〜ing〜アメリカつれづれ日記
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2023/10/30(月) 名義
名義なんて、紙上の名前にすぎないはずなのに、やっぱり名義は名義だけのことはある。(悲怒)法務局の仕事が無事に終わって、家の名義が母親から移転された。それ以降、この家に対する気持ちが微妙に変わったのが感じられる。これまでは、母親の家の世話をしに行くんだ、と、どこか言い訳がましい気持ちがあった。名義が変わったとなると、なにやら大きな責任を背負ったようで、気分が重くなった。名義人はもういないのだから、相続した人間の背負っているものは同じなのに、名義ゆえの重たさがある。いややなあ。。変えなかったほうがよかったみたい。「この家は私の家」と考えると、この家が大嫌いだった若いときの気持ちの記憶がよみがえるのである。なあんで帰ってこなあかんの、みたいな気持ちになりそうである。あああ、うっとうしい。 庭の植木が大嫌いな隣のおばあさんを言い訳にして戻ってくるしかないなあ。伸びた枝を切る、を帰ってくる理由にするしかない。(笑)でも発想を変えれば、家が大嫌いだったこと、この家をなんとかして出たかった昔を思い出すことで、数年後この家をつぶすことも簡単にできるようになるかもしれない。すべて、起こるべくして起こっているのだ、と信じて、アメリカに戻る。

2023/10/28(土) 青森の旅2
なあんで携帯用ごみピック器をもっていかなかったのだろう。まだそういう器械があるのかどうかも調べていない。次回こそちゃんと調べて、購入して、もっていかねば。朝早く、ぶらぶら散歩した十和田湖畔でごみ拾いをした。中国製の菓子袋もあった。奥入瀬のごみは、拾えなかったのがまだ気になっている。プラスチックの袋に、弁当箱みたいなのが入っていて、渓流の近くに捨てられていたのである。くそっ。。いまだに拾いたかったなあ、という気持ちがうずうず。(笑)なあんであんなきれいな渓流にごみを捨てる気になるのか。人間の醜さが悔しい。。八甲田山では初雪を踏んできた。これだけで満足。(笑)雪中行軍資料館というのがあってのぞいてきたが、しょせん答えは一つ。リーダーが悪かった。加えて、隊員はあっちやこっちからの寄せ集めだったとか。リーダーって大事な存在なんだあ、と今さらながら納得。。一生縁のなかった仕事である(笑)本州最北の地にも立ってきた。北海道が見える海はきれいだったが、土産物屋から青空に向かって流れ出ている演歌のほうがもっと心にしみた。(笑)青函連絡船が貨物電車ーたとえば郵便列車ーをそのまま運んでいたとは知らなかった。おもわず歌ってしまう津軽海峡冬景色。。(笑)秋色の山の美しさから北海のすがすがしさまで、中国語が聞こえない場所にやってくると、やったああ、と叫んでしまう始末。(笑)恐山では中国語を聞かなかったのでほっ。人が少なく、緑の多い田舎生活がいいなあ。元気なうちは、と納得して、アメリカに戻ることにする。今日は無事にお墓参りをすませた。神戸の人口は減っているそうだが、まだまだ人が多い。多すぎる。また来年来るね、と墓石につぶやいた。旅の終わりが近い。

2023/10/27(金) 青森への旅1
あああああ、青森弁が聞きたかったのに、2度しか聞けなかった。一回目は、世界遺産の白神山地に出かけたとき、通行止めになったところに立っていたおじいさんの言葉。どちらの道も通れません、という意味だったと思うのだけど、さっぱりわからんかった。すごくうれしかった。(笑)その自然な言葉の流れがもつ力に、青森で生まれ、青森で生を終える人なんだろうなあ、と思った。2回目は、青函連絡船の最後の船がミュージアムになっていて、そこの展示から流れていた言葉。物売りのおばさんの声が青森弁のような感じがした。それ以外は。。。”普通”の言葉ばっかり。テレビをつけても、青森にいる感じがぜんぜんしない。つまらないことだ。ホテルやら奥入瀬なんて、聞こえてくるのは中国語ばっかりで、いったいどこにいるの、中国?と言いたくなるぐらいだった。(怒笑)どこへ行っても、中国人うじゃうじゃの状況に、日本人がヨーロッパに大挙して出かけていった時代を思い出した。農協のおっさんたちが、腹巻に札束を入れて、。。と批判された時代である。1970年代だっただろうか。あれからもう半世紀か。早いなあ。(悲)学びの多い旅となった。

2023/10/20(金) 久しぶりに
興奮した。プロ野球である。(笑)なにやら阪神が18年ぶりにどうのこうの、したそうで(そのあたりの詳しいことはわからず。。笑)テレビで試合をやっていて、びっくりした。甲子園に集まったファンたちの応援である。すごい。。甲子園全体がどよめいて、揺れていた。あの応援の声を聞くだけで、これは見なくちゃ、と思った。(笑)選手たちも、あれだけの応援を受ければ、やる気が出るよなあ。。で、しばらくすると思い出した、結婚したてのころは甲子園に住んでいたこと。父親といっしょに甲子園に行ったことがあること。長いあいだ、思い出したこともなった父親の顔が浮かんだ。。阪神と聞いても、掛布だのバースといった名前の時代で、今の阪神のことはさっぱりだけど、なにやらすごく応援したくなったのである。地元というのは不思議な力がある、と改めて思った。で、1対1が続く試合で、9回の裏、阪神が満塁までもっていって、最後の1本で、さよなら勝ちとなるとなると、そりゃもう、テレビの画面にくぎづけになった。で、誰かが打ったボールがころころと、守備を抜けると、やったあ。。抜けたああ、と叫び、無事に阪神が勝ってよかった、よかったと喜んだ。不思議な喜びだった。野球なんてぜんぜん興味がないのに。。(笑)ファンでも何でもないけれど、でも大満足。それにしても、この60年のあいだに、ルールもいろいろ変わった? カットボールって何? 申告敬遠って何? ようわからんかったけど、楽しかった。スポーツを見る楽しみって、要は単純かつ人間の本質的喜びとつながっている? 理屈抜きの懸命なプレイと応援が脳に良質な化学反応をおこさせるのかも。。これからは好きなスポーツチームでも探そうか???(笑)

2023/10/15(日) 日本考1
将来、死ぬために日本に戻ってこようと考えているけれど、バスでいやなものを見てしまったので、将来の計画に暗雲が。。(笑)先日、法務局へ行くのに、バスに乗った。停留所は、家から歩けるところでー丘の上にあり、坂の傾度は45度近くあり、かなりの運動量になるー始発だったからあまり気にならなかったが、途中の停留所で乗り込んでくるのは、当然高齢者が多い。若い人も多少乗っている。そのうち、高齢者でも立たねばならないほど混んできた。始発で座っていたから、当然立ちあがって、席を譲った。そのおばあさんは、ありがとう、後ろにまだ空きがありますから、と後ろに行った。で、障碍者だか車椅子だか、とにかく特別のサインが貼ってある椅子のところに立っているおじいさんに、声をかけて席を譲った。おじいさんは、すぐ喜んで、座ってくれた。で、その特別の青いマークがついている席に誰が座っていたか。若い女である。髪をきれいに染めて、顔は美白か何だかきれいに化粧している、どこにでもいる女の子である。で、目の前に後期高齢者が立っていても、知らん顔をして何をしていたか。スマホで、ブラウスやらスカートの写真が並んでいるページを、人差し指で、忙しく動かしていた。よっぽど頭の上から、言ってやろうか、と思った。どんなに新しいブラウス着ても、顔を化粧しても、あんたの心は腐っていて、クサイ、クサイってさ。(笑)でもまあ、めんどくさかったから、言わなかった。そのうち、その子も降りていって、席が空いたから座ろうかな、と思った一瞬、バスに乗ってきたのも、これまたおばあさん。で、私はそのまま立ち続けた。そのおばあさんは、わざわざ、降りるときに、席を譲ってくれてありがとうございました、と声をかけてくれた。で、私も、おきをつけて、と返した。で、思うのである、若いガキは、大きな顔をして障碍者用の席に座り、スマホだか何だか、指をくりくりしている一方で、前期高齢者が後期高齢者に席を譲らねばならない社会って、居心地いいだろうか、と。日本に帰ってきても、ストレスがたまるだけではないのか、と。まあ、たまるあいだはまだ若いだけ、とも言えるのかも。国鉄が(ふるう〜〜笑)女性専用車を走らせて、誰も文句を言わないのなら、バスも、前方は高齢者専用、にしたらどうなるだろう。とにかく、これだけ高齢者が増えてきて、高齢者にとっては公共交通手段は必須アイデムなのだから、能たりんの若いガキどもを、必要があるときは、立たせる施策をとるべきである。と、市バスを管轄する部署に書こうかな、と考えていたら、市バスの関係者がパワハラで17人だか、処分されたと全国ニュースで流れていた。いったいどうなってるねん。どこもかしこも(笑)アメリカのバスでも電車でも、目の前に高齢者が立ったら、無視する人間はいないなあ、と考えると、日本人のあいかわらずの後進性に、ちょっとがっかり。。この60年、あんまり変わらなかったようだ。(悲)

2023/10/12(木) 最初の1週間
が無事に過ぎた。大変、大変。まず家を見てびっくり。雑草が2メートルぐらい伸びているのがあっちこっちで、まるでジャングルである。手でひっこぬいて、というレベルではないから、ご近所のおばさんからシャベルを借りてきて、土を掘り返して、雑草の根と格闘。これで3日は費やした。45リットル入りの燃えるゴミのごみ袋6つは使った。洗濯をすると、洗濯機が異常な行動をした。すすぎの段階で、水道から水が流れこみはじめたではないか。槽からあふれる!たまたま目撃したのはラッキーなことだ、と考えて、思い切って洗濯機を買った。前から、これでほんとに洗えてるの、と首をかしげる代物だったが、まあ、動く限りはいいや、と思って、だましだまし使い、我慢していたのである。というか、大きな買い物はしたくなかった。(笑)でも異常をほったらかしにしておいて、大惨事は困るので、えいやっと清水寺から飛び降りた。明日のデリバリーのはずである。お別れということで、初めてしげしげとよく見てみた。なんと1991年製造とあった。げっ。。。32年も使えば、多少まだ使えるとしても、もういいでしょ。。(笑)友達に会って、いろいろ愚痴をきいてもらった。みんななにがしか背負って生きてるよ、との言葉に元気をもらった。何のために生まれてきたのか、生きてるのが、と思うこともあるけれど、生きるということはこういうこと、と納得するしかないかもなあ。。(悲)1週間の締めくくりは法務局である。不動産登記をきっちりしておかないと罰金が科せられる法律が来年4月から施行されるとか。この家の名義はまだ10年前に亡くなった母親となっている。解体するならいいでしょう、と言われて、ほったらかしにしておいたが、罰金となると考えてしまう。それがお上の意図である。(笑)罰金はいくらですか、と法務局kに電話して聞いたが、まだ何も知らないようだった。(笑)とにかくややこしい書類をいろいろ区役所で出してもらって、今日、いざ出陣。法務局なんて行ったことないし、なあんか怖そうなところだし、いややなああ。。別にとりわけ悪いことをしたわけではないが、なあんかお役所は嫌い。。根っからのアナーキストである。(笑)無事に終わりますように。


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