の冬は雪なしか、と思っていたら、今週はこれで3回目。今日みたいに、朝からしんしんと降り続けるのは初めて。二回目のとき、久しぶりにデッキの雪かきをした。新雪と遊ぶのは楽しい。家の片づけをしていて、今から40年ほど前にタイで買った傘を、そろそろ捨てなければならないが、一度も使わないで捨てるのももったいないので、雪がちょっと強めにちらちら降るときに使ってみた。古い紙の傘にはもう穴がちょこちょこあいているが、Flurryの雪なら、その穴から雪が落ちてくるわけでなし、ちゃんと顔の雪よけにもなってくれて、パーフェクトだった。これから雪の日に歩くときは、このタイ製の傘を使うことにした。南国タイでは雪が降るのだろうか。雪のないところでつくられた傘なら、どれぐらいもつかなあ。。捨てる前に最後まできっちり使ってあげよう。(笑)そういえば、思い出したこと。エクアドル行の飛行機の中で見た映画が2本、面白いものを見た。たぶん日本では上映されなかった? まずは、日産のゴーンの日本脱出劇のドキュメンタリーである。大きな黒い箱の床に、小さな穴をあけ、ゴーンを貨物として預けた。そのあとである、ようわからんのは。貨物室のなかにずっといたのか、それとも途中で這い出してきたのか。そのあたりはすっとばされたような感じの映画だった。詳しく描くと、航空会社に問題が出るのだろうか。ゴーンというおっさんも、今はどうしてるのか。二つ目は、オードリーヘップバーンのまだ見ていなかった映画、ファニーガール?だったっけ。「ローマの休日」より前の作品である。ヘップバーンがフレッドアステアと踊る映画。。かわいくて、ダンスが上手でほれぼれ。。昔、小学生のとき、マーガレットと少女フレンド(だったっけ)という少女マンガ雑誌が二つあって、確かその雑誌の中で、オードリーヘップバーンのことを初めて知ったのだった。背が高すぎたので、バレエをあきらめた、と。ふ〜〜〜ん、そういうことなんか、と妙に感心したのを覚えている。それが30年以上を経て、自著「大きな女の存在証明」にまでつながった。そんなこと、あの小学生にはさっぱり想像もつかなったことだ。人生、何一つ無駄なものはなく、すべてが連鎖、つながっている。。静かに、静かに降り続ける雪を見ながら思う、我が人生、たいしたものじゃなかったけど、それでいいや。雪が黙ってのみこんでくれる人生の後悔にも感謝。

2023/01/23(月) 中毒?と泳ぎ初めと怒り(笑)
やっと赤道直下でひいた風邪がどこかにふっとんで、体が元に戻ったような感じだ。赤道の風邪はしつこく、ややこしかった。体がまだ元の状態じゃなかったからか、先週、朝ちょっと食べ過ぎた感じがしたら、すぐ胃の調子がおかしくなって吐き気がした。あれって感じ。なんとか日本語テレビを見て、気を紛らわせて、2時間ほど経つと収まった。今週は、いつも通り、薄いコーヒーを飲みながら、原稿に手を入れてたら、また吐き気がしだした。なんでえ。いつもと違うのは、ナフタリン臭いセーターを二枚着こんでいたこと。家の片づけをしていて、あれっ、こんなところにこんなセーターがあったんだ、で、ナフタリン臭かったけれど着たのである。娘が若かったときに着ていたもので、もう着ないからと家に残していったものだが、へえ、こんなセーター着たことがない、というわけで、年寄りが後生大事にとっておいて、初めて着てみたというわけである。ナフタリンの臭いを2時間ほど嗅ぎ続けたら、胃腸の調子が悪くなるとは、これって中毒症状? 吐き気は先週よりひどかった。それでもしばらく横になったりして、なんとか無事におさめたが、その日はそのあとショックで何もできなかった。これも体が弱ってきたからかなあ。。あわてて残っていた古いセーター5枚ほどあっけなく全部捨てた。しょせん娘が捨てて行ったものである。未練も何もないはずだけど、骨の髄まで貧乏性らしい。(笑)きのうは、無事にYへ泳ぎ初め。赤道直下の海の水に比べると、お風呂に入っているようなもので快適、快適。(笑)確かに、水の中をのぞけば、魚ちゃんの大群やら海がめが泳いでいるほうが、水色のコンクリート?よりはるかに楽しいけどね。そして怒り。再び郵便局である。去年の7月から11月まで、6回ほどにわけて、70冊近い日本語書籍をシカゴの大学の図書館に寄付をした。ところが、箱の1つか2つかが未着なのである。くそっ。で、トラッキング番号をもっているからチェックしようとすると、もうコンピュータには出ない。古い情報を知りたかったら、金払えと来た。これでまた怒っているわけである。発送から100日経つと、普通にトラッキングはできなくなるとは知らなかった。知らされていなかった。くそっ。仕事をしない、できないお前らのミスを確認するために、なんで私が金をはらわにゃいかんねん、でまた腹が立つというわけである。ほんまになあ。。郵送料を払ってせっかく寄付したのにーそれもかなりいい本たちである。15冊紛失である。かなり悔しい。これから、お金を払ってでも、本の行方を追跡するかどうか思案中である。ほんまにアメリカの郵便局はあかん。(怒) 

2023/01/16(月) 28年という時間
神戸が全国ニュースで流れるのが今日である。震災の日。あれからもう28年かあ。28年なんて早かったなあ、とつくづく思う。あの日、サウスダコタにいた。父はもういなかった。母とどうやって連絡をとったかはもう覚えていない。あの母がいなくなって、ちょうど10年が経った。父がいなくなって、もうすぐ29年である。早かったなあ。人生はほんとに短い。(悲)家の片づけをしている。配偶者が、40年前ぐらいの神戸で、粗大ゴミの日に拾ってきたものを、今片づけているわけだ。どうせ死んだ人の着物やら写真やら人形やらが粗大ゴミに出されたのを、夜、ガイジンさんが面白がって、通りをうろうろし、宝物ハンティングをして、持ち帰ったというわけである。それをまあ、40年後のアメリカで、ごそごそ捨てているわけである。不思議といえば、不思議な光景である。(笑)古いキモノなんて、臭い、臭いから、早く捨ててほしいと思うけれど、何を考えてか、まだ残しておきたい、などと言うから、人の好みとはほんとにわからぬものだ(笑)それでも、私でも、ちょこっと手元に残したものがある。神戸のカワカミさんの持ち物である。海軍に志願して、それが認められ、呉に来いという通知である。へええ、ふ〜〜〜ん、こういうものだったんだ、と思って手元に残した。日付は昭和19年である。兵隊姿の写真もあったから、それも残した。呉に行く道中から、神戸の家族に出したハガキもあったが、それは捨てた。字がかなりへたで、漢字もまちがえてたから、情わかず。(笑)で、カワカミさんに関する手紙がもう一通残っていた。なんと進駐軍の上官が、カワカミさんがどんなにいい運転手だったかをほめ、推薦する手紙である。どうも戦後は、カワカミさんは、神戸に駐屯していた進駐軍のお抱え運転手をしていたらしい。アメリカ人といっしょに写った写真もあった。そして、次の仕事探しのために、アメリカ人の上司に推薦状を書いてもらったらしい。古い映画に出てくる、丸みをおびた大きなアメリカ車の横に立つ奥さんとカワカミさんの写真もあったから、それも残した。夫婦仲がよかっただろうことは写真からよくわかった。へえ、私の親の写真には、こんな写真は一枚もないなあ、と変に感心した。(笑)一人娘もいたらしい。で、その娘さんが小学校にあがる前ぐらいまでの写真しかない。配偶者が拾わなかっただけかもしれないけれど、40年前、いったいカワカミ家の誰が亡くなったのだろう、と想像する。海軍に志願入隊したカワカミさんが生きていたら、今はもう100歳ぐらいだろう。40年前に亡くなったのはこの人なのか、それともキモノ姿が粋な奥さんか?娘さんが生きていたら、私よりも年上で70半ばぐらいかもしれぬ。誰が手紙や写真を整理して捨てたのだろう。。といろいろ想像していたら、ふっと今、自分がどこにいるのがわからなくなった。(笑)たぶんカワカミさんかなあ、カワカミさんの小学校時代の文集まであったからなあ。。尋常小学校とあった。今度、神戸に戻ったら、この文集を学校にもっていってみようかなあ。。(笑)時間、時間、時間。。。実に不思議なもの。生まれてきたら、誰にもかならず与えられるもの。でも、与えられる長さは誰にもわからない。時間、時間、時間。。。この手の中ににぎりしめて、その動きを止めてしまいたいぐらいだ。父も母も、時間の遠く向こうに消えてしまって久しい。時間、時間、時間。ただただ今日という、二度と戻らぬ時間が与えられたことを感謝するしかできないではないか。ああ、時間とは何と酷なものか。生きるとは、記憶の中に自分を押し込めていく作業なのか。(悲)

2023/01/11(水) また明けた。。。(悲笑)
年末年始の旅行から帰ってきて、今日はじめてシカゴまで車を走らせた。また元の日常が戻ってきている。それでよし。(笑)年が明けた、といっても、何もうれしいことはない。年をとるだけで、先に何かを楽しみにしているものがあるわけでもなし、ただただ時間との戦いという言葉が身にしみるだけである。2週間ものエクアドルへの旅で学んだことー1赤道直下といえば、暑いというイメージがあるだろう。てっきりそう思いこんでいた。とんでもない、寒い、寒い。エクアドルの首都のキトなんて、標高が富士山より高かった? 高山病みたいなものだったらしい。ビールやらコーヒーを飲むと、動悸が激しく起きて、このまま死ぬんじゃないか、と思ったほどだ。スノーケルをしに入った海は冷たい、冷たい。氷水みたいな海水で、これまた飛び込んだ途端、死ぬかと思った。与えられた時間だけ海にいることができず、途中でボートに上がった。指先がかじかみ、感触を失うスノーケリングなんて初めてである。ウエットスーツを着ていてもこのありさまである。これが赤道直下の海である。びっくりびっくり。2赤道に行った。右足は北半球、左足は南半球というわけだが、右足に雪が降り、左足に太陽さんさん、というわけでもなく、太陽も特に熱いというわけでもなかった。なんしか5000メートル級の山が連なるアンデス山脈に囲まれ、太陽よりも雲やら霧をよく見た。3エクアドルはメキシコと大違いで、人はおとなしく、ていねいで気持ちよく、洗練されている感じがあった。人口の90パーセント以上がカソリックというところで、人に落ち着きがあった。南米は初めてだったが、やっぱりなあ、アホアメリカに近づけば近づくほど、人間はがさつで傲慢で、うるさく厚かましく、かつ戦闘的になるのだ。自分自身が怖い(笑)4人生残りの時間、もうウミガメもイグアナも、アシカもオットセイも見たくない。そこらじゅうにうじゃうじゃで、もうちょっとで踏みそうになるほどいて、船着き場のベンチにはアシカかオットセイかがどてっと寝ていた。だからなんなのさ(笑)5ほんとのところは、がっかりしているのである。海にゴミーたぶん菓子袋ーが一つ浮かんでいたから。船の上から見たもので、とりたくてもとれなかった。(悲怒)島へ行くのにあれだけやいのやいの、これはもってはいれないだの、どうのこうの言ったから、島はすべて無人島で、希少動物だけが住んでいると思っていたのである。とんでもない。町があるではないか。人がうじゃうじゃ日常を過ごし、みやげものやが軒を並べてている。ごみがいやというほどあるではないか。あのごみが風に吹かれて海に流れていくことは十分に考えられる。何よこれ。がっかり。(悲)6日本人夫婦を見た。同じ夫婦を二度見かけた。どちらのときも、二人は話をすることなく、並んで歩いていた。どこも同じ。。(笑)7 2週間シェフが作る料理を食べ続けた。飽きた、ああいう料理は1年に一度何かの記念日に、レストランへ行って食べればいいのだ。あんなもの毎日、朝昼晩と食べていると、もううんざりした。と面白いもので、日本語放送で、高級老人ホームをテーマにしたドラマが始まった。林真理*原作だそうで、入居に8千万、夫婦で入れば1億を超えるという富裕層対象の施設である。で、そのホテルみたいな施設で、入居者がきどってナイフとフォークで食べている絵が出た。反応ーああ、かわいそう。毎日毎日、あんなもの食べられるか。やっぱり最後の最後まで、自分で料理した自分の好きなものを食べていたいなあ。。でも最後は、火を使う料理は危ない、ということでできなくなり、そのうち仕出し弁当かなあ。。おいしくないだろうけれど、シェフの料理よりはましだろう。と、赤道直下まで出かけていって、一番身にしみて感じたのは老後の生活だった。(笑)赤道まで出かけてひいた風邪はなかなか治らない。それでも今日は、思い切ってボランティアに出かけた。90を超えてる日本人女性がだいぶ弱ってきていた。息子さんのためにがんばって、お母さんがいなくなると寂しいから、と声をかけると、もう、がんばりたくない、それはよくわかるけれど、もういい、と顔をしかめた。生きていても、食べるのもつらくなるのである。がんばれ、という言葉は、高齢者にはタブーかもしれぬ。神戸の家の隣のおじさんにも、もうそんなにいじめんといてえなあ、と言われたことを思い出した。ただただ今日一日が無事でありますようにと祈るのみ。今年も平穏な一年でありますように。 


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