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2023/03/10(金)
高齢者たち
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再び窓の外は銀世界である。うれしい。(笑)やっぱりね、冬は雪、である。気温が華氏40度まであがっての雪だから、たぶんべたべた雪。陽光がさせば、またたくまに消えてしまうだろう。だから楽しまねば。イリノイの雪がいやで、カリフォルニアへ移っていった人がいると話してくれた人がいた。そうですか、カリフォルニアみたいに年中おんなじ天気のところは、頭がぼけますよ、雪はきれいだし、イリノイのほうがいいです、と答えた。その人はけげんな顔をしていた。どうも、雪がきれい、の部分が理解できなかったような。都会のビルに住んでいるのかもしれぬ。雪はきれいですよ。庭の木々の裸の枝に雪が細く層をつくり、その上を小鳥がちゅんちゅんと飛び回っている。雪をつついて水分をとったりして、楽しそう。かれらの自由、かつ単純な生き姿を見ていると、こちらまでがうれしくなってしまう。本物にはそんな力がある。まだまだイリノイの雪の世界から離れようとは考えられない。(笑)高齢者がもっている力も、私に エネルギーを与えてくれる。日本人でほぼ同世代の新一世女性といっしょに歌を歌った。認知症で徘徊がとまらないから、スタッフたちが手を焼いているというのがほんとのところだ。それで、私が別室で、片手でピアノを弾いて、いっしょに歌った。長崎出身とのことで、長崎の鐘とか、長崎は今日も雨だった、とか、瀬戸の花嫁とか、見上げてごらん夜の星を、とか。。認知症でもう理屈は通じないけれど、歌は歌える。音楽の力ってすごいなあ、と改めて思う。みかんの花咲くころ、だったか、すべて覚えていた。歌が脳のどこかに眠っている記憶を勝手に呼び起こしてくる。本人は自分が何を歌っているか、なぜ歌っているかまったく認識できない。それでも、歌うときは楽しそうである。その楽しそうな声が、雪の上を歩いている小鳥と同じ力をもっている。本物である。2歳児がごねているように、食べ物を口に運ぼうとする看護師に、ノー、ノー、ノー、ノーしか言わなかった高齢者に、お腹に赤ちゃんがいるのかな、赤ちゃんのために食べようね、とスタッフが言うと、げらげら笑いながら、口に食べ物を入れさせた高齢者もいた。げらげらの笑い声の意味はわからないけれどー妊娠しているという冗談が通じているのか否かはわからず(笑)ーあの笑い声は本物である。笑っている意味はわからずとも、あの笑い声は見ている者をも笑わせる力をもっている。本物である。それにひきかえ、頭がさえてる人間は。。。日系二世の高齢者で、小さいときに、西海岸で日本語学校へ行った人がいる。彼女の日本語は、教師が子供に、親が子供を叱るときの日本語である。つまり、力関係を露呈する日本語である。「座りなさい!」「座れ!」そんな日本語をスタッフに教えて、新一世の日本人女性に言うものだから、非常に気分が悪い。といって、そんな日本語しか知らない高齢者を責めることもできない。それが彼女が育った環境であり、それは彼女の預かりしらぬことである。だから、もうちょっとソフトに言ってあげて、と言ったものの、なんしか頑固で、こちらも似たりよったりの性格だから、けんかにならぬようにするので精一杯だった。(笑)まあ、週一回行ってるだけだから、そんなにカリカリしなくてもいいんだけれど。それでも、日本語がネイティブの人間にしてみれば、たとえ認知症が進んでいても、歌えることが証明するように感情は残っているわけで「座りなさい」と、犬か小さな子供のように扱われれば、気分が悪いだろう。その気分の悪さが徘徊したい気持ちを増長させるかもしれぬ。どうせ自分も英語で同じことをしていることはわかっている。英語ができずに、表現が唐突、直接的すぎて、他人を傷つけることも多々あるに違いない。白人女を泣かせたのも1回だけじゃなし。。。ははは、だ(笑)頭が動いていると、エゴも出て、いろいろと難しいことだ。でも一つだけ高齢者のいいところーいやなことがあろうと、すぐに忘れることだ。それはお互いさまで、ははは。(笑)そうやって、人間は”美”に向かっていく。どんなに外見は醜悪であろうと、内面は、雪の中を飛び回っている小鳥と同じになるのでは、と想像する。シンプルは美しい、である。
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