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2023/01/16(月)
28年という時間
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神戸が全国ニュースで流れるのが今日である。震災の日。あれからもう28年かあ。28年なんて早かったなあ、とつくづく思う。あの日、サウスダコタにいた。父はもういなかった。母とどうやって連絡をとったかはもう覚えていない。あの母がいなくなって、ちょうど10年が経った。父がいなくなって、もうすぐ29年である。早かったなあ。人生はほんとに短い。(悲)家の片づけをしている。配偶者が、40年前ぐらいの神戸で、粗大ゴミの日に拾ってきたものを、今片づけているわけだ。どうせ死んだ人の着物やら写真やら人形やらが粗大ゴミに出されたのを、夜、ガイジンさんが面白がって、通りをうろうろし、宝物ハンティングをして、持ち帰ったというわけである。それをまあ、40年後のアメリカで、ごそごそ捨てているわけである。不思議といえば、不思議な光景である。(笑)古いキモノなんて、臭い、臭いから、早く捨ててほしいと思うけれど、何を考えてか、まだ残しておきたい、などと言うから、人の好みとはほんとにわからぬものだ(笑)それでも、私でも、ちょこっと手元に残したものがある。神戸のカワカミさんの持ち物である。海軍に志願して、それが認められ、呉に来いという通知である。へええ、ふ〜〜〜ん、こういうものだったんだ、と思って手元に残した。日付は昭和19年である。兵隊姿の写真もあったから、それも残した。呉に行く道中から、神戸の家族に出したハガキもあったが、それは捨てた。字がかなりへたで、漢字もまちがえてたから、情わかず。(笑)で、カワカミさんに関する手紙がもう一通残っていた。なんと進駐軍の上官が、カワカミさんがどんなにいい運転手だったかをほめ、推薦する手紙である。どうも戦後は、カワカミさんは、神戸に駐屯していた進駐軍のお抱え運転手をしていたらしい。アメリカ人といっしょに写った写真もあった。そして、次の仕事探しのために、アメリカ人の上司に推薦状を書いてもらったらしい。古い映画に出てくる、丸みをおびた大きなアメリカ車の横に立つ奥さんとカワカミさんの写真もあったから、それも残した。夫婦仲がよかっただろうことは写真からよくわかった。へえ、私の親の写真には、こんな写真は一枚もないなあ、と変に感心した。(笑)一人娘もいたらしい。で、その娘さんが小学校にあがる前ぐらいまでの写真しかない。配偶者が拾わなかっただけかもしれないけれど、40年前、いったいカワカミ家の誰が亡くなったのだろう、と想像する。海軍に志願入隊したカワカミさんが生きていたら、今はもう100歳ぐらいだろう。40年前に亡くなったのはこの人なのか、それともキモノ姿が粋な奥さんか?娘さんが生きていたら、私よりも年上で70半ばぐらいかもしれぬ。誰が手紙や写真を整理して捨てたのだろう。。といろいろ想像していたら、ふっと今、自分がどこにいるのがわからなくなった。(笑)たぶんカワカミさんかなあ、カワカミさんの小学校時代の文集まであったからなあ。。尋常小学校とあった。今度、神戸に戻ったら、この文集を学校にもっていってみようかなあ。。(笑)時間、時間、時間。。。実に不思議なもの。生まれてきたら、誰にもかならず与えられるもの。でも、与えられる長さは誰にもわからない。時間、時間、時間。。。この手の中ににぎりしめて、その動きを止めてしまいたいぐらいだ。父も母も、時間の遠く向こうに消えてしまって久しい。時間、時間、時間。ただただ今日という、二度と戻らぬ時間が与えられたことを感謝するしかできないではないか。ああ、時間とは何と酷なものか。生きるとは、記憶の中に自分を押し込めていく作業なのか。(悲)
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