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2023/05/30(火)
脳内と植物
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メモリアルデーの休みも終わり、いよいよ夏ということになった。暑いのは嫌いだから、いやな季節だなあ、という感じ。(笑)白いスズランの花も、白いすずかけの花も、ピンク色のライラックの花もみんな終わった。いよいよである。(悲)毎朝植物を見ていて、このごろ考えること。人間は動物とされるが、ほんとうは脳内は植物じゃないか、と。要するに、植物は動けない。声を発さない。が、全身でもって、自分に与えられている環境を凝視していると思う。どこから風がよく来るか、太陽の光がやってくるか。そういう条件を全身で受け止めながら、少しずつ自分で調整をはかって、生き延びようとする、枝の向きを見ていると、それがわかる。根が分かれて、どこからか突然地面に顔を出す様子でそれがわかる。それは植物だけがわかることである。それは、人間の脳内で起こっていることと同じじゃないか、と思うのである。脳はしゃべらない。何やら電気信号で身体のあっちこっちに指示を出しているそうな。脳は、人間の身体に影響するあらゆる要素を感知し、微調整をはかりながら、人間の身体をコントロールしているような気がする。脳がどんな電気信号を出しているか、私という意識ではわからない。脳が勝手にしていることである。しかし、いつか脳の微調整と信号発信でも、身体そのものをコントロールできなくなる大きなギャップが生まれる。それは突然やってくるのではないか。植物は、日々全身で微調整を働かせながら、最後の最後まで生き延びようとする。そしてある日、突然、やめたっ、と言わんばかりに、びっくりするほどばたんと死ぬ。あっけないものである。病気は自覚症状がでたときは遅すぎるというのは、脳による必死の微調整のおかげだと思う。全身に指示する微調整が働かなくなったとき、人はあっさりと死ぬ。でも、思う、これが宇宙のエネルギーなのではないか、と。人間(脳にコントロールされる存在としての)も植物も、結局宇宙のエネルギー全体を担っているだけで、そしてその中に戻っていくだけである。私がずっと「エネルギー教」と呼んできた、エネルギーの一端を見たような気がしている。脳の中は見られないけれど、植物の姿に脳の働きが現れている、と感じている。庭を歩き回り、植物の様子を観察するのがこんなに楽しいのは、たぶん自分の脳の中をのぞく楽しみかも。。ということにしておこう。(笑)腕のまっかっかもだいぶ薄れ、気分がだいぶ落ち着いてきた。まだちくちくはしているけれど。よかった。
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